かって、「芦屋エスペラント会」があった...

Iam estis Aŝija E-Societo...


エスペラント100の効用


【エスペラント 100 の効用】
(現在  62/100)
2012. 1. 9. 更新

  ( )入りの番号をクリックするとその項目に飛ぶことができます。本文中の緑色のアンダーラインがある項目をクリックするとその本の概要を知ることができます。

  (64)  L と R  (63) 米国人がいらつく言葉 (62) 『エスペラント:その脳の老化を遅らす効果』 (61) How are you? (60) 『キル・ビル』の「ど演歌」(【エスペラントの効用】番外編) (59)『ツイン・ピークス』 (58)『おおきな木』 (57)英国発行の宣伝用小冊子に見る「エスペラントのキャッチ・コピー」  (56)先入観あるいは偏見  (55)懐疑派  (54)「バベルの塔」  (53)「お帰りなさい(Bonvenon al via hejmo!) 」  (52)ハプスブルグ家の当主、オットーさん  (51)松山文雄(絵本画家)はエスペラントを学んだ事がある?  (50)巴金  (49)エリア・カザン監督  (48)エスペラントを学んでいる人は、皆、エスペラントを広めることに情熱を抱く  (47)「その夢は美しい」  (46)「対等な関係を結ぶ言葉...」  (45)「なぜ、アメリカ人なのにエスペラントを使うのか?<その2 平等>」  (44)エリクシル  (43)ピンでとめられるか  (42)ボケを治す  (41)英国語  (40)イラク支援――「国際社会」って誰だ  (39)この1年 「小泉流改革」急失速の年に  (38)「キル・ビル」  (37)個人的なことで恐縮ですが<1>...  (36)「エスペランティストは、皆さん、とても美しい」  (35)「ローマによって征服されたが、アテネはローマを征服した」  (34)頭脳にかかる負担を軽くする  (33)良い言語  (32)共通語の必要性  (31)エスペラントの接辞  (30)『千と千尋』の精神で  (29)「なぜ、アメリカ人なのにエスペラントを使うのか?<その1 友情> 」  (28)魯迅とエスペラント  (27)「男はつらいよ "寅さん" を語る」  (26)「エスペラントの講習会を終えたんだけど、この後どうしたらいいの?」  (25)ドゥシャンベを知っていますか?  (24)エスペラントが勝利する日  (23)真のエスペランティストは...  (22)エスペラント夏期学校  (21)'Sola'  (1)〜(20)「エスペラント 100の効用」









(64) L と R  

 エスペラントでも、われわれ日本人は、いやわたしは、と言ったほうが正しいが、 L と R には苦労する。発音が、ではない、文章をつづるときにである。「話す」や「痛む」の 'paroli' や 'dolori' など、 L が先だったか、R が先かといつも辞書で確かめなくてはならない。話すときに正確に発音していれば、そんな悩みはないはずということだそうだが、話す機会などめったにない小生には無理な話である。
 先日、日経新聞のコラムで「 L と R 」と題する、黒田玲子教授のエッセイ(2012年12月11日付け:夕刊)を、「その通り!」と、快哉をさけびながら読んだ。本旨は、ワープロソフトのローマ字変換で、'L' が拗音の表示に使われることに対する苦情だが、わたしには、「こういう方法で、言語差別に対する問題提起ができるのだ」と気づかされた一文だった。そのさわりの部分を以下に採録する。

 「…。あの著名な日本人の先生が『ガラス(glass) 電極』のことを『草(grass) 電極』と言っていたよ」などという悪口を耳にすると冷や汗が出る。日本人は「 R と発音すべきところを L と発音し、 L のところを R と発音するんだね」などと憎らしいことを言う人もいる。わざわざ逆に言えるなら、苦労はしない。同じに聞こえるから同じように発音しているだけで、違和感のある音だけが耳に残るのだろう。
 耳の感覚の鋭い子供のころに正しい音に接した経験があればよいのだろうが。日本人の英語の発音の悪口を言う人には、「私の名前は Reiko でも Leiko でもないのよ。あなたの発音はちょっと正しくないわねー」と、冗談で返したりもした。人の名前を正しく発音しないのは失礼なことだから、大抵は恐縮する。…」

 数少ない経験だが、外国のエスペランティストにたいして、わたしは発音のことで気後れしたことはないし、相手の発音に戸惑ったこともない。エスペラントは、ある特定の民族の言葉ではないから、特定の民族の人から上から目線で文句を言われることはないし、あなたの国の言葉は、まだ、小生は勉強が不十分だから、もし間違ったら許して、とへりくだって話すこともない。エスペラントは、外国の人と意志の疎通を図るときに使うと、人に優しい、穏やかな、平和の言語だということが良く分かる。

(2013.12.22)






(63) 米国人がいらつく言葉  

 毎日新聞のコラム「世界の雑記帳」に表題の記事があった(2012年12月29日)。
 「どうでもいい」が、エスペラントならどう言うだろうと考えてみた。イラつく米国語の一位は 'whatever(どうでもいい)' で、以下、 'like(という感じ)'、 'you know(だよね)'、 'just sayin'(言ってみただけ)' と続く、と。エスペラントなら順に、 'kio ajn', 'kiel', 直訳すれば 'vi scias' だが、 '?une?' か。そして、これも直訳で、 '(mi) nur diris (あるいは、komentis)' 。
 ところで、わたしがイラつく日本語は、 NHK のアナウンサーでも時々やる、疑問文でもあるかのように文末を上げる、自信がなさそうな、念を押すような話し方で話される日本語すべて。そして、スポーツ選手、特に、プロ野球の選手が良く使う「応援よろしくお願いします」。馬鹿の一つ覚え。聞いたとたん、応援したくなくなる!

(2012.12.30)






(62) 『エスペラント:その脳の老化を遅らす効果』  

 新着の Sennaciulo 誌(2011 nov-dec n-ro 11-12 p.25) をパラパラめくっていたら、上のような題のコラムが目にとまった。小さな記事なので以下に全文を訳した。:

  「ヨーク大学とトロント(カナダ)大学の研究者であるエレン・ビヤリストックさんが、二つの言語を話すとアルツハイマーや認知症のリスクが軽減されるという、研究結果を発表した。
  その研究によれば、治療中の211人のアルツハイマー患者のうち、102人が二ヶ国語を話せ、109人は一ヶ国語しか話せないのだが、二ヶ国語を話す人たちの発症は 4.3年遅かったという。エレンさんは、その良好な効果は、二ヶ国語を話す人の脳がより活性化されているから、と考えている。
  ずっと長いあいだ、二つの言語を流暢に話してきた人は完璧なバイリンガルである。二つ目の言語を、40代、50代、60代で習い始めた人はおそらく完璧なバイリンガルにはなれないが、しかし、二つの言語が脳の活性化を助けることに変りはない。
  したがって、一つ以上の言葉を話せることは、仕事上有益であるばかりでなく、老化に付随した認知症になるリスクをも少なくするというメリットがある。一つ以上の言葉を話すことで、脳の能力は拍車がかかり、加齢による脳の損傷プロセスを遅らせることになる。第二の言葉の勉強を始めるのが遅くても効果がある。バイリンガルは健康にも良いかもしれない。二つ目の言語での読書を子供のころから始めても、大人になって始めても、脳にはポジティヴな影響を与える。(スイス・ロマンダ・テレビ(TSR)のホーム・ページからの引用)
  なんという幸せなことだろう、だって、エスペランティストはもうすでにバイリンガルなのだから!」

(2012.1.9)






(61) How are you?  

