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その日、その日 2005




















12月15日「クリスマスの夜
  寒いクリスマスの夜だった。

 やっと来たバスに、いらいらしながら乗ると、眼鏡が白く曇った。ハンカチで拭いて、車内を見ると席はまばらに人が座っている。皆、窓の外を見ている。中ほどの空いた席に座ると、イヤーホンを耳にさし、ウォークマンで音楽を聴きだした。

 いくつかのバス停に止まって、あるバス停に止まると、何人か乗り込んだ客の中に野球帽をかぶった落ち着きのない35、6才の痩せた男がいた。挙動から知的障害のようだった。前の席があいていないので、彼は後ろの席に座った。俺の後ろの方だ。そして、次のバス停に止まると、沖縄のシーサのような顔をした男が乗ってきた。寒いのに薄着だ。顔は浅黒く目つきはぎらぎらしている。車内を見回して、笑みをうかべ、シルバーシートに座った。どこか普通ではない風情だ。バスが走り出した。

 客は乗ってくるが、降りる者もいるので、車内はすいていた。しばらくすると、後ろの男が「うーうー」とうなりだした。野球帽の男だ。俺は音楽に集中した。「うーうー」と言う声はおさまらない。彼は立ち上がって、俺の前の降車口に立って「うーうー」言い出した。ほどけた包帯が手からぶら下がっていた。彼は振り返って、どうやらいっしょに乗った母親らしき人に身振りでなにか訴えている。包帯をなおしたい。次のバス停でおりて、包帯をなおしたいと言っているようだった。でも、母親は「遅くなるからいい」と言って彼の主張を受け付けない。でも彼は「うーうー」と言う。引き下がらない。とうとう母親は席を立って、彼の頭をたたいて、どなりだした。

 「うーうー」と言う声と、罵声が車内に鳴り響いた。

 俺はウォークマンの音量を上げた。すると、今度はシーサ顔の男が「だめだ、ぶったら、だめだ。だめだ、ぶつのはよくない」と大きな声で言いだした。二人の方に身を乗り出して大きな声でわめきだした。

 バスが信号待ちしたとき、俺は立ち上がっていた。そして、運転席まで言って、運転手に言った。
「生半可な偽善は悲しいなぁ」
「なんなんですか?」
 俺は運転手の胸ぐらをつかまえて、席からひきずりおろした。
「なにをするんだ。警察呼ぶぞ!」
「鼻自体は、自分の鼻くそにきづかない」運転手の鼻を指ではじいた。
「だめだ、ぶったらだめだ。ぶつのはよくない」
「お前が運転しろ!」
 シーサ男の頭をつかんで席に座らせた。するとすぐ後ろで「うーうー」と言う声が聞こえる。振り返ると、あの野球帽の男だ。俺を指さしている。俺は殴った。男はバスの床に転がった。倒れた男を母親は足でけっと飛ばした。
 信号は青になっていた。後ろの車がクラクションを鳴らし始めた。
「はやく運転しろ!」

 バスは急発進した。俺は最後尾の席まで転がった。バスは急スピードで走った。席に這い上がり、ふと、車窓の外を見ると、大きな家の屋根が燃えているのが目に入った。それに気づかず、その家の広いリビングではたくさんの人達が片手にグラスを持って、歓談していた。バイオリンを弾く人の姿も見えた。広いリビングには高い天井まで届く大きなクリスマスツリーが立っていた。電飾が明滅していた。

 俺は大きくため息をついた。

 「うーうー」と言う声がどんどん大きくなった。母親は蹴り続けた。「うーうー」は旋律となってきた。

 そうか「第九」だ。ベートーベンの「第九、歓喜だ」

「うーうーうー、うーうー」シーサ男も歌い出した。
「うーうーうー、うーうー」運転手も歌い出した。
「うーうーうー、うーうー」母親も歌い出した。
「うーうーうー、うーうー」残りの乗客も歌い出した。

 俺は歌わなかった。

 最後尾の席から遙か彼方に空が赤く染まるのをじっと見ていた。ドストエフスキーの『悪霊』の火事の風景を思い出していた。

「火事だ!火事だ!これがニヒリズムだ!」

 気がふれた市長が、そう叫んで町を彷徨う姿を思い出していた。




12月4日「祝壱萬回」
いつの間にかHPのアクセスが10000カウントを越えていた。
 
 昔から、日記のように、備忘録のように書いていた文の一部を、誰に向けてでもなく、2002年からHPを開いて書き始めたが、よく続いたものだ。
 人に理解してもらおうなんてさらさら思っていないから続いたのかもしれない。
 そうは言っても「ご意見」を頂いた方々には「ありがとうございます」と言いたい。
 原則として「他者との間には絶望的な断絶がある」と言う考えで世を渡っている私だけれども、無音の闇の向こう、遠く遠くから声が聞こえると素直に嬉しいものだ。

