かって、「芦屋エスペラント会」があった...

Iam estis Aŝija E-Societo...


 

Barbro kaj Eriko (バルバラとエリーコ) (262)


バルバラとエリーコ

Alios Schneider kaj Magda Carlsson
著者 アロイス シュナイダー と マグダ カルルソン
日本語に対訳:中村正美
注と解説:土居智江子



(14.7 cm x 20.9 cm x 0.7 cm  99頁、 Montaro, 2009年)
(900円 + 税)

Unu vorte: 何度読んでも、そのエス文の簡潔さ、美しさに感心する。今後も、折に触れ、読み返すつもり。

・原作は1933年に出版された。『エスペラント四週間』(大学書林)に大島義夫氏がオーストリアを日本に変えて ”Ponto super Norda Poluso" として大幅に翻案(改作)し掲載。このアイデアは、初学者にエスペラントの魅力を知らせることに大成功だったと思う。

以下は前回、読後に書いた本書に対するコメントです。
Unuvorte
*「やさしいエスペラント対訳読み物」と題されて出版された装丁も印刷もすばらしい本。字も大きく簡単な単語まで訳がついていて、字引なしに読める。入門を終えた学習者におすすめ。


読書メモ
*私が最初に読んだ時の薄っぺらな冊子を同時に紹介しようと、本棚を探したが見つけられなかった。今度の本は紙質もよく版形も大きくなっていて、本棚の中で見当たらなくなることもないだろう。

*大学書林の『エスペラント四週間』で、教材の一部として使われた往復書簡集、
"Ponto super Norda Poluso(極北にかける橋)"はこの「バルバラとエリーコ」が下敷きになって、長野に住むマサオ君とスウェーデンのローザさんの間に交わされる手紙となっている。日本の初心者にはこちらの方がずっと読みやすいだろう。

*初心者は主語が最後に来る文体、形容詞が後におかれる文体が多用されるので、最初は戸惑うかもしれない。すぐ、なれると思うが...

*エプリル・フールでの挿話("Pinglosemon venigu al mi!" の pinglosemo は何のこと?)がどこが面白いのか分からず、編集者(土居さん)は文通相手に問い合わせたそうだが、分からずじまいだとある。良心的な本作りであることがうかがわれる。

*それでも、気づいたニ、三のミスプリなど…面白いことに、対訳本では右側にある対訳でミスプリが救われる!:
16頁8行目 "100-procenta esperatistino  →  "100-procenta esperatistino"
20頁下から5行目 Folorj  →  Floroj
68頁5行目 fiela  →  fidela
60頁の脚注(4)は、「兄の名前」とすべき …これも対訳があるので救われる!
92頁本文下から5行目 Mi klinas min, proponante ...  という文章に関して klinas の単語としての訳もなければ、対訳側にこの文章のニュアンスを伝える訳もない。翻訳の難しさがチラッとのぞく箇所である。すっ飛ばしてしまえば良いのだが、原文が左側にあるのでそうは行かない! 

*旧版と同じく6枚のやや不鮮明な黒白写真が挿入されている。うち2枚は著者らの写った写真。一枚はラップランドの絵葉書!!! スキーを履いたラップ人とトナカイとテントが写っている! バルバラがストックホルムから北へ千数百キロ離れた、伯父の住む町、キルナを訪ねたことを手紙で書いたあと、同封されたであろう絵葉書として。

*北欧の夏、そして、冬に関し、次のような記述がある。こんなのを知るのもエスペラントの読書の楽しみの一つ? …共に、中村 訳
  日が長くなりました。午前3時には日が昇り、午後8時に太陽は雲を紫色に染め、西の地平線に達します。薄明かりは午後9時から11時まで続きます。
  日はもう短くなりました。もうじき(原文のママ)、クリスマスには太陽は朝9時過ぎに昇り、午後2時には沈んでしまいます。しかし、冬の夜はなんと美しいのでしょう。

*Al alilandaj geinstruistoj ni aparte dankas la egan progreson de nia movado, kaj tiamaniereni espereble alproksimiĝos al nia altega celo.  (わたしたちの運動が大きく発展していることに対して、外国の先生方には特に感謝していますし、そのようにしてわたしたちは崇高な目的に近づくことができるでしょう…中村 訳)
  と、手紙の中でバルバラがスウェーデンでエスペラントを教えるドイツ人やオーストリア人に感謝している。30年代はエスペランティストは、今よりもずっとずっと燃えていたのだ。

*Vere mi dezirus, ke mi povu diri al ĉiuj, kiuj loĝas izolitaj: "Lernu Esperanton, kajne plu vi estos izolitaj!" (Vi vidas, ke mi jam estas "100-procenta esperatistino", kiu emaspropagandi!)  (孤立して住んでいる人全員にわたしは本当に言いたいです。「エスペラントを学びなさい、そうすればあなたはもう一人ぼっちではない」と。(あなたはわたしがもう宣伝好きな真底からのエスペランティストであることが分かるでしょう!)…中村 訳
 100% esperantisto などとうれしい単語が出てくる。

*バルバラの手紙で、決められた料金を先に払えば、好きなだけ食べることができるスウェーデンの食堂(manĝejo:ここではレストランという訳がよい!)にびっくりした、という挿話が紹介される。「バイキング方式」のはしりか?

*引用されていて、面白いと思ったことわざ:
  "Kiu ne amas vinon, virinon kaj kanton, restas stultulo por ĉiam" (あえて、訳は載せない)

* tralegis: 8. 8. 2009.
  


20通の手紙のうち冒頭と最後の手紙の簡単な内容、など

  1930年代の10月10日づけの、ホーエンベルグで出されたオーストリアに住むエリーコの手紙で始まる。彼のエスペラントの先生が外国人の住所を皆に配り、彼はスウェーデンの女性、バルバラの住所を受取ったのだ。スウェーデンに憧れていること、22歳の青年だと自己紹介し、エスペラントの講習会のことなどを書く。
  10月16日づけの、ルッドからの返事。農夫の父と二人暮しのこと、エスペラント講習会のこと、自分の家の周りのこと、4頭の雌牛と一頭の馬を飼っていることなどを書く。
  翌年の6月29日づけの、ホーエンベルグからの、本書の最後から二通目の手紙。遠くに住む妹へ、という呼びかけで、兄と一緒に自転車旅行でスウェーデンへ行くと知らせる。
  その返事は7月1日づけで、オーストラリア人の前でつんぼ桟敷に置かれてはかなわないと、 「今すぐにでもエスペラントを勉強する」と笑いながら言う父に対し、恭しくお辞儀をし、わたしが先生になりますと宣言したと知らせてくる手紙が最後の一通。

Al la leganto(読者へ)と題して、1933年6月づけのシュナイダーさんのあとがき。この手紙がフィクションであることが分かる。
Postparolo(あとがき)で、土居智恵子さんが、翻訳終了後、急逝された訳者の中村 正美氏のことなどを書いている。





 (2009. 8. 8. 最初の書き込み。)
(2017. 10. 28. 再読) (2009. 8. 8. 初読)
 
Krokodilon oni povus paroli ne nur pri enigmo, sed eĉ pri nesolvebla o