これも沖縄の店だ。『まーちぬ家』である。ここは料理が旨い。沖縄料理を丁寧に作っている。また、泡盛も旨い。このにーちゃんが「秘蔵の泡盛」を出してくれるのだ。どこにも売っていない泡盛だ。どこでもと言うことは、ここでも売っていない。常連にそっとサービスしてくれるのだ。とにかく落ち着く店だ。疲れ果てた体を、波が打ち上げてくれる浜のような店だ。国際通りと58号線の間にある。
沖縄の『レキオス』である。沖縄料理を食べさせる店だ。ここのオーナーの女性が様々な活動に関わっているようで、いろんな種類の客が来る。少し元気な時に、ふらっと行く国際通り近くの店だ。
沖縄の喫茶店である。とても喫茶店には見えない。喫茶店ではないかもしれない。この店のテラスの向こうには神の島が見える。その島の上にノロ(沖縄の巫女)の姿をした大きな雲を見たことがある。不思議な静寂が支配している空間の一画にふんわり浮かんだような店だ。店の名は『ゆくいなぁ』、これ以上詳しいことは教えられない。
八戸の店『蔵』である。八戸市は「南部」であって、「津軽」ではない。人の気質も青森市と弘前市などと少し違う。おおらかなのだ。この店は店員のそうした雰囲気にもよるのか、落ち着くのだ。魚介類もその他酒の肴もすこぶる美味しい。寒い日、この店に駆け込み、南部の鉄瓶に入った熱燗を飲みながら、ほやや、なまこ、馬刺しを食べたら最高に身も心も癒される。本八戸にある。
博多の屋台である。長浜、川端の中心にある店ではない。川端のはずれである。博多に来ると、必ずこの店の近くのホテルに泊まる。もう10年ほどそうしている。ここのラーメンはとにかく旨い。博多の至るところでラーメンを食べたが、私はここのが一番旨いと思っている。かつて、2月の寒い日、仕事でくたびれ果てて、ここのラーメンを啜っていたら、小雪がラーメンのつゆに舞い落ちて、すーっと溶けた。そして、次から次へと雪が舞い落ちてくる。悲しいほどわびしくなった。でも、白い雪が白いスープに溶けていくのを見つめていて、「ああ、だからここのラーメンは旨いんだ」と脈略なく感動したのも覚えている。屋号は『ぴょん吉』である。
昔はよく新宿で呑んだ。この店『ぼるが』でもよく呑んだ。「ばんやき」ということなのだが、モツの串焼き屋である。私は必ずこの店で「野菜の盛り合わせ」をたのむ。炊いた野菜や、キンピラなどの盛り合わせで非常においしい。まぁ、どれを食べてもおいしいし、安い。どんなに大量に喰って、呑んでも、4000円ほどでおさまる。煤けて黒光りする柱、油にしみたテーブル、ここに来ると20年以上前のあの頃に戻れる感じがして、神経が和らぐ。そうそう写真がぶれているが、わざとである。正面こちらを向いている親爺だが、この店のすぐ近くにある「バガボンド」の親爺である。かつてちょっとばかり喧嘩したことがあるが、元気そうだ。「バガボンド」もいずれ紹介しよう。
西荻窪『雅』である。ここの店には2年ほど前から行くようになった。とにかく、やきとりも、料理も、酒も旨い。でも、それだけだったら、ここに紹介する必要がない。この親爺、背を向けているこの親爺がいいのだ。だみ声で酒の講釈をたれる。日本酒に関しては相当自信があるらしい。かつてこんなことがあった。彼が手に酒瓶をもって「ここの酒は・・・」と話だす。こっちは相づちをうつ。「やっぱりな、日本酒だな」と言うや、私は「あの「百年の孤独」欲しいな。」「え!・・はいよ」「どこの酒?」「えーーっと、ちょっと待ってね」意地悪い私はかの幻の焼酎「百年の孤独」をたのんだのだ。彼は焼酎には暗かったのだ。でも、嫌な顔ひとつせず瓶のラベルを見ながら「大分かな」と応えてくれた。それでいっぺんにこの店が好きになってしまった。
この下の写真の奥にある「ぼんじり」が絶品である。特製の味噌をつけて食べるのだ。左は鯨ベーコン、肉厚と言い、味と言い、これも絶品である。
吉祥寺『のろ』も通い出して20年以上は経つ。フォーク時代の伝説の人々の踊り場だった。高田渡、加川良、斉藤哲夫、友部正人、それに、なぎら健壱などがここで歌っていた。そして、ここの奇跡は今も彼らがここで歌っていると言うことだ。(酒も呑んでる)かつて吉祥寺の弁天湯近くにあった「ぐぁらん堂」とこの店は武蔵野フォークの象徴のような存在だった。なにか傲慢に自分がなったような気がしたとき、ここに来ると、ぐーっと元の位置に自分を引き戻してくれる。
