12月29日「位相転換」
日が沈む。西の山に日が沈む。紺碧の空に紅く染まった雲が浮かび、点在する純白の雲が黒みを帯びたかと思うと、真っ赤に染まる。
日は沈む。夕日の頭の一点の輝きが山に消えると一瞬、空一面に光りが広がり、なにもかも朱に染め、そして、間をおかず紫の闇が辺りに押し寄せる。この「一瞬」なのだろう。太陽が朝、東の空に昇るのも、この「なにもかも朱に染めるこの一瞬」のためなのだろう。この「一瞬」になにもかも手に入れるために、高い空を昇り、退屈な1日を過ごすのだ。
12月21日「教え」
ニーチェに教わったこと。「全体と統一は否定し続けよう。」
これは結構骨の折れることだ。
12月15日「追悼てらやま」
学生服姿の白面の少年が薬売りの箱を背負って旅をする。廃屋の門にさしかかると大きな鬼の首が飛び回っていて、ふらふらと彼はその門をくぐってしまう。門の向こうは鬱蒼と茂った草むらだった。鬼の首に導かれるように草をかき分けていくと、雨戸が開け放たれた広い座敷があった。少年が縁側に手をつき、ふーっと息を吐くと、座敷の天井から鬼婆が逆さにぶら下がり、首のない鬼の身体が家中を走り回る。少年を誘惑する前がはだけた襦袢姿の何人もの狂女たち。白面の少年は背中の箱から熊胆を出して呑み込み、そして、頓服と書かれた袋から白い粉を掴んであたりにまくと、鬼たちはたちまち消え去り、廃屋は布団でできた大きなアパートになってしまった。
無表情な白面の少年の顔の中央からひびが走り、そのひびからは赤い血が滲みだし、少年はにやりと笑うと倒れてしまった。ふとんの中で安らかに、深い眠りに沈んでいったとさ。
11月30日「巨大な穴」
琵琶湖へ行って来た。いや、でかい。今さらながら、その大きさに驚いた。紅葉につつまれた彦根城は、小高い山の上にあり、その山上から琵琶湖を臨んでも、向こう岸は見えなかった。同行の者は「海のようだ!」と感心していた。
しかし、車で山を幾つもこえてここに辿り着いたせいか、私は、突然目の前に巨大な穴が穿たれたかと思った。海は「彼方」を感じさせるが、巨大な湖は「深み」を感じさせる。瀟洒な白い彦根城がまるで深淵の上に浮かんでいるように思えた。

11月15日「身ぐるみ」
久しぶりの北海道は寒かった。前日は雪がぱらつき、札幌の街は底冷えがしていた。夜は北大での集まりで文学部棟のスラブ研究所で15名の研究者と北方民族の宗教性について討論し、10時に終わり外に出ると頭が締め付けられるような寒さに目眩がした。地元の研究者の川端が「いいとこがあるので呑みませんか」と誘うので「いいよ」と答えると、彼についていった。線路を渡り、暗い植物園の門の前で彼は止まった。「こんなところにあるの」「ええ」と言うと、門の鍵を開け、彼はさっさと中に入った。手招きをする彼の姿を見て、糸で引っ張られるかのようにふらふらと門をくぐり、真っ暗な道を歩いた。とにかく寒い。「まだか」と声をかけると「あそこです」と言う遠くの返事。かすかに白い建物が見え、うっすらと明かりが見える。近づくと開拓時代の木造建物だった。右手のスロープを上がり数段の階段を昇ると入り口があった。すでに川端は中に入っていた。木製のドアを開けると目の前に巨大な熊が立っておおい被さろうとしているでないか。私は腰を抜かしてその場で転倒してしまった。「よく見てください。剥製ですよ」「ええ?」そのとき部屋の電気が一斉に点いた。驚いたことに動物の剥製だらけだった。木の枠で組まれたガラスケースに北キツネや、狼など、北方の鳥類、哺乳類の剥製が凍りつたように並んでいた。「川端、どこだ」「ここです。いい場所でしょ。」彼の声の方に行くと、テーブルのコンロにかかった大きな鍋に肉を箸でつまんで入れている川端が笑っていた。「ここは落ち着くんです。鹿の肉です。獣に囲まれていると落ち着くんです。」「なんか嫌な寒気がするな。脱け殻だろ。」「いいえ、ここで呑んでいると分かりますよ。脱け殻じゃないってね。さ、熱いのをどうぞ」私が椅子に腰け
テーブルの湯飲みを掴むと、薬缶ごと暖めた酒を彼は注いだ。「では、乾杯!」・・・朝目覚めるとテーブルに伏している私の姿が見えた。背には毛布が掛けられいた。ここにいる私は・・川端が「こちら」を向いて笑いかけた。「ゆめゆめ脱け殻なんて言わないでくださいね。川端さんはあなたの足下ですよ。」足下にはえぞネズミが腹を出してころがっていた