 さて、こんなところに徒然なるがままに文を書いている私だが、どこに向かっているのだろうか。


 ガブリエルが空を飛んでいる。
「ミカエル!お前も飛べよ」
「ああ、分かってる」
「こうやってさ、高い木の上を旋回していると最高だぜ」
 ミカエルは木の根元に腰掛け考え込んでいた。
「ガブリエルは立派だ。シオンも大した奴だ。俺は無力だ」
「ミカエル、お前は俺より飛べたはずじゃないか」
 高い木のてっぺんで羽を休めているシオンが大きな声で言った。

「確かに飛べたはずだ」つぶやくと、立ち上がり、ミカエルは木の枝を拾い 始めた。
「こうやって燃やすんだ」
 枝を折っては積み上げた。そして、火を付けた。ミカエルの顔が赤く染まった。

「おーい、飛ぼうぜ」
 ガブリエルとシオンが青い空を縦横に飛んでいた。

「俺には翼がある。どうにか飛べる。でも、木の根元に座り、たき火をじっと見つめているのが好きなんだ。」

 燃やす木がなくなるとミカエルは大きな木を切り出した。とても大きな音をたてて倒れた。そのときガブリエルは言った。

「無茶だな。相変わらず」
「ガブリエルは立派だ。シオンも大した奴だ。ダニエルも輝いている。俺は無力だ」

 やがて燃やす木がなくなるとミカエルは別の大きな木を切り出した。そして、次々にたき火にくべた。

「無茶だな。相変わらず」ガブリエルとシオンとダニエルが言った。
 ミカエルはくべる薪がなくなると次々に木を切り倒して、とうとう山の木全部を燃やしてしまった。

 ガブリエル、シオン、ダニエルら、天使たちが羽を休める大きな木が一本もなくなってしまった。



11月23日「アースダイバー」

 中沢新一の『アースダイバー』を読みました。

 店頭に出たときから気になっていたのですが、どうも手の内見え見えの作品なので「買ってやるものか!」なんて思って、しばし、買わなかったのですが、「疲れ切った時に読むのは中沢」と言う私の不文律にしたがって、買って読んでしまいました。(売れてるようですね)

 ここでは、中沢は東京の町を沖積層と洪積層の土地に色分けして、それぞれの土地がもつ「意味」と言うか、「思想」と言うか、そんな観念の生成のメカニズムを、彼の「縄文の野生の思考」と言う視点から語っています。

 沖積層と洪積層とは、昔、地球が温暖な時代に海だった土地とそもそもが高台だった土地の地層のことです。
 当然、それぞれの土地には「高−低」「乾−湿」と言う物理的な特性があり、人が住むと「山手−下町」となります。その間を仲立ちする「境界」(境界に位置し、境界の働きをする土地には「サッ」の音がする地名がついているらしい)あるいは「坂」に、彼は注目して、その土地が織りなす「物語」を語っているわけです。

 そんな難しいことは気にせず、漫然と読むお話としても面白い本だと思います。

 たとえば、西新宿に「角筈」と言うところがありますが、その地名の由来は、かつて新宿を切り開いた男が、紀州熊野神社から神様をお連れして十二の社を建て、お祀りをし、自身も在家の修行者として山伏つまり「角筈」の恰好をしていたことによるとか、渋谷のはずれの神泉はかつて一帯が巨大な火葬場で、崖に祠があって・・とか、それだけでも、オヤジが酒呑んで若いネーチャンにエラソーに話すネタだらけって感じです。

 さて、中沢はこんなことを延々と語って、実のところ何を言いたいのでしょうか。

 彼はどうも低い土地に「与する」ような姿勢でいます。縄文的思考の力の源がそこに見いだされるからでしょう。もちろんかつては海を臨む「岬」に位置する場所(現在では、ほとんど神社仏閣が建っていて「聖域」となっています。東京タワーもそうですが)、そして、「坂」「崖」に着目し、いわば「位置」の差異が生み出すエネルギーをそこに見ようとしているようです。でも、もうひとつ踏み込んで自分の思想を伝えようとしないのです。

 そう、彼は「だからどうだ」と言う「説教」は言いません。人によってはこんな中沢に不満をもつことでしょう。彼の主張なんてどこにも書いていません。「中沢君、だからなんなんだよ」と訊いてもあまり意味がないでしょう。「なんなんです」と答えるだけでしょう。

 これがポストモダンの落とし子のスタンスなのかもしれませんね。

 でも、私はこの「中心のない本」を読んであらためて「象徴」と言うことを思い起こしました。

 ITの劇的進化と普及と相俟って、苛烈な資本の自己運動化の行き着くところとして、日本が、いや、世界が様々な意味でフラットになり、今や世界は狭い意味での「記号」が支配してしまっています。

