『やまなし』視点の検討(その2)

前号で問題となっていた『やまなし』の視点についてです。「三人称限定視点である」と主張した千紘さんは、授業後、次のような文を書いています。

私は『三人称限定視点』だと考える。
なぜなら、13ページの始めに、『かにの子供らは、あんまり月が明るく水がきれいなので、ねむらないで外に出て、しばらくだまってあわをはいて天井の方を見ていました。』と書いてあるからだ。もし、『三人称客観視点』だったとしたら、はじめの方は『きっと、月が明るくて、水がきれいだったからだろう。』になると思う。ただ、この問題はとても自信がない。後から、坂井さんと酒井さんが仲間になったのがとてもうれしかった。
もしかしたら『客観』なのかもしれない。話者は川の中にいるのだ。松井君の言っているとおり、その話者の考えた文なのかもしれないからだ。(話者だってそのきれいな川底を見ているんだし。)あと、高さんがするどいところに目をつけて、変えようとも思った。「ので」なんて言葉を辞書で調べるなんてすごいなぁ。

結論を述べ、その理由を述べ、授業中に出された友達の考えについても検討しています。すばらしい学習作文だと思います。

さて、次の時間、前半の15分ほどを『視点の検討』に費やしました。

『限定視点なのか、客観視点なのか』を検討するために、君たちがまだ読み落としている一文があります。探してごらんなさい。

5分ほどで6名の子供たちが見つけてきました。次の一文です。

『兄さんのかには、はっきりとその青いものの先が、コンパスのように黒くとがっているのも見ました。』

この一文に対し、意見が出されます。
「やっぱり限定視点だと思います。話者にかにの心の中が見えていなければ、『兄さんのかにがはっきり見たかどうか』なんて分からないはずだからです。」
この意見は強い説得力を持ちます。前の時間はわずか3名にしか支持されていなかった『限定視点』が大方の子供に支持されたのです。これによって、ほとんどの子供たちは「この物語の視点は三人称限定視点である」と結論していました。

残りの30分、子供たちは次の課題に取り組みました。

『五月』と『十二月』の対比をできるだけたくさん探してノートにまとめなさい。

前にやった『花と手品師』ほど簡単ではありません。かなり読み込んでいかないと、見つけられない表現が多いからです。
時間いっぱいまで、この活動を続け、次の時間に発表してもらうことを告げて学習を終えました。

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