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[竜王]
最終更新日:2011年8月8日

甲府〔こうふ〕宿

【特徴】 正式名称は「甲府柳町宿」で、柳町に問屋場などがの機能が集約されていたことに由来する。

【歴史】 武田信玄の父信虎〔のぶとら〕が石和から移って躑躅ヶ崎(現=甲府市古府中町)に居館を構えたことに始まる。 家康が舞鶴城を計画して繁栄は南部に移った。江戸時代にはここを下府中といい、武田時代の駅北部を上府中、あるいは古府中と呼んだ。

【歩く】 ほとんど国道411号を進むのだが、善光寺駅前と城東1丁目でクランク状になっている。「NTT甲府支店西」交差点を左折して遊亀通りを進み、270m先の「問屋街入口」交差点を右折し、100m先を左折し、60m先を右折する。やがて国道52号(美術館通り)となる。

金手〔かねんて〕

道がクランク状になっている。町名としも使用された。  ことば「曲尺手」

【今】曲がった道が残っていて、近くの駅の名前にも使われている。

天尊躰寺

1521年に武田信虎が寺をつくり、石清水八幡宮(京都府八幡市)の「真向三尊阿弥陀如来像」を本尊としたのが開基の由来である。1533年に功徳山尊躰寺の勅額を後奈良天皇から賜った。甲府城築城に際して、現在地に移った。 甲府空襲(1945年)ですべての建物を焼失したが、本尊は免れた。

武田家に仕え、後に徳川家康に仕えて佐渡金山など多くの鉱山を開発した大久保長安の墓がある。

甲斐奈神社

甲斐奈山(愛宕山)の板仇期に白山大神を祀ることに始まり、『延喜式』にも載り、甲斐国鎮守とされた。 1519年に武田信虎が居館を移すにあたり、現在地に遷座した。 甲府城築城に際して、浅間大神を併祀した。 1727年に社殿を焼失したため、両社相殿〔あいどの〕として復興された。 甲府空襲(1945年)で社殿が焼失。その後復興した。

印傳屋

1584年創業の老舗。鹿皮に漆付けをする独特の皮製品「甲州印傳」の技法を伝える。

長禅寺

甲府五山の筆頭にあげられる名刹。武田信玄の母・大井夫人の菩提寺でもある。

甲府城

徳川家康が築城を始めたが、甲斐を去ったため止まった。その後豊臣政権下で築城が開始された。

【今】石垣の積み直しが行われるなど整備され、舞鶴城公園になっている。 坂下門からに上って行くと天守台石垣がある。

徽典館

江戸幕府が開設した学問所。1796年頃創設された甲府学問所が前身。 その後開智学校と改称され、1875年にはこれを母体とした師範学校が発足した。山梨大学教育人間科学部の前身。

【今】中央公園になっていて南東隅に徽典館跡碑がある。

穴切〔あなぎり〕大神宮

湖水だった甲府盆地に疎水を作ろうとした国司が祈ったところ、南の丘陵に穴があき水が流れたという。治水祈願の神。

随神門

3間1戸、二層の楼門。諏訪立川流という建築。

本殿

桃山時代に造られた一間社流造。国指定重要文化財。

上石田

上石田のサイカチ

サイカチ

大小2本そろって生えているところから「夫婦サイカチ」と呼ばれているが、両樹とも雌木で、樹齢は約300年と推定されている。
[写真](2009年1月撮影)

名取

日蓮の遠忌碑

三百年と五百五十年の二つがたっている。