 ものと意味(観念)が単純に一対一対応する思考のメカニズムとしての「記号」の支配です。(ソシュールの記号論はこんな単純じゃない)
 そして、この人の思考の手法の一側面でしかない「記号」が思考の全権をふるって世界を制覇しようとしているわけです。

 その一方で、確実に我々の思考の暗部で広がっているのが「象徴的思考」です。

 中沢がこの本で語っているのもこの点であるように思えました。

 「東京の民話あるいは神話」を語りつつ、それが如何に象徴が絡み合って発生しているか、しかも、この象徴的思考が今現在も我々を心地よく支配しているか、と言うことが、私には刺激的でした。

 しかしですね、あえて言わせてもらいますと、こうした図式を浮かび上がらせておいて、フェイドアウトする中沢の中心のないやり口に危険な思考の罠があるような気がしてなりません。これについては別の機会にお話ししましょう。



10月1日「金字塔」
  餃子を作った。皮は薄皮だ。包んでこのように皿に並べるとそれだけでピラミッドを築いた気になる。これを焼いて、食べ尽くすわけだが、それはピラミッドを崩す快感に近い。たいへん旨かった。

 そうだね。やはり築いたものは自分で崩して完結だな。









9月19日「Fiction-Teller」 

 子供の頃から物語を語るのが好きだった。ある物語を仲間にすると、続きはどうなんだとすれ違うたびに訊かれた時期もあった。
 またこんなこともあった。小学5年だった。台風が近づく学校の講堂で数人の仲間が、私を囲んで座って、私が死神像の下に秘められた秘密工場の話をしている時、突然、強風で、講堂の二階部分の扉が大きな音を立てて開き、一同飛び上がったのを覚えている。風の音と扉のバタン、バタンと言う音が講堂に響き渡り、しばし、誰も口を開かなかった。そんなことがあった。
 物語を語る時は特に筋立ては考えない。まず自分で面白いことが第一だが、「次は?次は?」と言う表情を仲間からひきだすように、話をもっていく楽しさに乗じてストーリーをつくっていった。
 その後、電子工学に興味をもちだして、関心は自然科学に傾斜していったが、相も変わらず森の暗がりに白いものを見たり、廃屋に人影を見たりしながら、頭の中にはたくさんの物語でいっぱいになっていった。
 でも、その物語を話す仲間はいなくなった。夢中になって私の話に耳を傾ける仲間はいなくなった。

 そして、今、私は虚妄の塊になった



9月3日「ガジュマロ古酒」

 今年、沖縄へはすでに4回行っている。過去20回近く行っているかもしれない。初めて行ったのは20年くらい前か。那覇空港は猥雑なお土産物屋が並ぶおんぼろだった。
 人頭税、沖縄戦など幸福な時代が過去においてほとんどない島々に、今、「癒し」を求める人がこの島を訪れる。私はこの島に「癒し」を感じない。この島の重い過去も憂鬱にするが、強烈な日差し、特徴ありすぎる料理、きつい酒、自然のままの浜はゴロゴロした白い珊瑚の死骸の山。さらに島中に広がるさとうきび畑の下には先の戦争で死んだ人たちの無数の骨がそのまま放置されている。すべてがエキセントリックなこの島に「癒し」など求めようがない。
 では、私にとって沖縄は?と言うと、「中毒」としか言いようがない。
 現地の人々のどろどろした話などにまみれて、さらに仕事でよれよれになって東京に帰って、二度と行きたくないと思ったこともある。
 でも、一ヶ月も経つとたまらなく行きたくなる。リゾートホテルに泊まったこともない。白砂の浜にのんびり遊んだこともない。観光地にも行ったこともない。なのに、なぜ、私をこれまでもひきつけるのだろう。
 私は、あの店の、あの泡盛のせいだと思っている。いや、信じている。

 初めてひとりで、ゆっくりと夜の町を歩いて、呑む店を探していた。国際通りに近いのに、よくもこんな店があるなと思える奇妙な店を見つけた。それはガジュマルの巨木の真ん中に入り口がある店だった。店内は狭く、暗いが、気持ちが落ち着く店だった。島ラッキョの天ぷらと豆腐ヨウをつまんで泡盛を一合空けたときだ。
 「これは秘蔵の泡盛です。ど〜うぞ、呑んで、ください。サービスです。とても、お・いし〜いです」
 と地元のアクセントでシーサのような顔をしたにいちゃんが、泡盛を甕から直接酌んで差し出してくれた。生のままで一口呑んで驚いた。さらりとしているが、香りが高く、それがたまらなくいい香りで、一気に50度近い古酒一合を呑んでまった。それからあまり覚えていない。まるで店内がガジュマルの森になったかのようにクネクネとゆがみ、揺れていた。
 泡盛は、本来はエキセントリックで、「毒性の強い」この島で暮らすのに欠かせない解毒剤だと思っていたが、その泡盛の中で純度が最高度に高い古酒をグビグビ呑んで、あれ以来、解毒ではなく、魂まで中毒になってしまったのかもしれない。
 その次に沖縄へ行って、その店に行ったがどこにもなかった。



