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その愛は損か得か 石川達三 1986/06/25 新潮社 文庫本 小説
現代の愛の行為は利害打算から自由になれないものなのだろうか。結婚という形に縛られず、多くの異性と関係を持つことが得なのか、確かな愛を見つけるために慎重になることは損なのか。−大学の図書館に勤める若い独身OL、大鹿充根が、さまざまな愛との出会いのなかで悩み、傷つきながら成長し、ついにこれこそ自分の愛の人生だと確信できるひとつの選択をするまでを描く。
  背表紙より  

僕は学生生活最後の年の冒頭に先生に言われました。「君たち、会社を選ぶときに、条件で選んではならん。会社員人生は長い。今調子が良くても、二十年、三十年も調子が続く訳が無い。自分がしたいことが出来る会社を選び給え。」と。たぶん、実際にこんなふうには言われなかったけれど、僕はこんなふうに理解して、就職先を探しました。
また、大学を受験するときにも、方々の情報誌に「学校の名前で選んではイカン。自分が将来どんな仕事に就くかを考えて、学校より学部、学部より学科を先に決めたまえ。」と諭されました。
一時期、女性が結婚相手の条件として「三高」高学歴、高収入、高身長。を挙げるのだと言われました。実際問題にこんな相手を望んでいる訳では無いけれど、「どんな条件が良いの?」といわれれば、こういうことが口から出てくるだけ。という説もありました。
この小説の主人公、充根の前には様々な男が現れます。特にモテる女性で無くとも、僕の事を考えれば(一応、会話が成立した女性はデートに誘ってみる。)こんな事も有り得るだろう、と思います。が、しかし、愛が無いのです。
結婚相手も条件で選ぶのは愚かであろうと思います。特に両性の同意のみで結婚相手を選べる現在の日本において、自ら政略結婚的な結婚をするのは愚かであると思います。理屈好きの僕でさえ、結婚相手を選ぶときだけは自分の感性に正直になろうと思っています。たとえ、それが間違えでも、自分に納得がいくからです。
さて、この小説の主人公も自分の愛に正直に生きようとしている訳ですが、冒頭で、この愛に破れてしまう……。え? ここで、こんなことを書いて良いのかワカリマセンが、主に、この傷心中に現れる男性に対する主人公の心理描写をトクトクと描いているのがこの小説です。ストーリーの大部分で結婚=性生活と捉えているのは、現代の若者には受け入れ憎いかもしれない=結婚なんかしなくたって、いくらでも、そこら中に性生活は転がっているじゃないか。と思うかもしれません。が、僕が知っている若者ばかりが、結婚前の若者とも限らないでしょうから、こんなふうに思う女性(別に男性でも良い)がきっといるんだろうと思います。ちなみに、この本を紹介してくれた女性は、先日結婚をなされたのですが、僕にこの小説を紹介した当時、本当に「結婚? あら嫌ですわ。恥ずかしいですわ。」と言い出しかねなかった。(閑話休題)
僕の結婚観は、動物行動学の紹介著書が多いの竹内久美子の影響を多大に受けているので、「動物とは違うんだから……。」なんて台詞ははきませんが、往々にして人間は他の生物と、自分達人間は違う判断をするものだ。と思い込んでいることは存じています。
そもそも、自分で愛だと思い込んでいたものが、単なる性欲だったり、単なる執着だったりする場合もあるわけです。この小説でも、主人公充根が「結婚しようと思う」と初めて親友に打ち明けたその結婚相手にさえ、「愛があるのか?」と正直に考えると、そこには執着しかなかった。と(実際の人がこんな結論を見つけてしまう場合は少ないかもしれませんが)気付きます。
結末では、意外な愛の大逆転が用意されているのですが、衝撃的なタイトル「その愛は損か得か」から受ける印象とは逆に「そこに愛があるのか?」を考える小説ですので、愛を深く考えたい女性にお勧めして、取り止めの無い僕の文章をここではおしまいにしておきたいと思います。

1998年9月25日
No.085


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