Greifswald,Germany
グライフスバルト、ドイツ
グライフスヴァルト、かな?
写真集はこちら(本文からリンクのない写真も含む)
2003 07 11 リスボン−フランクフルト(翌日のICE車内にて)
リスボンを午前に出て、午後、フランクフルト行きの飛行機に乗る。フランクフルから妻は一人成田へ。
空港で研究室の学生A君と合流。一人で来られたらしいが、なんとスーツ姿。
「親がこれにしろと言ったが、成田で後悔した」とのこと。そうだろうなぁ。。。
中央駅までは電車で少し。ホテルは駅前のエクセルシオール。質素だが、清潔で良いホテルだ。
ホテル前で待つタクシーに乗り込み、居酒屋地区ザクセンハウゼンへ。10Euro.
こっちのタクシーはおとなしく走る。ラテンの乗り物はみんな荒っぽいので、なんだか新鮮。
ザクセンハウゼンはいかにもドイツと言う感じの建物が並ぶ飲み屋の街。木と石と煉瓦。
先ずは腹ごしらえでソーセージなどの盛り合わせ。当然テラス席で食す。ワイン込みで24Euro.
肉、肉、肉+イモ、イモ、イモ+ザワークラウト。添加物なし(多分)は旨い。肉の味、イモの味。
名物のアップルワインはジュースみたいで美味しい。けど、飲めすぎてやばい感じ。
隣の席はおじいさんの集団。アコーデオンを弾いていた。鶏屋に弾きに来てた芸人さんたちの
アコーディオンも良い感じだったが、こっちも楽しそうだ。個人の楽しみなのでチップはいらない。
ちなみに気候は、リスボンより少し湿度が高く感じる程度。J国に比べれは全然低いが。
温度もリスボンと大差なく、涼しい。日の入りも同じくらい。9時頃かな。
食べているうちに暗くなった。居酒屋梯子を始める。
1件目のカウンターでビールを注文。忙しそうに注文をさばく店員たちを見ながらビール。
2件目のカウンターでビールを注文。3件目のカウンターでビールを注文。
涼しい。
人々は陽気に飲む。
フレンドリー。
ここもまた良い国だ。
A君もすっかり気にいったらしい。
2003 07 12 フランクフルト−ベルリン(ICE車内にて)
朝食はホテルで。ハム、ソーセージ類とパン。ジュース、カフェ。料金は宿泊料に込み。
昼前にDBの窓口でジャーマンレールパスを有効にして、ついでにベルリンまでのシートを予約。
駅のカフェの小さなカウンターでアグアコンガス、じゃなかったヴィッサーミットガスを飲みながら
クエートのビジネスマンと立ち話。
11時に列車に乗り込むが、がらがら。予約は必要なかった。。。
ICEの一等車内はさすがに広々としていて、飛行機のファーストクラスっぽい。
車窓の風景はフランクフルトの都会から田舎町にかわって行く。
森と畑の中に茶色の屋根に白い壁の家が点在し、いかにもドイツ。
車内販売のコーヒーが濃くて美味しい。
ベルリン(ホテル内のカウンターバーにて)
ビール片手にここで書いてみたかっただけ。
横には国際会議資料。さっきホテル内のインターネットサービス端末を利用してプリントした。
ちょっと仕事モードに入ってきた。傍目には仕事しているように見えるだろう。
ただそれだけ。
ベルリン(ホテル エクセルシオールにて)
またもやエクセルシオール。チェーンホテルらしい。どちらもappleworldで安かった&良さそう&
駅に近く便利なので、決めた。ヒカルスールー艦長の船と同名だからではない。
たしかフランクフルトもベルリンも80Euro程度。ちなみにリスボンも同程度の価格だった。
フランクフルトのエクセルシオールは質素なビジネスホテル風だったが、こっちは豪華。
ロビーの前にラウンジがあって、奥にバーがあって、そこそこ値の張りそうなレストランもある。
しかもなんと通された部屋はツイン。広い。もちろんA君と同部屋ではなく、二人ともそれぞれツイン。
フランクフルトにはなかったセーフティーボックスもあり、日本語で使い方が書かれている。
正規料金は200Euroを越えるらしい。いいのか?
とりあえずチェックインして、荷を解いてから散歩。カフェが集まる公園にいく。
が、カフェが集まる公園までの道もカフェだらけ。カフェが集まる都市、らしい。
時刻は午後5時。涼しい。日陰で風があると寒い程。小腹も透いたので、休憩。
エスプレッソとツナのオープンサンドサラダ添え。
ドイツではエスプレッソを日本と同様エスプレッソと言う。カフェと頼むと深入りのドリップが出てくる。
でも、深入りドリップもなかなかよい。深入りを濃く入れるので、エスプレッソクアトロ、とまでは
いかないが、なかなか濃厚なものが出てくる。DBの車内で頼んだのがそれだった。おいしい。
しかもマグカップで来るので、量もたっぷりあった。
エスプレッソも普及していて、バルにはマシンがある。あ、ドイツではバルではなく、なんだ?