8月20日「尾道」
 尾道へ行った。駅の改札を出て見渡すと、向島との間に川のような海があり、振り向けばお粗末な尾道城が頂上に建つ山がある。その山に張り付くように人家が樹木に埋もれていくつも並んでいる。それだけなのだ。
 しかし、その山の中に一歩入り込むと、坂が縦横に走っていて、ところどころにお寺が点在している。上に登ったかと思うと、下へ強制的に下らざるをえない。さっき上にあった家の屋根が今は足下にある。ふと、遠くを見やると海に浮かぶ瀬戸内の島が見える。ここまではいいのだが、不思議なのは人が消えてしまうのだ。
 両脇に塀がつづく一本道を帽子をかぶった男が私の前を歩いていた。男が道を曲がった。でも、彼の帽子だけが塀の上に見える。塀に沿って帽子が移動する。私が曲がり角にさしかかったとき、すっと帽子が塀に沈んだ。と同時に私は坂道を曲がり、彼が歩いているはずの下り坂を見下ろした。なんと誰もいない。どうせ横道にでもそれたのだろうと思ったが、行けども行けどもそんな道はない。気がついたら誰もいないお寺の境内に立っていた。尾道は迷宮だ。



7月18日「亡国」
 やっと逃げおおせたと思ったら、
「お前らが言うから俺もやった。でも、もうやめよう」と言う奴が仲間に出てきやがった。
「やめようだって、なにをやめるんだ」
「逃げるのをさ」
「捕まれ!と言うのか」
「そうだ。やっぱ、まちがってた」
「捕まる意味、分かっているのか。殺られるってことだぞ」
「必ずしもそうではない。よく話せば分かってもらえる」
「話し合い!本気か。アホか」
 俺がそう言うと他の仲間がそいつの頭を撃ち抜いた。
「お前も気がはやいな」
「だってこいつ、奴らにばらしちまうぜ」
「でも、誰もこいつを殺れなんて言ってねー。お前みたいな奴が組織をぶっ壊すんだ」
 俺がそう言うと他の仲間がそいつの胸を撃ち抜いた。
「お前もか、気がはやい」
「え、そうか。ゆくゆくはこいつがすべてをだめにする、そう言ったろ」
「ま、俺はそのようなことを言ったが、簡単に殺るな。こいつも自分がなにをやったか分かるときがくるんじゃないか。もうくたばったから無理だけどな」
「こいつと話し合えば分かるとでも言うのか」
「そうだ」
「お前は話し合いは無意味だと言ったじゃねーか」
「捕まって、奴らと話し合っても無駄だと・・・」
「・・・」
 俺のどてっ腹に刺さった匕首を握りしめている奴が目を見開いている。
「お前も誰にも言われず俺を殺ったな」
「いや、お前が殺れと言った」
「俺は言っていない」
「話し合いは無駄だ。無意味だ。話し合いは無駄だ。話し合いをする奴は殺れと」
「お前も殺れ!お前を殺れ!」
 匕首がするりと抜かれ俺はその場に崩れた。もうひとり倒れる音がした。奴は自分で殺った。やっと「正当な殺る」が成立した。そして、誰もいなくなった。
 チャバネゴキブリを最近見かけなくなった。少し寂しい気がする。


6月26日「生死を彷徨う」
 冬の東北へ仕事で行った。三陸海岸沿いのある町へ行くのだが、降りる駅を間違えてしまった。気がついたときは列車が走り出していた。上りの列車の時刻表を見ると2時間に一本しかない。訪問先にあわてて携帯で連絡をとろうとしたが、圏外になっていた。駅に駅舎はなく、公衆電話もない。駅の裏には廃屋が風に揺れていた。なにもない駅だ。ホームに呆然と立って遠くを見渡すと海が広がっていた。あわてていたせいもあり、また、強い寒風で波の音が耳に入らなかったようだ。よく見ると人家はあるが、人の気配がまったくない。2時間もこのホームで待つのも、ただ体が凍てつくだけでばかばかしい。ひょっとして飯し屋くらいあるかもしれない。線路を渡って海岸に向かって坂を下った。
 人影はまったくない。ひたすら強い風が吹き上げてくる。ほどなく芝が砂地に絡まる整備された広い空き地が目の前に広がる。その向こうに白い砂浜が延々と続く。遠くには灯台岬がある。沖縄の砂も白いが、ここの砂は石英が粉状になったような砂で、夢の中でつかんだ白砂のような、実在感がない。強風に砂が舞い、風紋を作っていく。目の前で起きているこれらの出来事が自分自身の存在も含めて夢幻のただ中のような気がしてくる。風はどこまでも強く、どこまでも冷たい。押し寄せる波は高く、恐怖さえ覚えるすさまじい音を立てている。ここには私しかいない。見渡す限り誰もいない。真っ青な空と真っ白な砂浜。狂ったように打ち寄せる波。黄泉に来てしまったのだろうか。
 強風に押され、煽られ砂浜を歩く。波打ち際までもう少し、もう少し・・しかし強い風に押し戻される。後ろにおろおろと引き下がる拍子に砂に足をとられ仰向けに倒れてしまった。すぐさま起きようとしても起きられない。背の砂が沈んでいくような気がした。見る見るうちに体を白砂が覆っていく。もがけばもがくほど沈んでいく。両手を思い切りばたつかせ、足もばたつかせた。
 右の拳を激しく振り下ろしたときだ。硬いものに激しくぶつかった。「痛て!なんだこれは」拳を目の前に差し出すと細い目をした埴輪がぶら下がっていた。埴輪は私の拳をくわえていた。いや、噛みついていた。「なんだこいつは!」振り切ろうと腕を回した。埴輪はさらに強く噛みつく。私の拳を噛み砕くかのようだ。真っ赤な血がだらだらと流れ出した。青い空に高く掲げた腕がベトベトの赤い血に濡れていく。白い砂は赤く染まり、私を埋める砂は赤く赤く染まっていく。白浜が赤く染まっていく。

