書物

 実は、私は高校まで文学には縁がありませんでした。小学校の頃はベルヌを少し読みましたが、文学ではなく科学関係の本に興味がありました。小学校のクラブ活動も、科学クラブでした。
 理科が好きな私を気に入ってくれていたクラブの教師がなにか発表しろと私を指名したのですが、結局発表した内容はなんと「量子力学について」でした。
 素粒子の動きについて説明した覚えがあります。これを調べるため図書館に行ったのですが、小学生でもかまわないやと.2.3冊一般書棚から持ってきて、「これとこれ」と言ったら問題なく貸してくれました。

 ところで、私は父に「タイムライフライブラリ」のシリーズの定期購入を頼みました。「数の話」「物質の話」・・・全巻揃えました。
 「科学」が当時の私を引き寄せたものは、今から思うと「錬金術の匂い」のような気がします。それは飛躍的に解決してしまう魔術への憧れではなく、解決はないのですが、ひたすら事象の迷路に踏み込む、怪しい快感、隠微な快感ですね。
 その感覚は、今の私が「書物一般」に抱く感覚です。
         枯野抄

 おはようございます。
 昨晩、家で芥川集を開いて、「枯野抄」を見つけてゆっくり読んでみました。
 昨日、お話したように、人との関係性が、「死」と言うシンボルに触れることで、様々な情動のバリエーションのかたちをとって、ひとりひとりの生前の関係の内実がアンプリファイアされて現れる。これを見事に表現していると思います。それとともに、何と言うか、「作者の意識の閉塞性」を再読してつくづく感じました。これを凡庸に解釈すれば、「芥川自身の死に対する恐れ」を己に向かって呟き、吐露していると言うことなのでしょう。
 私は、そうではなく「絶対的な外部」「揺るがし得ない外部」、つまり「決して意識内に回収されないなにか」、つまり、ここでは「死なるもの」に、触れたときの「脆弱な意識のあわてふためき」をこの作品の筆致に感じました。もちろん芥川はプロですから、あわてた文体にはなっていません。
 この「なにか」に触れて、「意識」は懸命になって、説明しようとします。懸命になって既知のことがらにしようとします。でも、それはするりと逃げていく。そして、大きく被さってくる。そのせめぎ合いがおもしろいのですが、芥川は「とりあえず」意識に回収したふりをする。まぁ、それがプロなのでしょう。
 しかし、私が身内の死に臨したときは、もっとメカニカルな判断と、そして死そのものの「忌み」を感じたなぁ。

壊れた風景

        Abgrund

 −突然の破局とそれにつづく恐怖に満ちた苦痛の叫び、不変と信じていたものがあっけなく破砕すること、生育してきたものが衰弱し、悪臭を放ちつつ腐敗に至ること−ほんとに嫌だね。うんざりだ。でも、その床を剥がせば、そこに横たわっている世界なんだよな。でも、ほんとうんざりだ。
         内省

 ジャズ喫茶へ行った。吉祥寺のA&Fと言う店だ。ここは20年以上通ってる。音がクリアすぎて疲れる嫌いもあるが、私の逃げ場所のひとつだった。「だった」とはつまり、なくなるのだ。2月11日で店を閉めてしまうのだ。店内とマスターの大西さんの写真を撮って店を出ると、少し寂しくなった。内省的な世界が駆逐され、仕様と意匠が判断基準になる世界が席巻している。高度資本主義よ、リッパに育ったもんだ。全共闘のおかげだ。?
       蜘蛛の糸

 「蜘蛛の糸」と言う芥川龍之介の作品がある。仏さんが地獄へ細い糸を垂らすと言う有名なお話である。どうせどっかの古典から剽窃してるんだと思うけれど、どうせ剽窃するんだったら、西洋の薔薇十字あたりからもってくればもっと面白い話になったのに。薔薇十字の寓話では、神様が天国からロープをブーラブーラ揺らしたり、出したり引っ込めたりして地獄のバカたちを弄ぶ。どうにかしがみついて天国に昇った奴は今度はそいつらがロープを持って弄ぶ。教訓なんてない。芥川はどのようにまとめたろうか。まずは読まねーか。
           魂