 現在、例会でエスペラントも英国語も一緒に勉強できるということでコンロイさんの "Beginner's ESPERANTO" を、少しずつ読みすすめているが、「目から鱗」といった記述に、本日、出合った。第2課の41節に 'farti' の項目があり、母国語が国際語エスペラントに与える影響の例として、英米人は "How are you?" の意味で、 "kiel vi fartas?" でなく、 "Kiel vi statas?" を好んで使うというのだ。理由は、公の場で英米人はその動詞 'fartas' から、エスペラントの 'furzi' の意味を連想するからだという。では、日本人はエスペラントで『ありがとう』と言うとき、 "(Elkoremi) dankas vin." とか、 "(Estas) malofte." などと言うべきかも、と考えさせられた。コンロイさんは、ここでは、エスペラントの柔軟性、地域性といったことを強調しているのだが。
(2011.11.6)







(60) 『キル・ビル』の「ど演歌」(【エスペラントの効用】番外編)  

 「エスペラントの効用」(38)で、『キル・ビル』の、…エンド・クレジットが流れるところで「ど演歌」が高らかに流れる…、と書いたが、その演歌のタイトルが分かった。最近、梶 芽衣子がブームだそうで、31年ぶりの新作アルバムが出たと。その記事の中に以下のことが書かれていた。
 「その名が若者の間に一躍広まったのは2003年だ。邦画マニアで梶の大ファンだったクエンティン・タランティーノ監督の映画「キル・ビル」が公開され、劇中に「怨み節」が流れた。」(日経新聞、夕刊、2011年6月28日)。
 歌手も知らず、「ど演歌」と書いて、その題名も知らなかったので、これで、なんとなく感じていた申し訳なさから解放された。
(2011.7.3)



(59) 『ツイン・ピークス』  

 この春(2011年)、WOWOW で『ツイン・ピークス』が再放映された。その破天荒なお話の展開に、呆気にとられながらも最後までついていった。デヴィッド・リンチの凝りようは尋常でないが、第25話だったと思うが、彼自らが扮するゴードン・コール FBI 地方捜査主任(クーパー捜査官の上司)が、レストラン≪ダブル・R・ダイナー≫で、美人のウエイトレス、シェリーに出会い、クーパーに「あんな美人となら、エスペラントで話してみたい」と言う場面があった(これは字幕で流れた訳で、実際、英語でどう話していたかは確かめていない)。クーパーに紹介されて、シェリーと話を交わすと、何と、ひどい難聴だったのに、シェリーが普通に話しても聞き取れる!、とゴードンが感激する。シェリーとは英語で話すので、実際には、エスペラントをゴードンが話すことはなく、ちょっとがっかりだったが。

 デヴィッド・リンチがエスペラントに関心があること、あのようなロマンティックな場面ではエスペラントがふさわしいと考えていること、などを知った。米国の知識人(変人?)とエスペラントの交差点?
(2011.5.21)



(58) 『おおきな木』  

 アマゾンで調べてみると、村上春樹訳が最近出たとある。旧版の本田錦一郎訳との大きな違いは "And tree was happy... but not really." の箇所だと。前者では否定に(それで木はしあわせに・・・ なんてなれませんよね)。後者では問いかけ(きはうれしかった・・・ だけどそれはほんとかな?)だったと。本書では 'Kaj la arbo estis feli?a... sed ne vere.'  'feli?a' の訳の違いも含め、エスペラントのままで無理に日本語にしないで理解出来るありがたさ。エスペラントを勉強したおかげ!
…≪「エスペラント図書を読む」の『おおきな木』n-ro. 215 より≫
(2011.2.12)



(57) 英国発行の宣伝用小冊子に見る「エスペラントのキャッチ・コピー」  

  『エスペラント ミニ・コース』の裏表紙のキャッチ・コピーをここに再録した。

    エスペラント:
  ・表現力に富み、覚えるのが簡単(expressive and easy to learn)
  ・世界中で日常的に使われている(in daily use around the world)
  ・異文化を知る上で優れている(a great way to explore other cultures)
  ・歌、雑誌、文芸作品が多数存在(rich in songs, magazines and literature)
  ・1887年に創られ、今も盛んに使われている言語(a living language, created in 1887)
  ・国際的な伝達手段としての橋渡しの言語(a bridge language for internationalcommunication)
  さあ、始めよう!(Give it a go!)
(2009. 9. 12.)



(56) 先入観あるいは偏見  

  『緑の旗の印のもとに』の中のお話をまとめていて、この欄に載せても良いだろうと思ったのがあったので紹介したい。それは、Anta?ju?o (先入観、偏見) と題する Enström さんのエッセイで全文を直訳すると以下のようなものである。

  私はエストニアのチェ・メトードの教師、Pähn さんの講習会でエスペラントを習った。その後は、通信教育でさらに勉強を続けた。いろんなところへ旅行したが、いつもエスペラントを使ってだ。その地方のエスペランティストたちのおかげで、どの旅行も私達の国際語を知らない旅行者より、ずっと多くの収穫を与えてくれたし、楽しみも多かった。
  私はあの時以来、偏見を持つことがどんなに恐ろしいことかをしっかり心に刻み付けている。私には私がエスペラントを勉強していることをからかうのを楽しみにしている親類がいる。彼と彼の友達はエスペラントのことを何も知らないくせに、この言葉にあらゆる難癖をつけ、特に、発音はとても汚いものだと言っていた。
  ある晩、私は外国語を流しているラジオの前に座って聴いていると、その二人が入ってきた。
  「何を面白そうに聴いているんだ?」彼らが聞いた。「ローマさ」私はすぐに返事した。
  彼らも座り込んで、私と一緒に聴いていた。
  「イタリア語は何てきれいな音なんだ!」一人が言った。「母音が多くて、やわらかい」もう一人が続けた。「この美しい言葉のメロディーを聴いてくれよ!」最初の男が感嘆しながら言った。
  しばらくして、もう一人の方が言った:「他の放送局にしてくれよ。俺達には何を言っているかさっぱり分からんから!」
  「でも、こっちは単語の一つ一つまで分かるんだ。エスペラントだよ」私が返事した。
  「君は『ローマ』って言わなかったかい?」一人が聞いた。
  「ああ、そうだよ。旅行者のためのエスペラントの講演さ。ローマの放送局が放送しているのさ」というのが私の返事。
  彼らはお互いに目配せしてドアを開け出て行った。その後、彼らは二度とこのテーマに触れなくなった。

  エスペラントがどんなに美しく響く言葉かお知りになりたい方は、トップページから「ポーランド放送」へ入ってご試聴ください。(2009. 7. 20.)



(55) 懐疑派  

  ジャン・フォルジュさんの作品集の中の 'Buntaj intervjuoj(さまざまなインタヴュー)' に泣かせる話が出ていたので紹介したい。この話には「懐疑派(Skeptikulo)」という副題がついている。

 フォルジュさんのインタヴューは、「エスペラントを勉強して、あなたは満足してますか? (?uvi estas kontenta, ke vi lernis Esperanton?)」という質問で始まる。長髪で大きな眼鏡をかけた老いた大学教授のように見えた人に、そんな質問をする事はためらわれたがあえてしてみると、少し間をおいて「イエスでもあり、ノーでもある!」との答えが返ってきた。
 「残念ながらエスペラントは、エスペランティストたちがこの言葉に期待しているような事を成し遂げる事はないだろうと言えば、君はきっと反対するだろう。しかし、エスペラントは印刷術や映画、ラジオ、テレビなどと同じレベルの発明さ」と言う。「でも、<内的思想>というのがあります」とフォルジュさんが反論すると、「<内的思想>などというのは<ユートピアの夢>だよ。若い頃と違って、歳をとって考えが深まると苦い結論へと行きつかざるを得なくなるんだ...」と。エスペラントなどで戦争はなくならないとも。
 最後に「じゃあ、なぜ、あなたはエスペラント界から離れないんですか?」と聞くと、「そう... なぜ...」と少し考えたのちその老人は晴々とした顔つきになって笑みを浮かべ「なぜなら、私は... エスペラントに恋をしてしまったんだ。この魅力的で温かい言葉に...(?ar mi... mi enami?is alEsperanto, ?i estas ja tiel ?arma kaj varma lingvo...)」という返事をする!

  エスペラントは今は亡きクロード・ピロンさんの言う「理想的な言語('La Bona Lingvo')」であって、年老いて夢を抱く事が難しくなっても、その言葉に無条件の愛を抱くのは抑える事ができない、と言う事だろう。(2008. 10. 25.)



(54) 「バベルの塔」  

  以下は毎日新聞のコラムの引用である。

発信箱:新バベルの塔=福島良典
  「バベルの塔」に出会ったのは小学生のころ。塔を拠点に超能力少年が悪に立ち向かう横山光輝氏原作の東映SFアニメ「バビル2世」を通じてだった。主題歌と共に砂嵐の中から姿を現す塔の映像が脳裏によみがえる。
  同じ言葉を話していた人間が天まで届く塔を建設して神の意に反した−−という旧約聖書創世記の逸話は後日知った。「そんな企てができぬよう言葉を混乱させ、聞き分けられぬようにしてしまおう」との神の意思で世界の多言語状況が生まれたとすれば、外国語の勉強で苦労するのも無理からぬ話だ。
  今、一部の言語学者の間で「新バベルの塔」という表現が使われ始めている。米国覇権や英語の国際語化の流れに対抗して、ブリュッセルに本部を置く欧州連合(EU)が進める多言語政策を指す場合が多い。全加盟27カ国の言語をできるだけ平等に扱い、域内言語の学習で相互文化理解を促進する施策だ。
  EUのラトビア人通訳、イエバ・ザオベルガさん(50)は03年に祖国の加盟条約調印式典を通訳した胸の高鳴りを覚えている。「ソ連から独立した国が10年余りで欧州クラブに仲間入りできるなんて」。ラトビア語の誇りを失わず、仕事で使う英語、フランス語に加え、今、スペイン語の習得に挑戦している。「私はラトビア人で欧州人」
  日本では「英語も満足に話せないのに第2外国語に力を入れる余裕はない」が学生や教育者の本音だろう。だが、「全世界が英語だけ」になっては味気ない。知人の中には英語に対する苦手意識をばねにフランス語や中国語を習得した人もいる。バベルの塔を妨害した神様に感謝すべきかもしれない。(ブリュッセル支局)……(毎日新聞 2008年10月13日)

   コラムの題名を見て「エスペラント」にも言及されるものと思っていたが、見事にはずれた。スペースの関係か、あるいは、意識的に避けられたのかもしれないが、横山光輝氏の漫画など全く知らず、「バベル」と聞いたら「エスペラント」をまず連想する者にとって、エスペラント普及活動はまだまだとも思い、残念にも思う記事だった。蛇足だが、今年(2008年)の世界大会が開催されたロッテルダムにはボイマンス・ファン・ベーニンゲン美術館があり、ブリューゲルの「バベルの塔」が見られる。フラッシュをたかなければ写真撮影可ということだった。(2008. 10. 18.)