さて、夕食とその後のスケジュールはどうしよう。
事前の情報では、明日日曜にラプパレードと言うフェスティバルがあるらしい。
今回はフェスティバルの旅だ。しかし事前の情報と違い、実は今日土曜日に開催らしい。
確かに街は賑やかで、髪の毛つんつんにした男とか、いろんな色にした男女とか、
ビキニで歩く女とか、革ジャンにTバックの男とか、裸に全身アミタイツの女とか、
そんなのばかりがいる。しかも街はゴミだらけで、すごい有様。
(翌朝分かったのだが、このゴミは全て朝までに片付けられていた。ゲルマン民族、恐るべし)。
なんでも100万人規模のテクノ系イベントで、あまりの騒音とゴミに反対派もいて、
もしかしたら今年が最後かもしれないと言うものらしい。
せっかくだから参加する。と言っても屋台でソーセージとか買い食いして、ビールを飲みつつ
中心部まで行って来ただけだが、とにかく規模がでかい。うるさい。汚い。反対するわけだ。
昨年から今年にかけて行ったラスベガスを思い出す。大通りに群衆が繰り出して、訳の分からない
盛り上がりを見せるカウントダウンだ。それより規模は大きいかもしれない。
銀座のイベントに新橋から盛り上がってて、連なっているようなものか。もっとかな。疲れた。
ホテル前にも特設会場があり、ここはここで大盛り上がり。ここから歩き始めて、
中心部の4丁目交差点、ではなく「ベルリン天使の歌」にタッチアンドゴー。で、数時間。
リスボンのは老いも若きもだったが、これはかなり若者向け。
さて、明日ベルリン観光。
2003 07 13 (アインシュタインも学んだフンボルト大学付近のカフェアインシュタインにて)
ここは高級カフェ。エスプレッソが2Euro以上、クラブサンドが8Euro。
知的な笑顔と柔らかな物腰のウエイトレスも白いブラウスに蝶ネクタイに黒のエプロン、黒ズボン。
椅子は革張り。エスプレッソは濃厚で、クラブサンドは上品だけどボリュームたっぷり。
ここのトイレは地下にあるが、扉の前には上品に一文字ずつDとH。どっちだ?店員に訊いた。H。
それにしてもヨーロッパの大学はどこも環境良いなぁ。。。文化が違うJ国と比べちゃいけないけど。
大学の正門前には本屋の出店がいっぱい。当然漫画は売ってない。蔦とか絡みまくり。ふー。
(翌日のIC車内にて)
ベルリンには見所が多い。
大聖堂、教会、歴史的な大学や建物。旧東西間の壁、ポツダム広場、凱旋門。
観光バスや電車でこれらを巡る。壁崩壊に立ち会ったわけではもちろんないが、
現地で実物を目の当たりにし、解説を聞くと、そのときの様子がリアルに感じられる。
戦争の傷跡や、ヒトラーの遺産が点在している。もうあんなことはしないとの戒めもあるのだろう。
それらを隠すことなくさらけ出している点が、潔い。
それにしても季候がいい。涼しい。ポルトガルは照りつける太陽に超低湿度で気持ちよかったが、
ここは気温が多少低く低湿度。ほとんど汗をかかない。
緑豊かで虫も少しいるので、湿度は多少高めののだろうが、気温が低いので全く気にならない。
夜はアイスバインをたべに出かけたが、あいにく目当ての店(ベルリン最古のレストラン)は
日曜のため早じまいだった。少し歩いて大聖堂近くの石畳の路地にレストランが点在する
地域に移動。創業5百年の居酒屋(日本にあればドイツ料理屋と呼ばれるだろうが)で
ビールとカツレツとチーズとパン。うまい。実はドイツにはあまり期待をしていなかった。
ビールとソーセージ、ポテト、肉、というとアメリカっぽいし、なんだかあまりおいしそうな国
だとは思っていなかったが、大違いだった。ゴメンなさい。からっと薄くあげた衣付きの
カツレツも、しっかりした味がする付け合わせのポテトもパンもチーズもおいしいです。
ホテル近くのサビニープラッツまで戻り、梯子を始める。「タマネギ魚」と言う名の居酒屋が
気に入ったので、2時まで飲む。ビールは当然、ただ煮込んだだけと思われるスープも旨い。
なんだか地元ぽい人が多く、はしゃぐわけでもなく楽しく飲んでいる。。。
2003 07 14 ベルリン−グライフスバルト(IC車内にて)
ついに最終目的地へのファイナルジャンプ。12時のICは30分ほどの遅れ。
車窓の景色は大都会ベルリンから再び田園風景へ。
真っ青な空にぽつぽつ浮いた雲と、緑の大地。さわやかそうな風景だが、
実は外はとても蒸し暑い、なんてことはもちろんなく、気候もさわやかだ。
この国も、なかなか良いぞ。
列車は、ポーランドの横を上がり、北海へと抜けて行く。
グライフスバルト(Parkhotelにて)
最終目的地、グライフスバルトに着いた。日本語ガイドには載っていない街。
どんな所かと思っていたが、なかなか良い街だ。町、と言うべきかな。
国際会議のレセプションで仲良くなったアルジェリア人は、プリティシティと言っていたが、
まさにそのとおり。小規模で、かわいい街だ。
でも、寂れた街ではなく、北イタリアのコモのような落ち着いた町だ。
ちょっと落ち着きすぎてるかもしれない。多くの店は6時で閉まる。遅くても8時。
スペインやイタリアやポルトガルにあったような、小さな街角の売店もない。
8時を過ぎると営業しているのはカフェ、バル、ビストロ、レストランだけ。
レセプションの後にウェルカムパーティーがあり、その途中で買い出しに行こうと思ったら
どこもやっていない。時間は午後9時。当然まだ明るい。夕方の感じ。でもやってない。
ちなみにウェルカムパーティーは午後7時から11時。A君はスーツを着てきたが、またしても後悔。
ほとんどがラフな格好だ。とりあえず襟付きなら良し。短パンが数名、ネクタイも数名。
普通の国際会議だね。僕は黒のチノパンにポルトガルのZARAで買った薄紫の襟デカYシャツ。
先のアルジェリア人は、ドイツは湿度が高いと言っていた。日本の夏を説明した。
分かってはくれなかっただろうが、力説した。
そんなに暑ければ喉が渇いてたくさん飲むだろうと言われるが、あまりの湿度に飲む気も失せると答えた。
喉では飲まない、肌から水分が吸収されると力説した。納得してない様子。そうだろうなぁ。
アルジェリアはスペインの南、最短距離を船でわたると40分程度らしい。
サハラ砂漠の北側だ。高気温低湿度の最たるところのようだ。アジアには行ったことがないらしいので、
日本を勧めておいた。彼はドイツは物価が高いだの、蒸し暑いだの、散々言う。
罰として高湿度高気温高物価を味わうもよかろう、楽園の住人よ。
その後でオーストラリア人と話をする。ピアスに短パン。さすが南国育ち。スーツのA君、めげる。
話を戻すと、店はどこもやっていない。仕方ないので、カフェで水を買えるか訊いたところ、
ソフトドリンクとビールとワインなら買えるが、ボトルの水は無いとのこと。とりあえずビールを買う。
3本、4.5Euro.ピザはいらないかと言われる。おお、ここはピッツェリアか。すまんがいらないし持ち帰りだ。
10時にホテルへのシャトルバスがあるので、それに間に合うように戻ったつもりが3分遅刻。
バスは出てしまった。さすがゲルマン民族、時間には正確だ。
グライフスバルトの駅まで歩いて、駅前にあったと記憶しているキオスクのような店で水を買い、
