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* もの置き倉庫 *


* その1
 あれこれ、画像ソフトでいじくってたら偶然できた キラキラ・クルクル の「工事中」 ロゴ。 当初、このサイトのトップページを飾っていました。
 いいかげんにやったわりにお気に入りだったので、捨てきれずここに収録。
 意識して作ろうとしても二度と作れないという、ミステリアスな作品・・・??? (^^;


* その2
 現在のこのサイトの内容とは直接関係ないものの、そのうち役にたつこともあるかも知れない、日本古代豪族の表。
   (株)講談社刊  「週間 再現日本史 第9号 原始・奈良5」 より 

1 蘇我(そが)氏  孝元天皇から出て景行・成務・仲哀・応神・仁徳の五朝に仕えたという武内宿禰(たけのうちのすくね)を祖と称している。仏教伝来の際に馬子が崇仏派となり、廃仏派の物部守屋を倒して、飛鳥最大の豪族として君臨した。しかし入鹿の時、中大兄皇子・中臣鎌子(藤原鎌足)らのクーデターで倒された。
2 物部(もののべ)氏  瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)が天上界の高天原(たかまがはら)から降臨した時に従ってきたという、神代以来の名族。石上神宮を氏神とし、朝廷の武器庫をつかさどった。尾輿(おこし)が大連として大臣・蘇我稲目と勢力を二分したが、仏教伝来に際して守屋が崇仏派の蘇我馬子と対立、五八七年に衝突して滅んだ。
3 藤原(ふじわら)氏  旧姓は中臣で、祖は瓊瓊杵尊とともに天下った天児屋命(あめのこやねのみこと)と伝える。祭祀をつかさどって朝廷に仕えた。鎌子の時、中大兄皇子とともに板蓋宮(いたぶきのみや)大極殿で蘇我入鹿を倒し、大化改新を達成。天智天皇(中大兄)より藤原の姓を下賜され、明治までその子孫が公爵として続いた。
4 息長(おきなが)氏  息長氏の息長帯比売(おきながたらしひめ=神后皇后)は、応神天皇を生み、応神天皇と息長真若中比売(まわかなかつひめ)との間に生まれた若野毛二俣王(わかぬけふたまたおう)の子孫から、現在の天皇家の始祖とされる継体天皇が出ている。
5 吉備(きび)氏  孝霊天皇の息子・吉備津彦命は、崇神天皇の時に四道将軍の一人として中国路に派遣され吉備氏の祖となった。造山・作山古墳など、畿内の大王陵に匹敵する巨大な前方後円墳を築いたところに、この氏族の勢力の強さがうかがえる。
6 大伴(おおとも)氏  瓊瓊杵尊の降臨に随従したと伝える名族。物部氏と並んで、軍事をもって朝廷に仕えた。子孫に『万葉集』の編者・大伴家持、平安時代になって応天門の変で失脚した伴(ばん)大納言義男などがいる。
7 安倍(あべ)氏  祖は孝元天皇の皇子・大彦命(おおひこのみこと)。稲荷山鉄剣の銘にも名が刻まれている。子孫が大和国葛下郡安倍、または十市郡安倍を本拠とした。「百人一首」に入っている安倍仲麻呂、陰陽師として名高い安倍晴明はその末裔。
8 春日(かすが)氏  孝昭天皇の皇子・天足彦国押人命(あまたらしひこくにおしひとのみこと)を祖とする氏族。多くの氏に分かれたが、最も栄えたのは小野氏で、聖徳太子に遣隋使として派遣された小野妹子、平安の女流歌人・小野小町もその子孫。
9 葛城(かずらき)氏  神武・綏靖・安寧の初期三代の天皇の皇后は葛城系から出ていて、天皇家と並び立つ大勢力を誇ったが、やがて大和朝廷の支配下に入る。奈良盆地の中央に広がる馬見古墳群は、葛城氏の墳墓と考えられている。
10 毛野(けぬ)氏  崇神天皇の長子・豊城入彦命(とよきいりひこのみこと)の子孫で、東国鎮定に大功のあった名族。子孫は上毛野・下毛野の二氏に分かれて東国最大の氏族となった。群馬県の前橋・総社古墳群がこの氏族の墳墓とされている。

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