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12月28日「400回の鉄拳ビンタ」
                 
「大人は判ってくれない」

 原題は「Les Quatre Cents Coups」で「400回の鉄拳ビンタ」とでも訳すのか。これはフランソワ・トリュフォの出世作である。

 かつて、私はヌーヴェルヴァーグ時代のフランス映画はくまなく観た。でも、どう言うわけか、この映画には縁がなかった。ゴダールばかり観ていたこともあり、この映画でデビューしたジャン・ピエール・レオを見て、「なんでここにいるんだ」と、つい思ってしまった。私にとってこの俳優は「男性・女性」「中国女」などなど、ゴダールの絵の中に強烈に焼き付いているからだ。

 さて、作品だが、物語の展開の速さに戸惑いを感じつつ、一気にあの最後のストップモーションのシーンに滑り込んでいく映像表現に今さらながら関心した。セリフ、カットの流れ。シーンの流れ。ここには、まさに映像の「文体」が漲っていた。

 映画にとって、ストーリーは作品構成上重要である。非常に重要である。しかし、映像のいわば「文体」と一体となっていなくてはならない。この作品では、これが見事に成功しているのだ。

 観終わって、それっきりでなにも残らない、或いは、うんざりする、そんな映画ばかりをここ何年も観て、映画に興味を失いかけていたのだが、この作品を観て、あらためて映画の可能性を感じた。

 私がこの映画で好きなところがある。主人公のアントワーヌとバルザックの作品の関係を描いたところだ。彼は狭い自分の部屋に祭壇を作り、蝋燭をたてるほど、バルザックを気に入ってしまう。ちょうど学校で作文の宿題がでる。彼は「絶対の探求」(だったと思う)を無意識に写して提出しまう。これを教師に叱責され、教室を追い出されるのだが、友人は「アントワーヌは写していない!」と強く主張する。そして、彼も叱責され、教室を追い出される。ここのシーンはとても好きだ。私がバルザックが好きであることもあるし、この作家の作品世界に魅入られた少年の姿、そして、それを理解する友人。映画の中でのバルザックの文章の朗読も重なって、久しく感じたことのない、心の快感に浸った。それもトリュフォの映像の「文体」の流れの中での快感なのだ。

 映像表現も、文章表現も、悲しいまで現代において衰退している。商業資本による「表現業界」の支配とか、消費される表現とかなんとか言う奴はいるだろうが、どうでもいい。ただ「悲しいまでの衰退」の「悲しさ」に直面することからなにかが始まるような気がする。

 昨日、「Les Quatre Cents Coups」を観て、浮き上がり、際だってくる「悲しさ」をつくづく感じた。そして、「400回の鉄拳ビンタ」をくらった思いがした。しんどかった。



10月11日「強制収容所的生」

 朝、テレビで宮崎進と言う画家を紹介していた。同じ山口県出身の画家香月泰男と同い年で、シベリア抑留を経て、画家として大成した。両者、終生のテーマも同じだ。テレビではどう言うわけか香月に言及していなかった。

 紹介している番組を観ていて、この宮崎にしても、香月にしても、何故、私はこの人たちに惹かれるのだろうと考えていた。

 彼らが抑留されていたのはシベリア強制労働収容所だ。これと比較されるのはナチの収容所だろう。ただ収容された者たちのほぼ100%が殺戮され、しかも、人種差別を背景とした政策下のアウシュビッツ等のナチ強制収容所とシベリア強制収容所とは、そのおかれたコンテキストが異なる。
 シベリヤ強制収容所の日本兵は敗残兵であり、殺す殺されるの戦争下での捕虜であり、一般市民であるユダヤ人の強制収容所とはまったく性格の異なる機能を担っているからだ。
 しかし、そこに収容された経緯は異なるにしても、集団で収容され、完全に無力化された人々を絶望的な状況に追い込み、死に向き合わせると言う点では重なり合う。