La turo BABEL (Pieter Bruger, la pli a?a; Museum Boijmans Van Beuningen)



(53) 「お帰りなさい(Bonvenon al via hejmo!) 」  

  新聞小説、「望郷の道」(北方 謙三;日経新聞<2008年9月22日>)に次のような場面があった。

…康之が真中に出てきた。
「何年も、何年も、こん日ば待っとりました。女将さんと旦那が、藤家に戻られんこつは、わかっとります。ばってん、俺らの心に、戻られました。全員で、お帰りなさい、て言いたかとです」
 瑠いが、かすかに頷いた。
 お帰りなさい。声が、心に食いこんでくる。
「瑠い、ただいま、て言わんか」
 正太が言った。
 瑠いは、目を閉じた。

 1988年夏、ロッテルダムでのエスペラント世界大会の開会式で、ハンフリー・トンキン教授は大会参加者に対して、'Bonvenon al via hejmo!' と呼びかけた。会場から一斉に拍手が沸き起こった。会場にいた私は思わず目から涙があふれでた。エスペラントを勉強してきて本当に良かったと思った。(注:ロッテルダムには世界エスペラント連盟の事務所があり、エスペラントに携わる者の心のよりどころとなっている)  (2008. 9. 28.)



(52) ハプスブルグ家の当主、オットーさん  

  NHKのハイヴィジョン特集『シリーズ ハプスブルグ帝国 第3回美しき青きドナウ』のラストで次のようなアナウンスが流れた。エスペラント精神だなあと、少なからず感心したので以下に記しておくことにした。

  …現在のハプスブルグ家の当主、オットーは欧州議会の議員として、EUの統合と拡大に役割を果たしてきました。
  「オットーさんの属する国は?」
  「勿論、ヨーロッパですよ。実際、ヨーロッパのいろいろな国の国籍を持っています。突然、国境が出来たのです。国境はあちこちに人工的に作られました。ヨーロッパ統一のためには国境はいずれなくなるべきです。でも、国境がなくなるだけで、行政も一元化するわけではありません。それぞれの民族が持つ固有の文化は国境と関係なく存在しています。たくさんの言語があります。それは大きな財産なのです。言語の多様性は大きな可能性をはらんでいます。さまざまな種類の花が咲く庭の方が、一種類の花しか咲かない庭よりもはるかに美しいと思いませんか」   (2008.6. 17.)



(51) 松山文雄(絵本画家)はエスペラントを学んだ事がある? 

  テレビ番組『美の巨人たち』でコドモノクニの岡本帰一をやっていたので見た(2008年6月)。
  番組の中で、腸チフスで42歳の若さで亡くなる岡本のもとに駆けつけた松山文雄氏が描いた「デスマスク」が紹介された。絵の左下隅に F. Macujama 1930.12.29 のサインが読みとれた。@「つ」を 'cu' と表記する事。A「や」を 'ja' と表記する事。B「ふ」に 'hu' でなく 'fu' を当て、'F' を使っている事。以上の三つの理由で松山さんがエスペラントを学んだ事があると思われる。
  松山さんがどんな経歴の人か番組では詳しく紹介される事はなかったし、ネットで簡単な検索をかけたが松山さんがエスペランティストだったとの記載は見当たらなかったが...   (2008.6.7.)



(50) 巴金 

  巴金さんの初期の作品『春天里的秋天』のエスペラント訳にある、巴金さんによる「まえがき」を読んで、その中にあった巴金さんのエスペラントに対する思いをこの欄に掲げておこうと思った。

  「私はエスペラントを愛している。私は18歳のときにエスペラントを学び始め、20年代にはもっとも熱心にそれを勉強した。その後、おおよそ50年間、私はいくつかの理由でエスペラント運動から離れたが、いま、エスペラント版のためにこの文章を書いていて、私はまだエスペラントが放つ大きな魔力を感じることが出来る。折りにふれ、私は私の晩年を民族間の友情のために捧げるつもりだと話してきたが、この中にはエスペラント運動も含まれている。  巴金 3月24日、1980年」   (2008.5. 25.)



(49) エリア・カザン監督 

  対談集『物語と夢』(井上ひさし:岩波書店 1999年)の中にある黒澤明監督との対談を読んでいて、井上ひさし氏の以下の発言に目がとまった。

 井上  この全集(『全集 黒澤明』)第三巻の月報にエリア・カザンが「映画はエスペラント語だ。映画は人々の間の障壁を取り払う」と書いていましたが、けだし名言ですね。いい映画なら世界中の人たちに見てもらえるというのに、この金余り日本国の政治家や資本家は何をしているのでしょうか。国際化なんて簡単なことです。世界中の人たちに役に立つモノ、世界中の人たちが楽しくなるようなモノをつくればいいだけの話ですから。そのモノといえば二十世紀最大の表現形式である映画にきまっています。
  エリア・カザンで思い出しましたが、『羅生門』はベニス映画祭でエリア・カザンの『欲望という名の電車』を蹴飛ばしてしまったわけですね(笑)。あのとき出品されていたものにはルノワールの『河』やブレッソンの『田舎司祭の日記』があった。それでそのエリア・カザンから黒澤さんの全集に「映画はエスペラントである」というエッセイが寄せられてくる。監督たちはたがいに好敵手であり、同時に、たがいに仲間である。いい関係ですね。業界内でさえこれほど事の本質を理解し合っているのに、それが政治家や財界人にはわからない。外から見ていればわかるはずなんですが。
 黒澤  だいたい日本の映画会社が前近代的な存在ですからね。不思議なところですよ、いまの日本の映画界というのは。
  …以下略

   井上ひさし氏がエリア・カザン監督の「エスペラント語」を「エスペラント」と正しく置き換えていることも興味深いが(井上ひさし氏は、宮沢賢治の戯曲化にあたってエスペラントを学んだことがる、と聞いている)、『エデンの東』の名監督、エリア・カザン氏が正しく「エスペラントが人々の間の障壁を取り払う」と言っているのにうたれた。エスペラントの学習は、中国語や英国語などの民族語の学習とは根本的に異なる。民族語の学習をどれだけ沢山の人がしても「人々の間の障壁を取り払う」ことは出来ないから。 (2008.2. 9.)