11月3日「機微」
彼女は、人差し指を立てて、「いち」と言った。私は、人差し指と親指を立てて「に」と言った。彼女は小指を立てて、片目をつむって「ごめん」と言った。私は薬指を立てて、舌を出して「すまん」と言った。ら、舌を噛んだ。彼女は去った。
10月11日「この一週間」
京都へ行った。阿倍晴明を祀った「晴明神社」で、おみくじを引いた。大吉だった。祇園の「十二段家」へ行った。だし巻きと鰻の茶漬けを食べた。旨かった。南禅寺の門前、「奥丹」へ行った。やはりここの湯豆腐は特別だ。旨かった。青森の八戸へ行った。せんべい汁をつつきながら、地酒を飲んだ。蕎麦カッケ、サンマのナメロウ、いちご煮、ほや刺・・・なにを食べても旨かった。京都も、青森も抜けるような青空で、遠く東山、八戸湾が輝いていた。私はツァラツストラが山から降りるように、夕陽を見つめながら、東京へ向かった。
9月28日「シーン」
ビスコンティ監督「ベニスに死す」、海岸に一人椅子に座るアッシェンバッハの顔がスクリーンいっぱいにアップされ、徐々に化粧が崩れていく。そして、やがて息絶える最後のシーン。名優ダークボガードの珠玉の演技。フェリーニ監督「アマルコルド」、雪の積もった真っ白な広場に孔雀が羽根をひろげるシーン。アラン・レネ監督「24時間の情事」の広島のガラーンとした提灯が揺れるクラブ?のシーン。キューブリック監督「2001年宇宙の旅」、人影が蠢く、いくつもの小さな窓があるムーンバスが月面を走るシーン。溝口監督「近松物語」の馬上の長谷川一夫と香川京子が強く手を握りしめ合って市中引き回しになるシーン。シュレジンジャー監督「真夜中のカーボーイ」、すでに息絶えたジョン・ボイドを腕の中に、「おい、フェニックスだよ」とダスティン・ホフマンが声をかけるバスの車中のシーン。
9月15日「祝」
虫の音を枕に、ほろ酔いの命が心地いい。
8月31日「火星」
一ヶ月前から雲が出ていない夜は、ベランダに天体望遠鏡を出して火星観測(観測ではなく鑑賞だ)をしている。確かに大きいが表面の模様に変化が乏しい。でかく、明るいだけで面白味がない。かつて熱心に観測していたときは小さいながらも、目を慣らせながら「運河」の詳細をスケッチし、一ヶ月間でも大きく変化する姿を楽しんだものである。6万年に一度と大騒ぎしているが、「今年の火星」はつまらない。間抜けヅラを晒している。6万年目に大接近して、そこに見えたのは「間抜けヅラ」とは。
会いたくて、会いたくて、やっと会えたら「間抜けな女」がそこに立っていた。そんな感じである。ま、女の場合は6万年も待って、それじゃあ、救いようがないが、火星の場合は、そうは言っても、これまでにはない「厚み」を、今年は感じる。大きさではなく、質量感、そして、肌で感じるパワーである。
とてつもないパワーを内に秘めて地球に近付いたこの「戦いの星」は、当分、地球の表面を翻弄するのだろう。そう言えば、私が生まれたとき私の星座に火星があったらしい。人生のポイントでこいつが私になにか力を与えているようだ。転機が来ているのかもしれない。そんなことを今日もビールを呑みながら赤い星と対話する。。
8月24日「袋小路或いはバタイユ」
「Cul de sac」というフランス語がある。キュ ドゥ サックと発音する。直訳すれば「袋の底」と言う意味であるが、通常「袋小路」と訳す。私に強く影響を与えたフランスの作家ジョルジュ・バタイユがよく使っていた言葉である。これは彼の思想を端的に表している。人は、不可能の極限(袋小路)にまで己の生を充溢させ、ある一点で破裂的に飛躍させる。こうしてはじめて生そのものも飛躍する。これは生きていることの究極の姿であり、バタイユが自らの身をもって追求し続けた表現世界でもある。気がつく人は多いだろうけれど、これは性的な高揚の喩えでもあり、また、宗教的な姿勢の喩えでもある。
さて、究極的不可能である己の解体つまり「死」の際まで自己を追いつめ、そして、一気に超え出る。しかし、また、解体してしまうかもしれない。そんな危険を賭すのが「生きていること」だ、と言うのだが、「解体か、飛躍か」これを決するのは何かと言えば、彼はさらりと「好運」と言う。努力なんかではなく、「運」なのだ。