タクシーを拾うことにする。目的の店はキオスクではなくカバブ屋だったが、水購入に成功。
ホテルに戻ると、実は受付の裏が小さなカウンターバーになっていることを発見。
カウンターの後ろはレストランで、朝食がとれるのだろう。そっちは電気が消えてるけど、
10人が限界のカウンターだけは明るい。飲めるのかときくと、OKとの返事。
電気が消えたレストランの隅のカウンターには、一人先客が居た。
旧東側のドイツ人だそうだ。だからロシア語が話せる。もちろん我々の共通語は英語。
彼もまた国際会議参加のためグライフスバルトに来ているのだが、話好きで、A君が眠いので
先に帰る言った後も「もう少し飲まないか」と悪魔の誘惑をする。当然、のる。
しばらくするともう一人参加。英語で話しかけるがシャイな反応。隣のドイツ人がロシア語と思われる
言葉で話しかけて、コミュニケートしている。「それはロシア語?」「そう、彼はロシア人」。
カウンターの向こうはドイツ語を話す店員。ドイツ、ロシア、英語が入り交じる。
ベルリンでは、旧ソ連とアメリカ、東西の対立を見た。ドイツと日本は連合国だった。
我々は戦争をした。しかしそんなことはもう我々の妨げにはならない。
話は、気候とか食べ物とか言語の相違とか他愛もないものだが、小さなカウンターで仲良く飲める。
ドイツ人が帰り、ロシア人の巻き舌の英語と会話する。夫婦で寿司が好きだそうだ。
僕もそろそろ退散かな。良い夜を。明日また会おう。
2003 07 15 グライフスバルト(Parkhotelにて)
今日から学会本番がスタート。会場は街のど真ん中なので、セッションの合間とかにすぐ観光ができる。
まぁ、逆かもしれないけど;-p
学会中は原則としてA君と別行動。もう慣れてきただろうし、独力でで色々やるのが彼の勉強だ。
会場は結構狭いので、人々でごった返している。みんな普通の格好。ズボンにシャツ。
ズボンは時折短パンであったりするし、シャツはTシャツだったりする。女性はノースリーブの
ワンピースとか、リゾートな感じが多い。さすが国際会議。リラックスしてディスカッション。
内容はつまらないだろうから、書かない。書けるほどの事してないんだろうとか勘ぐらないように。
今日はだらだらと何度も食事。手始めにカフェでスープとパン。肉のトマトスープ、旨い。
こっちのカフェではどこに行っても本メニューとは別に写真付きのパフェメニューがある。
老いも若きも男も女もみんなぱくぱく食べている。コーヒーは薄目。日本よりは濃いけど。
もちろんエスプレッソもある。でも0.5Euroのエスプレッソに慣れた身には1.5〜2Euroが高く感じ、
もっぱら普通のコーヒー=タッセカフェ(カップコーヒー)。ポットコーヒーもある。
その後、広場に週2回出るらしい出店群でソーセージのパン挟み。(相対的に)小さな丸パンに切れ目を
入れてソーセージを挟んだもの。100gから、50gステップで何種類かあった。
ドネルカバブ。こっちではDo:nerと言う。o:はオーウムラウト。
夕食の時間にはなんとイタリアレストランでカレーライスを食べた。「リゾット デラ カーサ」の説明が
海老入りリゾットカレー風味とか何とかドイツ語で書いてあったので、トライしてみた。
ちなみにここグライフスバルトでは、英語メニューは未だに見ていない。ベルリンではたいていあった。
さて、件のリゾット、一言で言えば海老(だけ)ピラフこってりシンプルクリームシチューカレー粉風味パン付き。
量は日本で言うところの大盛り程度。パンは半分以上残した。でも、おいしい。6Euro+ビール2Euro。
夕食時には風もあり寒かった。みんな寒そうにテラスから室内に避難。珍しく室内のほうが混んでいた。
僕は当然テラスだったけど。ちなみに店名はBella Italia am Fischmarkt.中央広場Marktから聖堂(Dom)
の方を見ると、道の奥にある。
グライフスバルトはフェアヘブン(ヴォイジャーのホロデッキ)みたいだ。
オールドタウン(カリフォルニア州サンディエゴ)っぽい所もある。
グライフスバルト(Parkhotelのカウンターバーにて)
10時になりバーが開いたので、移動。今のところ客なし。後ろは電気が消えた食堂。
コの字型のカウンターは前に4席、右に2席。左は2人用のベンチシート。
店員はなんと、居ない。バーはフロントの後ろ横にあり、フロントのお姉さんが兼任している。
ビールを飲んでいたら、昨日のロシア人が来た。
グライフスバルト(誰もいなくなったParkhotelのカウンターバーにて)
このバーは11時で人が変わるらしい。フロント兼バーの女性(英語が少し話せる)が帰り、
昨日と同じおじさんがバーテンになる。彼はドイツ語とロシア語。我を交えて、ロシア人と
散々話した。大したことではないが、なんだかとても楽しい。
「国際会議はこれが良い」「そうだそうだ」、とまぁそんな話だ。
セルゲイと言う名前らしい。これを書いているのだから当然だが、僕はPCを持っていた。
興味を持った彼は、日本語はどうやって入力するのかと訊く。複雑な日本語入力システムを説明。
さらに彼の名前をローマ字読みにしてから日本語に変換。さらに漢字の意味を英語で書く。
大笑い。おもしろいらしい。
彼とは後日ドイツで行動を共にし、その後何度も各国で会う友達になる。
そうこうしている間にドイツ人登場。昨日とは違う人。フランクフルトからさらに南に数時間行った
所らしい。旧西ドイツだ。ロシア語はだめだけど、日本語が話せる。何故話せるのかは訊き忘れた。
ロシア人は日本の夏の名古屋に行ったことがあるらしい。ドイツ人も日本の夏を知っていた。
ロシアの夏は雨が多いけど20度程度らしい。ドイツは書いてきたとおり。
でもロシア人は雨が多くてロシアの夏が嫌いだと言うし、ドイツ人はグライフスバルトよりずいぶん
南だから地元は暑いと言う。でもエアコンは無いのが普通らしい。それを暑いとは言わない。
妻と1週間の休暇をポルトガルで過ごしたと言ったら、さすがジャパニーズだと言われた。
ロシアの休暇は1ヶ月、ドイツは2ヶ月が標準値だそうだ。
ロシア人は先に帰る。バーテンとの通訳がいなくなった。
英語日本語チャンポンでドイツ人と話す。彼は夏が好きらしい。ドイツ人は暑い暑いと言いすぎだと言う。
でも日本夏はもっと暑いといつもの主張。「ドイツ人に日本の夏を教えてやってくれ」と言いつつ去った。
ロシア人に「同じ職場の数学者がモスクワに行ったが、ホテルは良くなかったらしい」と言ったら、
「200ドル以下のホテルはだめだけど、それは高いだろううから、メールしろ」とのこと。
今日の昼にまたあったアルジェリア人も宿泊先を手配してくれるらしい。国際会議は良い。
結局カウンターで3時間。早く寝ようと思ったのになー。でも楽しいから良し。お休み。
2003 07 16 グライフスバルト(中央広場のカフェlにて)
このカフェに来るのは何回目だろう。ついつい来てしまうのは、風通しが良いからだ。
広場の角に位置し、広場から繋がる道に風が吹き抜けてゆく。Cafehaus Marimar.
