2000.03.26
お釈迦さまてどんな方だったのだろう?日本人は宗教心がうすいといわれる。確かに海外に出てそう思う。でも日本人は不幸でもない。私は平凡的な日本人、お墓参りや法事などで手を合わせるだけ、般若心経も聞けば分かる程度。一緒に勉強してみましょう。勧誘でも何でもないですから誤解の無いように。
生没年不詳。 仏教の開祖。本来釈迦とは、ネパール地方にすんでいた部族の名だが、一般にはこの部族出身の聖者の個人名としてつかわれている。ただしくは「釈迦牟尼」といい、仏教徒は「釈迦牟尼世尊」または略して「釈尊」とよんでいる。ほかに「釈迦牟尼仏」「釈迦仏」「釈迦牟尼如来」という呼び方もある。
釈迦の姓はゴータマ、名はシッダールタだが、さとった者の意である「仏陀」という呼ばれ方もする。その生没年については種々の説がある。大別すると、没年を紀元前544年か前543年とする南方仏教の説、前486年ごろとする大乗仏教の説、前383年ごろとする日本および欧米の学者が提唱した説の3つにわかれているが、80歳で没したことは定説とされている。釈迦の伝記はほとんどが神話化されているが、仏教以外の資料をつかうことで、その歴史的人物像の概要もかなり把握されている。

なぜお釈迦様かというと生誕の地と言われるネパール・ルンビニを訪れたことに端を発する。後のアショカ王も証明している。始皇帝に興味を持っていることはご存知と思いますが、その約300年前の事です。日本は弥生時代大和朝廷まで700-800年前の話になるのです。
釈迦は、北インドのカピラバストゥの釈迦族の国王、浄飯王とその妃、摩耶夫人の長子として生まれた。伝説では夫人は白象が胎内にはいる夢をみて釈迦をみごもり、ルンビニー園を遊歩中に右わきから出産した。生まれたばかりの釈迦は7歩あるいて、右手で天、左手で地をさし、「天上天下唯我独尊」ととなえたという。中国や日本ではこの日を4月8日とさだめ、灌仏会をおこなう。
マーヤーは釈迦の生後7日目に没するが、釈迦は王子として大切にそだてられ、16歳で結婚、長子羅c羅(らごら:ラーフラ)が生まれた。このころから人生の問題になやむようになり、29歳のころ出家する。釈迦の出家について「四門出遊」の伝説がつたえられている。彼が郊外にでかけようとして、東西南北の4つの城門をとおったところ、老人、病人、死人、出家者を次々にみかけ、深く感じるところがあって出家をこころざしたという。
当時の王子さまの生活がどのようなものか想像は難しい。インド北部で国境を持つネパールの村ルンビニは亜熱帯気候の暑い地方です。海抜100m程度の平原は毒蛇やサソリの生息する厳しい条件だったに違いない。それにしても子供もいるのに出家するのはかなり勇気のある若者である。それも修行の為にその地位を捨てるのですから。運命に呼ばれ家族に後ろ髪をひかれ城を後にしたことでしょう。私なら城でえばってる。
出家した釈迦は2人の有名な仙人について修行し、禅定をまなぶが、数カ月で2人の教理を理解し、それに満足できず、つづいて断食の苦行をおこなった。はげしい苦行を6年間つづけたが満足はえられなかった。苦行の無意味さをさとった釈迦は、苦行を中止し、ネーランジャラー川のほとりで、村の娘からもらった乳がゆを食べて体力を回復してから、ブッダガヤーの菩提樹の根元で瞑想にはいり、悟りをえて仏陀となった。釈迦が35歳のときといわれる。伝説ではこのとき、天の悪魔が釈迦の悟りを妨害しようとして大軍をつかわしたが、釈迦はこれをことごとく降伏させて、悟りをひらいたという。これを「降魔成道」といい、中国や日本では12月8日のこととさだめ、成道会をおこなって記念する。釈迦の伝記や諸種の経典では、成道以前の釈迦を菩薩とよび、成道以後を仏陀とよんで明確に区別している。
これから釈迦の伝道生活がはじまる。まず、苦行時代の友人である5人の修行者に自分のさとった内容をつたえるため、ワーラーナシー郊外のサールナートにある鹿野苑にいき、そこで最初の説法をした。これを初転法輪という。そしてこの5人の修行者によってサンガとよばれる最初の仏教教団が形成された。ついで釈迦は、マガダ国、コーサラ国などを中心に伝道してまわり、カーシャパ3兄弟をはじめとして、舎利弗、目連の2大弟子や迦葉など多数の弟子をえた。また故郷にもかえり、息子の羅c羅、いとこの阿難や提婆達多らを出家させて仏教教団にいれた。在家の信者で仏教教団に援助をおしまなかった者も多く、マガタ国王、コーサラ国王をはじめ、長者とよばれる商人階級の有力者もいた。彼らが最初の仏教寺院である竹林精舎や祇園精舎などを寄進したという。
釈迦は45年間にわたって伝道してまわったのち、クシナガラ郊外の2本の沙羅双樹の下で80歳の生涯をおえた。この釈迦の死(入滅)を涅槃といい、中国や日本では2月15日に涅槃会をいとなんで、この日を記念する。なお後世の仏教徒は、釈迦の生涯における重大事件として、誕生、降魔成道、初転法論、入滅の4つをえらび、これがおこったルンビニー園、ブッダガヤー、鹿野苑、クシナガラをもって四大聖地としている。

