12月1日「UX(User Experience),iPad,Alan kay,Affordance・・メモ」

UXという言葉とアラン・ケイの名が気になっている。
UXとは、User Experienceの略だ。まずはソフトウェアのUser Interface、デザインで、 よくこの言葉が取り上げられる。
「利用者の経験」という意味からして、より快適な操作性を追求するためのデザインである。したがって、通常、User Experience Designと表記される。
一般的には、UXとは、「ユーザーのInteractionにおける、あらゆる状況を網羅したもの」で、「多様な専門分野のサービスをシームレスに結合」するものである。
なにを言っているか分からない。要するに「なにかを利用する者がそのなにかとの相互関係性に関するすべての諸状況をカバーすることがら」である。
相変わらず分からない。では、具体的に。
従来、製品デザインは、機能が決定するものとされてきたが、現在は、かのApple 社のデザイナーであるジョナサン・アイブの言う「形態はユーザーが与える意味に従う」という思想が主流となりつつある。
UX(User Experience)、iPad,アラン・ケイ,Affordance・・メモ
たとえば、そこにあるハサミのかたちは、単に切断、裁断という機能性から決定されるのでなく、使い手が使用するにおいて付与する意味(使い手にとっての有意義性)において決定されるということになる。
Macや、iPadを使った者はその考え抜かれたデザインと操作性に感心するかと思うが、まさにこの点に眼差しを置いているのである。
さて、よく知られているが、40年ほど前にパーソナルコンピュータを発案したアラン・ケイが自分の思想を実現したコンピュータ(ダイナブック-東芝のPCではない)を自ら描いた当時のスケッチ画がある。それはまさにiPadそのものである。
ダイナブックのプロットタイプを若い時に見たスティーブ・ジョブズはそのインターフェースをMacに反映させたことは有名だ。彼は自分の人生の最後にダイナブックを実現したと思って死んだのかもしれない。
しかし、ダイナブックの基本思想は「使う者の思考を高める」ということであり、そのために多数のメディアを駆使して利用できる場を提供するための個人のためのコンピュータがダイナブックだった。
iPadはそれを実現しただろうか?答えは、NOだ。
多数のメディアを利用できるようになったかもしれないが、ただコックをひねって情報を流すだけだ。相互に連携していたとしても、コックをひねるだけだ。
では、どこで違ってしまったのだろうか?
それは、UXについて語られるとき、必ず言及されなくてはならない「アフォーダンス」ということの意味の取り違えが原因ではないか。
「アフォーダンス」とは・・。なにかが可能となる、affordということは、本来、可能となる場に視点をおいて人の行為などを考察するということなのだが、UX
Designの世界では、製品のデザインを主観化するような意味で捉えられている。
ジョナサン・アイブの「形態はユーザーが与える意味に従う」ということもそれに沿っているといえる。
私はこの「アフォーダンス」の誤解の典型が、iPadだと考えている。
「アフォーダンス」は、人とものとの関係性に注目する。なにかができるには、可能となる場が前提にある。ところが、ジョナサン・アイブの言葉にも表れているように「主観と客観の対峙関係」が前提となっている。「ドアのぶの形態は利用する人にとってどのような意味をもつのか、そこに視点を置いてデザインするのだ」といった場合、主観である人間にとってのドアのぶとなる。
しかし、ドアのぶはドアのぶで終わらない。ドアがある。ドアには二つの空間を仕切る働きがある。二つの空間はそれぞれ別の意味があり、ドアを開けるとその意味が
混交する・・・。また、猫も出入りする。風も通り抜ける・・」といった具合で、「ドアのぶ」という製品は意味の場の一結節点にすぎない。
しかも、こうした意味の場は、都度「身体」が活動しつつ構造化している。
主観(Subject)が客観(Object)に意味を一方的付与するのでなく、運動しつつ知覚する「身体」が「意識以前」に場を生成しているのだ。
「アフォーダンス」はここに視点をおく。
ここに視点をおいたUX Designとは・・・。本来のダイナブックの実現につながる入口に立つことになるのかもしれない。
パソコンとの関係において、生成していく意味。言葉の定義を留保しつつ言うならば、「ゲーム的なるもの」が場を生成していくのかもしれない。
随分昔に読んだ、ウィトゲンシュタインを勉強し直すか。
もちろんこれを辛抱強く読んでくだすった方にはお分かりかと思うが、Heideggerの世界の世界性をはじめ、メルロ・ポンティの現象学についても勉強し直す必要がある。
9月21日「堕落論」
坂口安吾の『堕落論』の最後の文章だ。
「戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。
だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鋼鉄の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。人間は結局処女を刺殺せずにはいられず、武士道をあみださずにはいられず、天皇を担ぎださずにはいられなくなるであろう。
だが他人の処女でなしに自分自身の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。」
美しいままで死ぬ信条、武士道の忠誠心、権力の建前としての天皇・・・安吾はこんなことをねじれた文章で語りながら、最後にこの文で結ぶ。
「そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。
堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。 政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかない物である。」
この時代、なんとなくご紹介したかった。安吾は、やっぱ、おもしれぇ。
9月3日「風日祈宮」
伊勢神宮に行ってきました。遷宮とかで行ったのでなく、仕事みたいなものです。
まぁ、せっかくだからお参りでもと思い、律儀に外宮、内宮と行きました。
で、よくテレビなどで「なんと神秘的な!」なんていわれる拝殿手前に風に揺れる布・・神を直視しないようにとかなんとかいわれているカーテン・・ですが、思わせぶりだけで、まったく神秘的じゃない。あそこだけゆらゆらしていて、両脇から向こうはしっかり見えます。すっぽんぽんです。遷宮のための新しいお宮の工事の音はうるさいし、その新しい金ぴかの屋根は品がないし、後ろから酒臭いジジィが割り込んで、賽銭投げていくし、なにが聖域だよ!なんて思うのでした。
ジジィはともかく、お参りしていて、とにかくなんか違和感が拭えない。
なんか変だなぁと思いつつ、帰ろうと参道を下っていくと、ふと五十鈴川の支流に架かる橋と鳥居が目に入りました。「ちょっと違うな」と橋を渡り、急な坂を登るとこじんまりとしたお社がありました。風日祈宮です。
内宮の圏域から外れたところにあって、清々しい。やや険のある「気」も心地いい。そのお社をお参りし、ふと見やると横に不自然に石が敷き詰められた空き地がありました。その空き地の真ん中に小さな屋根のついた箱状のものがある。ポンプ小屋か?なんて近付こうとしたら後ろに人の気配がしました。坂を登りつめたとき、目に入らなかった、これまた小さな電話ボックス程の詰め所に警備員がいて、私を睨んでいました。
ここでやっと気づきました。この社も遷宮をするのだ。この空き地はその跡地で、あの小屋はいわゆる古宮様のお社で、ポンプ小屋なんてとんでもない。お社の御柱の土台がある場所なのです。いや、考えようによっては、神の霊気を送りこむ場所だとしたら「ポンプ小屋」は間違いでもない。
この写真にもあるように風日祈宮の周囲には曲がりくねった樹木が目立って生えていて、先ほどの内宮の聖域と気配が違います。ここに来ただけでも価値がありました。
後日、調べてみると、山林に杉がたくさん生えていましたが、この辺りは亜熱帯とまでもいわないけれど、杉なんか自然に生える自然環境でなく、杉は後から植えたもので、長い年月かけて育てているらしいです。まぁ、結局、神道的な垂直性を演出するため長い年月かけて苦労しているのですね。
20年毎の遷宮という蕩尽、天に向かう杉林、その垂直と呼応した建造物。神を見せ隠れさせる小技。伊勢神宮はよく演出された「聖域」なんです。違和感は正しかったわけです。
帰りは、なんとなく入った伊勢うどん屋のうどんは美味しかった。なによりでした。
そうそう、その他、調べてみると、風日祈宮はかつて日本赤軍の一派、ブントに火炎瓶を投げつけられたことがあったようです。
当時は警備が手薄なお社ということもあったのでしょうが、なにか火の祝祭を呼び込むような不思議な力があの場所にあるような気がしてなりません。
7月28日「同窓会」

