3−7.成島毘沙門堂


(成島毘沙門・味噌奉納堂)

岩手県花巻市の東隣に位置する東和町に、成島毘沙門堂がある。

 地天女に支えられて立つ、巨大な兜跋(とばつ)毘沙門天像は、東北古代仏像の中でも、見事に保存された平安時代の仏像の一つであり、国の重要文化財に指定され、今は保管庫に収納されている。山の斜面の建てられたこの堂社は、三熊野神社と並存して祀られていて、敷地はつながっている。達谷窟毘沙門堂の神仏習合した佇まいを思わせる。

 三熊野神社にある案内には、言い伝えによると、延暦年中(782―806)征夷大将軍坂上田村麻呂が、エミシ征伐の時、この地で紀伊の熊野三神に戦勝祈願をしたところ、難なく平定することができ、熊野三山の神威を崇び、その三神を勧請し、この神社を建立した。
 康平5年(1062)源義家が安倍貞任を追撃し、ここに立ち寄った時、神社に鏑矢を奉納し戦勝を祈願したところ、安倍氏を破り、奥羽を平定することができた。
とある。

 すぐ隣にある毘沙門堂の案内板には、「毘沙門堂は、坂上田村麻呂の建立あるいは慈覚大師草創と伝えられています。近年まで堂内には、平安時代に作られた兜跋毘沙門天(国指定重要文化財)が祀られていたことから、古くからこの地域が重要な信仰の場所であったことがうかがわれます。云々」と記されている。

 保管庫に入ると、地天女に支えられた兜跋毘沙門天立像は圧倒するように迫ってくる。地天女を加えると473pの巨像である。左手に自ら守護する宝搭を捧げ、右手には像と同じ長さの戟を持ち、甲冑を纏った姿は、当に北天の守護神といえる。その両脇に藍婆(らんば)・毘藍婆(びらんば)という鬼神が両手を胸に添えて正座している。だがここでは毘沙門に踏まれる鬼神ではなく、毘沙門に祈りを捧げる善神に変身している。その顔の表情には従順な優しささえ感じられる。

 毘沙門堂から保管庫に登る途中に味噌奉納堂という見なれない小さな祠がある。その中に祀られた毘沙門天の像に、持参した味噌を塗って健康を祈願したという。今でもこの珍しい慣習は続けられているのだろうか。

 宮沢賢治に次ぎのような詩がある。

        アナロナピクナビ眠たく桐咲きて

        狭に瘧(おこり)のやまいつたわる

        アビクナビアリナリ赤き幡もちて

        草の峠を越ゆる母たち

        ナリトナリアナロ御堂うすあかり

        毘沙門堂に味噌たてまつる

        アナロナビタナビ

        踏まるる天の邪鬼

        四方につつどり

        鳴きよどむなり

 家族の無病息災を念じて、はるばる峠を越えて来た母たちが、毘沙門像に味噌を奉り祈るのである。だが、ここ成島の毘沙門天像は、一般に見られるような天の邪鬼を踏み伏せた姿ではない。宮沢賢治が詠んだ「味噌奉る毘沙門堂」は別にあるのであろうか。

 同じ保管庫の中に、伝吉祥天立像(国重要文化財)と阿弥陀如来像がある。この阿弥陀如来像の体内に墨書があり、承徳2年(1098)に「坂上最延」が施主となり奉納したとある。田村麻呂の子孫と考えられている。


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