文献を読むとサンスクリット語にお目に掛かる。オウムが使った言葉なども発見できる。それらの集大成した仏教がやがて日本に渡り広まっていく。しかしまだ時間はかかる。
釈迦の思想は、仏教の中心をなすものであることは疑いないが、釈迦自身による著作はなく、すべて伝承である。また、「対機説法」「応病与薬」といわれるように、釈迦は相手の能力や素質に応じて、その説く内容をかえた。それだけに彼の思想を固定的、体系的に把握することは困難である。しかしながら、仏教の基本的な教理を形成している、四諦、八正道、縁起説を釈迦の教えに帰すことに問題はないであろう。彼は人間の生存、もしくは存在そのものが苦であるという事実を直視することを人にすすめ、その苦の原因は過度な欲望にあるため、その欲望をなくすことによって苦を脱却できることをおしえたのである。
ここら辺から具体的な話として分かりそうな気もしてくるが、修行もしない私には分かりそうもない。一言で言う欲望が問題なのであり、無くすことでしか幸せになれないのですから。
四諦 
仏教の中心となる教説で、人間の生存そのものがすでに苦であるとする考え方を具体的にしめし、苦からの離脱を体系的に説いたもの。四聖諦(ししょうたい)ともいう。「諦」という字は日本語では「あきらめ」とよむが、語源は「明らかにみる目」で、つまびらかに道理を明らかにするという意味である。漢字の「諦」は真理とか悟りの意味で、仏教ではサンスクリットのサティヤの訳としてもちいる。四諦とは釈迦の説いた「4つの真理」、苦諦・集諦(じったい)・滅諦・道諦である。釈迦はさとった直後、鹿野苑で最初の説法をおこなった際に四諦を説いたとされるが、体系的にまとめられたのはかなり後のことと考えられる。
(1)苦諦は、現世が苦であるという真理をしめしたもので、四苦と八苦にわける。四苦は、人間が生存するうえでの生、老、病、死の4つの苦をいう。ここで生苦とは出産の苦しみではなく、輪廻するこの世界に生まれることがすでに苦であるという考え方である。この四苦のほかに、人生における愛別離苦(あいべつりく:愛する者とわかれる苦)、怨憎会苦(おんぞうえく:にくむ者にであう苦)、求不得苦(ぐふとっく:もとめるものがえられない苦)、五取蘊苦(ごしゅうんく:物質、感覚、表象、意欲、思惟という存在の基になるものすべてが苦であること)の4つの苦をくわえると八苦となる。
(2)集諦は、苦の原因についての真理で、はかない物事に対する人間の欲望、執着と生々流転する無常の世界に対する人間の無知が苦の原因であると説く。
(3)滅諦は、欲望と執着をなくすことによって苦をなくすことができることを説明した真理で、苦をとりのぞいた理想の境地である涅槃について説く。
(4)道諦は、涅槃に到達するための修道法「八正道」をおしえた真理。
四諦説は、集諦が苦諦の原因であり、道諦を実践することで滅諦にいたるという2つの因果関係もしめしている。四諦を医療行為にたとえると、苦諦は病状を知ること、集諦はその原因を探求すること、滅諦は回復すべき健康状態のこと、道諦は治療法のことであるといえる。ここから四諦を説いた釈迦を大医王とよぶこともある。四諦説は現実世界を苦とみる否定的な世界観を基底にし、苦を超越する方法と境地を説いたもので、十二因縁、八正道とともに、仏教思想の根幹である。
だんだん疲れてきたことと思いますが、分かりやすいと思いません?言っている事は納得出来ると思います。それではどうすれば良いのだろう。

