『やまなし』子供たちの評論文(その2)

愛子
言葉の象徴性について検討する。
『イサド』は何を象徴しているのか。
私は天国だと考える。なぜなら、教科書の14ページで「もうねろ。おそいぞ。あしたイサドヘ連れていかんぞ。」とお父さんは言っている。
これは、ねなければイサドには連れていかないという意味だ。お父さんは、子供たちがイサドに行くのを楽しみにしていることがわかっていて、こういうことを言ったのだと考える。
だから、子供たちはそれほど『イサド』に行きたかったはずである。きっとこの『イサド』はとっても楽しい所なのだと考える。
『クラムボン』は何を象徴しているのか。
私は賢治の妹の『トシ』だと考える。
なぜなら、この話ができたのは1923年だ。この前の年に妹のトシが死んだ。
なぜ、そのことが関係あるのかというと、教科書の6ページの4行目から8行目までこのようなことが書いてある。
「クラムボンは死んだよ。」
「クラムボンは殺されたよ。」
「クラムボンは死んでしまったよ・・・。」
「殺されたよ。」
「それならなぜ殺された。」
などのことはトシと何となく似ているような気がする。
それに4ページの5行目ぐらいのところに、
「クラムボンは笑ったよ。」
と書いてある。これは宮沢賢治の詩『永訣の朝』の16行目から
「ああとし子
死ぬといふいまごろになつて
わたくしをいつしやうあかるくするために」
などと書いてある。これも何となく似ているような気がする。だから私はクラムボンはトシだと考える。
『魚』は何を象徴しているのか。
私は『永訣の朝』の「みぞれ」だと考える。
なぜなら、『永訣の朝』の1ページでは優雅に降っていて2ページでは悲しく雫になっているからだ。
これは教科書の4〜8ページの半分まで優雅に泳いでいる魚と8ページの半分から9ページの悲しくもかわせみに殺されている魚に似ている。だから「みぞれ」だと考える。
『かわせみ』は何を象徴しているのか。
私は妹の病気だと考える。
なぜなら、魚の命を奪ったように妹のトシの命を奪ったからだ。だから死神とも言える。どっちにしろ、トシの命を奪ったのには変わりない。
最後に『やまなし』について検討する。
私は『イサド』の食べ物だと考える。
なぜなら、自分で落ちたやまなしは『クラムボン』や『魚』とちがって、死んで終わりではない。『やまなし』はまだ続きがある。それは川をいいにおいにしたり、かにの家族にお酒を与えてくれたりしてくれる。これはまさしく天の食だ。
なぜ『やまなし』という題なのか。
私は次のように考える。
それは、妹のトシが天国へ行っても食べ物に不自由しないで暮らしていけるように願ってこういう題にしたのだ。

正志
言葉の象徴性について検討する。
『クラムボン』は何を象徴しているのか。
ぼくは、宮沢賢治さんの妹のトシを象徴していると考える。
『やまなし』の中でクラムボンは、
笑った→死んだ(殺された)→笑った
と変化している。クラムボンを宮沢賢治さんの妹のトシに置き換えると、『心象スケッチ・春と修羅』の『永訣の朝』のトシの動きと見事重なる。〈クラムボン=宮沢賢治の妹のトシ〉と考えるのが一番妥当なようだ。
『魚』は何を象徴しているのか。
ぼくは宮沢賢治さんの妹のトシの病気を象徴していると考える。
なぜなら、誰かが言ったように魚が頭の上を通ってからクラムボンが死んだ(殺された)という話をかにの子供らがしたからだ。
『かわせみ』は何を象徴しているのか。
ぼくは死神を象徴していると考える。
なぜなら、かわせみが魚を殺した。つまり死神が病気の宮沢賢治さんの妹のトシの命を奪っていったとぼくは考えるからだ。
『クラムボン』・『魚』・『かわせみ』の三つは宮沢賢治さんの妹の死を表しているとぼくは考える。
『イサド』は何を象徴しているのか。
ぼくは兜率の天を象徴していると考える。なぜなら、かにの子供らが行きたいところ→楽しいところ→天国というふうになるとぼくは考える。つまり、妹に行ってほしかったところを宮沢賢治さんは《やまなし》に登場させたのだとぼくは考える。
〈イサド=兜率の天〉だとぼくは考える。
『やまなし』は何を象徴しているのか。
ぼくは、また新しく生き返ることだと考える。
なぜなら、やまなしの実からまたやまなしの木ができる。
そして『春と修羅』で宮沢賢治さんは〈また人に生まれてくるときはこんなに自分のことばかりで苦しまないように生まれてきます〉と妹が言ったのを聞いている。
つまり、『やまなし』はまた妹が人に生まれてくる(かもしれない)ということを象徴しているのではないかと考える。
なぜ、この物語は『やまなし』という題なのか。ぼくは次のように考える。
さっき書いたように、『やまなし』は妹がまた人として生き返るかもしれないということを象徴している。だから、妹にまた人として生き返ってほしいという願いが込められているのではないかとぼくは考える。

back