(48) エスペラントを学んでいる人は、皆、エスペラントを広めることに情熱を抱く 

  私は、今年(2007年)の夏、横浜で開かれた第92回世界エスペラント大会に参加した。大会後の遠足で、50人程の世界から集まったエスペランティストたちの東京見物のお世話をした。そして、エスペラントを勉強し、その理念、その言語の美しさに魅入られた人たちは、国籍に関わらず皆、当たり前のこととしてエスペラントのプロパガンディストになるのだということを目の当たりにし、少なからず感動した。以下は、その体験を簡単にまとめ、大会関係者に送った小文である。

 東京観光については、I氏がまとめておられるので、 そちらを見てもらえばよいと思っていますが、一つだけ お伝えしておきたいことがあります。
 昼食に出てきたものを見て急にヴェジタリアンでなくなって しまう、あるいは、このホテルはポーターがいないから荷物は 各自が部屋へ運ぶこと、といった指示を全く無視し、結局、 こちらが部屋まで運ばざるを得なくなってしまう、雷門で集合と 言ったのに本殿で待つと聞いたと主張する人たちなど、全体に、 わがままな参加者が多くて閉口したのですが、Kolker さん("Voja?o en Esperanto-Lando" の著者)とは 2日間一緒で沢山お話でき、しかも抱擁まで交わしたことは、 生涯忘れないだろうことの一つです。Zorganto(世話役)のどなたかが言って おられたのですが、「終わり良ければ、全て良し (fino bona, ?io bona)」でしょうか。
 明治神宮での散策のひと時。例によって勝手にあちこちに散ら ばってビデオを撮ったりお土産屋さんをのぞいたり、などしている 連中、時間にはちゃんと集まってくれるかなと心配させたのが、背の 高いイタリア人の所に集まり始めました。見れば、彼が制服姿の 中学生10人ほどに囲まれ、そのうちの一人と何か話しています。 私を手招きするので行ってみると、彼らはペンフレンド・クラブの メンバーで付き添いの先生と一緒に明治神宮へ観光に来ている とのこと。イタリア人が「お前が日本語に訳せ」と、着ているT-シャツの 胸にある「esperanto」という文字を示して、いま話しているのがこの言葉、 この言葉で世界中の人が分かり合える、俺たちは横浜で一週間、大会を 開いたあと、観光しているんだ、隣にいる奴はベルギー人、あれは アイルランド人、こちらはフランス人だ、といった調子で彼らに語りかけ ました。集まったエスペランティストの連中も口々に英語で何か言い出す。 付き添いの先生が「エスペラントって、まだあるのですか」などと聞いて くる。バスの出発時間が迫り、「まずは、インターネットで〔エスペラント〕で 検索して」と皆に言っておいたのだが。そして、一緒に記念写真を撮ったり したが、さて、その後、中学生諸君、何人かはエスペラントに関心を持って くれただろうか? あのT-シャツが写った写真を見てエスペラントのことを 思い出してくれるだろうか? いま、連日の猛暑の日々に、 時々、そんな ことを思ったりしています。


esperantistoj kaj lernantoj en ?intoisma templo Meiji

(2007.9. 17.)



(47) 「その夢は美しい(the dream is beautiful)」
   「エスペラント 地球村の言語」(エスペラント図書を読む<#125>)から

  「その夢は美しい。世界中の誰もが、ある一つの易しく学べる言語を一、二年勉強する。そうすれば、誰もが、世界中のどこででも、誰とでも話すことが出来る。たとえ、その二人が相手の国の言葉をひとことも話せなくても。
 こんなことを想像しほしい。一人のアメリカ人女性が中国の真ん中にある都市を訪れる。基礎英国語を少しだけ知っているスタッフがいるホテルから出て散歩する。彼女は小さなマーケットのところに行き着き、買いたいと思う小さな宝物を見つける。マーケットの誰も英国語が話せないし、彼女は中国語を話せない。しかし、彼女は少しもめげない。彼女は、単純に、世界中の誰もが習っている一つの言葉で話し始める。彼女は、中国人の店員が彼女の言っていることが完璧に分かること、彼女も彼を完璧に理解できることを確信している。

 世界中いたるところで、男も女も自分と違った言語を話す人々と意思の疎通をはかるいう難題に直面してる。外国語教育に、そして、通訳や翻訳家に、巨大な金額が費やされている。不幸なことに翻訳家はしばしば訳し間違いを犯し、外国語の習得に何年も費やしたにもかかわらず、大多数の人は新聞記事を読むことが出来るレベルに到達できないし、母語でしているような普通の会話をするレベルに達することはない...。」(2006.2. 4.)



(46) 「対等な関係を結ぶ言葉...」
   藤本 達生(ふじもと たつお)

  前項(45)の「平等な言葉」ということについて、藤本さんがうまく説明されているのを見つけたので、ここに勝手に転載させていただくことにした。私の属している京都エスペラント会の尊敬する大先輩だから、許していただけるものと勝手に解釈して...

  「古い話で恐縮ではあるが、1970年の大阪での万国博覧会の開催にあたり、世界各地からの民族資料を集めるプロジェクトに私も関わっていた。その道の専門でも何でもない私は、エスペラントが出来るという理由で東欧の担当者となったのである。当時の東欧はエスペラントが盛んな土地として知られており、私に白羽の矢が立ったのだ。東欧各地のエスペランティストに前もって手紙で連絡し、現地では彼等の案内で先ず民族博物館へ。その国の民俗資料を勉強し、収集したいものを選んでから実地にあたったのである。
 私はエスペラント以外の外国語を自由に話せないので比較は出来ない。また、1953年に学習を開始して以来、この半世紀の間に私がエスペラントを介して体験してきた数々のことは「エスペラントならでは」なのかは分からない。ただ一つ言えることは、エスペラントは、現実に"世界の中で通じる言葉"であるということと、それがどの国においても非常に"気楽”にできるということである。
 "気楽"と言う感覚は、エスペラントが中立語だという事実にある。どの国の言葉であれ、いまや世界語になったという英語でさえ、生まれながらにしてその言語を話す、いわゆる”ネイティブ”といわれる人たちがいる。この人たちの前に出ると、それ以外の人は、絶対に対等な立場で話すことはできない。
 例えば、日本語にしても、日本人の私たちは”ネイティブ”として、考えなくても日本語が話せる。それに対して、他国の人は"考えながら"何とか話すというのが実情であろう。
 エスペラントの場合は、一般的に、後から習った中立語なので、上手、下手を越えて"お互いさま"という感覚がある。そのことが"気楽”ということにつながる。もちろん、エスペラントはヨーロッパ圏で生まれたために、日本人である私たちにとっては、ヨーロッパの人々に比べて少々不利な立場にあることは仕方のないことであろう。しかし、私の体験からすれば、それは越えられない障害ではない。エスペラントは習得するうえでも、他の言語と比べてはるかに容易であるからだ。だからこそ、確かにエスペラントでは対等な人間関係が結べるのである」
… 「ノーバボーヨ」号外、2004年8月1日発行 ekstra eldono. 2004 NOVA VOJO p. 2  (2005.2. 1.)



(45) 「なぜ、アメリカ人なのにエスペラントを使うのか? ("Kial usonano uzas Esperanton?" )」
   ジョエル・ブロゾフスキーさんが語るエスペラントの魅力(その2)…「平等」(Egaleco)

  「私が日本人と、あるいは、誰か別の母語が英語でない人と、英語で話す場合、いつも私は必ずその言語の熟練者としての位置に立つことになります。相手の人がどれだけ英語を勉強していたってこの関係は変わりません。彼、あるいは、彼女は、必ずより低い立場で話すことになります。生徒が先生に対するように、あるいは、部下が上司に対するようにです。もし、それとは逆に、私が相手と相手の人の言語で、例えば日本語で、話をするとしたら、状況は同じですが立場は逆転することになります。私は低い立場にいて何とか自分を分かってもらおうと、一生懸命に努めます。その時、相手は熟練者の立場、すなわち教師の役割を演ずることになります」
 「そういった不平等は二人の友情の妨げになります。こんなことは不公平であり、円滑であるべき人間関係において、そして、特に友情をはぐくむ関係の上で、多かれ少なかれ微妙な障害をもたらすことになります。友人同士は、少なくとも心と心のつながりということで絶対に平等でなければならないのです。しかし、使用される言語のせいで強く不平等さが押しつけられるようだと、両者の間で平等であるという感覚を維持することが困難になります」
'Voja?o al esperanto-lando (nova eldono)'--Boris Kolker; p.245.  (2004.9.13.)



(44) エリクシル 

 Voja?o en Esperanto-lando(エスペラント国での旅行)の著者である Boris Kolker さんが、インタヴューの中で次のように答えている。エスペラントはエリクシル(英国語で elixir = 不老不死の霊薬…『リーダーズ英和辞典』、エスペラントで eliksiro )なのです!

 「あなたはあなたの今の大変活動的なエスペラント運動をやめにして、自由になった時間を何か他の事に使おうと考えたことはありませんか?」
 「たぶん、私(Boris Kolker、現在65歳)は35年後にそうすると思います。でも、それまで長生きする必要がありますね。ドイツでなされた統計では、エスペランティストは普通の市民より長生きするという結果が出ています。不老長寿を約束してくれるエリクシルを飲むのをなぜやめる必要があるのでしょう?」

 彼は、そのインタヴューの中でこんな返事もしている。

 「英国語とエスペラントの間の競争を、あなたはどのようにお考えですか?」
 「私は両者の間に競争があるとは思いません。両方とも、国際交流の場で使われる他の言語と同じように、それぞれ自分のニッチとする分野を持っています。英国語に対抗して(KONTRA?)戦うのではなく、エスペラントのために (POR)働くほうが望ましいと私は思います。エスペラントの存在を知らせ、教え、応用し、エスペラント大会に参加し、エスペラントで作品を著し、読み、書き、文通し、歌い、エスペランティストの家庭を作るのです。ばかばかしい事を、ただおしゃべりするだけでも良いのです。言葉は使われるから生きているのです」

  …Rusia Esperanto-Gazeto (REGo), 2004, junio, No 3
(2004. 7. 2.)