八正道 
原始仏教のころから説かれている仏教の代表的な修行法で、涅槃にいたるための実践の徳目を8つにわけて説いたもの。ただしくは八支聖道(はっししょうどう)といい、内容的には四諦の中の道諦を具体的に説いたものである。
(1)正見。ただしい見解を身につけるという意味。仏教の世界観、人生観である縁起、四諦を理解して、仏教の根本的な真理を知り、それを体得することを強調している。
(2)正思惟。ただしい考え、四諦にもとづくただしい判断、意志決定をなすこと。
(3)正語。妄語、悪口、両舌(中傷)、綺語(むだ口)といった悪果をまねくような言葉を口にせず、ただしい言葉づかいをすること。
(4)正業。殺生、偸盗(ちゅうとう)、邪淫などの悪業をおかさず、善行をつむこと。
(5)正命。生活を規則ただしくおこない、身・口・意の三業をただしくたもって生活すること。
(6)正精進。ただしい努力、ただしい勇気をもって涅槃の境地へむかうこと。正業、正命をおこなうために、悪を未然にのぞき、善をたすけること。
(7)正念。正精進をすすめ、思慮・意識を欲からはなし、いっさいの邪念をたって、心をただしくもつこと。散漫な意識をさけ、無常、苦、無我といった仏教の基本の教えをつねに念頭にたもつこと。
(8)正定。つねに禅定によって心をしずめること。精神の安定をたもつことが、物事をみきわめ、ただしい行動をおこなうために重要であるとする。

八正道は、涅槃へいたるための段階をしめしたものというよりは、その道筋を8つの角度から述べたもので、8つの各道は相互に関連していて、1つを実践すればほかの7つも必然的にふくまれるという関係にある。
どうですか皆さん?1-8まで出来てますか?いくつ出来てます?せっかくお釈迦様は凡人にも分かりやすく説いて下さったのだから少しでも努力しましょう。オウムをかっこだけまねしないでここを実践すれば良かったのに、急にハウマゲドンの世界に変わってしまう。ご都合主義では困ります。

阿弥陀浄土図(重要文化財)京都知恩院

立像の阿弥陀三尊の上方に、雲にのる仏菩薩、比丘形を左右に相対させ、下方には蓮池を配する。池中よりのびる蓮台に坐して阿弥陀を跪拝する九人は九品往生を示している。池の周囲には、孔雀や鶴などが描かれ、花鳥画の趣きを見せる。宝楼閣や舞台もない単純な構図ではあるが、きっちりとした形態をとる各々のモチーフは金泥や明るい顔料で施色され、にぎやかさを失わない。
図の右手下方に竪に半ば切れて「淳熙癸卯仲秋望日晝」と読める落款がある。
もう十年以上前ですが私の家は浄土宗で町田市の養運寺というお寺の檀家です。その旅行で知恩院に一泊したことを思い出しました。知恩院内に宿泊施設がありまして多くの方が利用しています。但し、禁酒だったように覚えています。

縁起 
この言葉は「縁起がいい」「縁起でもない」「縁起をかつぐ」などと一般にもちいられているが、本来は仏教に起源をもつ言葉で、因縁生起(いんねんしょうき)という言葉の略語である。この言葉は、「あい縁(よ)りて、ともに生じる」という意味のサンスクリット語、プラチートヤサムトパーダを漢訳したもので、現象世界には固定的・不変的・実体的なものはなく、あらゆる事物は他のものと相互に関係し、依存しあっているという、仏教の中心思想をかたっている。
縁起説の誕生
釈迦はみずから「縁起をみるものは法をみる、法をみるものは縁起をみる」といっているように、縁起の規定をくわしく考察することによって悟りをひらいたといわれる。
釈迦の思索は「人生は苦である」ことから出発し、苦の根源が何であるかを探求した。その探求の中で、苦の根源を縁起の理法によって考察し、人生は無知であるために迷いがおき、まようために事物に欲望をもち、欲望によって事物に執着し、執着するために苦しみが生まれると考えた。ここから、無明(無知)・愛(欲望)・取(しゅ:執着)の三支縁起説や、無明・愛・取・苦(老死ともいう)の四支縁起説が生まれ、時代がくだると、無明から苦にいたるまでの中間項がふえ、ついに12項目をかぞえるまでになった。
縁起説は苦の原因がなんであるかを分析的に追究し、その原因が、すべて相互依存的に存在するということを認識した。さらに、その相互依存の関係がなくなったときには、あらゆる事象の実体性もなくなるとした。こうした見解を「空観」という。
これに対し、いかにして苦を克服し、解脱(げだつ)するかを説くのが「四諦」である。四諦は、「苦・集(じゅう)・滅・道」の4項目をたて、苦諦で苦の現実を説き、集諦でその原因を明らかにし、滅諦で苦を滅する方法を説き、道諦で八正道の実践によって涅槃(ねはん)にいたることを説く。これは涅槃に達するための縁起説であるということができ、十二因縁説と四諦は、縁起説の中でいわば車の両輪のような関係にある。
縁起説の発展
仏教の発展にともなって、縁起説にもさまざまなものがあらわれてきた。それらを大別すると、時間的因果関係にあるものと、空間的相依関係にあるものとにわけられる。時間的因果関係にあるものには「業感(ごうかん)縁起」「阿頼耶識(あらやしき)縁起」「如来蔵(にょらいぞう)縁起」などがあり、空間的相依関係にあるものには、「空」の思想や「法界(ほっかい)」縁起がある。
「業感縁起」は小乗仏教が説いたもので、輪廻(りんね)にもとづいて十二因縁を説き、12の縁起の項目は過去・現在・未来の三世にわたってつらぬかれるとしてそれぞれに配分する。
「阿頼耶識縁起」(頼耶縁起ともいう)は大乗仏教の唯識学派が説いたもので、業感縁起を心理学的に発展させたものである。人間の心の奥底に想定される潜在意識である阿頼耶識が原因となって、あらゆる現象世界がつくりだされるとする縁起説である。
「如来蔵縁起」(真如縁起ともいう)は、阿頼耶識縁起をみとめたうえで、人間の心の根本には清浄な本性(如来蔵)があるとする立場である。空間的相依関係を重んじるもののうち、いっさいの永遠不変な実体の存在をみとめない「空」の思想も縁起説の中に集約されるといえる。
「法界縁起」はおもに華厳宗で説かれる縁起説で、一個の人間がいかに全世界と関係をもっているかを説いたものである。宇宙のすべての事象が相互に依存し、関係しあっているとするこの思想は、「一即一切、一切即一」とよばれ、個はすなわち普遍であり、普遍はすなわち個であるという哲学的判断に達している。

