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孫子 抜粋  


 有名な 「孫子の兵法」 です。 私のお気に入りの部分を抜粋しました。 そのうち全文UPしたいと思っていますが、さていつになるか?・・・(^^;
 今わたしたちが手にすることのできる「孫子」のテキストは、1972年に山東省臨沂県の銀雀山漢墓から発掘された漢初の竹簡資料をのぞいて、すべて「魏武注孫子」がモトとなっています。 魏武とは三国志の魏の武帝、 曹操 のことです。 「魏武注孫子」 とは、つまり 曹操 が注釈をくわえた「孫子の兵法」ということです。 曹操 はこんなことまでやっていたのですね。 いささかこじつければ、 曹操 という、かすかな共通項のおかげで、このページも当サイトの主たる内容と無関係ではありません。

 −追記−
 このページをつくってからまもなく 「みずほ銀行」のシステムトラブル が起こりました。 じつに理想的なやりかたで現場を混乱させ、負け戦を演出した 「みずほ」のトップたち にこれをささげます。


始計 第一

 孫子曰く、兵とは國の大事、死生の地、存亡の道、察せざるべからざるなり。

 全編の冒頭部分です。
 「兵法」 という以上、好戦的なもの と単純に思いこんでいた私は、冒頭に書かれているこの一文で驚くとともに感動しました。 もちろん戦争の勝ち方について書いてあるのはそうなのですが、その前に・・・
 
 戦 (いくさ) というのは国の大事であり死生・存亡の道であるから、軽軽しくやるものではない。
 
 と書かれています。 どこかの国の大統領に読ませてやりたいものです。


始計 第一

 それいまだ戦わずして廟算して勝つ者は、算を得ること多ければなり。いまだ戦わずして廟算して勝たざるものは、算を得ることすくなければなり。
 算多きは勝ち、算少なきは勝たず。しかるに、いわんや算なきにおいておや。われは此れをもてこれを観るに、勝負あらわる。

 同じく 「始計」編 より。
 「廟算」と言うのは正確な意味は別にあるのですが、ここでは 味方に勝ち目があるかどうかあらかじめ検討してみること と解しておきます。


 実際にたたかってみる前に、充分な情報を集め慎重に検討してみて、それで 「勝つ」 と結論できるのは勝算が多いからである。 たたかうまえの検討で勝てないのは勝算が少ないからである。
 勝算が多いものは勝ち、少ないものは勝てない。 いわんや勝算ナシなどというのは論外である。  このように事前に充分検討してみることで、おのずと勝敗があきらかになるのである。


 「できるかどうか、やってみなければわからんだろう。 なんでもいいからぐずぐず言う前にまずやれ!」 とかいうような上司がよくいますが・・・?
 成功してこそ意味があります。 慎重にやりましょう。
 なお 「淮南子 兵略編」 にはこのようにあります。
 およそ兵を用いる者は必ずまずみずから廟戦す。 (中略) 故にはかりごとを廟堂の上にめぐらせて、勝ちを千里の外に決すべし。


謀攻 第三

 百戦百勝は善の善なる者にあらざるなり。 戦わずして人の兵を屈するは善の善なる者なり。

 ここも意外に思われるかも知れません。


 百戦百勝するものは真の名将ではない。
 
 といっています。 なぜならそれは、戦わなければならないハメにおちいったから です。 戦いというのは 「死生・存亡」 の時でしたよね。 軽軽しくやってはいけないのです。 だからそんな事態にならないように、あるいはそのような事態になる前に・・・


 戦わずに敵を屈するものこそ真の名将なのです


謀攻 第三

 ゆえに君の軍に患える所以のものに三あり。
 軍の進むべからざるを知らずして、これに進めといい、軍の退くべからざるを知らずしてこれに退けという。これを軍をつなぐという。
 三軍の事を知らずして三軍の政を同じうすれば、すなわち軍士惑う。
 三軍の権を知らずして三軍の任を同じうすれば、すなわち軍士疑う。
 三軍すでに疑い、かつ惑うときはすなわち諸侯の難至る。 これを軍を乱して勝ちをひくという。

 これも 「謀攻 第三」 より。

 主君が戦闘部隊にやってはいけないことが三つある (または 戦闘部隊が忌むべき主君の態度には三つある)。
 部隊が 「進むべきではない」 という状態にあることを知らないで、これに 「進め」 と命令し、部隊が 「ここは踏ん張りどころだ、退却してはいけない」 という状態であるのに、それを知らないで 「退け」 と命令する。 これを軍をつなぐという。
 それぞれの部隊の事情をしらないで、それぞれのまつりごとを同じにすれば、将兵はなにをすればよいかわからなくなってしまう。
 それぞれの部隊の能力をしらないで、それぞれの任務を同じにすれば、将兵は疑心暗鬼になってしまう。
 戦闘部隊がなにをすればよいかわからなくなり、疑心暗鬼におちいってしまうと、内乱がおこり結局国を亡ぼすことになるのである。 これを軍を乱して(みずから)勝ちをてばなすという。
 