 ガラスで傷つけた指先に赤い血が丸く染み出て、ひとしずく白砂に落ちた。列車が来る。駅に向かおう。荒波の打ち寄せる音と強風が舞い狂う音が私の背に渦巻く。駅への坂道を一歩登る毎に音が遠のいていく。



6月5日「大したものだ」
「うん、とってもいいと思うよ」と、言った端から、彼女は舌を出して、
 「な、わけないだろ」と笑いながら言いました。
 バケツ一杯に入ったコオロギの羽がごわごわと動きました。野を駆けて一匹一匹を手で捕まえて、丁寧に羽をむしって、天日で3日間干して、そんなことを繰り返して、やっとバケツ一杯にしたのです。そもそもが彼女がコオロギの羽がたくさん欲しいと言ったのがきっかけです。
 とにかく気に入られたいと言う一心から僕は一所懸命コオロギを追いかけたのに、気に入られませんでした。赤いマニュキュアの手で追い払うように、口を突き出して「きらいだよ」とも言いました。なぜなんですとも訊いたけど、「きもい」と言う変な言葉を言いはなちました。
 「きもい」・・・どうやら「きもちわるい」と言うことらしい。「なにがだめなの」とも訊きました。「あんただよ」とのことでした。「コオロギはいいの?」とも訊きました。「コオロギはいい」と答えました。
 「じゃぁ、これあげます」とバケツを突き出しますと彼女は蹴飛ばしました。無数の羽が舞い上がり風にのって空一面にコオロギの羽が広がりました。
 いつまでもいつまでも大空はコオロギの羽の色で覆われて、二度と太陽の光が射すことがなくなりました。
 さて、何十年も空はコオロギ色のままになっていますが、ぼくは今も彼女のことは恨んでいません。ちゃんと丁寧に天日干しにして、彼女のことを大切に大切にしています。



5月14日「当面の幸せ」

 地球の中心へ向かう旅は終わりに近づいた。

 チベットのポタラ宮殿の地下にある階段を降りることから始まった旅は28年を経て、今、この扉を前にして、終わりを告げようとしている。

 思えば予想外の広大な地底都市に迷い込み、ジミ族とパミ族のじゃんけん地獄に巻き込まれたのが苦難のはじまりだった。ここではとにかくひたすらグーを出し続けて、その場を脱出した。

 だが、息をつく間もなく、カンピ族の眠り修行で10年間棒に振ることになってしまった。

 今、手元にある重力計測機の針は東西南北SN値が零コンデンサー爆裂を指している。

 さあ、この扉を開けるぞ。地表のすべての生命活動を支えている力の中心だ。すべての幻想の源泉だ。

 すべての苦労が報われるぞ。

 お、扉はなまぬるく、ぬめりとする。両手で押してやる。重い。

 隙間から光が射してくる。

 あ、なんだ!これは!




4月17日「高田渡」
 高田渡が死んだ。吉祥寺の「いせや」で昼間から呑んでいたり、井の頭公園の雑木林の中で、2,3人の人の前でギターを弾きながら歌っていたり、そして、私がよく行く「のろ」では深夜までフワーっと座って呑んでいた。桜の季節に死んじゃいました。でも、よりによって春遠い北海道の釧路で倒れるとはねぇ。やはり、桜満開の井の頭公園で眠るように・・なのになぁ。昨年、彼に触れた文章を「その日、その日」に書いたのを再掲載し、追悼します。




