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6/9「おかんとママ」
日曜日、週末のお酒も抜けきれないままに梅雨入り前の快晴の中、大阪にある実家へと車を走らす。先月15日に亡くなったじいちゃんの四七日のためだ。昼過ぎに着き、お坊さんが到着するまでの約1時間、母と祖母と話す。マシンガンの如く続く二人の質問攻めを受けるのは毎度のことだ。
僕の家では祖母のことをママと呼ぶ。
僕の母が長女、その長男である僕が生まれたのが昭和50年、母が24歳のとき。つまり僕は初孫だ。“おばあちゃん”になった祖母の年齢は、49才。“おばあちゃん”と呼ばれるには若かった祖母は、当然そう呼ばれるのを嫌がった。そこで、母は“おかあさん”、祖母は“ママ”になったと言うわけだ。
幼少の頃住んでいた家と、“ママの家”は歩いて5分くらいであったこともあり、公園や成田ストア(スーパーね)などあっちこっちに連れて行ってくれた(らしい)。いつも気丈に振る舞い、そしてあまり人に弱みを見せないママ。活動的で、数年前までは踊りをしたり絵を描いたりしていた。小学校のとき、歩けば30分くらいかかる距離に引越したのだが、その距離を通い、仕事に出ている母の代わりに掃除、洗濯をしてくれてた。
いつも身近にいて、いつもママは元気だった。
そんなママも、さすがに祖父の葬儀以来元気がなかった。
出棺のときと骨上げのとき、ママが取り乱した様子を目の当たりにして、少しだがママの心中を窺い知った。
どう転んだって理解できないし、まして共感なんかできるわけがないのに、そんなママを見て堪えきれない悲しみが溢れた。
今日まで、ママの様子が心配だった。
そんなママが、ようやく元気な姿を取り戻した。
「ビタミンとっとき」「何が食べたい?」「ちゃんと睡眠とりや」…。
いつもの世話焼きママが帰ってきた。いやいつも以上と言っていいくらいだ。うるさいくらいの質問とおせっかいが襲ってきた。いつもなら少し窮屈に思うのだけれど、その窮屈さがすごく心地よかった。
W杯のロシア戦を、サッカーをわからないままにみんなと一緒に見るママの姿が、僕の心と家族に安堵感を漂わせた日曜日だった。
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