アイスコーヒーを頼んでみた。出てきたものはパフェ。ではないけれど、クリーム入りコーヒーに
たっぷりホイップクリームが乗っていて、さらにチョコ粉がかけてあり、クッキーまでついている。
どこにでもパフェがある街、グライフスバルト。手強いな。
それにしても道行く女性たちはおへそを出している。わざわざおへそだけ出るように逆V字形にカット
した服とかも見かけた。おへそを太陽に当てると健康になるとの信仰でもあるのか。もしかしたら
医学的に証明されているとか。妊婦までおへそを出していた。はみ出しただけではないと思う。
へそ出しのため(と言うか腹出しのため)ズボンの固定位置も下だ。腰骨、と言うかお尻の上ぎりぎり。
このお尻の上にタトゥーを施すのがはやっているらしい。絵が多いが、今日は「愛」と書いてあるのを見つけた。
なんだか、妙だ。「尻」とか書いてあったらちょっと注意してあげるのだが、これはお咎め無しにしておこう。
漢字Tシャツも多い。「開拓者」(ロボットの名前とはちょっと違う)とか、「東」(もしかしてアズマさん)とか。
グライフスバルト(Parkhotelのカウンターバーにて)
師匠筋の博士課程在籍のT君と会ったので、二人で夕食。昨日のBella Italia。カレーライスを勧めてみる。
僕は気になっていたパスタ。カルボナーラを注文してみる。うう、やっぱり柔らかい。味は濃厚でいいのだが。
イタリア以外の国はどこでも柔らかいスパゲッティだ。でも安い。5Euro.大盛り。味はいいのだが。。。
ピザを二人で一つ注文。カルネピッツァ、肉ピザ。これは厚手の生地で、ビールに良く合う。おなかいっぱい。
T君はカレーライスが気に入った模様。A君は先にホテルに戻っていたが、戻り際に明日はアイスバインを
食べようと言うことになっていた件をT君に伝え、明日は3人で夕食になった。
T君は一人でベルリン経由グライフスバルト入りしたが、ベルリンでコースで料理を頼んでしまったらしい。
テーブルに並ぶ山盛り料理の数々。壮絶だっただろう。
彼も言っていたが、実はグライフスバルトはあまり湿度が低くないようだ。気温が低いのでまだ良いが、
今日は特にカラっとしてはいないように感じる。とはいえ日陰で風に吹かれると涼しいし、夜の風は寒い程度だが。
虫もそこそこ多い。蚊に食われた。もちろんカフェが入り口を常に開けておける程度しかいないが。
ずいぶんと贅沢を言うようになったものだ:-p
T君と別れ、流れるサックスの調べに惹かれて中央広場へ。広場の端でおじさんが演奏していた。
近くのカフェで聞き惚れる。「虹の彼方へ」とか演奏している。泣かせるねぇ、虹の彼方の国のおじさんは。
数ユーロのチップをサックスケースに入れ、置き石畳の広場に響く物憂げなジャズに見送られながら、
10時のシャトルバスでホテルへ。
そうそう、今日はコインランドリーに行った。学会会場の地元の人だろうと思われる係員に訊いて見つけた。
ちょうど洗濯に来ていたドイツ人親子に助けられ、無事洗濯終了。
グライフスバルト(Parkhotelにて)
上まで書いたら、いつものロシア人登場。カウンター内はいつものおじさん。このおじさん、飄々としていて
なかなかいい味を出す。旧東側なので英語は話せないがロシア語ができる。巻き舌のロシア人が通訳。
グライフスバルトの大規模ショッピングセンターの場所が分かった。バスで少しだ。時間があったら
行ってみよう。ロシア人も妻と娘に土産を買うのがいつもの大仕事だと言っている。
今夜は結局この3人だけだった。ロシアもペレストロイカ以降変わり、東ドイツは西と統一された。
その後各々問題は抱えているが、こうしてみんなで飲めるのは良いね、と静かに語り合うのであった。
2003 07 17 グライフスバルト(翌日のRE車内にて)
昼に、セッションの合間に近郊のショッピングセンターに出かけた。だからカフェでゆっくり書けなかった。
これは翌日の車内で書いている。
RIMOWAの鞄はドイツならどこでもあると思っていたが、ダウンタウンには1件でしか扱っていなかった。
スーツケースで209Euro.税金還元されると2万5千程度か。高くはないが、さらに安値を求めて、
前夜バーでいつものロシア人と一緒にバーテンから入手した情報を元に買い物に行ったのである。
が、無かった。鞄屋のおばちゃんにシティーにあると言われた。おお、イギリス英語なんだ。
このおばちゃん、ドイツ語しかはなさないが、とにかく明るく良くしゃべる。
バルセロナの革屋のおばちゃんみたいだ。
シティーで最初に入った鞄屋のおばちゃんもおしゃべりだった。
結論、革関係の店のおばちゃんは明るくおしゃべり(母国語のみ)。
シティーのおばちゃんはRIMOWAは「ドムパサージュ」にあると教えてくれた。そこが前述の価格の店。
ショッピングセンターのここのおばちゃんも同じことを言う。グライフスバルト市内ではそこだけかな。
明日はエクスカージョンの日なので、他の街を探してみよう。
夕方、T君のポスターセッションがあった。終了後A君を交え3人で食事をする。中央広場にあり、
いつも混んでいる「Zum
Alten Fritz」だ。アイスバインがあるのではないかとホテルの人や学会係員
の人に言われたし、人気がありそうなので気になっていた。席に着こうとするが、あまりに混んでいて、
近くのカフェで待つ。例のロシア人が通りかかり、4人で雑談。大きなステーキの店を見つけたそうで、
彼は今夜もそこにするらしい。
しばらくして再び混雑するカフェ(と言うか夜はほとんどビアホール)へ。当然テラス席に着いたのだが、
ウエイトレスが、雨が降りそうだから中に入った方がよいとみんなを誘導する。中へ。
結局アイスバインはなかったが、スープと肉料理(鶏唐揚げ、豚ロースト、牛ステーキ)とビールを満喫。
当然美味。シンプル。超満腹。エスプレッソで締め。全員で54Euro.
