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* 東京国立博物館 特集陳列 広開土王碑 見学レポート *

展示場所/期間 : 東洋館第8室 / 2004年8月3日(火)〜2004年10月3日(日)


 つい先ごろ 『廣開土境平安好太王 碑文』 (こちら) をUPしたと思ったら、なんというタイミングでしょうか、東京国立博物館で特集陳列があるとの情報をキャッチしました。 今年(2004年)、中国・蘇州で開かれた第28回ユネスコ世界遺産委員会で、「熊野古道」 が世界遺産に認められたので喜んでいたら、北朝鮮の 「高句麗古墳群」、中国の 「高句 麗の古代都市と王族・貴族の古墳群」 も世界遺産に登録が決まったんだそうです。 広開土王碑もこの世界遺産に含まれており、まあそんなこともあって今回の特集陳列の企画になったようです。 ここのところ休日出勤が続き振替休日がたくさんたまっていたので、今日(8月3日/火曜日)なんとか休みを取って、さっそく出かけてみました。

● 勝手知ったる上野の国立博物館。 正門入り口から右手に見える東洋館へまっしぐらに直行します。 
● 展示室へ一歩踏み込んでちょっとビックリ。 「へえっ、こんな大きなものだったのか〜!」

 人ごみが苦手な獺祭は 「見学者が多いのはかなわんな〜(汗)」 と、思っていたのですが、朝一番の開館と同時に入館したので (そのうえ、今日は火曜日なのだ!) 展示室にいたのは係員のおねえさんが一人だけでした。 そのうち見学者がちらほら現れる程度です(上の写真)。 こんなしぶい展示にそうそう人波が押し寄せるわけもないか…。 でもおかげでゆっくり見学できました。 経営的にはともかく、展示物をゆっくり見たいという人にとっては、博物館なんてところはこうでなくっちゃね。 汗だくになって、おしあいへしあいしながら人の頭越しにチラッと見えたなんてのは、ご免こうむりたいものです。 (^^)

 碑文の第一面です。
 どうです。 大きさがおわかりいただけるでしょうか?

 向かって右が 「墨水廓填本(酒匂本) 東京国立博物館蔵」
 中央は 「黒田和子氏寄贈の 拓本  東京国立博物館蔵」
 左が 「東京大学蔵の 拓本」

■ 第一面

@ 墨水廓填本(酒匂本) 東京国立博物館蔵

 写真のショウケースの右下隅に見える説明書きの文面をメモって来ました。

 広開土王碑の存在が中国の識者の注意を引くようになったのは19世紀後半のことである。 初めは紙に文字の輪郭を筆で原寸で描き、そののち文字の周囲を墨汁で塗りつぶして拓本のような体裁に仕立てた。 こうして作られたものを 墨水廓填本(ぼくすいかくてんぼん) あるいは 双鉤仮墨本(そうこうかぼくほん) と呼ぶ。 1882年(明治15年)ころ集安を訪れた日本陸軍の軍人、酒匂影信(さかわかげあき)氏は、一辺数十cmほどの紙に、数文字から十数文字を表した碑文の墨水廓填本131枚一式を入手し、1883年(明治16年)に日本へ持ち帰った。
しかし本来の配列がわからなくなってしまったため、日本の学者が研究し、1890年(明治23)にここにみる形で当館に納まった。 これを 
酒匂本(さかわぼん) と呼んでいる。 その後、第4面の復元は間違っていたことが判明した。 1970年代前半まで教科書に「広開土王碑拓本」として掲載されていたのはこの酒匂本である。

 ふ〜ん。 教科書から見えなくなったのは、復元のときの間違いが多かったのもひとつの理由だったのでしょうか。  拓本でないものを拓本といって掲載していたのもまずかったのか。 帝国陸軍による改ざん論争などもあったし・・・。 いろいろ深いわけがありそうですね。
A 黒田和子氏寄贈 拓本  東京国立博物館蔵

