| タイトル | 著者/訳者 | 発行年月日 | 出版社 | 形態 | 分類1 | 分類2 |
| 狂人日記 | 色川武大 | 1993/10/12 | 福武書店 | 文庫 | 小説 |
読売文学賞を受賞した色川武大最初で最後の純文学長編小説
狂人と健常者の狭間に身を置き、他者を求めながらも得られずに自ら死を選ぶ男の狂気を内側から描いて、現代人の意識に通低する絶対的な孤絶を表出し、読売文学賞を受賞した著者の最初で最後の純文学長編小説。背表紙より精神病患者の独白で語られるこの小説は、実は僕も共感することの多い作品でした。対人関係を内証する主人公を親密に感じたのです。特に共感を覚えた一行は、解説でも指摘されているのですが、病人である主人公に優しさを見せる女性を、主人公が内心で「我が身より劣等なものに対して優しくなるのは、優しさといえるかどうか。」と、問い掛ける箇所です。僕の現在の答えは、こうです。「我が身より劣等なものに対して優しくなるのを、世間では優しさと言うのだ。」ただし、これは、性差でもあると思います。幼い頃から友達と競争しながら遊ぶ男とは異なる女性の優しさなのかもしれません。この小説で、主人公に対し優しさを見せる女性は、女性同士では、奨励される優しさを実践しているのだ、と思います。男性同士の間では、同情なんて、嫌がられるだけですが……。もし、この恋人が男だったら、(恋愛は成り立ちませんが)主人公を傷つけるような、接し方はしなかっただろうと思われます。脱線しますが、僕が最近思うのは、夫婦間や、恋人間でも、女同士、男同士の対人関係で学んできた方法論を持ち込んで、喧嘩になっているケースが多いと言うことです。だから、なかなか結婚しない女性が「だって、女友達と一緒の方が、気楽なんだもん。」と言ったりするのにも肯くし、奥さんの愚痴を零す男性にも納得する、最近の僕であったりします。蛇足ついでにもう一つ付け加えると、恋愛に長けた人は、こんな異性とのギャップを承知していて、自然と受け答えが出来るようですね。決して僕みたいに「女はこんな風に考えるものだからな。」などと、理屈を捏ねずに、自然に受け答えが出来ます。羨ましいです。閑話休題。解説によると、実際の精神病患者は、この小説で描写されるような、毎回異なる幻視や幻聴を見たり聴いたりするのでは無く、パターン化された、イメージの連続なのだそうです。だから、僕は、この小説を、精神病患者の本としてではなく、一人の男の苦悩の独白として読み、肯き、泣きました。ただ、度々出てくる、主人公の「こう考えるのは、病人だからなのか、健常者もこう考えるものなのか?」という疑問が痛々しいです。ある意味、著者本人がナルコレプシーを患っていることから、病的表現に自由であることも、この小説の特徴であるように思われます。この本では、冒頭で「血管と脳髄に関しての病理学は、大正このかた進展していない、と医者はいう。」とありますが、実は最近目覚しい進歩を遂げているようです。先ず、著者の持病である眠り病=ナルコレプシーは、先天的な病気では無く、後天的な病気だと何かの本で読んだ覚えがあります。たしか、自己免疫症候群の一種だったと思います。この小説で、主人公は少年時代、愛犬に噛まれ、狂犬病を心配し、難を得ずという場面がありますが、あるいはこのような形で、通常人間が感染しないパラサイトに侵されたのではないでしょうか。また、心の病と、脳内の化学物質の分泌もかなり解明されてきており、薬物による治療は、アメリカでは、既に日常的に行われているようですね。何れにしろ、著者がお亡くなりになった後の医学の進歩なのですが。
1998年2月20日
No.107