無明 
一般には、「無明の酒に酔う」「無明の闇にしずむ」などというように、欲望や煩悩にふりまわされて、心がみだれている様をいうときにつかわれる。
無明とは、言葉の意味としては、真実を知らないこと、無知ということである。仏教の重要な術語のひとつで、十二縁起(因縁)の最初の項目としてあげられている。
十二縁起の第1因
十二縁起は、人生の思いどおりにならないこと、つまり「苦」がどのようにして生じるのかというプロセスを12の項目によって説明したものである。その12の項目のうち、中核となるのは「無明(無知)セ渇愛(根源的欲望)セ取(執着)セ有(迷いの生存)セ老死(苦)」という図式である。
仏教では通常の欲望を、本能的な「根源的欲望(渇愛)」と、それが対象にむすびつく「執着」とにわけて考える。欲望がはたらきでると、わたしたちは、すべては変化のプロセスにある「無常」なものであることを知りながら、無常としてあるがままにうけとめることはできない。だから、うしなわれたものをいたずらにおしみ、なげく。
無常ということは常に変化するということだから、たとえば、若さや命、あるいは恋愛のように自分でいつまでも今のままでいてほしいと思うものも、しだいに姿形をかえ、おとろえたり、なくなったりしてしまう。つまり、どんなものも「これがわたしだ」とか「わたしのものだ」とにぎりしめられるものではない。このことを「無我」という。
わたしたちの欲望、煩悩は無我なる真実をそのまま無我とうけとめられない。真実を真実としてうけとめられないから、これを迷いの生存という意味で「有」という。これによって「老死」に代表される「苦」、つまり思いどおりにならない人生の不安が生じる。
このように、人生の苦は無常や無我などの物事の本当のあり方、真実を知らない無知すなわち無明からでてくることから、十二縁起の冒頭に無明という項目がおかれているのである。
しかし、重要なことは、この無知とはけっしてたんなる知識の欠如ではないことである。実例をしめしていうなら、わたしたちは親しい人の死にあったとき、それはもはやさけようもない無常の事実であることを理屈ではわかっても、心は納得しないで、傷つく。バブル経済崩壊で財産をうしなったとき、いまさらどうしようもないことを知りながら、財産はいつまでも自分のものとしてにぎりしめていられるものではないという無我の真実に身体はうなずかず、悩む。
無常なるものを素直に無常とみ、無我なるものをあるがままに無我とみる智慧(ちえ)すなわち「明」を身につけることはきわめてむずかしい。それは知識ではなく、身体でうなずき、生活の中でわたしたちを前向きに生かしてくれる智慧だからである。わかってはいても、心がはれない「愚かさ」はすべての人間に共通するものであろう。だからこそ、無明は人間存在そのものに特有の根源的な「愚かさ」であり、底なしに深い無知なのである
最後の部分ははっきり言って難しい。分かったような気はしても体や心中では疑問を持っている。さりとて、人生に失敗したり、事業に失敗して逃げ場にするのもどうかなと思う。要するに現在の自分の愚かさに気がついていない、また知っていても本心が動かない。
それは知識ではなく、身体でうなずき、生活の中でわたしたちを前向きに生かしてくれる智慧だからである。わかってはいても、心がはれない「愚かさ」はすべての人間に共通するものであろう。
まさにそのとり私は凡人代表ですから、、、
参考文献:microsoft encarta
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