私の生き方を導いた、逆説に満ちた作家は、まじめな国立図書館の司書だった。が、夜は娼婦の肉体の海の中にダイビングし、果ては、全身激痛のただ中で、法悦の表情をもって息絶えた。
8月10日「軽井沢」
ジョン・レノンが「イギリスに似ているせいもあって好きだ」と言って、しばしば家族で軽井沢に来ていたようだが、確かに木立のたたずまいにしても、異郷を感じさせる。原宿のような旧軽井沢通りも人が言うような「俗化」は感じない。それはそうだろう。一筋奥の道を通れば全然違った静かな世界にとけ込めるのだから。ここの森にいて特に感じたのは、土地の精霊の性質だ。どこの土地にも「精霊」はいるのだが、ここのは「とがって」いない。敢えて言うならば「無関心」なのだ。大概はとがっているか、すぐいたずらをしたがるかなのだが、自足している風情なのだ。かつて、ここの土地を「避暑地」として開いた外国の人々は、日本の強烈な「八百万の神々」とは異質な精霊をここに見たのかもしれない。
帰りの日、軽井沢は霧に包まれていた。まるで「霊気」で町中をすっぽりと包み、この土地が私との別れを惜しんでいるかのようだった。大丈夫、また来るさ。それまで私の分身(ホテルに置き忘れた私のシャツ)と遊んでいてください。
7月27日「私たちは・・・」
・疲労とは、死の分泌である。
・幸福とは、経済の原理である。
・欲求とは、生命を維持するための本能である。
・欲望とは、欠如を補充するための衝動である。
・消費経済は、欠如を生産する。
・消費経済は、欲求を欲望へ転位する。
・消費社会は、他との違い・・「Aとは〜ではない」が支配する。
・消費社会には、物が充満している。
・決定的欠如は、死である。
・欲望の究極は、死の補充である。
・消費経済は、死をひたすら生産し、消費する。
・消費社会は、死が支配している。
・幸福は、死へ向かう。
・私たちは、疲労している。
7月13日「親愛なるN様」
私は以前から断片的に現代音楽を聞いていました。現代美術との接点の中で聞いていたと言っていいでしょう。ジョン・ケージ、ヨゼス・ボイス、ナムジュン・パイクなど、単にエピソード的にしか接していませんが、音楽的なるものの中で、「意味と無意味の相克」に身をおいて格闘している人々に惹かれます。ジャズで言うとセシル・テーラーでしょうか。彼は徹底的にピアノを弾きまくって、挙げ句に、キーボードを放棄して、そして、踊り出す。結局は、ピアノを放棄するのですから、「意味」に抗した果てに「無意味」に屈したことになるのでしょうが、ただひたすら空虚なる一点へ向かって弾くピアノの音に私は雷に打たれた覚えがあります。
さて、それに対して現代音楽は空虚なる一点へは決して飛び込まない。それが音楽の伝統を受け継いだ使命なのでしょうか。 セシル・テーラーには惹かれる私ですが、空虚の一歩手前のフィールドで戦いつづける現代音楽の姿にも強く惹かれます。
木っ端が舞台にころがる音、電気カミソリがピアノ線を振動させる音、そして、また、ショパンのノクターンを聞かせてください。
7月8日「零度」
零度という言葉がある。温度計測の基準値である。基準値が零ということ、つまり「ない」ということ、ふとそれは面白いと思った。絶対零度とは少し意味が異なるが、「ない」という、まさに絶対的な事態があって、相対的に数値評価が可能となる。どうでもいいことだが面白いと思った。さて、どんな苦労してもなんら知恵がつかない人がいる。たぶん自分の「零度」をもってないのだろう。それはそれで立派だが。
そう、角度にも零度がある。しかも、360度と表裏一体だ。
少々、ペダンティックに、ロラン・バルトの「零度のエクリチュール」の「零度」ってなんだったかな?誰か教えてください。
6月29日「浅草」
