『やまなし』象徴性の検討

いよいよ『やまなし』の学習も大詰めを迎えて参りました。
この時間は『やまなし』を自分なりに解釈するための山場になります。『やまなし』に登場してくる様々な言葉の象徴性を検討する学習です。かなり高度な内容になるはずです。
授業前、果たして子供たちが自分の考えをもてるのだろうかと私は心配でした。しかし、それも杞憂に終わったようです。子供たちは私の期待を越える内容をこの時間に発表してくれたのです。連休中に自分の考えをノートにまとめてきている子供も数名いました。子供たちにとっても『やまなし』の謎は興味あるところなのでしょう。

この時間の前までに子供たちは粗く言って次のようなことを学習してきました。

1 物語の視点
2 「五月」と「十二月」の表現上の対比
3 「五月」と「十二月」の対比の意味
4 「私の幻灯」の意味
5 当時、賢治が置かれていた状況
6 『永訣の朝』他三編の詩

6時間ほどかかって蓄積してきたこれらの手がかりをもとに象徴性を考えていくわけです。
問います。

「クラムボン」「魚」「かわせみ」「イサド」「やまなし」
これらの言葉は一体何を象徴しているのでしょう。自分の考えを発表して下さい。

まずは「クラムボン」についての考えを聞きました。
「クラムボンは賢治の妹のトシを象徴しているのだと思います。『クラムボンは死んだよ』とか『クラムボンは殺されたよ』というのは妹の死を表していると考えたからです。」
「ぼくもそう思います。クラムボンは最初に笑っています。これは生きている頃のトシのことだと思います。そのあと、『死んだよ』とか『殺されたよ』とか書いてあって、最後にもう一度『笑ったよ』と書いてあります。最後に笑ったのは賢治を悲しませないようにするためで、『永訣の朝』の中の『わたくしをいつしやうあかるくするために』というところと同じ意味だと思います。」

関連して「魚」に対する意見も出されてきました。
「私は魚もトシの死を表していると思います。クラムボンの死と魚の死は両方ともトシの死を表しているのだと思いました。」
「反対です。8ページに『何か悪いことをしてるんだよ。取ってるんだよ。』と書いてあります。もし、魚の死がトシの死を表しているのだとしたら、トシは悪いことをしたことになってしまいます。」
「ぼくは魚は賢治自身を表しているのだと思います。」
「ぼくは魚は妹を殺した病気のことだと思います。6ページで魚が頭の上を過ぎていった後、クラムボンは死んでいるからです。」

さらに「かわせみ」についてです。
「私はかわせみが病気を象徴しているのだと思います。かわせみが魚を奪っていったことと病気がトシを奪っていったことがつながると思ったからです。」
「ぼくも似てるんだけど、かわせみは死神の象徴だと思います。」
「黒板には出ていないんだけど、『かばの花』というのは死の知らせを象徴していて、トシが死んでしまったことを表しているんだと思います。かばの花は、詩『無声慟哭』に出てくる白い花と同じだと思います。」

様々な考えが出されました。それぞれを認めた上で「十二月」の「イサド」「やまなし」について発表してもらいました。
「イサドは仏の世界の象徴だと思います。死んだ妹のトシが行った世界を象徴しているのだと思います。」
「私も似ているんだけれど、イサドはかにの子供たちにとって楽しい場所っていうイメージがあるから、天国のことを象徴しているんだと思います。」
「ぼくも似ていて、『永訣の朝』に出てくる『兜率の天』の象徴だと思います。」
「イサドが『兜率の天』なら、やまなしは『兜率の天の食』の象徴だと思います。『永訣の朝』に『どうかこれが兜率の天の食に変つて やがてはおまえとみんなとに 聖い資糧をもたらすことを』と書いてあります。やまなしは、かににいい匂いとお酒をもたらしてくれたから、これは『兜率の天の食』の象徴だと思います。」

子供たちがここまで考え、ここまでしゃべってくるとは思っていませんでした。本当にすばらしいと思います。大した子供たちです。
この時間に発表された子供たちの考えをもとに、次の1時間で学習のまとめをしたいと考えています。
これだけのことをしゃべってくる子供たちです。一体どんなまとめをしてくれるのか今から楽しみです。

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