(43) ピンでとめられるか 

  ---岩波書店の「図書」2004年4月号に、鶴見俊輔氏が以下のように書いている---

《コラム;一月一話; 薄明領域(Twilight zone) 》  『ピンでとめられるか』
  ディヴィド・リースマンが日本にきたとき、私にはうつ病があったので、会う機会をうしなった。京都の学者たちの会見の様子を、あとで桑原武夫からきいた。リースマンは、鮒ずしがとても気にいったそうだ。
  同席した日本人の学者たちが、英語を使ってリースマンに質問し、またリースマンの質問に直接こたえたなかで、梅棹忠夫は、通訳を介して受け答えをした。
  どうして彼だけが通訳をとおしたのかというリースマンの質問にこたえて、
  「私の考えは、私の下手な英語ではうまく言いあらわすことができません。」
  これは、英語についての謙遜と思想についての自信の両者をそなえた表現である。桑原さんをとおしてつたえきいたはなしで、ほんとうかどうか保証しがたいが、英語で言われると、ピンでとめられたように言葉の意味が定着されるような錯覚が当時の日本にはあった。その流れに対するおだやかな抵抗が感じられる。 

  ---さすがに、元国立民族博物館の館長であり、エスペランティストでもある梅棹氏の振る舞いである。鶴見氏の解説は、これで良いのだが、エスペランティストとしての梅棹氏の言動を知っている私は、英語を使いたくないという梅棹氏の気持ちは、ザメンホフと同じように言語問題を十分意識したもっと高いところにある、と考えたい。長くなるが、「ラ・レブーオ・オリエンタ」誌、1992年1月号に載った氏の巻頭言を全文、以下に採録した---

  国際的とはどういうことであろうか。日本では、国際人というのは英語をかたり、アメリカ人の友人をもっているひとのことだという場合がおおい。しかし、ほんとうにそうだろうか。世界には国がニ百ちかくもあり、言語の種類は三千ほどもある。そのなかで、なぜアメリカ一国が突出し、英語だけが特別視されるのであろうか。

  わたしたちの仲間には世界の各地で生活して、さまざまな言語を習得してきたひとがおおい。そのなかでは、アメリカ留学組がいちばん国際性に欠けるというのが仲間うちでの評価である。アメリカ留学組は、日米関係だけを国際関係とかんがえる傾向があるからである。英語の絶対的優越性を信じてうたがわず、他の言語の価値をみとめないし、まなぼうともしない。英語だけですべてが処理できるとかんがえたがるのである。この傾向は留学生だけでなく、アメリカ人全体にみられる。

  ヨーロッパの人たちは、はるかに柔軟である。人間の言語的世界の多様性をよく認識しているし、自国語をもって世界じゅうのことを処理できるとはかんがえていない。かれらは言語的多元性の世界にすんでいる。

  わたしは、職業がら、外国からの来客に接することがおおい。わたしは外国語はある程度はなせるけれど、外国人と接するときにはいっさい日本語でとおしている。へたな外国語で誤解をうけることをさけるためである。かならずその言語に練達な通訳をたてることにしている。

  ちかごろは外国からのお客は、原則として通訳をつれてくるようになった。アメリカ人も例外ではない。この点はずいぶんかわってきた。以前は、知識人で英語もはなせない人間がいるはずがない、という態度であった。通訳もつれずにきて、わたしに英語をしゃべることを強要したのである。この点はいちじるしく改善された。わたしが英語をいっさいしゃべらないというのも、当然のこととしてうけとめられるようになった。わたしはあえて、英語はまったくわからないことにしているのである。

  人間の言語的世界の多元性と相対性を英語国民にも認識してもらうために、今後もわたしは英語をしゃべらないでおこう。世界には英語をしゃべらない知識人が実在することを実感してもらうためにも。

  わたしが外国人と直接に自分ではなすことばは、エスペラントだけにかぎっている。エスペラントならどの言語を母語とするひととでも、優位劣位の関係におかれることなしに、じゅうぶんに意思を通じあえるからである。

  アメリカやヨーロッパの知識人のあいだで、もうすこしエスペラントが普及しないものだろうか。そうすれば、われわれもおおいにたすかるというものである。

  ---鶴見氏は、「図書」に、先の文章に続けて次のように書いているが、これはまた別のテーマである。---

  英語は普遍語か。そのころ食堂で、隣の席のアメリカ人が日本人の学生にはなしていた言葉が耳にのこっている。
  「下手な英語は、普遍言語です。」
  こう言われると、賛成したくなる。これは普遍語として現実に使われている英語の効用に限定をつけているからだ。(後略)
(2004. 6. 6.)



(42) ボケを治す 

  「エスペラント 100の効用」の (8)で、 頭の体操として と、タイトルをつけて、私は、以下のように書いた。
  …いわゆる、(あまり良い言葉ではないのですが)「ボケ防止」として。エスペラントの単語を覚えたり、うまい表現を考えたりしていると脳の刺激になる。ちなみに、なぜかエスペランティストには、高齢にもかかわらず活躍している人が多い…、と。
  朝日新聞のコラムをネットで読んでいて、以下の記事を見つけ、「ボケ防止」にとエスペラントへお誘いするのが、誇大宣伝にはあたらないぞ、と少なからず安心した。エスペラントをやっていると、「感動の乏しい惰性的な生活」ではなく、「感動との出会いに富んだ、刺激的な生活」を送ることができることは、間違いないから!!! ここに、その記事を再録する。
(2004. 4. 16.)

《最新治療 「あの手この手」》 ボケを治す
  医学界の常識が正しいとは限らない。専門医は以前は老人性痴呆(ちほう)は治らないと宣告していたし、今もアルツハイマー病と脳血管性が半々と説明する。しかし、17年前から2万7千人に痴呆の早期診断・治療をしてきた県西部浜松医療センター(静岡県浜松市)の金子満雄・顧問によれば「まったくの間違い」だ。
  金子さんたちが重度を除いた外来患者約1500人を精密検査したところ、痴呆の90%は「脳を使わなくなったための廃用型」だった。動かないと手足が衰えるのと同じで、金子さんは「ぐうたらボケ」と呼ぶ。脳血管性が5%、アルツハイマー病など遺伝子がらみは2%止まり。
  「治らない」のは手遅れの重度痴呆しか見ていないからだ。金子さんが独自に開発した「浜松方式」の早期痴呆診断テストで住民検診をすると、65歳以上の約30%がひっかかる。うち重度(大ボケ)は2割。残る8割の中ボケ、小ボケもそのままだと2年から4年で大ボケに進む。
  ボケは「感動の乏しい惰性的な生活習慣の結果」と金子さん。もともと無趣味な仕事人間がなりやすい。親子は生活習慣が似る。家庭では散歩、家族のだんらん、ゲームで脳を刺激してやれば、中ボケ小ボケの親が回復だけでなく、子ども自身もボケずにすむ。
  すでに全国の数百市町村がボケの進行を阻む地域ぐるみの脳活性化リハビリを取り入れている。金子さんが会長を務める全国早期痴呆研究会の医師、保健師や臨床心理士らが中心だ。「予防が最高の治療法」と金子さん。4月から浜松市内で訓練施設と隣接した専門クリニックを開く。
(編集委員・田辺功;朝日新聞 2004年3月27日)。




(41) 英国語 

 このホーム・ページで、私は、「英語」ではなく「英国語」という単語を意識して使っている。本田勝一氏がどこかで、イタリア語、中国語などなら、イタリアで、あるいは、中国で主として話されている言語と分かるが、英語というと民族語の一つという事実が薄れてしまう、間違っても世界共通語などと勘ちがいしてはいけない、そういう意味で英国語、米国語というべきだ、という趣旨のことを書いていたのに賛成するからだ。最近、大西巨人氏の「深淵」を読んでいて、大西氏が「イギリス語」という単語を使っているのを見て、さらに意を強くした。以下は、その「イギリス語」が出てくる箇所である。

 「歴史偽造の罪」という言い方は、現行「刑法」第二編「罪」の「文書偽造の罪」とか「殺人の罪」などという言い方に、私が、倣ったのです。のみならず、私は、以後も法的に(?)話を進めますから、『歴史偽造の罪』の「罪」は、法律上の罪---イギリス語の 'crime' ---を意味するようですが、その実、もっと広義の悪徳---「人倫にたいする背反」---を意味します。むろん、それは、原則的に 'crime' を内包する。…(大西巨人著、「深淵(下)」90頁、光文社版、2004年)
(2004. 4. 14.)