浅草の伝法院の方面、公園通りは不思議に大阪の下町の飲み屋の匂いがする。もちろん昼間から酒を呑んでいるのもいる。暗くなると道端にならぶビールケースのテーブルに酔っぱらいがたむろし、ざわめき、叫声が響きわたる。だが、酒場にありがちな喧嘩も、諍いなく、広い通りにゆったりとした時間と空間がただただ広がるのだ。大阪の下町と同様に焼き肉、朝鮮料理の店が浅草には多いが、私が行くこの店も朝鮮料理をメインにした店だ。豚足とホルモン、センマイ、肝刺し・・どれも新鮮で、旨い。大阪の友人と呑むときは、互いに落ち着くので必ずと言ってほどここで呑む。先日、その友人とホッピーを呑みながら豚足をつまんでいたら、店の外のビールケーステーブルの女に目が行った。大きなつばの帽子を被った40代くらいの女だった。無表情に生ビールを呑み、そして、肝刺しでご飯を食べている。彼女の視線は、誰もいない、向かいの席に据えられている。何も語らない。周囲の喧噪の中、その場所だけ真空のようだった。「おい、あの女も塩油で肝刺しを喰ってるぜ。」(大阪では、通常、肝刺しは塩とごま油で食べる)「ほんまやな、関西もんかな」「なんか気色悪い女やな」そう言ってニンニクがたっぷりきいたホルモンを口に運んだとき、「すいません。箸ひろってください」と後ろから声がした。振り返るとあの女がこちらを向いていた。口には肝刺しのかけらがぶら下がっていた。友人が「ええよ。」と言ってそちらに向かうと、店の愛想のいいオヤジが怒声で「あかん!拾ったらあかん!」「なんで?」とオヤジの方を我々は向いた。「あかん!ほれ見てみ。」女の方を振り返った。誰もいなかった。「拾ったら、死ぬんや。わしが気づいてよかった。何人もこれで死んでるんや」その日、終電まで呑んでいた
6月22日「六月の蛇」
「六月の蛇」と言う映画を観た。ひたすら解釈をしないといたたまれないような「しんどい映画」(これは絶賛の意味だ)である。だが、映像に向かっているときはすべての「媒介」を排除し、直接的に見る者の感覚の髄に映像がたたき込まれる。息もつかせないのだ。くすんだ青と、激しい雨と水の流れる音。表情を失った女と男が地を這い、高揚とカタストローフへ向かう。映画が終了し、黒地に白文字のクレジットの流れを呆然と見遣る。まるでカタストローフが自分の内で生じたかのように私はその場を動けなかった。テーマは死と欲動?現代人の孤独?などいくらでもあるだろう。でもストーリーなんかどうでもいい。敢えて言うなら脅迫で「犯人」が使うセリフ「いっしょに地獄へ行きましょう」かもしれない。地獄がなんだか分からないけれど、これは観客に向けたセリフなのかもしれない。「いっしょに地獄へ行きましょう」。・・・塚本晋也監督がまたやってくれました。(そうそう、観た後、しばらくして冷静になって、キューブリックの「シャイニング」を思い出しました。)
6月15日「枯れきった狂気」
三島由紀夫の「憂国」と坂口安吾の「花火」を読み比べてみると、2人の特徴と差異がよく分かる。それぞれ男と女が差し違える究極を表現した作品なのだが、三島の男はかっこばかりつけて、実は無様で、女はひたすらアホだ。安吾の男はギリギリまで生きてみせるヤクザのかっこよさがあり、女は見事なまで聡明で生き生きと死んでみせる。全共闘運動が日本を革命に向かわせるなんて誤認した三島の人の良さは、作品の至るところに現れていて、自らの作品内部の予定調和が、自らの人生にも適用できるなんて信じたきらいがある。めでたいにつきる。安吾はとにかく生きてみせる。文章もどろどろで、同じように自身も生きている。読んでいて胸やけがしてくる。対極にある2人だが、かつて両者ともに心酔していた私は今は泉鏡花に惹かれている。漱石は好きではないが「草枕」は別だ。年をとったのだろうか。いや、いや、行き着くところまで来た「枯れきった狂気」のような世界に身を投じてしまったのかもしれない。
5月31日「薔薇」
薔薇の形象の象徴性についての研究はあまたあるが、私にとって「薔薇とは何か」と言えば、その「形象」ではなく、「香り」である。昼の太陽の熱気が仄かにこもる闇夜に咲き乱れる5月の薔薇の花ほど魅力的なものはない。暗闇を漂う香りに陶然とした人々は、そこに「あるはず」の無数の薔薇の花の姿を漆黒の闇に見る。そこに「あるはず」の花は様々な姿で闇に乱舞し、人々をさらに酔いしれさせる。そして、花を掴もうとつい手を差し伸べると「棘」が手を傷つける。思わず指を口に運ぶと血の匂いがする。ひょっとしてそこには花はないのかもしれない。けれど花の香りと血の匂いだけは確かにある。こんなことを考えて思うのだが、「神のようなもの」とは闇夜の薔薇のようなものではないかと。
