道子の話・正人の話

先週の金曜日は、ご多用の中、全校集会、学習参観、心を語る会にご参加いただきましてありがとうございました。
今回の学習参観は、全学級が道徳の授業。3組は「いじめ」をテーマとした授業を行いました。
使った資料は、「道子の話・正人の話」という二人の話です。話の中で、道子はいじめを受けながらもじっと我慢を続けます。一方、正人は、ある日我慢ができなくなり、相手を殴り返してしまいます。
この二つの両極端な例をもとに、どちらの行動をとるべきなのかを選択させ、その理由を話し合う中で、「いじめにあったときにどうしたらよいのか」を考えさせました。
いじめについて扱った授業の多くは、「いじめはやめよう」「いじめをなくそう」という方向の授業です。もちろん、このような授業は必要です。これからもしていかなければなりません。しかし、逆に「いじめを受けたときにどうするべきなのか」という授業もまた必要だと考えたのです。
次の文章をお読みください。

そもそも「いじめ」の根絶は可能であろうか。私は、それは不可能であると考えている。それは善悪の問題ではなく、人間の避けがたい「業」であり人間が存在する限りついて回るものなのだ。無論「いじめ」を極力減らす努力はしていかなければならない。しかし、それだけに頼って解決を望むことでは甘すぎるのではないか。
この世に遂に「悪」がなくならないように、「いじめ」もまたなくならない。残念なことだがそれが現実である。そうであるならば、そういう現実の中でどのように「生きる力」を育てて行くべきなのか、そこのところの「強い」教育も必要なのだ。

野口芳宏という先生が書かれた文章です。私は、この文章を読んだとき、確かにそうだと思いました。
授業の冒頭で、子供たちに問いました。

A この世から、地震をなくすことはできるか。
B この世から、台風をなくすことはできるか。
C この世から、雷をなくすことはできるか。
D この世から、火事をなくすことはできるか。
E この世から、犯罪をなくすことはできるか。
F この世から、戦争をなくすことはできるか。

A〜Cの問いに対しては、ほとんどの子供たちが「無理だ」と答えました。しかし、DからFについては、半数ほどの子供たちが「なくすことができる」と答えました。つまり、天災はなくすことはできないが、人災は努力によってなくすことができると考えているわけです。これら6つの問いの後、いじめについても尋ねました。

この世から、いじめをなくすことはできるか。

できる・・・23名
できない・・・8名

多くの子供たちが、いじめの根絶は可能だと考えています。かつて6年生に同様の質問をしたとき、6年生の回答は逆でした。ここらへんが、3年生と6年生の違いなのかもしれません。
残念ながら、私も「いじめの根絶」は難しいことであると考えています。もちろん、この学級にいじめを許してはおきませんし、絶対になくさなければなりません。いじめをなくすために、最大限の努力をしていくつもりでいます。しかし、一方で「いじめを受けたときにどうするべきなのか」ということも考えさせたかったのです。

授業後の「心を語る会」でも、各学級の授業が話題にのぼりました。
「3年生になると、自分の考えを話すだけではなく、ディスカッションの形になっていたので、驚きました。」
「難しい内容だったのに、子供たちはよく考えていましたね。」
「子供たちの発言内容のレベルの高さに驚きました。あんなにしっかりと、自分の考えを主張できるなんて・・・。」
「親である私自身も授業に一緒に参加している気持ちで考えさせられました。」
「うちの子はどんなふうに考えていたのか、家に帰ったら、ぜひ親子で話し合ってみたいと思います。」

「心を語る会」の参加者が学年で8名と少数だったのが残念ですが、「出てみてよかったです。この会のよさをもっとほかのみなさんに広めていきたいと思います。」とおっしゃっていた方もいらっしゃいました。今回、ご都合のつかなかった方も、次にこのうような機会があれば、是非ご参加ください。