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黒字に悩む??ロシアの2005年度国家予算

 

       6182005年のロシア連邦の国家予算案が閣議で承認された。これについて、詳しいことは別として、ニルス・ヨガンソン氏の簡単な、しかしある意味で的を射た感想が、622日付ロシア誌「イトーギ」に掲載されている。内容は概略次のようなものである。

      

       2005年度のロシアの国家予算の基本数字が決まった。歳入は31030億ルーブル(国内総生産の17.2%)、歳出は29160億ルーブル(国内総生産の16.1%)である。この場合予算黒字額は1870億ルーブル(国内総生産の1%)となる。

 

       支出の構成は殆ど前年どおりで、防衛・治安維持費に国家予算の31%、地方交付金が30%、教育、保健、体育、文化に11.5%が支出される。さらに非常に古めかしい名称の項目「国家の一般的諸問題」に16.8%が費やされる。この場合諸官庁関係の支出を大幅にカットすることとし、各分野の省庁にはそれぞれの計画を20%縮小することが勧告されている。

 

       石油の輸出で得られた「余剰」資金は、例年通り経済安定化資金に向けられる。しかし来年は、いままで厳重に「手をつけることが許されなかった」この安定化資金の「取り崩し」が問題となる可能性がある。と言うのは、原油価格の高騰テンポがあまりにも急激なので、安定資金と言うカネを入れておく「大きな壺」が予定した期限前に満杯になってしまうと言うのである。そのときには資金の一部を使うことが可能となるが、この場合には年金基金の赤字補填に使用されるであろう。しかし、金融相はこのような措置には反対である。彼によれば、安定化寄金の取り崩しは、「蓄積した予備資源を燃やしてしまうようなもの」であって、インフレの激化と、望ましくないほどのルーブル価格の高騰を招くに違いない。「手を触れてはいけないからこそ『安定化資金』と名づけられているのだ」と金融相は言っている。

      

       議論の種は尽きないものだ。それにしてもカネの使い先を見つけるのに苦労するとは、ロシアの歴史でもなかったことであろう」

- というのがこの小論のオチである。

 

       さて、実際にはどうなるのであろうか。以下は、筆者の意見である。

 

        実は、ロシアは、2001年に均衡予算を組み、その後毎年黒字予算を組んでいる。これが何とか達成されている主要な理由は、石油・ガスの世界的な高騰のためである。また1998年のデフォルトも、金融財政状態の好転を招いた。その後ロシアの経済は「好調」に転じたのである。

 

しかし、このような数字であらわされた経済と、ロシア国民の生活と経済の改善・安定とは同じではない。ロシアの民衆は以前から「貯蓄銀行」に預金するよりは、タンス預金に蓄えるのが伝統的な「貯蓄法」だと言われていた。しかしルーブルのデフォルトで庶民が得をしたと言うわけではないだろう。同じく1998の1月に行なわれた1000倍の「ルーブルのデノミ」もロシアの庶民にプラスをもたらしたとはいえないだろう。このような過程を通じて、一方で富裕層が現れたが、ロシア連邦創設以来、相変わらず「芽が出ない」のがロシア庶民の生活である。

 

さらに根源にさかのぼれば、ロシア連邦の歴史は庶民の収奪の歴史である。エリツィン大統領とガイダル首相代行は、1992年に製品価格と賃金の国家統制廃止(価格と賃金の自由化・ショック療法と呼ばれる)をおこなった。これは「企業管理者」たちによる気違いじみた製品価格高騰を招いたが、エリツィンは半年間賃上げ要求を差し控えて忍耐することを国民に呼びかけた。労働組合と一般庶民は、おめでたい限りであるが、だまってこれに従った。その結果事実上の賃金凍結が行なわれ、庶民は一朝にして「全般的貧困化」状態に陥った。もちろんそれまでの「タンス預金」もパーになってしまった。

 

その後「企業民営化」が行なわれた。労働者各人は自分が働く企業の「帳簿価格」の分け前として株式を受け取り、あるいは「市場化証券」を受け取って「企業の株主」となったが、短時日のうちに、企業幹部たちがこれを二束三文で買い集めて企業を支配するようになり、結局ソ連時代の「企業管理者」層が新しいロシアでは「企業主」となった。

     この中から、今日の百万長者たち(「オリガルヒ」など呼ばれる独占資本の頭領たち、たとえば石油王ホロドコフスキーや、オネクシムバンク創設にはじまり第
1副首相を経て現在は「持ち株会社インテルロス」の総裁となっているポターニン、テレビ王として君臨して追放されたベレゾフスキーなどがその代表格)が現れた。このような「財界エリート」の出現過程では、エリツィンの下で「企業民営化」過程と「地方交付金」を担当していた副首相チュバイスなどが大きな役割を果たした。例えば、次のような例がある。ロシア政府は、北方地方にたいしてあらかじめ「越冬資金」を支出していた。ここまではいいのだが、そのカネを地方に送ることを、一般の私営銀行に委託した。これらの銀行はこの金を秋まで自分で運用して金利を稼いだ。ひどい場合には、地方に送らずにフトコロに入れてしまった例も報じられている。チュバイスは現在「電力公社」社長として電力網を握っているが、今では「ロシア国民に最も嫌われている人間」と言われている。

