悪路王の末裔・津軽安東氏の場合

津軽安東氏の系図には、反逆者とされた第六天魔王や鬼と化した仲麻呂や安倍貞任などが取り込まれている。しかも、その末裔とする意識は、長い間引き継がれてきた。
十三湊と岩木山

 中世の北奥羽・蝦夷ヶ嶋に、大きな勢力を持った安東氏がいた。
 津軽十三湊(とさみなと)を拠点として、還日本海的な活躍をした豪族とされるが、その実態はいまも謎である。

 その末裔とする系図がいくつかある中で、『下伊駒安陪姓之家譜』(下国家譜)と『秋田系図』には、安東氏の祖は奥州の安倍氏であり、さらにさかのぼれば神武天皇と戦って敗れた、安日・長髄彦の血統を引くという。
 この二つの系図は、江戸初期から中期に書かれたものだが、その原典は戦国時代末期には成立していたのではないかと見られている。 

 特に、『下国家譜』では、安日長髄彦は「第六天魔王の孫」であるとしていて、その後光仁天皇の時、安陪仲丸の息子が天皇に恨みを持って奥州に下り、この一族の一員となったという。その末孫が「安陪頼時・貞任」等であり、下伊駒安陪氏は北奥羽の古来からの血統を継ぐ正統な家系だと主張している。

  『安日・長髄彦』は記紀に登場する人物で、神武天皇東征の時、河内の日下の戦いで破れ、長髄彦は肘たれ、安日は外ヶ浜に追放された土着の豪族である。
 この安日伝説は様々な変容をしながら、津軽地方に独立した勢力圏を造った話に発展した。

 『安陪仲丸』は、遣唐留学生として唐に渡ったが、帰国できずかの地で没した藤原仲麻呂になぞらえられているのだが、藤原仲麻呂には「その怨念が鬼となって人々を悩ませた」とする鬼伝説がある。
さらに、平安末期から鎌倉初期に成立したとされる『江談抄』には、遣唐使吉備真備が唐で幽閉され難問責めに逢っていた時、唐人に殺されて怨念の鬼と化していた仲麻呂が現れ、真備を助けた話がある。
 これは次の「第六天魔王説話」を含めて、節を改めて紹介する。

 『第六天魔王』とは、古代インドのヒンズー教の神で、仏教の中に組み込まれて変身したとされ、イザナギ・イザナミ以前に日本を領していた神とする伝承も残されている。

 『安陪頼時・貞任』は、租税を私したとして、前九年の乱で源頼時・義家に敗れた「東夷の酋長」の一族である。
貞任には、蝦夷ヶ島に逃亡したという伝承もあるが、それよりも、その子・高丸が乳母に抱かれて脱出し、津軽地方に新たな勢力を築いたとする伝承が数多く残されている。
 田村麻呂伝説や悪路王伝説に出てくる「安倍の高丸」は、この「高丸」伝承を引き継いでいる。

  系図に取り込まれたこれらの人物像は、いずれも大和朝廷とは相容れないもので、ここには津軽地方を舞台にした反体制的あるいは反中央的な意識が見られる。

 近世の三春藩主「秋田氏」は、室町時代出羽国秋田城主となった秋田氏が移封されもので、孝元天皇を祖とし、安日をその孫に設定する特異な系図を持つ。

 その系図には、田村麻呂に抵抗した「悪事の高丸」や、「安倍の貞任の後裔・高星(たかあき)」が取り込まれている。

 安日伝説は、鎌倉時代に成立した『真名本曽我物語』にも登場している。

 秋田氏は明治初期に子爵となり、宮内省から系図を求められた際に、「いやしくも皇室につらなる華族が、長髄彦の兄の子孫では困る」と指摘されたといわれる。

 それに対して、秋田家では「当家は、神武天皇御東征以前の旧家であることを家門の誇りとしています。このような系図を正しく伝えているものは、出雲国造家と当家のみしかありません。」といって改正を断ったという話がある。

 実は、断ったのではなく単に「そうですか」と答えただけだという話が、秋田家側からだされている。

 いずれにしても、このような自己認識が相当に長い期間に渡って伝えられてきたのである。


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