2016年1月4日「思弁的実在論」
現代思想のトレンドになりつつあるのが「思弁的実在論(Speculative realism)」だ。
すでに流派が分かれていて、オブジェクト指向哲学、思弁的唯物論、新唯物論などがある。
共通するところは、反ポストカント哲学だ。
「人間」が投じた意味の網目に絡め取られたものだけが対象であって、その対象が織りなす世界が現象界。「人間」はその現象界しか認識できない。
こうした今日の支配的な思想に対して、まず、人間が中心に据えられた意味の場において、ものがはじめて把握できるという相関主義的な思考に批判が向けられる。
また、別の批判は、個なる物質への回帰に向かう。要するに意味の網目にすくいとられない「もの」へと向かう。
相関主義を批判する方向と個体的なものへ向かう方向に分かれるのだ。
奇妙なのは、後者だ。個体的なものに向かうといいつつも、それはそれ自体捉えることは困難だという。しかし、いわば「気配」を感じることは可能だという。ここで取り上げらるのがラヴクラフトだ。
ただ恐いぞ恐いぞといってなにも出ないような怪奇小説だ。個体的なものはここで表現されている邪神のようなものだというのだ。
なんだがうんざりする。すでにハイデガーが『存在と時間』で追究し、その思想を突き破った先で思考を展開していたことじゃないか。
詩的言語も「情報」に回収されるシュミレートされた世界に疲れ果てた秀才達が半端にあがいているとしか思えない。
あがいているうちはいいが、極めて危険な「大地への回帰」に向かうきらいもある。ハイデガーもその方向へ向かいつつ、巧みに思考と戯れたが。
たぶんこの文章を読んでいる人のほとんどはなにを言っているか分からないかもしれない。
今日は耳鳴りが激しくて、人に親切になれない。
次回はもう少し丁寧に話そうかと思うが、気がむいたらだ。
2015年8月8日「岬」

中上健次という作家は、今では、1980年代、90年代のように多くの若い人たちに読まれることがなくなってしまった。(作家たちの間では、変わらず高く評価され、「愛されている」)
おそらく、今の若い人たちは文章と刺し違えるように書く作家の作品など読む体力も、知力もないのだろう。
さて、中上の芥川賞受賞作は『岬』だ。この作品は、最終部、そして、最後のシーンが肝なのだが、読んで以来、ずっとその部分の文体に違和感を感じていた。
最終部までは、呪われた血のつながりを粘りのある表現で綴りつつも、底に横たわる「関係性」を透かすような文体で、登場人物たちが個々の意志に関係なくなにかに動かされている世界を、外部から描写していた。
ところが、最後部分になるとなぜか文体が異質なものとなる。視点が一気に内部にもぐりこんだ感じとなり、どうも私には違和を感じる。
それまでは、いわば覚めきった主人公秋幸の世界がそのまま文体になっており、私としては心地よかった。だから、最終のシーンの妹らしい女との交情も覚めきった文体であってほしかった。淡々と殺すような文体に徹して欲しかった。秋幸は「熱く」なってはならないのだ。
『岬』という作品には、そんな印象を持ち続けていた。
実は、昨年の年末、中上の才能を見出した人物とふたりで食事をする機会があった。彼にこのことをぶつけた。すると、
「あれは僕が書き直せ!と言った部分なんですよ。書き直す限りは、最初から読み直して、書き直せってね。彼は素直な男で、書き直してきました。それでも、ここはそうじゃないだろ!書き直せ!って言うと、疲れ切った顔で、数日後、書き直してきました。それで、彼は受賞しました」
「だから、あなたが違和感を感じるはその通りなんです」
なぜ、そのように書き直させたかのかということ、また、当時の選者とのやりとりなども話してくれた。そして、「小説の文章」とはどういうものなのかを口伝のように説いてくれた。
そうか、「当時の受賞する作品の水準とはそういうものだったのか」と思い知らされた。
さて、受賞後、中上は作品を次々に世に出し、益々注目され、重要な現代作家となっていった。とともに、周囲の編集者たちは、中上健次のことを恐れだしたらしい。だから私が、
「『千年の愉楽』『日輪の翼』は好きなんですが、どうしてああいう終わり方にするのだろう。最後の部分でがっかりしてしまう」と言うと、
「私もそう思う。私から離れた後、周囲の者で彼に厳しくアドバイスする者がいなくなった。できなくなった。そろそろ私が、と思ったら、彼は死んでしまった」
この人と二時間程話した。頑固で意地っ張りの人だが、沢山の作家たちに可愛がられ、そして、また沢山の才能を見出してきた編集者だ。
この人と中上健次の話を中心に話した夕べは奇蹟のような時間だった。
ただそれがゆえ、その後、他人様に向けて文章を書くことを躊躇うようになった。
2015年4月16日「宮川淳 隔たり」

宮川淳の『鏡・空間・イマージュ』を再読している。
宮川淳は、ブランショやデリダなどの思想を、浅田彰たちが脚光を浴びるずっと前に、早期に吸収し、自分の言葉にして、美術を中心に評論活動をしていたが、四十四歳の若さで早世した。
この評論集は、一見、とりとめのない散文なのだが、五十年以上前にこれほど水準の高い文章を書いていたとは、驚くばかりだ。
この評論集では、ジャコメッティがとりあげられている。読み進めると「距離とイマージュ」について語っている個所で、あらためてなるほどと思った。
サルトルもジャコメッティについて秀逸な評論を書いており、かつて読んだ時、「オブジェと作家との間の隔たりに横たわる”絶対無”のようなもの」なんて、うまい言い方をするなと感心したものだが、実際のジャコメッティの作品に向き合って、なにか釈然しないものを感じていた。
しかし、今回、数十年ぶりに宮川の文を読んで腑に落ちた。
オブジェと作家(彫刻家、画家)の間には「隔たり」があるが、作家は「隔たり」の向こうにオブジェを制作しているのではない。
ジャコメッティは、この「隔たり」を”作品化”しているのだ。
どうやら、こんなことをいっているようなのだ。
ジャコメッティは、人の顔を写しているのでなく、、”隔たり”を描いている。
そういわれてもなんだかよくわからないだろう。
つづきはどこかで詳しく書くとして、”隔たり”は、いわば”差異”であって、決して、”絶対無”なんかではない。
あぁ、グールドのバッハ平均律が流れてきた。音の渦に巻き込まれ、なにもかもどうでもよくなってきた。外は、木々の青葉があふれ、花々が咲き乱れている。これが”隔たり”そのもので、なにかを産みだす”差異”なのだろう
2015年1月4日「Botle Mail」

昨年は不思議な一年だった。
最後は、予想もしていなかった人からの手紙で勇気づけらた。
デリダではないが、幽霊的な出会いが体系的なシステムを相対化するというのを肌で感じた。
なにも予想できない。いいことも悪いことも。
幽霊的な出会いとはいっても、己の生の断片をもぎとって真っ青な空に放擲しないと出会いは起きない。
これは瓶に手紙を詰めて海に流す「ボトルメール」と同じだ。
無人島に流され、誰が拾うかわからない、ただ救いを求めた手紙。
手元にあるのは空き瓶だけだ。それに手紙を詰めて青い海に投げ入れる。
昨年はその瓶をある人が拾ってくれた。救われた。
でも、それはせいぜい無人島から脱出する方途が指し示されただけだ。
「筏を作れ!」それだけだ。でも、それさえしようとしなかった。
さあ、木を集めよう。筏を作ろう。