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「首飾り事件」(1)

マリーアントワネット王妃の首飾りは有名で、特に大きなダイヤモンドのネックレスは展示されているのをご覧になった方もいらっしゃるでしょう。

この首飾りをめぐって1780年代にフランスでは革命の前の日に詐欺事件が起きました。
要約すると、家名を再び取り戻したい思いの女性が、宝石商から高価な首飾りを騙し取ったと言うお話です。
当時の金額で20億円もの大金が動きました。

おもしろおかしく書かれた小説や脚色された部分のある映画などでも取り上げられる程有名な事件ですが100年もの間続いた王国がこの事で崩壊してしまうとは何とも痛ましい事件です。
まず事の発端は、、、。
ルイ15世の注文により、大小数百個を使ったダイヤのネックレスを製作した宝石商がいました。
それはルイ15世の愛人デュ・バリー夫人に贈られる為の品物。
しかし、注文のネックレスが出来上がってみると、ルイ15世の突然の死去により注文は破棄され、巨額な品物だけに宝石商はあわてます。

宝石商はマリー・アントワネット王妃に売ろうとしますが、もともとアントワネットとデュ・バリー夫人との仲は悪く、そんな女性の為に作られた宝石などアントワネット王妃が買うはずはありません。
そこで宝石商シャルル・ベーマーはラ・モット(ジャンヌ・ヴァロア)伯爵夫人に話し、何とか王妃に買ってもらえないかと懇願したのです。
日頃から王妃とは親交があると言いふらしていた伯爵夫人はこの頼み事には少々躊躇したのでしたが、夫人はある企てを思いつき、その話を受ける事にしました。

                                     
今月から始まった新しいページです

2006年10月から始まった新しいページです。
ポンパドールこと私が何を玉手箱に入れるかはどうぞお楽しみに。
先ず今回はポンパドール夫人と関係の深い貴婦人の一人
マリー・アントワネット王妃のお話から。
そしてもっともっと話題を膨らませて、、、。

玉手箱(T)はこちらから

マリー・アントワネット

1755年11月2日-1793年10月16日

マリー・アントワネット(マリア・アントーニア):フランス国王ルイ16世の王妃。
オーストリア帝国ハプスブルグ家のマリア・テレジアと神聖ローマ皇帝フランツ1世との第9子。

資料によると自由奔放な性格、物事を余り深く追求する事を好まずとあるが平たく言えば、頭脳明晰とは言えない、そして長いお顔のお嬢様だったようです。

そんな娘をかなり心配した両親の苦悩があったと記されています。
いわゆる政略結婚によってルイ16世との縁組をすすめたのは母であるマリア・テレジアであり、その話はルイ16世の両親から反対を受けたのです。
結局、反対者である両親が死亡した後、ようやく婚約が整い、1770年5月16日マリー・アントワネットが14歳の時ヴェルサイユ宮殿において結婚式を挙げました。

ルイ16世とは性格の不一致、趣味の違い、子供に恵まれず当時の二人は仲が悪く決して幸せな結婚生活ではなかったようです。

マリー・アントワネットが夜毎舞踏会で踊り明かしたり、賭け事などに興じたのは父親譲りの遊び人気質もあったかも知れないけれど寂しさからくるものが大きかったのかも知れません。

その後ルイ16世の治療の後、子宝に恵まれ4人の子供たちが生まれました。
4人のうち次女ソフィと長男ルイ・ジョセフは幼くして逝き、長女マリー・テレーズと次男ルイ・シャルルだけになってしまいました。

しかしマリー・アントワネットの享楽的性格は変わらず、母からの手紙も読まずに捨てられたと言う説もあります。

                                     

ポンパドールの玉手箱U・V
玉手箱(U)はこちらから2013/01/08更新
玉手箱(V)はこちらから2014/06/03更新
「首飾り事件」(2)

さて、お話を続けましょう。
宝石商からの依頼を躊躇しながらも引き受けた彼女にはある計画があったのでした。
名門ヴァロア家に生まれた彼女を不幸が襲ったのはまだ幼い頃でした。
父を殺され、家財没収のあげく母は病により亡くなり孤児となってしまう。
自分の手でもう一度家名を取り戻そうと言う夢に支えられて生きてきた女性が、気のすすまない結婚により夫の地位を利用して貴族の仲間入りを果たし宮廷への出入りが可能となったのです。
「いつかきっと、、、。」
この一念がこんな悲惨な事件を巻き起こすとは誰が予想したでしょうか?

しかし、家名復興は成らず彼女に残された手段は大金を払い家を買い戻すしかありませんでした。

宝石商がいくらマリー・アントワネット王妃に売りたいと思っても、王妃がいわくつきの宝石をすんなり買うはずはなく、宮廷に出入りしていると言うヴァロア夫人(ラ・モット伯爵夫人)にお願いするしかありません。
そんな無理難題を依頼され、困ったもののある名案が浮かんだのです。
それは、1785年1月のことでした。
宮廷司祭長の地位にあったロアン枢機卿は王妃に嫌われていたのですが、いつかは取り入って宰相の位をとの夢を抱いておりました。

その夢を知っていたヴァロア夫人はそれをうまく利用しようとしたのでした。
「王妃が首飾りを買いたいとおっしゃってます。 ただその件については枢機卿が代理で購入して欲しいと申されて、、。」
王妃が自分に頼み事を?
待ちに待った好機がやってきたと喜んだ枢機卿でしたが、そんなに簡単に王妃が自分に?と少々不審に思いました。