5月18日「殺戮」
友人の家の縁側に座って庭を見ていたら、タケノコの先っちょがのぞいていた。煙草をふかしながら、しばし、見つめていた。「今、採るべきか、否か」 太さは足りない。しかし、少し地面から出過ぎている。採って帰って今日中に食べればいいだろう。まぁ、頂けるだけのは、せいぜい先だけだろう。でも、先っちょを食べるだけで、せっかくこれから大きく成長するであろう竹を掘り返していいものであろうか。またここで煙草を吹かした。日当たりのいい縁側で、どうどう巡りの思考がますますどうどう巡りになる。そして、眠くなる。所詮竹じゃないか。世界中でこの一本だけなら確かに悩んでもおかしくないけれど、見渡せば竹だらけだ。かまわない。掘り返そう。そう思って、納屋に立てかけてあったスコップをもちだしてタケノコの周辺を掘り起こしだした。S字にくねっていた。この形態を見て、スコップで掘り出すのをためらった。「沢山ある竹の中で、この竹は世界でひとつしかない。おまえはいいのか。こいつを枯らして。」そんな竹の精の声がした。どうしよう。しかし、すでに深く差し込んだスコップを踏みしめ、グイッとタケノコを掘り返していた。やってしまった。その時友人の声が背後からした。「そうめんゆでたぜ」「はいよー」縁側を駆け上がって、そうめんに突進した。うまかった。一気にそうめん三把分くらいをたいらげると「ちょっと午後急ぐので」と言って友人にお礼を言ってその場を立ち去った。そして三日後になってタケノコを掘り返したのを思い出した。アフガン侵攻のブッシュの気持ちがよく分かった。
5月5日「コルトレーン」
ジョン・コルトレーンは好きなジャズミュージシャンのひとりだ。ビ・バップに心酔している大橋巨泉のような奴の中には嫌っている者もいるが、私はチャーリ・パーカーも、コルトレーンも等しく好きだ。(しかし、ビ・バップ系のメインストリームジャズが好きな奴の中にはアルバート・アイラーとか、セシル・テーラのようなフリージャズ系に見向きもしないのがいるけれど、ビ・バップそのものが「フリージャズ」だったのになぁ。)さて、サックスがへたくそなコルトレーンのどこが好きかと言えば、彼は聴く者を「強引に別の世界」へ引き込む。この「強引さ」が好きなんだ。聴く者は、あの決してテクニックには長けていないサックス(これがくせ者だ)のはき出す音の「強引さ」に抗いながら聴く。抗えば抗うほど引き込まれていく。そして、一点に向かうかと思えば、いつの間にか収束へ向かう。そんな演奏の典型が「ヴィレッジバンガード」のライブの「Chasing the Trane」だ。まさに狂気と情念の渦へと聴く者を引き込んで、そして、やがて弛緩した虚脱の世界へと着地させてくれる。もちろんコルトレーンは「バラッド」や「with Elinton」などリラックスした名演も残しているけれど、人が日常と言う皮膜で隠蔽している闇の情念を垣間見させてくれる演奏の方が何倍も私は好きだ。
4月20日「西行」
去年、桜が満開の頃、このサイトを開いた。それから1年経つ。この間、自身を襲った「絶対的」な打撃があった。「絶対」とは「言語道断」で、相対的な世界なんかすべて茶番化してしまう。要するに人との距離ばかり気になる社会とか、金儲けとかなんかが支配している社会なんか、たとえば人の生き死にの極みから見ればとるに足らないものに見えてくるのだ。そんなことを思いながら、満開の八重桜を見上げ、はらはらと舞い降りてくる花びらを身に受けて、「願はくは花のしたにて春死なん そのきさらぎの望月の頃」なんて口にして、ふっとその口に舞い込んだ花びらをぺっと吐き捨てた。
4月12日「ブランショ」
実は、ここで触れようかどうか迷っていた。2ヶ月ばかり逡巡した挙げ句やはり触れておこう。今年の2月20日にモーリス・ブランショが亡くなった。ほとんどの人は知らないし、これからも知ることはない名前だと思う。ただ、私には大きな存在だった。どんな人だったか、と言うと、「作家」で、そして、「顔」のない人だった。この作家には、ほんとうに大きな影響を受けました。黙祷。
4月5日「Ys11,Nietzshe,Jindaiji」