ここのウエイトレスには英語を話せる人が多いので、気になっていたカフェHAGについて訊いてみた。
多くの店にカフェとカフェHAGがあるのだ。でも、見た目の違いはない。味もあまり換わらない。
価格も一緒。解答「カフェインレスコーヒー」。なるほど。
夕方にも一度カフェを飲みにこの店に来た。そのときのウエイトレスと同じ人に訊いたのだが、
我々を覚えていたようだ。多分、アイスコーヒーのせいだ。この街のアイスコーヒーは以前書いた
とおりのもので、ほとんどパフェ。で、カフェコンイエロか単なるコーヒーの氷割りが飲みたくなった。
この日はとても暑かったのだ。朝からどんよりと曇りで、湿度が高い。日本の夏ほどではないが、
暑い梅雨みたいだった。で、頼んでみた。なかなか苦労したが、甘くないアイスコーヒーにありつけた。
実は同日、他の店でもこれにトライした。ウエイトレスはドイツ語しか分からなかったが、何とか氷を
頼めた。と思ったら氷が小皿に載って4つ出てきた。カフェはぬるくなった。熱いより良いが。
さて、夕食に話を戻すと、確かに室内に移動してから雨が降り始め、帰る頃にも降っていた。
雷雨。気温は下がり、またしても寒いくらいに。タクシーでホテルに戻り、またしてもロシア人と飲む。
ここ数日、夜の小さなカウンターバーはほとんど我々が独占。
しかしこのバー、フロント兼任のおじさん一人で朝6時までやっていると言うから驚きだ。
1時からはアメリカ人と中国人、3時からはインド人とスペイン人、5時からはフランス人と
アルジェリア人とか、時間毎の常連でもいるのか?
2003 07 18 グライフスバルト近郊(シュトラールズントのタパス屋にて)
今日はエクスカージョンとバンケットの日だ。要するに中休みだ。
我々はどちらにも参加せず、1日余る予定のジャーマンレールパスを消化するため、
グライフスバルトからシュトラールズント(Stralsund)でICに乗り換え、REでザスニッツ(Sassnittz)
まで行った。近場で路線図上の最北端。バルト海を見てきた。その後シュトラールズントに戻る。
今はそこのタパス屋で食事を待っている。ポルトガルでもタパスバーを見た。入ってないけど。
このスペインのスタイルはとても良いので、あちこちで取り入られているようだ。
さて、メニューは、ソパデマリスコ、ハモンセラーノ(メニュー表記もこのまま)、ポテト。
A君は自分で魚が食べたいと言ってこの店にしたのに、メニューが分からないとうるさい。
どうしろと言うんだ?魚は知らない。
味は、、、スペインには遠く及ばない。ハモンセラーノは切りたてのようでおいしかったが。
やはりここは肉とポテトの国か?
グライフスバルト(Parkhotelのカウンターバーにて)
シュトラールズントはグライフスバルトより数倍大きな街だ。賑やかで見せも多いが、
RIMOWAはなかった。どこにでもあるわけではないようだ。サムソナイトが多い。
結局グライフスバルトのシティーで購入。銀樹脂スーツケースが税引後(多分)180Euro.
今日は涼しい。昨日が特別だったのか、また朝の木陰は寒いくらいの日になった。
夕食は、紆余曲折のため昨日ロシア人に教わったステーキのでかい店に行こうとA君が提案。
地図に場所を書いてもらっていたが、そのあたりには何もない。一本奥の道に1つだけ飯屋が
あったが、インド料理や。でも、イタリアンやドイツ料理もある。謎な店だが、A君入りたがる。
僕はチキンスープとタンドリーチキン、A君はスパゲティカルボナーラ。やはり柔らかい。
でも彼はちょうど良いという。。。チキンは良かったけど、11Euro.トータル29.5Euro.
確かに肉料理はあるが、ここのことなのか?後でロシア人に訊かねば。
関係ないけど、今日はドイツの車椅子に対する配慮を多く見た。バスにはそのためのスペース
がある。通常はシートが上がっていて広いスペースで、座るときはシートを下ろす。
車高が低く、道との段差も少ない。電車にも同様のスペースがある。
段差はあるが、常に係員が乗降を手伝える状態にある。
さらに関係ないけど、タクシーに一人で乗るときはドライバーの横に座るようだ。
ある時後ろを空けようとしたら、前を空けようとしたドライバーと「あれっ」状態になった。
結局そのまま座ってしまったのだが、道を観察したら横並びに乗っているタクシーを見かけた。
ゴメンよ、次は横に座るね。
さらに脱線は続くが、朝食のことを書いていなかったような気がする。どうやらビュッフェ形式の
朝食の典型は、薄切りのハム、サラミ類、各種パン、チーズと飲み物のようだ。生ハムはない。
午前零時、バーテンがドイツ語で「ドイツの彼はエクスカージョンか?」。
英語で「今日はエクスカージョンの後バンケットだから、今頃たらふく食べて飲んでるんだろう」
「ほぅ」。何だか通じてるから良し。
グライフスバルト(翌日のParkhotelのロビーにて)
しばらくしたらみんな帰ってきた。ロシア人も帰ってきた。バーに顔を出し、荷物をおいてくると言って
去ると、二日目の日本語ができるドイツ人が来て、すぐに初日のドイツ人も登場。ロシア人が戻って
きて、常連(?)4人とバーテンおじさんを交えて盛り上がる。ゴルバチョフの功罪とか、紅茶の飲み方
とか、アメリカの政治姿勢とか、ポットに付いた茶渋の取り方とか、結局2時半まで飲んでいた:-p
「とてもおもしろかった」と口々に言い、お開きになった後で即ベッドへ。明日は僕の発表日だ。
2003 07 19 グライフスバルト(Parkhotelのロビーにて)
夜(と言ってもまだ明るい9時頃だが)、部屋に戻ったが暑かったので、ロビーの窓際のスツールを
借りて書いている。部屋は西日が射すので暑いが、ここは快適そのものだ。どうやら昨日一昨日が
