学級懇談資料

 本日は、学習参観、学年・学級懇談会にご参加いただきましてありがとうございました。参観いただいた授業のテーマは「生産的連帯」です。「生産的連帯」とは何か。次の文章をお読みください。千葉県で長く教師を務められた野口芳宏先生の講演録です。

 今の家庭の中の子供というのは、家族と、どうやって結ばれているのかということを考えてみましょう。
 だいたい、子供に家族のことを話させますと、特に連休とか夏休みということになりますと、どこどこに連れていってくれるというのが子供にとっては、一番の楽しみなんですね。あるいは、家族で食事に行くとかさ。それも結構です。
 しかし私はね、少し堅苦しい言い方で悪いんですけれど、そういうつながり方を「消費的連帯」と言っているんです。消費的連帯とはね、必ずそこに消費がともなう。消費をたくさんしてもらったことによって、愛を感ずる場合です。いっぱいごちそうをしてくれた。好きなところへ連れていってくれた。おいしい料理のあるホテルで一泊した。全部金がかかる。消費的連帯ですね。これはね、「金の切れ目が縁の切れ目」なのね。都合の悪くなると連れていってもらえないわけです。そうするとそういう消費的連帯の中で育ってきた子供というのは「ケチ」とか、「話せねえの」とかね、そういう形になっちゃうの。これは消費的連帯と言ったけれども、「連帯」でも何でもないですね。消費的同居とでもいったらいい言葉です。
 私は本当に人間と人間が心を結ばせる連帯というのは、必ずそこに生産性がなくっちゃいけないと考えています。それを「生産的連帯」と私は言っています。生産的連帯というのは、子供と親とがお互いに感謝し合いつつ結ばれるという場合です。
 例えば、明日お父さんが出張で遠くへ行くというとき、
「よしボクが靴を磨いてやろう」
と思う。で、靴をこっそりとピカピカに磨いてお父さんが埃っぽい靴かなと思っていたらピカピカに磨いてある。
「誰が磨いた?正夫か。ああ、ありがとう」
となる。お父さんが遅く帰ってくる。
「お父さん、お風呂沸かしてあるからどうぞ」
「お、誰が沸かしてくれた?」
「私が沸かしました」
「おお、光子が沸かしてくれたのか、ありがとう」
と、こういうふうに家族のためを思って子供があることをする。されたことに対して親が感謝する。こういうのを私は「生産的連帯」と呼んでいるわけです。
(中略)
 生産的連帯には金が一銭もかかりません。ちょっとその気になればいつでも早速やれるものですね。風呂を沸かしておく。お母さんがつかれた体でもって食器の片づけをしているので、ちょっと手助けをする。そうしますと、子供が親にとってなくてはならないものになってくる。
「お前のおかげで家が明るくなる」
「あんたのおかげでお母さんが助かる」
子供に対して親が感謝するようになる。

 さて、野口先生は、今日の授業で使った資料についても言及されています。

 この「資料」のお話はとてもよくできていると思います。たかし君は、とてもすてきな子どもで魅力的です。その理由は前に書きましたのでくり返しません。
 そして、たかし君以上に大きな魅力のあるのが、たかし君のお母さんです。こういうすてきなお母さんだからこそ、こういう子どもが育つんだなあ、と思いました。
 たかし君の「せいきゅう書」の思いつきに対する、この母親の対応は絶妙だと思うのです。

 お母さんははじめ、少しふしぎそうな顔をしましたが、すぐもとのやさしい顔にもどって、それをくり返して読みました。

 ここだけでも、このお母さんはすてきです。しかし、ほかのお母さん方も、あるいは大体こういう対応をするかも知れません。
 問題はそれからです。たかし君の請求書に対する母親の対処の仕方は、格別すてきです。
 まず、お母さんは請求書に従って100円玉をたかし君のお皿の脇に置いています。たかし君のにっこりした顔も、それをみてにっこりするお母さんの顔も思い浮かびます。
 すんなりとたかし君の要求に応じているところに、このお母さんのゆとりがあります。受けとめ方が、「受容的」で「共感的」です。「教訓的」「指示的」ではありません。そこに何とも言えない「優しさ」が漂っています。
ここに「会話」がないこともいいですね。きっと黙って、笑顔で100円をおいたと思います。「無言」ですが、そこには言葉以上の優しさがあふれているように思います。
 そして、今度は反対に、お母さんからたかし君への請求書をわたすのです。ここがまたとてもいいですね。「敵もさる者!」というわけです。
しかも!です。その請求書には、「0円」と明記されているというのです。ここにいたって私はこの母親に脱帽します。「あっぱれ」です。
 きっと、たかし君は子ども心にもはっとしたことでしょう。そういう感じ方のできる子どもに違いありません。そして、まさに無言のうちに、お母さんの大きな愛を感じとったことだろうと思います。
 何やかやと雑事がいっぱいで、ともすると私たちはただただあくせくと暮らしに追われがちです。あくせくとした暮らし方というのは、一つ一つのことにこだわってなどいられない、心忙しい「処理的」な生活態度のことです。
 そこで身につくのは、手なれた処理技術だけです。少しは手早く片付けていける技術は身についていくかもしれませんが、それは何とも表面的で、浅く、薄っぺらなものではないでしょうか。そして、それはこと子育てに関する限り、最も警戒しなければならない態度ではないかと私は考えるのです。
 私たちは、もう少し自分たちの生活の一つ一つに「こだわり」を持ってみることが必要なのではないか、と思います。先のお話の中に出てくるお母さんに最も惹かれた点は、あの知性的な「こだわり」方にあります。
 「おかあさんへのせいきゅう書」に対しては、さまざまな対応の仕方が考えられます。
・ばかなことするもんじゃないわよ!
・お断りだわ!
・何を考えてんのよ、欲ばりだわねえ。
・それじゃお母さんも請求書を出すわよ。払えると思ってんの。
・こんなことしたら、お父さんに言いつけてやるから!
・お金のことなんか言うもんじゃないの。
 これらのいずれもが、まあまあ常識的な対応ではないでしょうか。そして、いずれもが子どもの夢をこわし、反発を買い、不機嫌な関係を生むという点で共通しています。
 さて、どうしてこれに対処すべきか?と、あれこれ考えをめぐらしてみると、それが「こだわる」ということです。そういう「こだわり」を持ち始めたときから、この世の中はぐんと面白みを増してきます。
 たかし君のお母さんも「こだわり」を持ったからこそすばらしいドラマを生むことができたのでしょう。美しいドラマが生まれているではありませんか。そして、その気になりさえすれば、どの家庭にも、子育てをめぐるすてきなドラマがいっぱい生まれること請合いです。

 小さな文字になってしまいましたが、今日の学習についてご家庭でも話し合っていただきたいと願い、そのための資料として長々と引用させてもらいました。ご家族で読みいただければ幸いです。