昭和42年高校3年の時に普通免許を取得してから早くも32年その間色々な車に乗ることが出来ました。多少の事故もありましたが五体満足に今いられるのも幸運だったとご先祖に感謝しています。自動車保険が年齢で料金が区別してあるのも理解できるこの頃です。このページでは車とのつき合いを日記代わりにつけようと思っています。
 オーストラリアタスマニア島でのターマックラリー。
1993HondS800-1 1993HondaS800-2
1994Honda S800
FIA公認に昇格、まさに公道レース。タスマニアを駆けめぐる。
1996年タルガタスマニア全38ステージマップ.PDF
1997MGF Targa Tasmania
サーキットでの体験談、フォーミュラーカーのすばらしさ。
MGF-Race11 LotusF111F3000
 免許取得からの車体験、色々乗ってみました。
  鈴鹿S8001111 斑尾高原イベント1 Rocket

自動車競技と言っても種類、規模と千差万別、時代時代によって変化している。私の関わりはほんの少し、偉そうに書き残すことなどない。只経験した事実をありのままに書き残したい。
良い時代に生まれた私達世代は団塊の世代。免許を取得自動車に興味を持ち始める時期が日本のモータースポーツの黎明期と重なるのです。どうも人間は本質的に闘争心がDNAに組み込まれていてすぐに競争する。走ること。跳ぶこと。投げること。何でもそして勝者には祝福、敗者には時には死。自動車が発明されすぐに路上では競争は始まった事は想像に間違いない。貴族や裕福な人達は結構楽しんでいたに違いない。だんだん暗黙のルールが出来、クローズされた道路を使い、サーキットの建設に至ったのでしょう。歴史は他の本などにまかせます。第1回日本グランプリに代表されるレース、アルペンラリーなどの国内ラリー、人気の高かったジムカーナなどが底辺を広げ発展してきました。ワークスティームの参加、有力はプライベーターとオイルショックまで一気に盛り上がりを見せました。

レースではサーキットは船橋、富士、鈴鹿があり初期の頃は輸入車特にロータス23B.エラン.エリート。ジャガーEタイプなどが活躍していましたね。日本車ではスカイライン54B.HondaS800.S600.トヨタS800.が活躍していました。耐久レースも多く開催されグループ7のモンスターとS800などが混走していました。トヨタ7の早さも富士で見ることが出来ました。死亡事故の多かったのもこの頃です。残念なことに多くの若者が亡くなりました。身近では同級生だった中野雅晴君が富士で死亡しました。黒沢選手のSRやスカイラインGT-Rの快進撃もすごかったし、ライバルRX3.ToyotaRT55の追撃も楽しかった。私の中では一番輝いて見えた時代と言えます。自分たちの乗っている車と外観はそっくり同じ、チューニングも今となれば大したこと無いレベルの頃ですから。お金もそんなにかかっていないでしょう。ホンダS800の10000回転を越すエキゾーストノート、ロータリーのうるさい音今でもはっきり覚えています。匂いはカストロールの植物油の香ばしいかおり。まさに夢と憧れのサーキットでした。結局この憧れのサーキットを走るのはこの頃から数えて18-20年後になるのです。夢は叶います。

筑波サーキットでLotus Esprit GT3
今気に入っている1972Ferrari Dinoをしばらく紹介します。前にも乗っていたことがあるのですが今の黄色のGTSは数年前Ferrari355を手放して手に入れたもので、まずまず程度は良い方でFiscoを全開で数周してもOKでした。天気が落ち着いたら写真を載せます。現在の問題は数カ所ペイントにブリスターがありどうしようか迷っています。あまりお金をかけたくないので。ヒーターのききが良くない。前のオーナーのつけたスピーカーが良くない。若干エンジンのタイミングチェーンが伸び始めている。などありますが良く走ります。なぜ355から変えたのか?確かに以前乗っていた328.348より数段スポーティーでエンジン、6速ミッション、デフギアのレシオどれをとっても優れています。燃費もよいです。高速では約150km巡航で7-8km/Lは走ります。ギア比の関係で高速の巡航は以外に回転が上がり結構うるさいのです。確かに良い音ですが長時間だと結構疲れてしまいます。女房は355は嫌いです。あと幅が広すぎて日本の一般的な峠は走りにくい、左ハンドルも不利です。トランクスペースが旅行には無さすぎる。Dinoは偉い。トランクスペース充分、ギアリングOK、車幅もピッタリ、動力性能も今の私には充分、音はなかなか良い。早い車にもあおられない?と言うわけでしばらく可愛がってあげます。
1
index 〉car