i近況報告−YS11で、イラクへ飛んで、MoskJindaiにお参りに行った。フセインに表敬訪問したのだが、バーゼルのニーチェに会ってしまった。
3月23日「空爆」
空爆という言葉は湾岸戦争で初めて使われたと聞く。空襲と言う言葉はあったけれど、なぜ「空爆」なのだろう。空襲の方が主体的な匂いがするが、どうも「空爆」となると他人事で、やる奴らも、やられる奴らも肌の感触のない殺人の加害者と被害者の当事者にたまたまなってしまった。そんな感じである。たんなる感想であるが、私自身が「空爆」と言う言葉にこんなイメージを抱くがゆえだろうか、世界の1国支配を「目指す」アメリカも、中華思想の元祖フランスも中国も、どうも何かを演じているような気がしてならない。紛争の地では、確実に大量な人が血を流して死んでいるわけで、それ自体は不快である。それは歴然と米英の進軍の結果であり、アングロサクソンの傲慢に辟易する。でも、もっともっと飛んでもない、しかし、まだよく見えない「敵」がいるのではないだろうか。「国連の存在」VS「米英の暴挙」、「キリスト教」VS「イスラム教」などでは回収仕切れないロジックが蠢いているような気がしてならない。「米英への賛意」や、単純な「反戦活動」も、そのロジックのなにかを演じてしまっているに過ぎない。このロジックは・・・・
3月16日「ウィトゲンシュタイン」
デレク・ジャーマンの「ヴィトゲンシュタイン」を観ていて、ゴダールの「中国女」を思い出した。色彩と演出から思い出したのだろうか。おおがかりなセットはなんらなく、役者がセリフをひたすら語りつづける。そして色調は強烈だ。「色調が強烈」で、ペルーの映画、アルマンド=ロブレス・ゴドイ作の「砂のミラージュ」を思い出した。ぶどう園で酷使される人の姿と砂漠を逃げる人の姿が記憶に残るだけだが、いい作品だった。「砂」と言えば・・ペギーリーの「大砂塵」かと言えば、そうじゃない。デビット・リンチ監督「砂の惑星」だ。悪党役でスティングが出ていた。「エレファントマン」で当てたあとの作品だが、すこぶる評判はよくなかった。「すこぶる評判はよくない」で思い出すのは、鈴木清順の「夢二」。沢田研二が夢二役だった。原田芳雄がやはり光っていた。「原田芳雄」と言えば、黒木和男監督の「竜馬暗殺」。石橋連司の中岡慎太郎役もよかった。商売気のある竜馬がよかった。黒木和男と言えば、「日本の悪霊」を思い出す。原作高橋和己、配役は佐藤慶、観世栄夫、土方巽等、音楽が岡林信康、早川義夫・・強烈なスタッフだった。映画のデキは、まぁ、時代の勢いでした。さて、「ヴィトゲンシュタイン」を観て、面白かった。たぶんヴィトゲンシュタインの思想をてっとりばやく知ろうと思うならば、この映画を観たらいい。ただし、居眠りせず最後まで観なければならない。
3月9日「中也へ」
今日は1日中病院にいました。晩秋にしては気温が高く、子供も若干熱が上がり気味でした。一昨日、石川県の金沢にいて観光案内のパンフをぼんやり見ていたら、中原中也が幼少期に当地にいて、その時の記憶から「サーカス」を創作したと書いてありました。そこで、ぼくは本棚から中也の詩集を取り出し後ろの解説を読みました。ほんの1年ばかり金沢にいたこと以外、詳細は書いてありませんでした。
そして、今、ぼくはベットの横で彼の詩集を開いています。病室は熱を帯びた詩的空間でもあります。でも、その空間はあくまでも閉じられ、たわみ、創作をかりたてるものではありません。ただただ詩がにじり寄ってくるだけです。窓から差す西日に黄ばんだ詩集の文字が浮き上がり点滴の管を下ってぼくの静脈にドクドクと流れ込んできます。かくして、ぼくは、もっとも嫌っていた中也の詩集を読み通し、暗唱してしまいました。疲労と苦しみには、あの日本語独自のリズムが心地よく、ぼくと熱にうなされる病者の奥深く深くまで、浸食し、だめにしてくれます。病いには中也が似合います。
頭倒(さか)さに手を垂れて
汚れ木綿の屋蓋(やね)のもと
ゆあーん ゆよーん ゆやゆよん。
3月1日「闇へ」