 こういうトップもよくいますね。 映画 「八甲田山」 で雪中行軍部隊の指揮官(中隊長)に、あれこれ口出ししたあげく部隊を全滅させてしまった大隊長を思い出します。 味方部隊や敵の様子をいちばんよく知っているのは、現に敵とたたかっている実戦部隊の指揮官 なのです。 場合によっては 「なにもしない」 のが最善の策である場合だってありますよね。


謀攻 第三

 ゆえに曰く。 彼を知り己を知らば百戦あやうからず。 彼を知らず己を知らば、一勝一敗。 彼を知らず、己を知らざれば、戦うごとにかならずあやうし。

 みたび 「謀攻 第三」 より。
 「彼を知り己を知らば百戦あやうからず」 は、あまりに有名です。 ただこれが 「孫氏の兵法」 だということはあまり知られていないのではないでしょうか。 そのあとに続く部分もあまり知られていないと思います。


 敵の情報を充分に集め、かつ自らの戦力を熟知していれば、どれだけ戦っても 「危うい」 ということはない。 敵の情報を知らず、ただ自分の力だけを知っているというなら勝率は50%。 敵の情報も知らず、自分の力も知らないというのであれば、戦うたびにかならず危機におちいる。


 なお、 「彼を知り、己を知らざれば・・」 といういわゆる 「身のほど知らず」 の場合が書かれていませんが、やはり 「一勝一敗」 でしょう。


軍形 第四

 勝ちを見ること衆人の知るところに過ぎざるは、善の善なる者にあらざるなり。 戦い勝ちて天下善なりというは、善の善なる者にあらざるなり。 --中略-- いわゆるよく戦う者は、勝ちやすきに勝つ者なり。 ゆえによく戦う者の勝つや、奇勝なく、智名なく、勇功もなし。 --中略-- その勝ちをおくところ、すでに敗れる者に勝てばなり。 ゆえによく戦う者は不敗の地に立ち、しかして敵の敗を失わざるなり。 このゆえに勝兵はまず勝ちてしかる後に戦いを求め、敗兵はまず戦いてしかる後に勝ちを求む。

 勝ったと誰もがわかるような勝利は最善ではない。 戦いに勝って誰もに 「よくやった」 と誉めたたえられるのは最善の勝利ではない。
   --中略--
 いわゆる真の名将は勝ちやすい敵に勝つのである。 だから真の名将には人目を引くような勝利はなく、智謀の名声もなく、武勇をたたえられることもない。
   --中略--
 それは戦う前からすでに負けている相手に勝つからである。 つまり真の名将というのはみずからは不敗の態勢をたもち、そして敵の敗因をみのがさない。 このようなわけで、勝つ者というのはまず味方が勝てるという状態にしておいてその後に戦い、負ける者というのはまず戦ってみて、その結果勝とうとするものなのである。



 日本人はたとえば源義経のように小兵力で敵の大兵力に勝つようなやりかたや、勝てるはずがない強敵に奇策をもって勝ったものを 「名将」 であると喝采を送りがちですが、孫氏にいわせればそのようなものは真の名将とはいえません。
 これは司馬遼太郎氏がどこかで書かれていたいたことですが、「織田信長がエライのは桶狭間の奇襲戦に勝ったことではなく、小兵力で今川義元を破ったことをその後の 【型】 にすることなく、むしろそれを極力さけて、かりに全体の兵力は敵に劣っていても局地的にはつねに敵をうわまろうとし、また実際にそうして勝ったことです。 この反対が日本の旧帝国陸海軍で、かつての対ロシア戦での勝利 (実はその裏には政治、特に外交がフル回転し、しかも有効に機能した) 方式に安住して勝算のない無謀な対米英戦にこの国をたたきこんだのです」。 正確ではないと思いますが、おおよそ文意はこのようなものであったと思います。
 なにも弱い敵とだけ戦え、弱いものいじめをしろ、といっているわけではありません。 敵が強大であれば、どうすればそのような敵に勝てるか知恵を絞って考え、敵を負けるべくして負けるような状態にもっていき、反対に味方は勝つべくして勝てる状態にして、その後に戦うのです。 そのような人こそ真の名将というのだと孫氏はいいます。 けれども勝てる相手に勝ったのですから、その勝利はだれもが 「当然」 として、賞賛されることもありません。


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