   5月16日「5月16日雨」
  今日は一日雨だ。本を手にとり読み進めると、うつらうつら眠ってしまう。疲れ果てているのだ。バタイユ研究者の『絵画と現代思想』を読み終え、筆者のバタイユ的思考の枠組みでしか考えられない姿にうんざりし、さてさて、それでは久しぶりに森敦でも読もうかと『鳥海山』を取り出し、グレン・グールドのバッハオーボエ組曲を聴きながら読み始めると眠ってしまった。ふと、起きると、外の雨は激しくなっている。今日の阪神戦はないなぁ、なんて思い、キッチンに向かい、紅茶を入れる。
  昨晩のNHKの高田渡のドキュメンタリー番組を思い出す。吉祥寺の『いせや』で昼間から呑んでいる彼の姿、いつも私が行く飲み屋で夜ふと隣席を見ると彼が呑んでいる姿。ああ、いい風景だといつも思っている。その高田渡がテレビに出ていた。沖縄のライブで最後には客の前で眠りこけてしまう。ああ、いい風景だ。生きている彼の風景を思い起こしながらフォト&メーソンを入れ、自室で煙草を吹かしながら飲む。ひんやりとする湿気を含んだ空気が煙草の香りと絡みあう。それでは、本の続きでも読もうか。それともこの疲れがいつぞや癒されたら、書くつもりのことどものことでも考えようか。ああ、それにしてもいつになったら疲れが癒されるのだろう。死んだ後でもかまわない。ぐっすり眠りたい。

  しかし、やはり、いつものあの場所に彼が今も立っているような気がするなぁ。



4月10日「さくら」
 桜を求めて人が大勢やってくる。地面に座り込んで酒盛りをして、大騒ぎしている。毎年この桜の公園はこうやって賑わう。私はこの風情が大好きだ。
 花、花、花、花・・、人、人、人、人・・、酒、酒、酒、酒・・・。

 こうして、ひとり遠くで桜を見ているとすべての騒音が消え去り風が木の枝に切られる音だけが聞こえるようになる。

 そして、やがて高柳重信の句が目に浮かぶ。

   白い耳鳴り/坊さんたちの/とほい酒盛

 桜に囲まれた橋を人が渡り、そして、消えていく。


4月3日「白木蓮」
 その年の春は寒かった。やっと近所の公園の白木蓮が咲いた。私は家で煙草が吸えないので、公園に行ってよく吸う。その日もやっと咲いた木蓮を見上げながら煙草を吹かしていた。青空に白い木蓮の花は神仙の花の趣がある。「昔は好きではない花だったなぁ。では、今はどうなのだろう。」ひとりごとを言っていると、
「火をかしてください」
 とかすれる声が後ろから聞こえた。振り返ると、山羊のような髭をはやした小柄な老人が立っていた。「どうぞ」と言って老人が口にくわえた煙草にライターの火を持っていった。老人は深く吸うと大きく煙を吐いた。白い煙が青い空に広がった。
「ありがとう。木蓮は好きかね。」
「いえ、好きな訳ではないです。」
「でも毎年この木の前で煙草を吸いながら見上げているね。」
「どうしてご存知なのですか。」
「私も見ているからだよ。」
 ここに引っ越しして10年以上は経つがこの老人の姿を見たのは初めてだった。
「花が散る直前がいいんだよ」
「白に茶の筋が出てくると興ざめですよ。」
「そうなんだよ。その直前がいいんだ。」
「ところでお会いするのは初めてですよね。」
「いいや、毎年お会いしていますよ。ここで。」
「ここで?気がつかなかったなぁ。」
「煙草の火をかしてくれたから、今日はひとつ君にもあげよう。」
「なにをですか。」
「花だよ。ちょっと待ってください。」
 と言うと老人はふわっと浮かんで木蓮の木の上の方のふたつの大きな花をつかんで私の前に静かに降りた。
「これはあなた、これは私。大きく口を開けて、噛んではいけない。吸うように呑み込むのじゃ。望みが叶うぞ。」
 老人はすぽっと花を呑み込むと体中が真っ白になり、徐々に透けてきて、とうとう消えてしまった。
 「わしはここにいる。消え去ってはいない。さー、食べるのじゃ。」
 私は卵状の白い花を口元に運んだ。信じられないような気持ちのいい香りだった。口を大きく開け、口の中へ放り込んだ。全身が溶けてしまいそうな甘みと舌触りだった。息を吸うように不思議なほどスーっと呑み込めた。食道を通過する感触はなかった。
 さて、呑み込んだ後、なんの変化もなかった。家に戻ってもなにひとつ変化はなかった。次の日仕事に出ても変わらなかった。あれから50年以上経つ、あの日と同じように私は木蓮の前に立っている。木蓮を食べたのが50歳だったから、100歳以上になる。あの時、私は何を望んだのだろうか。長寿であろうか?白木蓮の花を見上げながら、あの時の老人のように髭を生やしている。浮かんであの花をつかんで空中であのとろける味を味わえるだろうか。と思ったときすでに体は浮かんでいた。「そうか、あの時あの花を口に入れたときもう一度食べたい。死ぬ前に食べたいと思ったのだ。」私は白い花をつかみ、口に運んだ。体は白くなり、透けてきた。真っ青な空に透けていった。