(40) イラク支援――「国際社会」って誰だ・・・朝日新聞2004年 2月11日社説より 

 「日頃何げなく使っているのに、意味があいまいな言葉がある。「国際社会」がそうだ。共通のルールの下でともに生きていこうとする世界の国々の集まりとでも言い換えたら、正解に近いかも知れない。
 その「国際社会」が、首相の国会答弁や記者会見にこれほど数多く使われることは過去になかったろう。イラクへの自衛隊派遣問題をめぐる委員会などの場でも「国際社会の責任ある一員として復興支援にあたる」「どのような国際協調をしているのかを国際社会に示す」と、「国際社会」の連呼だ。サマワに向かう陸自隊員への訓示でも「国際社会」への責務が強調された。…(中略)…
 首相のいう「国際社会」とは、要するに米国とそれを支援する国々ではないのか。
 日本にとって、米国がいかに大きな存在かは言うを待たない。イラク戦争に疑問を持つ人でさえ自衛隊を出さないでいいのかと悩むのはそのためでもある。しかし、だからといって「国際社会」と米国を同一視しては現実をごまかすことになる。…(後略)」

 この社説の「国際社会」を、「国際共通語」と、米国を米・英国語と置き換えると、結構面白い。いつの頃からか、私たちは米国コンプレックスにどっぷり浸かってしまって、少しもそれを変だと思わなくなってしまっている。エスペラントを自ら進んで勉強するようになると、ザメンホフが抱いた切ない理想が痛いほど分かって、現実を少しはごまかされないで見られるようになると思うのだが。(2004. 2. 11.)



(39) この1年 「小泉流改革」急失速の年に・・・毎日新聞2003年12月31日社説より 

  この社説の最後は次のように結ばれていて、「小泉流改革」がどうであろうと、私は論者の説に大変勇気づけられた。
  「...。 混迷と閉塞の隘路(あいろ)を抜け出すのは容易ではないが、国や会社などが一つの目標を示して個々人を動員し、一丸となってそれに邁進(まいしん)する時代は終わった。独自の夢と目標を持つ個々人の集合体となる成熟社会においては、多様な個性、能力を開花し、生かしていくシステムが一層重要になる。多様性を認める寛容の精神、官僚などに頼らない自律・自治の追求が基本になるだろう。」
  おそらく、エスペラント運動も、エスペラントに夢をたくそうと考えた人が、各地にあるエスペラント会や日本エスペラント学会、関西エスペラント連盟、世界エスペラント連盟、SATなどに所属して入門講座を開催し、会員数を増やし、普及活動などに「まい進する」という時代ではないのだ。インター・ネットで情報が簡単に手に入る時代に、「一丸となってまい進する」ということなどはどうでもよくて、ただ、エスペラントの面白さ、奥深さを自分なりに見出して 楽しんでおられる方たちが沢山いるのではないか。あらためて、「電縁の時代」(日本経済新聞)の未知の可能性に期待しようと思う。(2004. 1. 4.)



(38) 「キル・ビル」 

  「パルプ・フィクション」で、感心したタランティーノ監督の第4作、「キル・ビル」を見た。素直に奇想天外の筋立てを楽しんだ。特に、ローマ字のエンド・クレジットが出ているところへ高らかに流れる「ど演歌」は、秀逸。
 見ていて、面白いことに気がついた。主演のユマ・サーマン、助演のルーシー・リューの日本語のセリフがとても聞き取りにくいことに。キツネ目のリューの「ここからは、英語で話させてもらいます」には、笑ってしまった。「お願いだから、そうしてくれ。何でもっと早く...」と。
 問題は、アクセントだろうと思う。では、われわれ日本人が英国語で話すときはどうだろう。同じように、彼らにはとても聞き取りにくいに違いない。L とか、R とか、TH の発音が問題なのではなくて、おそらく、ユマや、リューのように、個々の単語のアクセントが問題なのだ。
 では、エスペラントで会話するときにはどうであろうか。私は、つい先日もフランス人のエスペランティストと話したばかりだが、相手のエスペラントが聞き取りにくいなんてちらとも思わなかった。今年の世界大会でも、いろいろな国の人と話したが、分かりにくい、聞き取りにくいと思ったことはついぞなかった。「単語に置くアクセントが、後ろから2番目の母音」というルールを皆が忠実に守っているからだ、と思い至った。(2003.11. 23)



(37) 個人的なことで、恐縮ですが(1)...
   …第88回世界エスペラント大会において(ヨーテボリ、スウェーデン:2003年7月27日から8月2日)

  ポスト・コングレーソのバスが午後に着いたので、その日はもう一日ヨーテボリに泊まり、翌日早朝、ホテルを出て空港行きのバスに乗った。途中のバス停で、肩を軽くたたきあって別れを惜しんでいるおっさんとおじいさんがあり、おっさんの方がバスに乗ってきた。話していた言葉が土地の言葉と違うなと思いながら、おっさんを見ていたら、彼は私を指さして「エスペランティスト!」と言うではないか。「イエス、サルートン!」。「この街に残っている最後のエスペランティストだな、俺たちは」とセンチメンタルなことを言う。彼は、スペインのマラガに住むソロ。大会会場でCDを押しつけられて、買わされた(買ってあげた、よろこんで買った)ことを思い出した。同じ昼前に飛びたつアムステルダム行きに乗ることが分かり、空港での待ち時間に、さきほど別れたばかりの友人の奥さんの悪口、スウェーデン料理のまずさ(スペイン料理に比べ!)、ヨーテボリがストックホルムに比べ汚いこと、など、大げさな身振りで話す。ノドがだいじだからとチョコレートバーをかじり、かと思うと、タバコをすうから荷物を見ていてくれと空港の外へ。待ち時間があっという間に過ぎた。(2003.9. 2)



(36) 「エスペランティストは、皆さん、とても美しい」
   …第51回関西大会(国立民族博物館に於いて:2003年5月31日から6月1日)での、言語学者、田中克彦さん(一橋大学名誉教授)の言葉

  先生は、6月1日の午後に行われた公開シンポジウム、「世界中みんな違ってみんないい」の中で、最後のしめくくりの言葉として、次のようなことを、会場にいる私たちにむかって、心を込めて熱っぽく訴えられた。 …(私からのお願い:もし、会場でこの部分を録音された方がおられましたら、是非、テープおこしをして、お教えいただければありがたいです。正確なものに、書きかえたいと考えています。また、どこかで私がこの記録を見つけることがありましたら、書きかえます)。
  「今朝、ホテルを出て、この万博会場へ歩いてくる途中で、胸に緑の名札をつけて歩いていらっしゃる方をたくさん見ました。皆さん、とても自信を持ってしっかり足を踏みしめて歩いていらっしゃる。私は、とてもうらやましいと思いました。エスペランティストは、皆さん、とても美しい。どうかこれからもエスペラントをお続けください。皆さんのなさっていることは、とても大事なことです」と。
  会場から大きな拍手が起こったことは言うまでもない。日ごろ、「エスペラントなんかやらないで、英語をやりなさいよ」といったことを聞かされるのがほとんどなので、びっくりするとともに胸が熱くなった。ふと、ひところよく言われた、ブラック・イズ・ビューティフル、という言葉を思い出した。あとで、先生のこの言葉を受けて、民族博物館教授の江口一久さんも、「エスペラントをやると、美しくなる」は、集客力のあるスローガンではないかと言われた。 (2003.6. 4)



(35) 「ローマによって征服されたが、アテネはローマを征服した」 ('Konkerita de Romo,Ateno konkeris Romon')
   …"La Manto(カマキリ)" から

  「カマキリ」という小説の中で、主人公のパウラさんが、ご主人のゲオルグさんと議論していて、その結論として以下のように書いている。とても勇気づけられる言葉だが、それまでに、私たちは、まだどれぐらい待たなければならないのだろうか。
  「結局、私の推論は次のようになる。もし、上に述べたような事例(ローマのアテネ侵略、アラブ人の地中海沿岸諸国への侵入、などの事例…小生による注)に何か価値を見出すとしたら、それは、言語に関しては以下のように言えるだろう、ということである。すなわち、必ずしも政治力とか、軍事力とか、あるいは、経済力が勝っているからといって、他民族に自分たちの固有言語を無理じいすることはできない。時には、ある言語の構造上の優位性や、本来そなわっている芸術的な価値が、強大な征服者たちを感服させ、彼らを同化してしまうということが起こりうる(実際、過去にそういった例がある)。
  それで、もしそうなら、いつか世界が国際語エスペラントのうたがうべくもない優位性や有用性に気がついて、受け入れるようになるだろうということを、私はあえて期待している」と。  (2003.3. 17)