 これら収容所において人が死に支配された生の丸裸の状態におかれた姿は、すべての「意味」を拒絶した生を遂行する姿であり、それは通常は受け容れがたい「苦」なのだ。この地点において、この二つの収容所で強いられた生の姿は重なり合うであろうし、そこで繰り広げられた「生のたたずまい」は共通するものであろう。アガンペン等の言う、狂気を突き抜け、生の意味を剥奪された生を営む「ムスリム」の姿がそこにあるだろし、どうにか「意味」を得ようとする姿もあろう。

 宮崎も香月も、この状況におかれ、生き残り、そして、「描いた」。

 私はこんなことを考えながら、「何故、私は惹かれるのだろう」と考えた。そして、思ったのは、幼少期の喘息の苦痛だ。少しでも、彼らの向き合った世界となにか響き合う感受性があるとすれば、この「端的な苦痛」の体験なのかもしれないと。

 それは一過的な苦痛でなく、私の生にへばりついた「苦痛」だったし、今に至っている。「生が苦痛であること」、自分が存在していること自体からくる「苦痛」であること。それは「死の支配」であり、「にもかかわらず」死との抗いつつ、生を握りしめようとする矛盾を生きると言う苦痛。これは限りない苦痛のスパイラルであり、端的に「愚かな選択の繰り返し」なのだ。

 私がハイデガーに惹かれるのもこの点なのだろう。近代以降、「主観」は理性の牙城であったが、彼は「主観は死ぬものだ」と言い切った。だから死なない「想念」を共同性において形成していく。
 「主観は死ぬ」。そう語った向こうには、顔のない「SEIN(存在)」が浮かび上がってくる。これはいわゆる実存主義ではない。なぜならこの地点ではいかなる「主体」もないのだから。ハイデガーは「思考において」ここに留まる。これは端的な主体の「無」(非在)なのだ。

 同じ「無」でも実存主義的文脈で言えば、自己を否定した向こうに出現する「本当の自分」の獲得、つまり、つかの間の「自己の無(不在)」を演出して、再生へ向かうと言うシナリオが思考の底に横たわっている。ハイデガーはそうではなく、端的な「非在」に留まるのだ。

 それがまさにひとつの体験となった姿が、強制収容所における生のありさまなのだ。それは、強制された「非在」なのだ。病いにおける「苦痛」もそう言うことなのかもしれない。

 いずれにせよ、宮崎、香月の生き様と、ひりひりする生が凝縮した作品に惹かれるのは、幸福しか知らない者ではなかろうし、また、惹かれると言うことは、希有な好運なのかもしれない。


 ただ、この好運を突き抜けなくては、他者へ向かっての表現は叶わない。



8月12日「残暑見舞い」




5月30日「生か死か、どうでもいいことだ」

 自殺者の多くは「鬱病」だったと言う説明をよく目にするし、耳にする。要するに、「自殺する奴は病気なのだ」と言っているのだ。昨年、死んだ加藤和彦も、病気のせいで自殺したことになる。

 「病気である」と言うことは、「健常でない」と言うことである。自殺する奴は「異常」であり、自殺へ誘う不安も、絶望も病気なのだ。

 そして、現代精神医療をもってすれば、鬱病は薬で治るし、したがって、自殺志向の「患者」も治療可能となる訳だ。不安はベンゾジアゼピン投与で治るのだ。

 なんか変だなぁ。自殺は病気だろうか。

 カミュが『シジフォスの神話』で、「その日の朝の友人の何気ない一言が、己のこめかみに向けて拳銃の引き金を引かせた」と言っている。つまり、常に人は薄氷の上を渡って生きており、いつでも自ら命を絶つためのスタンバイ状態にいる、と言うのだ。

 なぜなら、論理的には、人は即刻死ぬべきだからだ。生きている限りは、生命維持のために苦労して食物を獲得し、栄養を摂取せねばならないし、人は社会的に生きざるを得ない以上、行動も、判断も制約されている。

