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中原高句麗碑 碑文  (釈文)


 韓国忠清北道中原郡にある高さニメートル余の石碑。1978年に発見された。
 もとは四面にわたって文字が記されていたと推定されるが不明な点が多い。右面・後面の碑文は特に摩耗が激しく解読不能である。
 5世紀前半の高句麗が優位だった時期に高句麗から新羅人に対して書かれた碑文であるとみられ、新羅王との関係は「如兄如弟」と融和的に記されているが、
 高句麗が新羅の高官に衣服を賜授したこと、高句麗の軍官が新羅人を組織したことなど新羅を政治的に下位に位置づけようとしている。
 文体は正格漢文とは異なる半島風の変体漢文である。


【釈文】
<前面>
五月中高麗太王相王公■新羅寐錦世世爲願如兄如弟
上下相和守天東夷之寐錦■太子共前部太使者多兮桓
奴主簿■■■■■■■■去■■到至跪営之太子共■
尚■上共看節賜■■■■■■■賜寐錦之衣服建立■
用者賜之随■■■■奴客人■教諸位賜上下衣服教東
夷寐錦還来節教賜寐錦土内諸衆人■■■■■國土
大位諸位上下衣服兼受教跪営之十二月廿三日甲寅東
夷寐錦上下至于伐城教来前部太使者多兮桓奴主簿■
■■■境■募人三百新羅土内幢主下部■位使者■奴
■■奴■■■■盖盧共■募人新羅土内衆人■■■■
<左面>
■■■中■■■■■不■■村舎■■■■昧■沙■■
■■■■■■■■■功■■■■■■■■節人■■■
■■■■■■辛酉■■■■十■■■■■太王國土■
■人■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■■■■■■■■■上有■■■■■■■東夷寐錦土
内■■■■■方■■■沙■斯色■■■■加共軍至于
伐城丙子■古牟婁城守事下部大兄


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