3月2日「アブサン酒解禁」
 アブサン酒がスイスで解禁になるそうだ。100年ぶりではないだろうか。ヨーロッパ諸国では中毒性が極めて高いと言うことで禁制となっている酒だ。大麻などに匹敵する、あるいはそれ以上の向精神作用があると言われていた。ボードレーヌ、ランボーやヴェルレーヌなどが常に手放せなかった酒で、当時は「毒酒」とも言われていた。それがスイスでは解禁になるのだ。
 もっとも日本ではずっと以前から手に入った。実は若い時はよくこの酒を飲んだものだ。基地の町、福生の行きつけのバーで飲むときは決まってアブサンだった。店のカウンターに座る前にママに「今日、入ってる?」と必ず訊く。入っているときは「はいよ」とママに5000円札を渡し、カウンター奥の壁に貼らせる。ダブルで500円、10杯飲むのだ。アブサンは最近「合法もの」が出回っているようだが、当時はそんなものはない。それでも着色したインチキもあった。ニガヨモギで使った、着色していない透明な奴じゃないとダメだ。アルコール度は80%以上。生のままをダブルでグイっと飲み干す。この店に来る前にすでに日本酒やビールで下ごしらえしてくる。だから、この酒の独特の風味を味わいつつ、この酒の「効用」を一気に強烈に楽しむことができる。柔な「薬」より効くのだ。まわりの席は白人、黒人だけで、日本人は彼らの連れの女くらいだ。飲みながら、そいつらと訳のわからない英語で話して、挙げ句の果てに喧嘩もした。店を出て、泥酔でバイクを飛ばし転倒もした。なぜそんなことをしたのだろう。
 六本木で遊ぶのに飽きた奴らが福生に流れてきて、店の客に日本人が目立ち出した頃、私はこの店からも、アブサンからも遠のいた。もう行くことも、飲むこともないだろう。
 そう言えば昔よく友人と、「酒のアブサン(absinthe)は、フランス語の下手な発音では absence と聞き違えそうだなぁ」とよく言ったものだった。absence は英語と同じで「不在、ない、いない」である。なぜ毒酒なのか。「虚ろ」をひたすら飲まされるからか。「なぜこんなことをしたのだろう」の解答の糸口がここにあるかもしれない。余生のテーマか。



2月6日「終わりなき旅」

どんなことにも終わりがある。終わりは「終焉」であり、続いていたことがなくなると言うことだ。人は、続いていることに身を寄せたいものだ。温い巣から出たくないものだ。私は反対に終わりを好む。なぜなら飽きっぽいと言うこともあるが、沢山な嫌なことからも解放されるからだ。できたら自分の手ですべてを終わらせたいが、そうもいかない。



1月4日(火)
8:40 吉祥寺喫茶店 晴
 これから病院へ行く。
 昨日は終日ひとりで家にいた。作家の日常を描いた「森敦との対話」を読む。森敦は好きな作家の方だ。文章が清潔なのだ。底に横たわる思想を読もうと思ったら読めるが、そんなことよりきれいな文章が気持ちいい。その清潔感も、多分一定の「思想」あるいは「カミとの距離」をもっているからだろう。だからなおさらそんな作家の日常なんてどうだっていいのだが、一気に読んでしまった。どこか自分と共通する姿勢を感じた。
 「カミ」とは「遠くにいて」、まさに「ここにいる」。いずれにせよたどり着けない。これを外部、内部、境界、近傍と言う数学用語で、森は語る。こうした「カミ」のテーマは西洋でも日本でも共通している。これについて不器用にとりくんだ作家が三島なのだろう。どこまでも不器用に・・・。そろそろ行かねば。


1月13日(木)
12:18 新幹線車中 晴
 青森に向かっている。大宮に着く頃だ。快晴。真っ青な空が広がっている。今から大雪の青森へ行く。八戸から青森の間は雪でどうなるかわからない。東北本線が運休となっているかもしれない。どうともなるさ。富士山がきれいに見える。

13:48 車中 盛岡に向かっている 曇り
 雪景色がひろがる。でも、地面になんとなく雪がつもっている程度だ。田圃一面は真っ白だ。家は埋もれていない。地面も一部見えている。今、古川を通過した。