     このような企業民営化過程における企業管理者層の「企業主」への変身と、その後の企業の再編を通じての企業の巨大化、大資本家の出現の過程は、例えば、下記の山村理人氏の論文などで追及されている。

          http://src-home.slav.hokudai.ac.jp/sympo/533/yama.html

       

華やかな支配層・エリートたちの出現とはうらはらに、ロシアの一般国民の貧困状態は決して他の文明諸国に追いついたわけではない。社会的な不安定もや地方格差も改善されたわけではない。毎年極北地域や極東地域などでは冬になると停電や暖房切れ騒ぎが起きる。

 

国家予算を見ても、まず第一にチェチェン戦争という大出費とともに、マフィアや悪徳実業家の跋扈を抱えて、非常に大きな軍事費・治安費が維持されている。20世紀始め以来、どんな小さな戦争でも世界的な意味を持っている。国内にせよ、国外にせよ、およそ戦争をやっている国が、安定して長期的に栄えた例はない。戦争状態においては財政規律も社会規律も、経済倫理も維持することはできない。ロシアでは中小銀行の取り付け騒ぎも最近頻発している。「戦争で儲けた」とされる米国でさえも、第1次大戦の後しばらくしてバブルがはじけて大恐慌に見舞われている。

 

「黒字財政」について言えば、予算の均衡は国家財政において基本的な要求であると筆者は考えている。国家の赤字財政は結局は庶民にその帳尻を持ってくるものであり、現在と未来の国民に災難をもたらすものである。この点では、筆者はプーチンの行きかたのほうが日本の政府よりはましであると評価してている。(ロシアの国家財政の構成及び規模と日本の国家財政を比較することは、私たち一般人にとっては困難である。但し、「日本国勢図会」第61版の記述を引用すれば、「日本の一般会計の公債金は2003年度当初予算では36兆4450円、うち赤字国債は過去最大の30兆円台に達した。一般会計に占める国債の割合は、44.6%で、予算の半分近くを借金で補うことになる」と言うことである)。

  1989年、当時ソ連科学アカデミー経済研究所所長であったアバルキン(彼はその後の副総理の職を経て現在は再びロシア科学アカデミー所長である)が来日したとき、その通訳を務めた私は、随行していた同研究所ボガチョフ副所長から、次のような話を聞いたことがある。すなわち、来日の直前に、アバルキンが研究所全員を総動員してデータを集約し、ソ連共産党中央委員会の数日間にわたる会議において、ソ連国家財政について「深刻な批判」を行なったが、ソ連首脳部は聞く耳を持たなかった、と言うことである。このとき、アバルキンは日本の経済学者との対話において、「生産財(この場合はA部門)の優先的発展は社会主義の基本的法則ではない」と述べて、ソ連の伝統的財政政策であった重工業、実質的には軍事産業重点主義を否定している。(専修大学社会科学研究所月報311)。このことからも、アバルキンの「深刻な批判」の内容は推察できる。アバルキンはこのとき日本における公開の講演会ではソ連経済の見通しについて楽観的な報告をしていた。しかし、講演後、近しい仲間で夕食をしたとき、当時朝日新聞記者であった白井氏が、「あなたの言われる楽観論がもし外れたら、ソ連はどうなるか」と質問したことがある。アバルキンは一瞬苦渋に満ちた顔をしたが、「そのときには労働者たちは自分の工場でシガレットライターでも作って日銭稼ぎでもせざるを得なくなるであろう」と答えた。
  
  結局その翌々年ソ連は崩壊し、労働者たちは「日銭稼ぎ」をしなければならない事態になった。アバルキンが実はそれを予想していたことが伺われる。この「深刻な批判」の後、アバルキンは、ソ連の環境のなかで、機会あるごとに、経済政策の基本として「身の程にしたがって生きる」ことを強調していた。ロシアになって、この意味での「黒字財政」が実現したのは、プーチンになってからである。現在アバルキンは、プーチンを基本的に支持して、「国に秩序を与えた」として彼を称揚しているが、その中にはこの財政均衡主義も含まれていると思われる。しかし同時にプーチンが「社会経済政策を変えることに未だ成功していない」、としてまず「ロシアの経済学者、なによりもまずロシア科学アカデミーの研究施設に集まっている主導的な経済学者の声に耳を傾ける必要がある」とアバルキンは述べている(「ロシア・ユーラシア経済調査資料」864号」)