異常気象だったようで、蒸し暑いし小さな虫は大量に飛ぶし、日本の梅雨のようだった。
しかし今日は多分普通。日差しは強いが木陰は涼しく、風が吹くと寒いぐらい。
今日は発表の日だった。いくつか反響もありなかなかおもしろかったが、例によって研究の話は
つまらないだろうから省略。反省:次回のポスターはもっとシンプル&アトラクティブに作ろう。
このあたりの建物にはどこもエアコンがないので、昨日一昨日の会場内は暑かったが、今日は
ちょうど良い。もちろんスーツなど着ていなければの話だ。例によってみんな短パンであったり
ポロシャツであったり、涼しげな格好だ。僕はポルトガルで買ったZARAのパープルシャツ(ラテン系
なので襟がでかい)+黒のチノパン。涼しげだ。本当に涼しい。日本の学会でもやりたい。
発表後に昼食に出ると、例のロシア人と遭遇。一緒に件のイタリアンでリゾットを食す。
料理の話などをして、買い物に。しっかりとした厚革の仕事鞄を買う。109Euro.格安。
と、ここまで書いていたら近くにいたフロントの女性が「今晩は良い晩ね」と言う。
単なる挨拶かと思ったら、なんと昨日と今日そして明日はグライフスバルトの祭りだそうだ。
港の方でフェスティバルがあるので、みんな盛り上がっているらしい。時間は今10時。
A君を誘うが、すでに寝ていたらしく、再起動不能。例のロシア人はまだ帰ってきていない。
と言うわけでどうしようかと思いながら、例のバーのカウンターで続きを書いている。
今日のバーテンダーは若いまじめそうなお兄さん。いつもの人は休みだそうだ。
なんと彼はグライフスバルト大学の学生で、学費を稼ぐためにアルバイトしてるそうだ。
で、「アルバイト(アルバイテン)」と言うドイツ語はすでに日本化している話などをする。
声をかけた彼女は仕事が終わり、同じカウンターに座る。なんだか某カフェドーマみたいだ。
僕がどこでも同じ様な行動をしていると言う話もあり、両者の交点にこの光景がある。
このホテルはフレンドリーというか、何というか、なんだか客と従業員の間が近い。
「ランドリーサービスはあるか?」と訊くと、「無いので、洗ってこようか?」とか。
下着類だったので遠慮したが。下着は前述のごとくコインランドリーで洗った。
少し不足したが、例のごとく買った。世界をまたにかけパンツを買う男だ。
彼女と彼と電話のことなどについて話す。僕は首からモトローラの電話機を下げていたが、
彼女曰く「それは変だ、そんな人はいない」。とりあえずジャパニーズスタイルだと反論するが、
確かにこんな人は他にいない。変なのでやめる。はっきりとものを言う。ちょっと気に入る。
さらに彼女から重要な情報を入手。なんと明日はフェスティバルなので街のレストランなども
休みになるらしい。なんてこった、明日の午前で学会が終わり、次の朝までフリーなのに。。。
フェスティバル行こうかな。しかし本当にフェスティバルにばかり当たる渡航だ。
グライフスバルト(Parkhotelにて)
で、やっぱりロシア人登場。一緒にフェスティバルに行く。語る。ビール飲む。
「これは小さいラスベガスみたいだ」と僕が言うと、「カジノでルーレットしたか?」と彼。
「スロットしたけど、そういえばロシアンルーレットって有名だよね?」、
「でも、ロシアでもポピュラーだけど、みんながロシアンルーレットしているわけではないよ。
そういう意味でのポピュラーではない」。大笑い。
フェスティバルはヨーロッパ形の移動遊園地+出店で、なかなかに賑やか。
革のカウボーイ風の帽子に目をとめた彼がそれを被ってみる。店員の初老のおじさんが来て、
「どこから来た?」「日本とロシアだ」。店員は僕の肩を抱いて夜空を指さし、ゆっくりと「我々は皆、
一緒に同じテントの下に住んでるんだ(英語)」。おお、良い事言うねぇ〜。帽子買わないでゴメンね。
零時過ぎにホテルに戻り、再びバーで飲む。例のアルバイター(意味は彼にも説明済み)が
待っていて、3人でビール。「日本は良い国だったかもしれないが、今ではいろんな問題がある」、
と僕が言うと、「ロシアも同じだ、いろんな国がそれぞれに問題を抱えている」。ロシア人は明日の
聴講のために先に帰り、アルバイトの彼と語る。議題はアイスコーヒー。前述したように、ドイツ
(またはグライフスバルトまたはハンザ同盟エリア等々)でアイスコーヒーを飲むのは至難の業だ。
何回もトライしたが、一度しか飲めていない。彼にそのことを話した。彼は他国(もしくは他エリア)の
「アイスコーヒー」を知っていて、労せずして飲める所を一軒だけ知っているという。
しかし一番良い手は、グライフスバルトの人々に「アイスコーヒー」を教えて回ることだと言う。
田舎に住んでいるが世界(もしくは他地域)を知って、問題意識のある若者と言うこところか。
ワールドワイドパンツバイヤー、黒船になることを決意。
彼にドイツ語で「僕はこれが飲みたいんだよー」と説明を書いてもらう。明日トライだ!
2003 07 20 グライフスバルト(Parkhotelのロビーにて)
ついに帰国前日である。午前中で国際会議は終了。ヨーロッパらしく、表彰の合間に
クラシックを演奏したり、なかなか良い感じでクロージングセレモニー。
さて最後に買い物でも、といきたいところだが今日は日曜日。駅とガソリンスタンドの売店以外、
店は完全にクローズである。カフェとレストランはやっているが、数は少ない。
と言うわけで買い物はできないが、グライフスバルト最終日、のんびりと過ごすのも悪くないだろう。
手始めにカフェで昨日の「正しいアイスコーヒー」の紙を見せる。
出てきたものはエスプレッソドピオに氷が数粒。。。4Euro.