 なんだかぼやけて見えるのは撮影時のカメラの手ブレではありません (あ、ちょっとはあるかも…汗)。 拓本というからには、実際に碑に紙を押し当てて写し取ったものなのでしょうか。 判読できる文字のほうが少ないくらいです。
B 拓本 東京大学蔵

 こ、これは…う〜ん、完全に手ブレです…(T^T) 無念!
 しかし三脚なしでこういうものを撮影するって難しいものですね。 あらためて思い知らされました。

 試みに、@ 墨水廓填本(酒匂本) と A 黒田和子氏寄贈 拓本 の全く同じ部分を拡大してみました。 やはり素人では 拓本 の文字を読み取ることはなかなか困難です。

A 黒田和子氏寄贈 拓本  東京国立博物館蔵 @ 墨水廓填本(酒匂本) 東京国立博物館蔵


■ 第二面

@ 墨水廓填本(酒匂本) 東京国立博物館蔵
A 黒田和子氏寄贈 拓本  東京国立博物館蔵

■ 第三面

@ 墨水廓填本(酒匂本) 東京国立博物館蔵
A 黒田和子氏寄贈 拓本  東京国立博物館蔵

■ 第四面

@ 墨水廓填本(酒匂本) 東京国立博物館蔵
A 黒田和子氏寄贈 拓本  東京国立博物館蔵

 さて、次の展示はなんでしょうか。 なんだか白黒反転した ネガ みたいなんですが・・・?

■ 臨写本

● 第一面

 ここのショウケースの中にも説明書きがありました。

 <臨写本>
 絹に筆で広開土王碑の銘文を書いたもの。 1886年(明治19年)に当館が購入した。
酒匂本が当館に入ったのが1890年(明治23年)であるから、その4年前にあたる。 1883年(明治16年)に酒匂氏が持ち帰った131枚の墨水廓填本を横に置いて写し取ったものと思われる。 第2面と第4面は酒匂本以上に本来の碑文と異なっており、1890年ころ、このような復元試案があったことがわかる研究当初の試行錯誤の一端を伝える資料である。
 当館の記録によれば本品の譲渡者は 
岸田吟香(きしだぎんこう/1833〜1905) である。 岸田吟香は「麗子像」(本館2階第20室に展示中)の筆者である 岸田劉生(きしだりゅうせい) の父その人と思われる。
 1875年(明治7年)の台湾出兵に従軍記者として参加した人物で軍との人脈を持っていたことが想像される。ただ岸田吟香が碑文の一般公開に先立ってこのようなものを作成し博物館に譲渡した事情については記録がない。


● 第二面

こういうのを 『臨写本』 っていうんですね。
しかし、この説明文、ちゃっかり本館の展示の宣伝までしてます。 なんだか、ほほえましい…(^^)
● 第三面

 間違いが多いので 「史料」 として使うのは問題が多いのでしょうが、碑文研究の歴史を垣間見ることのできる 「資料」 ということでしょうか。
● 第四面

碑文の展示はここまでですが、一階入り口で 「釈文」 を無料で配布しているとのこと。 「無料」 という言葉にはめっぽう弱い獺祭は、すぐさま入り口にとってかえします !

 
■ 釈文

● 釈文 : 読みにくい筆跡や漢文を、読みやすい字体・文体に直したもの。


 つまりこのような古い遺物の金石文は、もとの文字がきれいに残っていることが少なく、ご覧のように読みとりにくいものなのです。 そこで研究者がそれをなんとか解読しようとするのですが、それはその研究者の 「解釈」 であって、本来はどういう文字だったのか、本当の 「原文」 がどうだったのか、厳密に言えば わからない んです。 したがって研究者によってその解読結果が違っていたりします。 このようなものは 「原文」 とは言わず、 『釈文』 と呼ぶんですね。


● 金石文 : 金属器や石碑、また墓碑・岩などに鋳刻または彫刻された文字や文章。

 碑の銘文の情報は以上です。
 さて、ここまででまだ午前中ですが、これからどうしよう? まだまだ時間はたっぷりあります。 平成館の考古展示室にも写真に収めたいものがあるし・・・そちらへまわってみようかな〜♪

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