ごんぎつね(その2)

前号で紹介したとおり、一読後の子供たちの感想の多くは「ごんが兵十に撃たれてかわいそうだった。」というものでした。多くの子供たちは、ごんに同情しているわけです。そのような子供たちに、私が最初に問うたのは次です。

1場面のごんは、どんなきつねですか。

子供たちの意見は2つに分かれます。

A いたずら好きのきつね
B いたずらばかりしているきつね

AとBは似ているようですが異なります。Aはごんを好意的に見ているのに対し、Bはそうではないからです。そこで、この違いをはっきりさせるために次のように問いました。

1場面のごんは、「兵十に撃たれても仕方がない悪ぎつねである」と思う人はノートに○、「そんなことはない」と思う人はノートに×を書く。

子供たちが最初に書いた感想から考えると、圧倒的に×の子供が多いと予想していたのですが、そうではありませんでした。
○・・・24名
×・・・6名
両者の考えをお読みください。

1場面のごんは、かわいらしいいたずら好きのきつねだ。理由は3つある。
1つ目は、いたずらの内容が、人を殺したりとか、そういうひどいことではないからだ。1場面で、例として出ているいたずらは直せるものばかりだ。
2つ目は、65ページの12行目に書いてある「ちょいといたずらがしたくなったのです。」というのがかわいらしいからだ。
3つ目は、ごんはひとりぼっちでさびしいので、いたずらをしたくなったと思うからだ。
このような理由で、ごんはかわいいいたずら好きのきつねだと考える。

1場面のごんは、兵十に殺されてもしかたないと思う。なぜなら、いろいろないたずらばかりしていて、人をこまらせているからだ。
1場面の中で、ごんは4つのいたずらをしている。それも、そのいたずらはひどすぎる。人間があんなことをしたら、けいさつにつかまるくらいの悪いいたずらだ。いたずらというよりははんざいと言えるくらいだ。
それに、夜も昼も、いつもいたずらをしている。兵十に殺されてもしかたない。

1場面のごんは、兵十に殺されてもしかたがないと思う。理由は3つある。
まず、62ページの12行目に「いろんなことをしました」と書いてある。いろんなことだから、教科書に書いてあるいたずらだけではないということが分かる。
2つ目は、64ページの5行目に「兵十だな」と書いてあることだ。後ろすがたを見ただけで兵十のことが分かるということは、人の名前を覚えてしまうほどたくさんのいたずらをしているということが分かる。
3つ目は、兵十がせっかくとった魚を全部、あみの下手へポンポン投げこんだことだ。これはすごく悪い。なぜなら、あみの下手というのは、もうあみにかからないところに投げこんだということだからだ。しかも、いちばん太いうなぎを持っていったのもまた悪い。
このような理由で、ごんはとんでもない悪ぎつねだということが分かる。

1場面のごんは、兵十に殺されてもしかたがない悪ぎつねだと思う。理由は2つある。
1つ目は、畑へ入っていもをほり散らしたり、菜種がらのほしてあるへ火をつけたり、とんがらしをむしり取ったり、兵十のうなぎやきすをうばったからだ。
2つ目は、「こぎつね」といっているけれど、「こぎつね」の「こ」は子供の「子」ではなく、小さいの「小」だからだ。同じ新美南吉さんの『手ぶくろを買いに』に出てくる親子ぎつねの話では、子供のきつねのことを、「子ぎつね」と書いてある。子ぎつねならいたずらですむかもしれないけれど、ごんは「小ぎつね」だ。きっと子供ということではなく、小さめのきつねといういことで、大人のきつねだ。だから、ごんのやったことはいたずらではなく、はんざいだと思う。
このような理由で、ごんは兵十に殺されてもしかたがないと思う。

どの子供も、根拠を明確にしながら自分の考えを述べることができています。懇談会でもお話ししましたが、「書く力」も確実に伸びてきています。