 会社からの帰り道、あたりはすっかり暗くなっていた。怠惰な議事進行の会議を終え、鬱々とした気持ちで歩いていると、路傍に白い固まりが置いてあった。近づいてよく見ると、まん丸の白い、それは白い「魂」だった。「どうしたんだ」と声をかけると「声をかけるな」と言い返してきた。「分かった。じゃ、さよなら」「ちょっと待て、話しを聞け、でも声をかけるな」「勝手な奴だな」「俺をつれてってくれ」「嫌だ」「お願いだ」「何故、連れて行かなきゃならないんだ」「俺はお前のおじいちゃんだぞ」「知ったことじゃない」私はそれを蹴り上げた。すると・・「君はどう思う」しゃちょんの声。はっ、まだ会議が続いていた。「どううって、そんな簡単に答えられませんよ」「そうだよなぁ」・・と更に会議が延々と続いた。
       真っ赤な椿

 侍は椿を好まなかった。なぜかと言うと真っ赤な花が首からすとーんと落ちるからである。うっすらと積もった雪の上に落ちる真っ赤な椿の花の群は確かに首でも切り落としたあとの血潮のようだ。私は侍ではないから椿は好きだ。潔く落ちる花。しかも真紅の花。ああ、言い訳だらけの全共闘の敗残兵どもが、ぬくぬくと生き続けている姿を見て、とみにこのごろ椿が好きなってきた。深大寺温泉の五右衛門風呂の上に咲く椿は綺麗なんだよ。
         蕩尽

 ヘーゲルの「主人と奴隷論」。主人は蕩尽を繰り返す。ひたすら消費を繰り返す。対して奴隷は主人に上納し続ける。彼はこの関係を相対化できない。主人との関係から自己の存在を見出すのみだ。だが、転換期がやってくる。奴隷は「こつこつ労働」し、「計画的に」蓄財し、また自己のうちに経験を蓄積していく。やがて「奴隷」は己れに自立性を見出し、逆に主人は奴隷との関係にしか自己を見いだせなくなる。果たして関係の転倒が生じる。マルクスはここに革命の原理を読む。ボードリアールは消費社会の原理を見る。
 さて、私は生きてることは「蕩尽」だと考える。奴隷ではなく、主人の蕩尽に「生」の漲る姿を見る。コツコツ積み上げた後の革命なんて魅力を感じない。生命をコツコツすり減らして、世界が本当に変えられるなんてありえねー。
       ポトラッチ

 文化人類学的蕩尽について。アフリカのある部族の王様は12年毎に交代する。交代する時は自分の身体を死ぬまで切り刻んで民にばらまく。民はそれを我先に取り合うのだ。王に選ばれるとは、要するに無意味に自分の身体を分け与えると言うのが約束されていることなのだ。このような自己の生の蕩尽よって彼は王としてのステータスが得られるのだ。こうした無意味な蕩尽によってステータスを誇示する交換の典型がアメリカ北西部インデイアンに残るポトラッチである。それは相手にプレゼントしまくるのだ。もらったもの以上のものをプレゼントしまくるのだ。そして、最後は相手の前で自分が「もっとも大事」にしているものを叩き壊す。実にバカ気てる。しかし、逃げることなく、究極は死に向き合い、死に隣接する。そうして「比類ない崇高さ」を手に入れる。蕩尽とはそう言うことなのだ。多分、「生きてる」とはそう言うことなのだろう。
        トカトントン

 とんでもなく忙しい最中とか、「おお、ここ一番!」と言ったとき、突然なにもかも嫌になる。ここぞと言うとき「トカトントン」と言う音が聞こえてきて、すべて投げだしてしまう男を描いた、太宰治の短編があったけど、まさにあの男のまんまが私だ。太宰は終戦時の背景とか面倒なことをそこに盛り込んでいるようだけど、私の場合はなんだろう。ああ、量子力学的な飛躍・・。??
         純粋