(34) 頭脳にかかる負担を軽くする (?paro de nerva energio)
   …(33)と同じクロード・ピロンさんの著書から

  「エスペラントを話す時には、あなたは平らなところをまっすぐに走っている人のように感じます。一方、他の言語(エスペラントのように、構造が規則的に出来ている数少ない言語をのぞいて)を話す時には、あなたは平地ではなく、急な坂道がいっぱいあるところを走っているように感じるでしょう。登ったり、降りたり、ジグザグの道をたどったり、ヘアピンカーブだったり、うっかりすると落っこちてしまいかねない穴がいたるところに開いていたり。時には、乗り越えないと向こう側へは行けないような岩がじゃまをしていたり。もしも、その言語を流暢に話せるとしたら、それはあなたが一生懸命その言葉を練習して困難な場所を暗記し、そのつどそれを乗り越えるうまい方法を覚えたからです。あなたは、上に述べたような場所を毎日走って練習したランナーだからです。たとえ、人びとがあなたのスピードを賞賛しようとも、そんな場所を走れば、方向を変える必要もなく障害物もない平地を走るのに比べ、脈拍は激しくなり、息づかいもひどくなり、疲れはてしまいます。どれほど練習をつもうとも、エネルギーを余計に使わなければならないのです」

  なかなか面白い例えだと思う。道は平坦で楽なのだが、ランナーとしては、私はまだ未熟でさらに練習をつまねばならない。
'La bona lingvo'--Claude Piron; p.36.  (2003.3. 4)



(33) 良い言語 ("La bona lingvo" )
   …クロード・ピロンさんの同名の著書から

  「なぜ、エスペラントがいまだに存在しているのでしょうか。歴史的に見て、生きのびる機会よりも死に絶えてしまう機会の方が多かったというのに。それは、絶えずエスペラントをやろうという人があらわれ、また、ますますそういう人が増えているからです。エスペラントのすばらしさに感心し、それを愛する人が。その人たちは、エスペラントの花を咲かせるために途方もないエネルギーを捧げます。では、エスペラントの何がそんなに人を惹きつけるのでしょうか。
  私は、その主因はエスペラントの体系が創意豊かであるからだ、と確信しています。とても単純な方法が、信じられないほどの高度な表現力を生み出します。エスペラントは、学び始めるとすぐに、それがとても豊かな言葉であることを感じさせてくれます。実際、たった数週間の授業を受けただけで、学習者は、何か予期していなかったこと、熱狂させるようなことを経験します。学習者は、母語では簡単には言い表せないような、面白い、美しい、あるいは、ぴったりの表現を創リ出したり、あるいは、理解できるようになります」

  ピロンさんは、これに続けて、例えば、英国語で、「子ども達は〜出来るだろう (la infanojpovos ...)」と言う場合、「言語専制君主の気まぐれ(la arbitrajn kapricojn de lingva diktatoro)」とも言うべき命令を聞かなければならない、すなわち、the childswillcan ではなく、children willbe able to ... と言わなければならない、と書いています。一方、エスペラントにはそんな専制君主の気まぐれのような命令(文法ルールの例外、不規則変化など)はなく、反対に、学習者に敬意を払い、習ったことを自由に応用することを奨励する、言葉を習得するために記憶力よりも創造力、演繹力を使うことを薦めるような言葉だ、といった主旨のことを書いています。

  こんな「エスペラントの魅力」に触れてみたいとお考えをお持ちの方で、芦屋市近辺にお住まいの方のために、私ども芦屋エスペラント会は、毎年、春、秋に、市民センターで入門講座を開きます。どうぞお気軽にご参加ください(トップページから、入門講座の案内を開いて詳細をごらんください)。
'La bona lingvo'--Claude Piron; p.27.  (2003.3. 3)



(32) 共通語の必要性 ("La neceso de komuna lingvo" )
   …盲人エスペランティスト、エロシェンコが1922年12月15日に北京大学で行った講演から

  「...どの国の政府も国際共通語として、(人類の幸福のために)どこかの外国の言葉を受け入れるようなことはしません。なぜなら、彼らにとってはむなしい国家的な野心の方が、人類の幸福よりもより重要だからです。
  この問題(言語問題)を解決するために、高貴なヒューマニストたちが人工の国際共通語の創作にとりかかりました。中立であるということで、そういった言語こそが、すべての国々に受け入れられるのです。それらの創作のなかの一番の作品として、エスペラントが出現しました。どんな言語よりも百倍も易しく、千倍も完璧な言語として。人類の幸福をいつも考えている、何千もの高貴な人たちが、喜びと献身さをもってこの新しい言語の勉強をはじめ、その宣伝をはじめました。皆が喜び、皆が美しい希望で一杯でした。ただ、国の政府だけが喜びませんでした。彼らだけが疑問を抱き、やがて、彼らはエスペランティストたちを疑いはじめました。ちょうど、彼らが、高貴なものすべて、国際的な性格を持つものすべて、あるいは、人類主義的なものすべてを疑ったように。なぜなら、彼らにとってはその人類の幸福といわれるもの(エスペラント)はなんだったのでしょう。なんにもなし、です。意味のない音、意味のない単語、狂信者たちのうわごと...」
'Lumo kaj ombro'--V. Ero?enko; p.76.  (2003.2.16)



(31) エスペラントの接辞

  ジョン・ウエルズ教授(イギリス、音声学)は、「エスペラント国での旅行(Vojagho enEsperanto-lando)」という本の中で、上記のタイトルで英国語とエスペラントとどちらが習得しやすいか、という問題を取り上げている。以下に要点を記した。ついでにエスペラントの単語に日本語訳をつけて、日本語の習得時に生じるであろう問題も考えてみた。
  なお、「接辞」は、広辞苑(第5版)では、「単語として用いられることはなく、語基に付いてその接辞機能(格・時制など)を示したり、品詞を転換したり、意味を加えたりする形態素」とあるが、エスペラントでは、そのまま単語として用いられることもある。以下の文中には接辞として、-a?, -ad, -ej, -uj, -il, -ar, -ebl, -ind, -end, -em, -et, -eg, -a?, が出てくる。

  「エスペラントを勉強した人と、英国語を第二外国語として勉強した人を比較してみよう。エスペラントを勉強している人が、新しく man?i (食べる)という動詞を覚えたとする。すると、彼は食べるという行為は man?o であり、食物は man?a?o と言えば良いことをすでに知っている。一方、英国語を勉強中の人は、 eat という動詞を覚えても、別に食事という名詞 a meal 、食べ物という単語 food をそれぞれ覚えなければならない」

  「食べるという行為のくりかえし、あるいは継続をあらわす単語については、両方の学習者にとって大差はない。すなわち man?ado と eating である」

  「エスペラントの勉強を始めた人は規則的に接辞をつけることによって man?ejo(食堂),man?ujo(えさ箱), man?ilaro(食卓用ナイフ・フォーク・スプーン類)と意味を広げることができる。英国語の学習者はそれらの単語に対して dining-hall か canteen; manger; cutlery とcrockery を覚えなければならない」

  「エスペラントを始めた人は、さらに続けて man?ebla(食用に適する), man?inda(食べる価値がある), man?enda(食べねばならない)が分かり、彼自身は今 man?ema(食べたがり、お腹がすいている) かもしれない」

  「英国語では man?ebla に対して、規則どおりの eatable と、例外的ながらよく使われるedible がある。man?inda に相当する単語はない。man?ema に対してはつづりがかけ離れたhungry が相当する」

  「エスペラントを話す人は誰でも、さらに続けて次のような単語を簡単にやすやすと使うことが出来る:man?eto, man?eti, man?egi, man?a?i. 英国語では、それぞれ次のように全く新しい4個の言葉を覚えなくてはいけない。すなわち、a snack, to nibble, to eat heartily, to guzzle と」---以下略
'Voja?o al esperanto-lando (nova eldono)'--Boris Kolker; p.196.  (2003.1. 21)



(30) 『千と千尋』の精神で(朝日新聞2003年1月1日社説)とエスペラント

  …明治以降、いわば一神教の国をつくろうとして悲劇を招いた、そんな苦い過去も教訓にして、日本こそ新たな「ハ百万の神」の精神を発揮すべきではないか…との、アメリカ合衆国が着々と準備しているイラク攻撃に関する朝日の社説を読みながら思い出したのは、シラ・チェバスさんのエスペラント教科書 ('Libera ekflugo' p.156) の中の一節を読んだときのことである。

