『やまなし』「私の幻灯」を検討する

『やまなし』は次の一文で物語を終えています。

私の幻灯は、これでおしまいであります。

この一文を黒板に書いた後、子供たちに問います。

この一文の意味が分かる人はノートに○、よく分からないなぁという人はノートに×を書きなさい。

単純な文なので、×をつける子供はほとんどいないと思っていたのですが、さにあらず。3分の2ほどの子供が×をつけています。○をつけている子供は、
「そのままの意味だろう?『これでおしまい』っていうことでしょう。」
と言っています。
×をつけた子供にこの一文のどこが分からないのかを尋ねてみました。
「『私の幻灯』というところがどういう意味なのか分かりません。」
いいところに目を付けています。
全員に問います。

『私の幻灯』の『の』は次のうち、どれと同じ意味なのですか。
A 明くんのランドセル(所有)
B 子犬のポチ(同格)
C 電車の本(関連)

「ああ、確かに全部『の』の意味が違う。」
○をつけた子供たちから声が聞こえてきます。そんなこと、考えてもみなかったのでしょう。

Aは難しい言葉で言うと「所有」を表します。「明くんの持っているランドセル」という意味ですね。Bは「同格」を表します。「子犬」と「ポチ」は「=」で結ばれます。Cは「関連」を表します。「電車について書かれた本」ということですね。

さて、子供たちの選択は次のようでした。(3名欠席です。)
A・・・25名
B・・・0名
C・・・5名

Aだと言う子供が発言します。
「私はAだと思います。まず、Bではないことは確かです。もしBだったら、『私=幻灯』ということになっておかしいからです。Cだと『私についての幻灯』ということになります。私は、自分自身についての幻灯とは思わないからAだと思います。」
さらに別の子供が続けます。
「ぼくもAだと思います。『やまなし=幻灯=物語』だから、この文は『これでこの物語はおしまい』という意味だと思います。」
Cの子供が反論します。
「『自分自身についての幻灯』ではないなんてことは分からないと思います。それに、もしAだったら、この『私の持っている幻灯』をただ見せているだけということになるからちょっと変だと思います。」

これ以上は話し合わせても仕方ありません。私が次のように説明しました。

宮沢賢治はこの作品を書いた頃、自分の作品のことを『心象スケッチ』と呼んでいました。つまり自分の心の中のイメージを詩や物語で表現していたわけです。
もう一度聞きます。『私の幻灯』の『の』はA,B,Cのうちどれでしょう。


今度は29名がCに挙手しました。

では、『やまなし』には宮沢賢治のどんな心の様子が表現されているのでしょう。

正人君が発言しました。
「人生、いいことと悪いことが半分ずつということだと思います。」
「『五月』は『明るい世界に暗い出来事』で『十二月』は『暗い世界に明るい出来事』だから、賢治にもそんなことがあったのだと思います。」

これだけではあまりに考えるための情報が少なすぎます。子供たちに宮沢賢治の簡単な年表を示しました。次のものです。

1896年 賢治生まれる。
1914年 賢治18歳。菜食主義者になる。妹トシ入院。
1922年 賢治26歳。トシ死去。『春と修羅』発表。
1923年 賢治27歳。『やまなし』発表。
1933年 賢治37歳。死去。

そして解説しました。

1922年、賢治のすぐ下の妹トシが亡くなりました。その年、賢治は『春と修羅』という詩集を発表しています。『やまなし』はその翌年に書かれた物語です。つまり妹トシが亡くなった直後に書かれた物語なのです。
では、妹トシが亡くなった年に発表された詩集『春と修羅』から、妹の死に関わる詩を印刷したプリントを配ります。

このように言って、プリントを配りました。プリントされている詩は次の4つです。
『永訣の朝』
『松の針』
『無声慟哭』
『白い鳥』
いずれも旧仮名遣いで書かれていますので、子供たちが自力で読むには少々難しいでしょう。私が『永訣の朝』を読んで聞かせました。ここで時間切れ。残りの作品については次の時間に読んでいきたいと思います。みなさんも是非読んでみて下さい。

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