 つまり、生きることは、苦難であり、忍従でしかない。だから、死んだ方がクレバーなのだ。「にもかかわらず」、ほとんどの人は小刻みに生を選択している。

 なぜなのだろうか?・・・ここから思考にスイッチが入る。「にもかかわらず」から始まる「なぜ」は、「生とは?死とは?」の問いかけの渦の中に巻き込まれ、不安と落ち着きのなさに人を追い込む。

 しかし、現代精神医療は「健全のため」思考停止を要求する。

 現代精神医療からすれば、ここで「なぜ?」を問うこと自体が「鬱病」となる。

 自分を組み込んでいる世界の仕組みが、ちょっとしたきかっけで、軋み出し、居心地が悪くなったとき、眼前にパックリとクレパスが口開く。それを前に原則的に人がどのような行動を選択しようがどうでもいいことだ。

 真っ暗な裂け口にダイビングしようが、大跨ぎしてその上を渡ろうが、思わず足を踏み外そうが、どうでもいい。それは病いでもなんでもなく、それが端的に生きていることなのだ



3月22日「そうはいっても・・・」

 朝日がテーブルにさす。私の右手に細い筋が走る。筋は光なのかな。私の傷なのかな。

 私は左手で筋を摘む。そうなんだ。あのときも私たちはこうしていた。摘んだ筋がはがれていき、その筋の片方はあなたの小指にかかっていた。私が少しふるえながら筋を引っ張るとあなたの体は小さくふるえた。

 それが心なんだとあなたは言った。

 とおさんがうつろな目で日差しの中で、
「高いところから落ちてきた石はもっと低いところに行こうとするんだ。だから僕は石の背中をさすって、ここが一番低いとこだよと言い聞かせるんだ」
 と言っていたのを思い出す。

 だからこの筋はあなたの心の筋なんだ。私はこうしてこの部屋でひとりになってしまったけれど、そして世界で一番低いところに落ちてしまったけれど、この筋をたどってあなたのところに行きます。

「石は高いところから落ちてきたのだよ。でも、もっと低いところはどこにもないんだ。僕たちはいつも一緒だ。いつも一緒なんだ



1月30日「禅」

京都のあるお寺に行った。

ここのお寺に行くようになって、何十年以上にもなる。

ここのお寺は禅寺だ。ここには中心となるものはなにもない。
大きな山門や、龍の天井画があるが、ただそこにあるだけだ。
石庭はある。これもただある。

ここには中心はない。

だから神社の拝殿や、観音様に向かって、お参りすると言う場所がない。
もちろんまったくないわけではない。法堂にはお釈迦様がいらっしゃる。

でも、中心ではない。ただ、いらっしゃる。
禅寺なのだから、そうなのだろう。中心はないのだ。

けれど、このお寺には私にとって、向き合う場所がある。
私はそれにじっと向き合う。それをじっと見つめる。

それは決して留まることがない。
でもそれは動かない。

それは滝だ。

方丈の片隅に茶席があり、緋毛氈が敷かれた座敷は小さな滝と向き合っている。

上から下へ、飛沫を上げて落ちて行く水。音を立て、風が吹くと揺れる。

私はじっと落ちる水を見つめ続ける。

口の中には抹茶の香りが広がり、辺りはただ水の音だけだ。

見つめていると、様々なことが想念になって浮かび、消えていく。昨日のこと、今日のこと、明日のこと。

滝のひたすら落ちる姿を見つめる。

その時、滝の前に光る頭が通り過ぎて行った。

坊主の頭だ。

そう、私が座して向き合う滝と私の間には、小道がある。そこを坊主が通るのだ。

興ざめだ!

いや、そうならない。私は、たまらなく可笑しくなる。

抹茶を啜り、そして、立ち上がる。


これで参拝、完了だ。