 2月最後の日だ。2.26も過ぎた。60年以上前、北一輝がちょっと青年将校と会っただけで首ちょんになったんだよなぁ。しかし、あの「反乱」の大騒ぎも軍部の統制派と実権派の鬩ぎ合いが背景にあって、「純粋さ」も、それが故に際立ったのだろうけれど、所詮はアダ花で、その後の政治戦略に利用されるにすぎなかった。30年以上前の「純粋な」大騒ぎも同様だ。結局は「立派」な大学と、「立派」な大学生、「立派」な官僚国家が完成した。
 私は「純粋」が好きだ。それは「絶対をめざす狂信」でもある。相対的な政治の世界がどう利用しようと私が「純粋」ならそれでいいのだ。でも、「純粋」の絶対条件は極限まで切りつめ、そして、死なねばならないことだ。「純粋」を語り、のうのうと生きながられているブタどもは唾棄すべきだ。死ぬこと、それを含めて「純粋」を好む。ああ、うんこ。
       エキスパート

 最近よく会議がある。それぞれかなり経験を積んだ、やり手のエキスパートたちが勢揃いするので、緊張する。無駄な議事進行もなく、テーマを的確に絞り、問題点を浮き上がらせ、可能性を引き出していく。こうやって次々に議題をこなし、暫定的ながら結論を出し、それぞれの持ち場に戻って行く。そんな中、私はと言えば、いつもボードに刺さった画鋲の個数を数えている。昨日は色別に瞬時に数え上げた。私は画鋲関係のエキスパートなのだ。
       塚本晋也

 塚本晋也と言う映画監督のことを考えていた。映画好きと自称の方も10人中6名は知らないのではないか。作品は「鉄男」「双生児」などだ。彼はヨーロッパでは相当評価が高い。実は、ベネチア映画祭でたけしの「HANABI」が賞をとった時の審査員のひとりだったのだ。世界の北野武なんて日本のメディアがもてはやしていたけど、すでに塚本は世界のツカモトだったのだ。(たけしの映画は嫌いじゃないけど、ほんとに騒ぎ立てるほど「いいかぁ」。二流だよ。)いずれにせよ、海外ですでに相当数の日本人が評価されており、日本にいる奴らはなんか全然ダメな日本人ばかりじゃないのかな。ダメな奴らは海外で評価されている日本人のことを知らない。ダメがダメ同士で誉めて、誹って、どんどんダメになる。閉ざされた世界で吠えていても、ほらその足下が沈んでいってるぞ。ああ、眠いなぁ。
          心

 見事なほど自分の心が崩壊しているのを感じると、清々しいものだ。でも、そうなるとどうも言動や行動がおかしくなる。意味もなく人に気を使ったり、距離をおいたり。果ては突然殴りかかったり・・。この前も私の前をひとりごとを言う男が通り過ぎたので、「俺になにか用かい」と言ったら、「不愉快です。あなたのあらゆる皮膚の毛穴から分泌される、あなたの忌々しいゲル状態の実存が、悲しいまでも、私の松果体にコンバートされて・・」とうつむきかげんにほざきやがったから、金玉蹴り上げてやった。すると「いわゆる正義と公正さというものは・・」と言いやがったから、今度はどてっ腹殴ってやった。「正義とか公正さかい。痛いもんだよ。」と言い放ったら、奴はハジキを出して、いきなり俺の頭を撃ち抜きやがった。ああ、ほんと気持ちいいぜ
        世界情勢

 おめでとうございます。とうとう世界の情勢が見えてきましたね。キムジョンイルとフセイン、そしてビンラディンが戦後体制についてチェチェンで話し合ったらしいです。西海岸はキムで、東海岸はビンらしい。南と北はフセインが手に入れるということで、少しもめているとのことです。自分はボストンに住んで、上品な老後を過ごしたいらしい。でも、マイアミも手中に入れたい。これに関してはキムが譲れないとのこと。ビンはニューヨークで買い物ができれば文句ないらしい。
 また。ビンはブレアと不可侵条約を結んで、更にリバプールでビートルズとセックスピストルズの記念館を作る約束を交わしたけれど、どうもエリザベスは不服とのこと。日本に亡命したブッシュはフジモリと赤坂の寿司やで横沢による吉本興業乗っ取りに双方憤慨し、ああ、みんな豚に喰われて死んじまえ!とのこと。