出張先で、たまたま高校時代の仲間と一緒に飲むことになった。
大阪は梅田のネイティブな酒場だ。仕事を終えて、そこに行くと彼らはすでに飲んでいた。
ほぼ30年ぶりだ。
ひとりは年齢相応の風情、ひとりは金髪で長髪、ひとりは職業年齢不詳といった仲間だ。
大手新聞社の関連会社の社長、独立して楽器の販売工房の経営者、自由な時間を利用して絵を描くと決めた奴の3人だ。それぞれ昔のまま年をとった感じだ。
三島由紀夫の死を巡る話、革マルにいた奴のその後、中核派の女を追いかけ回した話。そして、近況。
で、「おまえは?」となった時、私は「相変わらず世界を変えようと思っている」と言った。
「世界を変えるって、相変わらずだな。でも、どうやって」
私は、皿に盛られたアワビの刺身を箸でつまんで高く掲げた。皆、そこに視線を向けた。片手に持った冷酒のコップをすかさずテーブルの真ん中に置いて、そこ目指してアワビを落とした。
見事にコップに落ちると、酒が飛び跳ねた。わっと皆避けるように椅子を引いた。そして、私は一気にアワビごと酒を飲み干した。
「こんなことの繰り返しさ」
「相変わらずだな」と皆苦笑した。
その後、音楽の話、マルクス、毛沢東の話、話題は尽きることなく夜が更けた
7月14日「寺山修司ノック展 言葉・ことば」