ここのところ短期間にいろいろなところへ行く。沖縄県西原、青森県八戸、福島県会津若松、徳島県徳島、福岡県篠栗、石川県小松・・・。みんな「田舎」である。コンビニもろくにない。地元で言う「繁華街」も人影まばらである。夜、飛行機から日本を見ていると、これは例外ではないことをつくづく感じてしまう。都市部に光が集中し、国土のほとんどが闇に包まれているのだ。「都市は農村に囲まれている」と、毛沢東が言っていたのを思い出すが(農村が積極的な意味で都市を支えていると言う意味だった)、現在の中国の農村は悲劇的に荒廃してしまっていて、今の都市部の繁栄の裏で、この「闇」はその漆黒さを増してきている。日本も同様である。たぶんこの「光」の光度が増せば増すほど、一方の「闇」は深まっていくのだろう。「光」は「闇」を吸いながら輝きを増すのだ。そんなことを夜間飛行の飛行機の窓外を見つめながら、考えていた。そして、うっすらと窓に映る自分の顔を見て、なんと言っても、いろいろな意味で「闇の部分」に惹かれる己に思わずほくそ笑んでしまった。
2月16日「あほ」
生産性をコントロールするテクノロジーが成熟し、80年代に入って日本の高度消費社会が飽和への一途に向かうころ、世は「ニューアカデミズム」なる哲学小僧の「現代輸入思想解説書」がもてはやされた。いよいよ次は戦略的に消費性までもコントロールするぞ!という企業戦略に乗っかったメディアの動向と彼等の解説内容がマッチしたのだ。商品飽和状態のフラット化した価値社会を、「差異」をキーワードに解説したため、中心不在の世界には大いに受け入れられたと言えよう。でも、結局はそのハイパーな消費社会を支えていたのは「土地」つまり「泥」だった。失政もあって「土地」が一気に暴落し、経済はそのベースを喪失し、景気は下降していった。「大地=0」の逆襲、つまり、端的な差異「0 or 1」が露呈したのだ。(絶対精神にまで自己展開する意識の極めてハイパーな運動について語ったヘーゲル「精神現象学」の中にも「大地」について触れており、語りつくせない要素として扱っていた記憶がある。)さて、「大地」からの逆襲後、人々は消費を自己抑制し、経済活動は硬化していった。しかし、その後一時期、徹底したハイパーなインターネットビジネスが注目され、異常な株価の高騰を呼び、好景気の気配が見えたが、一気に崩落した。今度は人々は「泥」でなく、「未来=0」を支えに浮かれたのだ(投機の極致)。さて、今も本屋に行くと、「哲学入門」「わかる哲学」など哲学、思想関係の解説本が沢山並んでいる。それなりに売れているとも聞く。これらの書の中に、かつての「ニューアカ」の時代のようなキーワードが潜んでいるのであろうか。「哲学が注目されているとしたら、ただ不安な時代の、不安な人々の心を表しているだけだ。」と言う凡庸な意見もある。哲学は不安をどうにかしてくれるかな?それにしても「不安な時代」を表すような「骨太な思想書」は見当たらない。「わかる現代思想」「ビジュアル哲学」等々、アホの丈に合わせて商売しているだけだ。そうかキーワードは「アホ」なのか。
2月8日「祝八戸新幹線開通」
最近新幹線が通った八戸へ行った。八戸の駅はできたばかりで立派な建物であったが、駅周辺は閑散としていた。中心となる町は本八戸だということで、そちらへ行ったが、寂しい町並みが続くだけだった。青森にはキリストの墓と言われるところがある。イエスが磔刑に処される前に逃げ出し、日本の青森に渡り、その地で一生を終えたと言うのだ。一説によると「戸来(へらいと読む)」と言う名の人は先祖が「ヘブライ人」とのこと。今回の仕事でたまたま「戸来」と言う名の人と出会ったが、確かに彫りが深く、鼻も少し大きめの日本人離れした顔立ちだった。この話を彼にしたら笑って否定したが、同僚の人に後で聞いたところによると彼のおじいさん「伊作」は空の彼方から「矢部」とか言う人の声がして自分の息子、つまり彼の父親を殺そうとして、村中大騒ぎになったらしい。真剣になって殺そうとしたらしいけれど、おじいさんはおじいさんで包丁を高くかざしつつも、涙を流しながら苦しんだらしい。そして、しばらくしてやはり「矢部」と言う人の声がして殺害を思いとどまったとのことだ。
2月1日「アラン・レネ−快楽」
