『わらぐつの中の神様』(その4)

マサエが『わらぐつの中に神様がいる』ことを信じたのはどこか。

前の時間に問題になっていたことでした。ほとんどの子供たちは次の箇所だと考えています。

『それから、若い大工さんは言ったのさ。使う人の身になって、心をこめて作ったものには、神様が入っているのと同じこんだ。それを作った人も神様と同じだ。おまんが来てくれたら、神様みたいに大事にするつもりだよ、ってね。どうだい、いい話だろ。』


こんな子供たちに問います。

では、なぜ「ふうん、そいで、おみつさん、その大工さんのとこへおよめに行ったの。」などと言っているのですか。もし、みんなの言うところでマサエが信じたのなら、「うん、いい話だね。わらぐつの中には神様がいるんだね。」とでも言うはずではないですか。

ちょっと迷い始めている子供もいます。しかし、すぐこんな私の意見に反論してきました。
「『ふうん、』っていうのは納得しているのだと思います。そして話の続きが聞きたかったのだと思います。」
ここで薫さんが、また別な意見を出してきます。
「やっぱり、マサエは最後まで完全には信じていないと思います。77ページの『雪げたの中にも、神様がいるかもしれないね。』というのは『わらぐつの中にも神様がいるかもしれないし、雪げたの中にも神様がいるかもしれない。』という意味だと思います。『かもしれない』だから、最後まで完全には信じていないと思います。」

子供たちの考えは混沌としてきました。しかし、まだほとんどの子供が最初の考えを変えていません。私が問います。

「ふうん、そいで、おみつさん、その大工さんのとこへおよめに行ったの。」
「ふうん。じゃあ、おみつさん、幸せにくらしたんだね。」
この2つの『ふうん』は同じですか。最初の『ふうん』ではマサエはまだ納得していないのではないですか。

「反対です。最初の『ふうん』は納得の『ふうん』で、あとの『ふうん』は「おじいちゃんがとてもやさしくしてくれたこと」がわかった『ふうん』だと思います。」
子供たちもなかなか考えを変えません。(これは望ましいことです。理由があって考えを固持しているのですから。)

これ以上話し合いは進まず、チャイムが鳴ってしまいました。次の時間、どうしようかなあと悩んでいるときに恭平君が私のそばへ寄ってきて言いました。
「先生、『ふうん』って2つじゃなくて3つあるよね。」
この言葉で自分の失敗に気づきました。この時間、私は次のように問えばよかったのです。

「ふうん、そいで、おみつさん、その大工さんのとこへおよめに行ったの。」(P73,L3)
「ふうん。じゃあ、おみつさん、幸せにくらしたんだね。」(P73,L10)
「ふうん。だけど、おじいちゃんがおばあちゃんのために、せっせと働いて買ってくれたんだから、この雪げたの中にも、神様がいるかもしれないね。」(P77,L3)
上の3つの『ふうん』は同じですか、違いますか。


恭平君、ありがとう。

では、この問題に関する私の解を述べます。

A「ふうん、そいで、おみつさん、その大工さんのとこへおよめに行ったの。」(P73,L3)
B「ふうん。じゃあ、おみつさん、幸せにくらしたんだね。」(P73,L10)
C「ふうん。だけど、おじいちゃんがおばあちゃんのために、せっせと働いて買ってくれたんだから、この雪げたの中にも、神様がいるかもしれないね。」(P77,L3)

マサエが『わらぐつの中に神様がいる』ことを信じたのはCのところである。おばあちゃんの話の中に出てきた「おじいちゃんが買ってくれた雪げた」を目の前で見て信じたのである。それまでは半信半疑で、完全に信じてはいない。
なぜか。
Aの部分でマサエは「いい話だろ。」というおばあちゃんの質問に対して答えていない。それは「おみつさんがおよめに行ったのかどうか」ということしかマサエの頭にはないからだ。もし信じていたのなら「うん、そうだね。」とでも答えているはずである。
Bの部分でも同じである。マサエの口から「神様」という言葉は聞かれない。ここでマサエの頭にあるのは「おみつさんが幸せにくらしたかどうか」ということである。
Cのところで初めてマサエの口から「神様」という言葉が出てきている。「おみつさん」が自分のおばあちゃんであり、大工さんがおじいちゃんであることを知り、雪げたの実物を見てマサエは本当に信じたのだ。

さあ、子供たちよ。反論してきなさい!

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