  「私は、私の教科書が出来るだけ中立であるようにと努力している。どこの国の人々も、どこの国の政治形態も、どの宗教団体も同じように尊い。(中略)しかし、世界に存在する残酷なことや不正に対して抗議することもなく受け入れる、無感情の中立というのを私は真似たいとは思わない。私にとってはエスペラントは言語以上のものであると確信し、私はエスペランティストになった。エスペラントはより良い世界を実現させるための道具である。そして、私の受け入れる中立というのは、ザメンホフさんの言う中立で、それはいろいろな宗教がかかえている限界を越え、「全能の、形のない、神秘(potenca senkorpa Mistero)」と「世界を支配する大きな力(Fortego la mondon reganta)」に対して祈りを捧げる中立である」とシラさんは言う。
  そうだ、これからは神社で馬鹿みたいに、あるいはえんぎかつぎだと言い訳しながら手を合わせるなどということはやめにして、この「神秘」と「大いなる力」に向かってお祈りをすることにしよう、と決めたことを思い出した。(2003.1. 8)



(29) 「なぜ、アメリカ人なのにエスペラントを使うのか? ("Kial usonano uzas Esperanton?" )」
   ジョエル・ブロゾフスキーさんが語るエスペラントの魅力(その1)…「友情」(Amikeco)

  「長い旅行の間じゅう、私はこんなことに気がついていました。私に英語で話しかけてくる人は、私という人間に関心があるのでもなければ、私たちの文化に興味があるのでもないと」
  「彼らは一様にお金に関心があるのです。あるいは、私に何かを売りつけたいのか、あるいは、私と話すことによって英語を勉強し、より良い教育を受け、もっと高い給料を得んがために、あるいは、もっと何か他の理由で」
  「全く対照的に、私とエスペラントで話そうとする大部分の人は、私という人間に興味があり、あるいは私たちの文化に興味を持っています。そういう人たちのほとんどは、私と友達になりたいのですし、実際、彼らの多くは今でも私の友達なのです」
'Voja?o al esperanto-lando (nova eldono)'--Boris Kolker; p.245.  (2003.1.1)



(28) 魯迅(1881-1936)とエスペラント

  「エスペラントはずっと私には楽しみだった。およそ20年前に、私はエスペラントを一生懸命勉強した。理由は簡単だ。第一に、誰でも、エスペラントのおかげでいろいろな人たちを、特に抑圧されている人たちを理解することができるから」
  「第二に、これは私の意見だが、私のような職業の場合には特にいえることだが、この国際語のおかげで、あらゆる国の人たちの文学作品を読むことができるから」
  「そして、最後の、第三の理由は、エゴイズムや偽善とは縁のない、道徳的に優れた著名なエスペランティストを、私自身、たくさん知っているからだ」
'Voja?o al esperanto-lando (nova eldono)'--Boris Kolker; p.212.  (2002.12.21)



(27) 「男はつらいよ "寅さん" を語る」

  上記の演題で、山田 洋次監督が芦屋市のルナ・ホールで講演をした(2002.12.13)。講演はとても心温まるもので、至福の2時間ほどを過ごすことができて、この日はとても優しい気持ちになれた一日となった。そして、俳優、渥美 清にまつわるいくつものエピソードのなかに、次のようなのがあって、ああ、これがエスペラントの核心なのだなあ、と納得した。それは以下のようなものである。

 この話はきっと渥美さんが面白がって笑ってくれると思い、監督が「渥美さん、こんな話があるんだが」と切り出すと、もう、話す前から渥美さんはニコニコとし、笑い出してしまうのだと。「まだ話してもいないのに、どうして笑い出すのですか」と聞くと、「だって、監督は私を笑わせようとしているのでしょう」だと。それほどに相手の心を思いやり、見抜くことができる人だったのだと。そして、結局、そのお話はしないで一緒に笑い出してしまったのだと。

 世界大会などで、集まってくるエスペランティスト同士、遠足のバスに隣同士で乗り合わせたとき、大会会場で隣同士になったとき、バンケードで隣同士になったとき、その隣の人と話す前から、同じエスペラントをやっているということだけで、お互いに安心感のようなものを抱くのは、この「優しさの伝染」なのだと、山田監督の話を聞きながら気づかされた。エスペラントが平和の言葉である所以である。(2002.12.13)



(26) 「エスペラントの講習会を終えたんだけど、この後どうしたらいいの? ("Kaj, post lakurso, kion?")」
   
  以下に、ヨアキム・ベルディンさんの返事。
「(1)国際文通を始める 
(2)国内外のエスペラントの催しに参加する 
(3)エスペラント放送を聞く 
(4)エスペラントの雑誌を購読する 
(5)エスペラントの雑誌に投稿する 
(6)エスペラント図書を読む 
(7)本を書く、あるいは翻訳する 
(8)興味や趣味を同じにする人を世界に求める 
(9)仕事や職業でエスペラントを利用する 
(10)サンマリノ国際大学で学ぶ、あるいは教える 
(11) エスペラントで旅行する 
(12)世界企業を企画する 
(13)エスペラントを教える  
さて、ご自分でも何か考えつきませんか?」…'Voja?o al esperanto-lando (nova eldono)'--Boris Kolker; p.68.  (2002.11.28)



(25) ドゥシャンベを知っていますか?

  タジキスタンの首都、ドゥシャンベは周囲が山に囲まれた、とても美しい町のようです。「…ようです」というのは、私はLena Karpunina さんの本でそのことを知ったからです。この共和国には、サマルカンドなどというエキゾチックな名前の町もあります。この本を読みながら、私は小さな世界地図を何度も開いたものです。(2002.11. 8)



(24) エスペラントが勝利する日

  このタイトルで G. Handzlik さんが「いろいろな世界」という本に短編を載せている。「その日は突然やって来た。言語問題解決のための世界委員会で働いていた若いカメルーン出身のエスペランティスト、クールーさんが、ガーナ出身のベーロさんと恋に落ちたのが原因で、と」。おちは、「でも、言語問題が解決するのと同時に、エスペラントを話す楽しみも必要性も、消えてしまった」。(2002.11. 7)



(23) 真のエスペランティストは...

  J. Baghy (1891-1967)は、「エスペランティストであるということは、ただエスペラントを知っていると言うことを意味するものではない。それは運命。使命。より良い世界へのあこがれ。真のエスペランティストは、なるものではなく、生まれるものであり、彼はすでにエスペラントを勉強する前からエスペランティストである」と書いている('Voja?o al esperanto-lando'--BorisKolker; p.26;2005年版では p.28 )。同感である。



(22) エスペラント夏期学校

  毎年夏休みを利用して、アメリカ合衆国で、エスペラントの講習会(通称 NASK : Nordo-Amerika Somera Esperanto-Kursaro)が開かれる。今年(2002年)も去年に続いて参加した。去年までのサンフランシスコから、今年は東部のヴァーモント州ブラットルボロー市のSchool forInternational Training (SIT) に場所が変更になった。語学教育と異文化の理解のために作られた施設で、講義室はもちろん、パソコン室、図書室、講堂、寄宿舎、食堂などが起伏に富む芝生の丘の上に散在している。そんな素敵な環境の中で3週間にわたってエスペラント漬けで勉強した。優秀な講師陣、世界各地からの熱心な学習仲間。同室だったアメリカ人をはじめ、また新しく沢山の友人が得られた。
 どうぞ、この学校の様子をNASK 2002のホーム・ページでごらんください。
 また、2003年の夏期学校の案内はNASK 2003 のホーム・ページをごらんください。

la biblioteko kaj la klas?ambro (fora)



(21) 'Sola'

  2001年7月に、サンフランシスコで行われたエスペラント夏期学校に参加した。2週間にわたった授業の最後に、Grant 教授は何の説明もなく一枚のCD(下の写真)をかけた。流れてきた曲がタイトルの「ソーラ」。「ソーラ」は、エスペラントで「さみしい(ひとりぼっち)」を意味する形容詞。美しく覚えやすいメロディーで、聞いてすぐに好きになった。最後のリフレーンは一緒に口ずさんだほど。

世界大会の会費を払ったけど、もう旅費は残っていなかった。
雨と風の中、6時間もヒッチハイクを試みたが、
車はなかなか止まってくれず、とてもさみしかった。
さみしい。さみしい。...

やっと会場に着くことができた。
そこでたくさんの大切な仲間に出会った。
世界中の兄弟、姉妹達と抱擁し、キスを交わし、楽しかった。
もうさみしくはない。さみしくはない。

...(2節、省略)...

世界中の人たちが皆んなエスペラントを勉強すると想像してごらん。
その時は、もう誰もがさみしく思うことなんかない。
さみしくはない。さみしくはない。...(約9分)

思わず涙ぐんでしまった。長身の優しい Grant 教授から私達生徒への心からのメッセージである。



CD 'broKANTA?Oj'



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