すかさずヴァロア夫人は、「ついては王妃が内密に枢機卿とお話をしたいとの事。宮殿の中庭にて。」
枢機卿はすっかりその話を信用したのです。

王妃が本当に?
そんなはずはありません。
ヴァロア夫人は王妃に瓜二つの娼婦を探して枢機卿に会わせたのでした。

これからのお話は次回へ

                                     
「首飾り事件」(3)
あけましておめでとうございます。
今年が良い年でありますよう心よりお祈り致します。

お正月休みが入り、このページの更新が遅くなりました。
では早速続きをお話しましょう。

王妃のお側使いになりすましたヴァロア夫人は枢機卿と王妃にそっくりな娼婦をバラの花の咲く宮殿の中庭で会わせました。
その娼婦をすっかり王妃だと信じ込んだ枢機卿は自分の立身出世という野望も手伝って、ニセ王妃の申し出を承知したのでした。
「この首飾りは素晴らしいけれどデュ・バリーが注文した物。 内緒で手に入れたいので代金の保証人になって欲しい。」
枢機卿は王妃に成りすました娼婦に首飾りを渡してしまいました。

言うまでもなくこうしてやすやすと首飾りがヴァロア夫人の手に転がり込んだのです。

では代金はどうなったのでしょう。
当然本物の王妃がお買い物をした訳ではありませんからどこからもお金は支払われるはずはありません。

支払いの期限がきても支払われない事に宝石商は保証人である枢機卿に催促をします。
事の一切を知った枢機卿はスキャンダルを心配し、代金を支払ったのです。
フランス貴族達は最も「対面」を重んじます。
ですから貴族達の間で起こった事件はいつも闇から闇へと葬られてきたのです。
今回のこの事件もうわさにならないはずでしたからヴァロア夫人が罪に問われる事は無かったはすでしたが、、、。

それがどうして発覚したかと言いますと、宝石商が支払いが遅れた事で不審に思い、王妃の側近に話をしたのでした。
その年の8月、枢機卿とヴァロア夫人そして娼婦は逮捕されます。
「マリー・アントワネット王妃」と言う名前が一人歩きの如く表に出たまま、、、。

マリー・アントワネット王妃にしては寝耳に水、降って沸いたような覚えの無い事件です。
しかし、世の中はそんな事を理解してくれなかったのです。
王妃は憤り、裁判所に訴えました。
ところが、当時宮廷と対立の立場にあった裁判所は王妃にとって最悪な判決だったのでした。
「首飾り事件」(4)
今公開中の映画、「マリー・アントワネット」をご覧になられたでしょうか?
観賞された人にはそれぞれの感想があるかと思いますが、ヴェルサイユ宮殿を実際に使用しての撮影は見ごたえのあるものでした。
果たしてマリー・アントワネットはどんな感想をもらしているのかを是非聞いてみたいものだとも思います。

さて、お話の続きを。

1786年3月、判決が言い渡され枢機卿、娼婦ニコル・ド・オリヴァの両名は無罪。
ヴァロア夫人は有罪と言うものでした。

こんな話もあります。
この「首飾り事件」は王妃の陰謀だと言う説。

本当に王妃が企てた陰謀なのか、はたまたフランス王室を倒すために流された噂なのか?
フランス国民の王妃を嫌う要因として、この事件は大きな存在になったのです。

かのナポレオンも首飾り事件はフランス革命の原因とみていたようです。
アントワネット王妃の周りには数々のスキャンダルがあり、人々の注目をあびる女性だった事は言うまでもない事でした。
何不自由なく育った彼女には当たり前の優雅な生活や考え方が世間では通用せず、国民たちの怒りは頂点に達しました。

唯、ここで思うのは本当にそうだったのでしょうか?

世論を怒らせ、暴動を起こさせた本当の黒幕がいたとしたら?
世間知らずの王と王妃が上手く乗せられたと言う説はないのでしょうか?
私はずっと以前に王妃の首飾りを2度見た事があります。
勿論事件にある首飾りではありません。
本当に王妃の持ち物だった首飾りです。
大きなドロップ型のダイアモンドが中心にあり、ぐるりと大小のダイアモンドで作られた素晴らしいネックレスとお揃いのピアスです。

1984年に日本橋・島屋での宝飾展とメトロポリタン美術館での事です。
島屋ではそれぞれが四角いケースに入れてあって、物々しい警備員があちこちに立っていました。

私は王妃のネックレスのケースに近づき、余りの素晴らしさにじーっと中を見つめました。
その時です。 ネックレスが前後に少しずつ揺れ始めたのです。
「地震?」
この世で一番許せないのは地面が揺れる事と思っている私は異常に地震には敏感なのです。
ケースの前から横から眺めては「地震?」と。
その様子が大変異常だったらしく、警備員が私の所にやってきて「何か?」。
「ネックレスが揺れているので地震かと思って、、。」
「揺れてませんが、、。」

そんな会話の間もしっかりと揺れていたネックレスはきっと王妃が私に話しかけていたのだと今でも信じています。
メトロポリタン美術館での再会にもネックレスはゆっくりと揺れてくれました。

フランス王室最後の王妃はこの先処刑台へとあがりますが、このお話は次号で書かせて頂きます。