中央線の西荻窪の南口にある、その店は線路沿いに軒を並べる小さな呑み屋のひとつだ。この界隈は夏になると、すべての店が窓戸を開け放ち、一帯に焼き鳥やなにやらの煙がたちこめ、まるで東南アジアの町裏にでも紛れこんだような錯覚に陥る。店の名は「戎」という。豚、牛、鳥のたいがいの部位を料理にして出してくれる。また、旬のものも生のままで出してくれる。最近では塩ウニが旨かった。どんな料理かと言うと海水にさらした生のウニなのだ。私はここ「戎」こそが人を優しく向かい入れ、干渉することなくもてなしてくれる「CAFE/PUB」なるものを体現した店だと思っている。このエッセンスを称して「戎のこころ」とする。
この店は吉祥寺駅から5分くらい歩いたところにある。いわゆるジャズ喫茶の老舗だ。『メグ』という名の店だ。ここには20年以上前から行っている。近くにはフィフティやファミリーがあった。これらはあやしいキャッチバーと隣接していた。でも一般の人々からは「近寄るな」と言われていたそのあたりは風俗系も含めて、吉祥寺の顔だった(ハーモニカ横町もだ)。今やほとんどは消え去り、あるいはソフィストケートされて、今の吉祥寺の顔になっている。これはこれでいいだろう。さて、それはそれとして、メグに行く楽しみはローランドカークのあるLPを聞くことだった。オーナーのテラシマが家に持ち帰った今、聞くことができない。
さしあたって日が高いうちから酒を呑みたいときはここの店、『イセヤ』がお薦めだ。牛レバーの刺身でもつまみながら、焼酎に梅エキスをたらした奴をグイッとやる。最高だ。天空を舞う黒い雲も、地を這うどんより濁った情念も一瞬の間に消え去ってしまう。場所は井の頭公園の入り口にある。有名な店で、いろんな雑誌にとりあげられている。だがガサツさは年を追う毎に増していく。立派なものだ
鎌倉の『ミルクホール』である。鈴木清順の「チゴイネルワイゼン」で青地の友人の医者がたった今、解剖した死体の匂いがつく自分の手を女給にゴードンジンで洗わせる場面があるが、ここの店でそのシーンを撮影している。かつて、雪が舞う寒い日、くたびれ果てて、この店に入ると、キースジャレットのケルンコンサートが流れていた。石油ストーブの炎をじっと、見つめながら、地獄を思い、そして、ため息をついたのを覚えてる。ここ10年ばかり観光コースになってしまったのか、季節になるとおばさんのかたまりがぞろぞろと入ってくる
札幌のジャズバーである。スピーカーはパラゴンで、オーディオはマッキントッシュ等すばらしい機器をそろえている。きまってここに来るときは疲れ切っている。だからほとんどマスターとも話さない。客はほとんどが常連で、2、3人がかたまって談笑している。ここの店の音のボリュームはいわゆるジャズ喫茶なみの大音響だから客の話の内容は聞き取れない。ほんとに孤独のままにしてくれる。大切にしたい店のひとつだ。店の名は『JAMAICA』である。
『アウトバック』である。この店は今の「まる」にあった。1972年だろうか。私が通い始めた頃に開店したはずだ。アルテックA7のウーハ2本ずつの重低音は乾いた音だった。このスピーカの上にはカラスの剥製がとまっており、見上げると天井のいたるところにカラスの剥製がとまっていた。キース・ジャレットの「FACING
YOU」が新譜だったような気がする。今ではジャズバーとなり、場所も変わってしまった。スピーカはシーメンスになり、アンプはあいかわらずマッキントッシュである。しかし、かつての面影はどこにもない。
20年以上前に生のレーベンブロイを飲もうと思ったらこの鎌倉の『シーキャッスル』に行くしかなかった。ドイツ人のバアさんがいて、「ああだ、こおおだ」と作法がうるさい。でも、客を嫌な気持ちにさせない。「そんな体して、もう一杯飲みなさい」なんて言われると「はい」とつい言ってしまう。ソーセージは抜群においしく、窓の外に由比ヶ浜を見ながら、レーベンブロイをグーっと飲みほすととても幸せになれる。最近行ったら、あのバアさん元気だった。