14:03 一ノ関通過 雪
 一面、雪で雪が吹雪いている。今はトンネル通過中。

15:04 八戸 晴
 つがる13号に乗り換え、今、出発した。青森−弘前間は運休である。青森へはどうやら行けそうだ。

15:23 三沢 空は晴れているが雪が舞っている。
 窓ガラスが破損したので応急措置をしているらしい。つららが軒下にぶらさがっている。

15:43 曇 でも青い空がみえる。
 車内は静かだ。雪に囲まれているせいかここの世界全体が静かだ。音と言えば、子供がひそひそ話しながらゲームをする音がするくらいだ。 野辺地に着く。この土地の「気」が私の身にしみてくるようだ。どこまでもどこまでも静かだ。ホームは雪で埋もれている。2mくらいのホームの雪の隙間から真っ白い顔の学生服の少年がじっとこちらを見ている。寺山修司の舞台のようだ。空は夕日が映えた白い雲に青い空。海がみえる。遠くに雪に白い下北半島が夕日に輝いている。

17:50 青森六兵衛にて やや雪 でも 晴れ曇
 雪の向こうに揺れる赤い提灯をめあてにこの店にくる。店に入るとメガネが曇りなんにも見えない。氷下魚を注文する。北海道産の冷凍だけど炙ったのが旨い。つぶ貝の刺身は湾内もので独特の味である。生きていることはこういうことか。青森の場末の居酒屋でたばこをふかしで酒を飲む。BGMはラブズオーバー。。。本州の北の果て。深い雪の中のこの地下で、少なくとも、今、俺は生きている。ようだ。


1月17日(月)
09:43 新幹線車中 大阪へ向かっている。 曇
 昨晩、深夜背中、横っ腹が痛くどうなるかと思った。腹が痛いわけでなく、背中なのだ。多分、昨日の病院詰めで相当、疲れたのだろう。そして、今大阪に向かっている。大丈夫なのだろうか。よくわかない。

 重力の不思議。重力なくして生物は生きられない。また、これがゆえに生物は死に至らしめられる。


17:38 天王寺 PRONTO 晴
 やはり背中が痛い。疲れだろう。胃か肝臓か。
会社からメールが次々に飛び込んでくる。昨日の自分、そして大阪の松原に向かう自分の姿を思うと、ひたすらくだらないと思う。やはりどうにかしたい。どうにか。

 大阪にいて、思うことは、疲れ果ててだらしなく地下鉄の座席にひとり乗っていても自分が奇異な存在に思えないことだ。違和感がない。人が私の足踏んだら「きーつけんかい。」と思わず言ってしまいそうだ。かつてこの地にいた時のように。

 さて、ここは喫茶店だ。天王寺の駅のエレベータを降りて、近鉄の電車の改札を探した。駅ビルにデパートがくっついていて、さらに複雑な階段とエレベータが交錯している。電車への案内矢印を頼りにエレベータを降りたり、登ったりしているうちに矢印を見失ってしまった。
 そして、今、ここにいる。この店でおばはんたちがしゃべくっているが、大阪弁は気に障らない。不思議だ。行きの新幹線の隣席の男がパンを食う音が気に障って、苛々してたのに。いよいよ私はおかしくなっている。

 おばはんたちの声が飛び交う。
「やったんちがいまっか。」
「おこってはんね」
「いや、かえらな」
「ありがたいことや。」
「どこいくの」
「傘とらな」

 おっさんたちの声が飛び交う。
「言うたらあかんねん」
「確認したらええねん。印鑑」
「ホワイトココアや」
「あれは系統じたいはあれやな」
「本人かわかれへん」
「そう言う場合は窓口でいっしょにだしたらええねん」
「おもたいのう、けっこう」
「もろうてゼロよりええやろう」
「ちゃうな」

 東京丸の内と全然違う世界。

 言葉の内容はしょうもないが、言葉は言葉でひとつの世界をつくっていく。しゃべっている者たちには関係なく、言葉はこんなしょうもない内容を語りつつ、言葉は跳ねて勝手に詩的な世界をつくっている。この音、リズム・・無意味なほど心地よい。「おもろいなぁ」



1月8日「TSUNAMI」
 遠国で起きた大きな津波のしぶきが、大あくびした俺の口に飛び込んだのだけれど、「ごく」って呑んでしまった。少しばかり塩っぱくて、生臭くて、嫌な気分になったけれど、「まぁ、いいや」とつぶやいて、「ぺっ」とつばを吐いた。吐いたつばきは、見事な放物線を描いて青い空をよぎって橙色の電車が走る線路の上に、しっとりと落ちた。その上を一匹の猫がまたいで、そして、電車が通過した。
 青い空と白い雲が映ったきらきら輝くつばきは、そのまま敷石に染み付いて電車が通過する度に蒸発し、空に昇り、雲になって、遠国の海に雨となって落ちていったと伝え聞いてます。

        「えっ、今年の方針? 」

 漫然と川の流れに身をまかせて漂う腕枕をしたカエルって感じ。


1月4日「方針」
 年が明けた。
さてと、今年の姿勢。
「容赦なく、つき進む!」
「基本は譲らない。」
「決裂は恐れない。」
「実現のためには、眼をつむらない。」
「効率よく、儲ける。」
そして、
拘泥は避け、「いさぎよく、去る。」