ぬるいと冷たいの間。ちなみにグラスではなくコーヒーカップ。手強いな。
昼は柔らかいスパゲッティが好き(!)なA君が食べたいと言って例のイタリアンへ。
僕はミラノ風カツレツ。食後に再び正しいアイスコーヒーにチャレンジ。
説明書はバージョンアップしている。即席で図解が加わったのである。
注文後トイレに行くときカウンターの前を通ったら、「ミルクはいるのか?」と訊かれる。
「いらない」。「ブラックか?!」。「そうだ」。
帰りがけに、これで良いのかと製作途中のものを見せられる。やはり氷が少ない。
ムーチョムーチョイエロ、とか何とか(ホントは英語で)言って、量を倍にしてもらう。
そしてテーブルに運ばれてきたものは?
おおおおおおおおおおおおおっ!
ついにキンキンに冷えたアイスコーヒー!カフェコンイエロドピオ!
氷山盛り、グラスには霜がつき、いっぱいまでコーヒーで埋まっている。おまけにストローがささっている。
長い戦いだったが、ついに我々は勝利した。グライフスバルトの諸君、これが正しいアイスコーヒーだ。
まぁ正しいってのは相対的なような気がするが、いいだろう。とにかく飲みたかったものなのだ。
しかし時はすでに滞在最終日、明日は早朝にこの街を出てしまう。残念ながらグライフスバルト全域に
正しいアイスコーヒーを広めることはできなかった。そこで後進のため、ここに傾向と対策を記す。
1.傾向
・(多分ヨーロッパ全般で)キンキンに冷やすという概念がない。
・「氷」はドイツ語で「アイスEis」だが、アイスと言えばアイスクリームの類だと思うらしい。
・たとえ「氷」の意味するところが分かってもらえたとしても、出てくるのは数粒である。
・さらにそれは可愛い別皿にちょこんと4つ盛られていたり、カップのコーヒーに溶かされていたりする。
・通常の図解では分かってもらえない。アイスクリームをグラスに入れるのか?とか言われる。
2.対策
・少なくともあのアイスコーヒーに入ってる「氷」を、その概念がない人々に正しく説明できるドイツ語を覚える。
・できれば数百ページに及ぶ詳細なドイツ語のレシピを事前にドイツ語ネイティブに用意してもらう。
・ただし、そのドイツ語ネイティブはグライフスバルト流の甘いアイスカフェーのレシピを書くかもしれない。
今日もフェスティバルの日だ。そして日曜だ。街の中央広場、マーケットプレイス(Markt)は閑散としている。
カフェにも人はまばらだ。アイスコーヒーに満足しつつ、イタリアンのテラスでで2時間以上涼む。気持ちよすぎ。
A君は散歩に行った。そのまま歩いてホテルに帰り、帰国準備をするらしい。
日は燦々と射しているが、シティーは閑散としている。店も皆閉まっている。
フィッシャーマーケット広場の池では子供たちが水遊びをしたり、泳いだりしている。犬も泳ぐ。
親たちも裾をまくり上げ水に浸かる。水から上がるとすぐに乾く。
中心部をはずれ、行ったことのないエリアを散策する。公園がある。ベンチで休む。
みんな水着で寝転がったり(日向の芝生)、本を読んだり(日陰のベンチ)、お話ししたり(木陰の芝生)、
絵に描いたような休日だ。どっこもかしこも気持ちがいい。良い陽気すぎるな、これは。
あたりを巡り、広場に戻る。日が傾き、教会が長い陰を広場に落とす。カフェで広場を眺める。
このまま帰るのは寂しすぎる。
フェスティバル会場に行く。港も涼しい。埠頭の先端に向かい歩き出すが、なんと店が次々と閉まってゆく。
おお、今日は早じまいか。日曜だもんな。昨日がクライマックスだったのね。屋台で買い食いする。
焼きそば屋台のアジア人は揚げ物をおまけしてくれた。店は閉まって行き、人々は帰って行く。
寂しさは解消されないようだ。夕日になりかけている空を複葉機が駆けて行く。
タクシーでホテルに戻る。そうそう、やはり助手席に乗るのが習慣だった。
こっちの助手席は日本の運転席側なので、ちょっと変な感じ。
グライフスバルト(翌日のICの車内にて)
当然のことのようにロシア人と飲む。バーテン(兼フロント)はバイトの若者。
3人でまた雑談。一昨日まで毎晩いたおじさんは別の場所で仕事らしい。昨日もそうだったようだ。
別れを言いに来た。相変わらずドイツ語vs.英語なのだが、態度とは裏腹にさんざん文句を言っている
わけではないだろう。なんだか味のある良いおやじだった。
若者にグライフスバルトはどう思うと訊かれる。良い街だが、アイスコーヒーとスパゲッティは改善の
余地有りと答える。若者も、なんとロシア人もアルデンテパスタを知らなかったので、うまさ力説。
二人ともイタリアに行くべきだと決めつける。ロシア人の家の周りには3軒のレストランがあるが、
2軒が日本食、1軒がイタリアンらしい。彼は明日の帰りがけにベルリン観光をするらしい。
若者は日本の奨学金制度について訊いてきた。日本に行くのか?超蒸し暑いぞ。
などなど話をしながら、午前零時を過ぎる。零時に上がろうと行ってなかったか?
でももう一杯飲んでお開き。結局同じ電車だと言うことが分かり、じゃあまた明日。
2003 07 21 グライフスバルト−フランクフルト(ベルリンからフランクフルトへのICE車内にて)
タクシー2台でグライフスバルト駅に向かう。ロシア人とその同行者&我々。
駅には「バーンホッフ」、つまり「駅」と書いてある。外から見るとどこの駅だわからない。
ホームには「グライフスバルト」と書いてあるが。この辺はどの駅も外から名前が分からない。
長距離を電車移動の我々は1等車両、短距離のロシアチームは2等のIC列車だ。
途中でロシア人がやってきて、コーヒー飲みにバーに行くかという。
とりあえずエスプレッソを飲んだのだが、続いてビール。朝8時。これじゃホテルのバーと
変わらんと笑うが、二人とも眠くなったので各々のシートへ。本当に変わらん。
2等はあまり良くないらしい。長距離なら1等が正解とのこと。
確かに快適だ。元々ゆったりとした作りだが、乗客も少ないので超広々。
「じゃ、ベルリン・ツォーで会おう」とか言っていたが、結局これが最後の対面となる。
確か昨日はベルリン・オスト駅下車だと言っていたような気がするので、そこで降りたのだろう。
帰ったらデジカメ写真送るついでに訊いてみよう。彼とは専門がちょっと違うのだが、
またどこかの学会で会うだろう。
今列車はベルリンを出て、フランクフルトに向かっている。
全然関係ない話だが、ベルリンではブラジャーをしない女性が多い。
グライフスバルトのおへそタンクトップはまじめでおとなしいファッションなのだ。本当か?
