子ねこをだいて(その2)

クライマックスは何場面か。
(物語の中で『ぼく』の心が一番大きく変わったのはどこか。)

「ここで変わっている」という所に線を引かせたところ、今度は子供たちの考えが3つに分かれました。

【5場面】(5名)
『ぼくは、しばらくの間、道ばたにつっ立っていた。』
●「子ねこのことだけを考えていた→なんだかぼくだけが、ずいぶん損をしているような気がする」という変化

【6場面】(14名)
『リエだって、ねこが大好きなのだ。うちで飼えない子ねこのことが気になってしかたないから、ずっとついてきたんだ。』
●「それもこれもみんな、ぜんそくの妹がいるせいだ→リエだって、ねこが大好きなのだ」という変化

【7場面】(11名)
『ぼくは、少し元気が出てきた。』
●「あまり元気がなかった→少し元気が出てきた」という変化

それぞれ、『ぼくの心』が変わったところを探し、どのように変わったのかという心の対比を探し出しています。
今度は、これらの考えの正否を検討することになります。

確かに、どの場面でも『ぼく』の心は動いていますね。では、一番大きな変化はどこなのでしょう。

自分の考えを主張するだけでは友達を納得させることはできません。相手の考え方に反論することが必要になってきます。

「ぼくは5場面だと考えています。6場面の人に反対します。「リエのせいだ」と考えたのは5場面なのだから、5場面の変化がなければ6場面で「リエだってねこが大好きなのだ」という変化はなかったと思います。5場面の方が大きな変化ではないですか。」
「反対します。確かにそうだけれど、もし5場面が一番大きな変化だとすると、この物語は「リエを恨む」お話だということになってしまいます。5場面だという人はそう考えているのですか。」

このようなやりとりによって、5場面を主張する子供はいなくなってしまいました。
続いて7場面が攻撃されます。

「7場面に反対します。「少し元気が出てきた」と書いてあるけれど、少ししか元気が出てないのだから、それほど大きな変化ではないと思います。」
「すごく落ち込んでいた気持ちでいたのが、少しでも元気が出てきたら、それは大きな変化だと思います。」
「じゃあ、もしそうだとしても、6場面の変化と比べて下さい。6場面でリエに対する気持ちが変わった方が大きいのではないですか。」

7場面を主張する子供もだんだん6場面の方へなびいてきました。最後まで7場面を主張する子供も3名いましたが、大方は6場面の変化がクライマックスであることを納得したようです。

ちなみに、この学習の前日、千紘さんはノートに自分の考えを次のようにまとめています。

私は、クライマックスは6場面だと考える。
なぜなら、クライマックスは登場人物(主人公)の心が大きく変化しているところだ。私は6場面の最初の「ぼく」と最後の「ぼく」は心が大きく変化していると考える。
最初の「ぼく」は、こんな時刻までねこをかかえてうろうろしなければならないのは、みんなぜんそくの妹(リエ)のせいだと思っていた。しかし、、最後の「ぼく」は、リエだってねこが大好きなことにきがついている。リエのことをうらんでなんかいない。
だから、私の考えは6場面。

授業の前にこれだけの自分の読みとりをまとめているのはすばらしいですね。しかもまとめ方も見事です。最初に「結論」を述べ、続いて「根拠」を説明し、最後にもう一度「結論」を繰り返しています。実に説得力のあるまとめ方です。4年生の時に学習したことが十二分に生かされています。拍手!

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