詩「あきのかまきり」

 前号で、「草」という詩についてのあやこさんの学習のまとめを紹介しましたが、続いて「あきのかまきり」という詩の学習をしました。次のような詩です。

あきのかまきり
さかもと けんいち

公園に行ったら、
すすきのねもとに、
かまきりがいた。
風がふくたびに、
手と足がふるえていた。
頭を下げてうごかない。
ねむっているのかな。
ぼくだって
ジャンパーをきているのに、
かまきりは
はだかだ。
お日さまが当たるように、
はっぱの上に
そっとおいてやった。

子どもたちの書いた学習のまとめを紹介します。学習のまとめと言っても、実はこの詩についてはほとんど授業をしていません。「草」で学習した「対比・類比」を使ってほとんど自力で書いてもらったのです。(私の方で書き出しなどは指定しましたが・・・)ではお読み下さい。

泰士
この詩は、かまきりと自分を対比して書かれている。
どんな対比か。
自分は、ジャンパーをきているけど、かまきりははだか。自分は日の当たる場所にいるけど、かまきりは日のあたらない場所にいる。
話者(作者)はかまきりと自分をこのように対比して書いているのだ。
つぎに類比を考えてみる。
かまきりと自分の類比は同じ生きものということだ。
これらのことから、つぎのことがわかる。
自分はジャンパーをきていてあったかいかっこうをしているのに、かまきりははだかで日の当たらないところでかわいそうと思って書いた。

秀男
この詩はかまきりと自分を対比して書かれている。
どんな対比か。
自分はジャンパーをきているけど、かまきりははだかだ。自分は日が当たっているけどかまきりは日が当たっていない。
話者はかまきりを自分をこのように対比して書いているのだ。
つぎに類比を考えてみる。自分とかまきりの類比は同じ生きものということだ。
これらのことから、つぎのことからわかる。
けんいちくんは、さむいのでジャンパーをきていたのに、かまきりははだかで日の当たらないところにいてかわいそうだと思い、お日さまが当たるようにはっぱの上にあげてやってとてもやさしい子どもだ。

なかなかよく書けていると思います。前に学習した「対比・類比」という考え方を使って詩を読みとっています。立派だと思います。
さて、このような学習をした後、教科書の詩をまねして子どもたちにも詩を書いてもらいました。1つ紹介します。

海の魚


海に行ったら、
水草の下に、
魚がいた。
なみがくるたびに、
魚がゆれていた。
はをくいしばってうごかない。
ねむっているのかな。
ぼくだって
海水パンツをはいているのに、
魚は
かわだけだ。
お日さまがあたるように、
水草の上に
そっとおいてやった。

教科書の詩をまねして書いたもので本当に子どもたちの感性から書いた詩ではありませんが、詩を書く学習の中にこのような場面があってもよいと考えています。「学ぶ」とは「真似ぶ」ということですから・・・。

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