寺山修司展とでもいうのだろうか、ワタリウムに観に行った。
狭いフロアで実験映画がそこここで流れていた。それはそれで映像のコラージュで面白かったが、やはり暗い映画館で『草迷宮』『田園に死す』などを観たときの観る方にも漂う物見遊山の遊び心をくすぐる面白さはそこにはなかった。
一方、いくつもの芝居を映像とスチールで投影し、セリフを文字とナレーションで流すフロアはしばし足を止める場所がいたるところにあった。
そこにあったのは「言葉・ことば」なのだ。
イメージを言葉が喚起し、言葉をイメージが喚起し、言葉がイメージを、イメージが言葉をつなげる空間が心地よかったのだ。
「言葉」
数か月前に、大阪のアパートで幼児と母親が死んでいるのが発見された。
電気、水道などが止められており、餓死だったようだ。「もっと食べさせてあげたかった。ごめんね」と書かれた請求書の紙切れが部屋にあったようだ。
この記事を読んで、「テキストの力」を感じた。
「もっと食べさせてあげたかった。ごめんね」
この母子は、紙片に書かれたこの文章で開示された生きた世界と、永遠に生きることになる時間を手に入れたのだ。
あの寺山修司展のフロアで、こんなことを思いながら、「言葉・ことば」と向き合うことを決意した。
1時間後、暑い青山の歩道で、汗を流しながら取引先と電話をかけている私の姿があった。
そこには「言葉・ことば」はなく、いわゆるルポルタージュ言語としての伝達機能化した「記号」が、太陽の熱射の中を拡散しているだけだった。
4月29日「BACON」

Francis Bacon展に行ってきた。
物、人と出逢う。物、人がそこに出現する。その時、それらは留まってはいない。
静止している物もそこで動いている。そして、現れたと同時に消えていく。
消えかけたと思うと、輪郭が浮かび上がる。
人は言うまでもない。一瞬たりとも停止することはない。表情は常に変化する。
Baconはこれを見事に描く。いや、捕獲する。
そう、あなたが昨日あの人たちと向き合って話したとき。
苛立ちと憤りに満ちて、彼らと向き合っていたとき。
そのとき、彼らも、あなたも身体を一瞬たりとも停止させてはいない。心の動きと同じだ。
Baconは四角い枠の中にこのすべてを閉じ込めてしまう。
閉じ込められた「顔」は、「身体」は、それでも激しくうごめきつづける。
作品を見つめ、ふと視線を動かすと、絵は歪み、伸縮する。
「顔」は歪み、「身体」はのたうつ。色は変幻し、明滅する。
四角い枠とガラスの中に封じ込められ、もがくキマイラのようだ。
晩年の作品は色彩はシンプルで明るい。
しかし、そこには殺戮の匂いがする。なにを殺戮するか。
そうだ。病院の匂いなのだ。
身体を引き裂き、再構成する。病院の匂いだ。
歪んだ身体は運動しつつ、どこか己の欠如をもてあそぶようなひりひりする。
それが殺戮の匂いなのか。
最後の作品の黒い影を見て、私のある記憶が激しく喚起された。
ジステンバーで死んだ飼い犬が吐瀉した黒い液体だ。殺戮の果てにも安堵がない。
ただただ、ひりひりする。
しかし、なんと快楽に満ちた絵画展だったことか。
絵画を観て、そこ開かれる空間に引き込まれる経験を久しぶりにした。
ジャコメッティとカスパール・フリードリッヒの展覧会以来だ。
4月14日「ご開帳」

井の頭公園に弁天様がいらっしゃる。4月13日、14日、15日の3日間だけ、12年に一度の巳年に秘仏御開帳となる。
昨日、お参りに行った。ふくよかな弁天様がいらっしゃった。よく見えなかったが頭部に宇賀神様がいらっしゃる。
宇賀神様は蛇に巻かれた老人の姿をしていて、井の頭弁天池の別の場所に祀られていたのが、この4月にお堂の横に移された。不思議な神様だ。
吉祥寺で遊んで40年。弁天様のお姿を直接拝ませて頂いたの初めてだ。
3月24日「手」

黄色い手が手招きしている。こっちへ来いと手招きしている。
振り向くと赤い手が追い払うような手つきで拒絶している。
当然僕は黄色い手の方に向かうべきなのだろうけれど、体は赤い手の方に向かっている。
黄色い手、赤い手はひとつ、ふたつと増え続け、無数となって、私を招き、拒絶する。
私は無数の赤い手に向かって進んでいく。くるな!ぜったいくるな!背では、こっちへ来い!
ざわざわと風が強くなってきた。
疾風が私を取り囲み、くるりと体が掬われ、転んでしまった。
仰向けになって倒れ、空を見ると、無数の黄色い手、赤い手が僕に向かって落ちてきた。
目を覚ますと,紅葉した葉にうずもれていた。
と思ったら、やはり無数の黄色い手、赤い手・・・。
薄笑いしながら、眠くなってきた・・・。