アラン・レネ監督の「去年マリエンバートで」はロブ・グリエ原作の映画だ。高校の時から観たいと思いつづけ、18才の春に東京のアテネフランセで初めて観たときは感動のあまり上映が終わってもその場をすぐ立つことができなかった。なにに感動したのだろうか。過去−現在−未来が交錯し、事実認識が浮遊し、とうとうなにがなんだか分からなくなる、そんな映画のなにに感動したのだろうか。それは、フィルムの流れのような宿命的な直線的時間の流れを、畳みかけてくるイメージと言葉の洪水によって、観る者の意識を、奥行きと広がりのある時間意識へと見事に転位させたからだ。隙のないカメラの演出と計算されたシナリオ、そして、天才的カット。ある意味、極めて「思弁的な」映画であるが、幻覚剤を飲んだような、極めて「快楽的快感的」映画である。「難解な映画」と言う人がいるが、映画を観るのに知性が必要なのだろうか。ただほんの少しばかりの「集中力」があればいいだけなのだ。
1月26日「沖縄−人間の消滅」
沖縄へ行って来た。暖かく、島のいたるところで花が咲いていた。ビニール味のチーズのような豆腐ようをつまみながら泡盛を一晩飲みあかした。翌朝早く、私は予定通り、ひとり宿の近くの海に出た。ガジュマロの木立を抜けて、その浜に出るのだが、人影ひとつないこの木立にさしかかると、身体をなま暖かく重い空気が包み込み、更に体内にしみこんでくるような気がした。これは、この樹木を通して、この土地の地霊が私を歓迎するいつもの儀式なのだ。はじめてこの島に来たとき守礼門の近くの弁天池で初めて感じた感覚で、このときガジュマロの木陰に私は確かに沢山の何かを見た。「人々がこの島で繰り広げてきたことなどとるに足らないことで、この島にはそもそも人間なんていないんだよ。」それらはそんなことを語りかけてきたのだ。それ以来この島に私は取り憑かれている。今回もガジュマロの木立であの洗礼を受け、そして、浜に出た。海からの少し冷たい風が心地よかった。私は大きく深呼吸をし、そして、しゃがみ、砂を手に取って見つめた。砂の正体は珊瑚や貝の死骸で、白く、乾ききっている。さらさらと無力に風に飛ばされていく。視線を起こし、しばし、波が打ち寄せ、砂にしみこんでいくの見つめていた。すると「人間は波打ち際の砂の表情のように消滅するであろう。」とミッシェル・フーコーが名著「言葉と物」で最後に締め括った予言的な言葉を思い出した。たぶん、これからなにをするにしても「ここ」を起点にはじめるのだろう。
1月12日「『少林サッカー』直後」
そろそろなにかしようか、そんなこと考えて5年経つ。何人かの仲間と何かするか、あるいはひとりでするか。結論と言うほどではないが、「ひとり」でやるか、なんて思っている。年齢のことはあんまり考えていない。極めて楽観的な性格のせいか、自分がやる!と決めたら、必ずやり通すし、成功するのは当たり前だと思っている。今までも雇われの身で「やれ!」と言われて「やる!」と応えたことには応えている。しかし、最終的に事業としてうまくいったためしがない。理由は簡単だ。最後まで私にやらせなかったからだ。人がたくさんいて、加えて「偉い人」たちがたくさんいると、どうもだめだ。−でも、世の平凡な人たちはみんなこのようなことを考えながら、自分の不運を呪ってなにもしないでこの世から去っていくのだろうな。−まぁ、みなさん、楽しみにしていてください。このサイトで逐一報告しますよ。多分ね。−これ書いているの、「少林サッカー」を観た直後なんだなぁ。
1月3日「謹賀新年」
私をよく知っている人、知らない人、あけましておめでとうございます。高く、深い空から無数の雫が落ちてきて、それが大きく大きくなって巨大な球になりました。水の巨大な球でした。ぼくはそれを片手で持ち上げ坂に転がそうとしましたが、その球のなかに取り込まれ一緒に坂を転がり落ちました。落ちた先には焚き火をしたおじいさんがいて、「こら火を消すな!」と怒鳴られましたが、消してしまいました。「すいません。すぐ火をおこします。そこらじゅう火だらけにしてあげます。」「ここだけ火をおこせ!」「ぼくにはそれができません。」「分かった。それならみんな焼きつくせ!」大きな球に火をつけると山も海も町もなにもかも火に包まれました。おじいさんは満足気でした。私はくしゃみをひとつして、「さて、今年の抱負はこの火を消すか、もっと火をおこすか」さーて、楽しみだぞ。今年はね。