ついでに、こっちでは髪を部分的に赤紫にした元々黒髪の女性を時折見かける。
さらに脱線する。そもそも本筋など無いが。
グライフスバルトでバッグを2個買った。例のRIMOWAと、丈夫そうな革の仕事鞄。
RIMOWAは革鞄を買った店で紹介された。時系列で整理するとRIMOWAの購入が先だ。
そこでタックスフリーはできるかと訊いた。知らないらしい。店員はほとんど英語ができない
ので、本を見せて賢明に説明するが、日本語の本に書いてある少しのドイツ単語しか
彼女には手がかりがない。で、どこかに電話をした。で、分かったらしい。
しかし最初から税金分を引いた金額を請求するのだ。「良いのか?」「これで良いらしい」、
とそんな会話をしたつもりだが、お互いの発する言語の10%程度しか理解できないので、
怪しいもんだ。書類は部分的にガイドブックと同じだが。。。「これで終わり?」と訊くと、
「後は空港で」だそうだ。何が起こるんだ、空港で?
革鞄の店では定価請求。だが前のレシートを見せるとどこかに電話して、「間違った
みたいだけど、あなたはカードで買ったから引き落とされちゃう。だから税引きの差額を
バックするね」(多分)と言う。結局定価のレシートが添付された書類と、税引後のレシートが
添付された書類を得た。なんだかよくわからん。。。何が起こるんだ、空港で?
帰路(ANA210便機内にて)
タックスフリーに関するすべての謎は解けた、と思う。一部は推測だが。
どうやらガイドブックとかに書かれている免税方法は簡略化されたもので、基本的な方法は
以下のようである。まず、当然何か買い物をする。しないで戻ってくると儲かるが、無理だ。
その店で、レシートを添付した免税用の領収書をもらう。税込み&税抜き金額と税額と店名
などがかかれたものだ。これを空港に持って行く。機内持ち込みでない荷物の場合(つまり
この場合ではRIMOWA)、セキュリティチェックを受け、航空会社のカウンターでチェックイン
してクレームタグをつけてもらった後、別の場所(タックスリファンドなどと言えば分かる)で
品物を見せ、その場で住所氏名を書き込んだ紙にホチキス留めしてもらい、捺印してもらう。
その後また別の場所で、機内のコンテナに積んでもらうため荷物を預ける。捺印場所は非常に
分かりにくい、係員に開けてもらうドアの向こうのガラーンとした場所の一角。到着地での手荷物
はベルトコンベアーに乗って出てくるが、それを受け取る場所、の未使用地帯?。少なくともその
時間には可視範囲のどのコンベアーも動いていなかった。預けるのは同じ部屋の捺印と逆サイド。
次に、パスポートコントロールを通り、搭乗口付近まで行く。そこにタックスバックとかタックスリファンド
とかの看板を掲げたわかりやすい窓口がある。そこで払い戻しをうけるのだが、これだと手数料が
差し引かれる。確か税額15Euroに対して7Euro程度しか戻らないと言われた。もっと金額が上なら
相対的に払い戻し分が増えるのかもしれないが。税額に対するパーセンテージ?一律?バイアス?
何らかの関数?詳細不明。
さて、ここまでは単なる手続きだった。が、ここからタックスミステリーの謎が解かれて行くのだ。
まずはRIMOWA。これは払い戻しをうけているから、作った書類を店に送れば良いらしい。
この場合、手数料などはかからない。少なくとも私には。税金分16%まるまるゲット。
正確には、返送切手代の0.55Euroだけ必要だった。封筒はもらった。
つまり仲介業者であるリファンド窓口の手間は捺印程度で、これで手数料くれとは言わないのだ。
販売店のリスクはあると思われる。客としてはすでに税金が戻っているのだから、不慣れなドイツで
上記の過程を経て店に送り返す書類を作り、封筒をゲットして送り返さなくても、おそらく損はしない。
後で国税局査察班とか、国際刑事警察機構とかKGBとかFBIとかMIBとかに追いかけられて、命がけの
逃亡の末、実はすべてが仕組まれた罠だったことが明らかになり、昔の仲間を集めて反撃に出たりは
しないですむと思われる。要するに、グライフスバルトの店員(の電話相手)は、僕が必ずや複雑な過程を
クリアし、書類一式を返送してくると信じ、自らのリスクを省みず、払い戻しが最大になる方法を選択した、
とも考えられる。まぁ単に、「こうするんじゃないのかなぁ?」「ふーん」程度だったのかもしれないし、実は
返送した書類など対して重要でもなく、店独自に免税できるのかもしれないが。
結局ミステリーはあまり解けていないのだが、とりあえずはすっきりした。
さて次は、レシート額は税引き前で、その金額をカードで支払い、レジからキャッシュで払い戻しをうけた
革鞄の店の場合。この場合、もし僕が何も言わなければ2重にリファンドされただろう。
最初はこの方向で話が進んでいた。つまり、物品の定価を支払い、リファンド窓口で税金の払い戻しを
うける、通常の手続き。ただしこの場合だと手数料が引かれるので、16%まるまるは戻ってこないので、
窓口のおばちゃんは「ちょくちょくドイツに来るのなら、再度買った店に行った方がお得よ」と言う。
なるほど、要するに小売り店でできる免税手続きを代行するから手数料がかかるのね。
普通、店はリスキーな手を使わないだろうから、最初から税引きなどしないで、払い戻し窓口で代行して
もらうのだろう。これなら購入者が手続きをすれば税金が戻るし、しなければ戻らないだけだ。普通。
事情を説明したら、それなら払い戻しは終わっているから、書類を返送、、、以下同文。
しかし全額払ったように見えるあの書類で、店はちゃんと免税処理ができるのだろうか??。
やはりミステリーは解かれていない。
2003 07 22 帰路(ANA210便機内にて)
いつから22日になったというのかよく分からないが、とりあえず22日なのである。
成田(電車にて)
なんと日本は気温が低い。空港外の温度計は23.7度を示していた。湿度は当然高いが。
しかし気温35度、湿度350%、不快指数3億5千mmHg/A程度を想像していたので、
ちょっと肩すかしである。このまま2ヶ月気温が上がらないことを祈る。
そうそう、アイスバインは結局最終日近くになって食べられた。こてこて。