  現在のロシアは、サミットで肩肘を張って列強と付き合い、西側金融界における「格付け」の向上などに懸命であり、
また、EU(ヨーロッパ連合)との競り合いに火花を散らしている。予算黒字の継続状態はこのようなロシアの国際活動には、一応の追い風であることはたしかである。(財政均衡は、EU加盟の条件となっている)。現在の黒字財政は、ロシアの西側との関係における「金融上の評価」、「信用」を高めるものではある。しかし、現在の国家予算の内容が本当にロシアの「身の程」に相応しているであろうか。このことは充分吟味する必要がある。

 

その内実を見れば、「石油バブル」にロシアの経済の重要な部分が乗っかっていると言う点で、ソ連時代と本質的に変っていないことを示すものだと見るべきであろう。例えば、農業生産はソ連解体以降90年代を通じてずっと低下を続けてきた。今世紀に入って穀物の収穫は増加したが、今年はまた落ち込む懸念が出ている。これは、ロシアの食糧安全保障の深刻なもろさを示している。

 

       プーチンが「経済における政府のプレゼンスの程度を大幅に低下させて、市場経済の深化・発展を図る」ことに取り組んでいることは確かで、大局的には評価すべきであろう。しかし、多くの役人や省庁がいろいろな「プロジェクト」を打ち出してカラ手形を乱発し、結局国全体を潰してしまったソ連時代の悪習から、ロシアの中央や地方の政治家や役人たちが抜け切れているとはいえない。

 

       地方交付金の大きさを見れば、国会議員たちの面目にかけての「国家予算獲得競争」の激しさも思いやられる。ロシアの議員たちは「支持母体のための政府交付金と好条件の獲得」こそ自分たちの使命であることをはばかるところ無く公言し、「族議員活動(ロシア語では「ロビー活動」)なくして政治なし」と言ってている。彼らは「祖国」とか「国家」とか言う言葉が好きであるが、本当に国家と国民の大局的な利益と言う立場からモノを考えている連中は少ない。国家予算の収支状況が好調となれば、いっそう「我が田に水(カネ)を引く」ことに精を出すであろう。

 

       これはロシア経済の発展にとって決していいことではない。このような経済と政治の「癒着」は、とりわけ地方政治の腐敗の克服を妨害するものとなっている。この現状は、一面では外国からの投資の安全度に不安を持たせる要因ともなっている。これは極東の状況に端的に現れている。わが国からロシア極東の都市に進出したホテル資本の大きな部分は、地方官僚と結託した現地経済界によって「合法的に」乗っ取られてしまった。(北海道新聞情報研究所、情報研ブックレットB:「ロシア極東−市場経済化の10年」、55ページ)

 

また他面では、この腐敗を利用して外国の資本が入り込んできた場合には、国民経済の倫理的基盤と国民の利益を擁護する点での脆弱さとなるであろう。現在、プーチンが石油資本の代表者ユコス社長ホロドコフスキーを逮捕したり、一部のオリガルヒに厳しい態度をとっているのは、このような点でのロシアの弱点、特にオイルマネーの国外流出や外資を含め大資本による資源のつまみ食い、政治にまで影響を与えるような私的独占化などの危険を承知しているからであろうと私は見ている。ホロドコフスキーの投資行動において、「短期マネー」を追う投機的手法が目立つことは、わが国の研究者からも指摘されている。これは、アップストリーム開発に足を置く石油資本にはふさわしくないものである。

( http://www.jnoc-rp.jp/papers/2002/200211sakaguti_russiasekiyu.htm - この労作はその後ネット上から削除された模様です。:筆者)

  この「短期マネー」を狙う方法のひとつを例に挙げれば、鉱区の資源調査を行い、資源量を発表すれば、その会社の株式の市場評価価格が上がることがあるのを利用する方法である。日本でもしばしば利用される。

  石油マネーの流出と似た現象として、日本とロシアの間では、魚類が不法に日本に輸出されていることが知られている。200247日の北海道新聞社説が指摘しているところでは、1999年の日本の統計によれば、ロシアからのわが国の水産物輸入高が約217千トンであるにかかわらず、ロシアの統計による対日輸出量は29600トンである。すなわちロシアの税関が捕捉しているのは、実際の対日輸出量の14パーセント以下に過ぎない。

( http://www001.upp.so-net.ne.jp/dewaruss/fishinships2.htm )

 

       全体的に見ると、ロシアの経済の脆弱性と問題点は、「数字」の好調さにもかかわらず、非常に大きいと見るべきであろう。

 

       さて、一見したところロシアはわが国とは異なる状況にあるように思われるかもしれないが、このように見ると、わが国の状況と似ている点も多い。我々にとっても、この「プーチンの黒字財政」の行方は、やはり他山の石として見守る価値があろう。

 

                                                                                                                出羽