FUKUSHI Plaza街道 Now and Then

中山道

最終更新日:2013年4月26日

宿場、史跡、見所

東京都[武蔵国]

埼玉県[武蔵国]

群馬県[上野国]

長野県[信濃国]

岐阜県[信濃国、美濃国]

滋賀県[近江国]

中山道について

ルート

江戸・日本橋を起点とし、上野〔こうずけ〕、信濃、美濃などを経て近江の草津まで129里10町余、さらに東海道と合流して京都・三条大橋までは135里24町あまりで、約533km。通常16日前後かかった。 板橋・守山間は67宿、草津・大津を加えて69宿となる。距離に比べて宿場の数が多いのは、地形条件が厳しいので宿場間の距離を短く取ったため。

木曾のかけ橋、太田の渡し、碓氷峠が三大難所といわれた。

歴史

律令制下の七道の一つであった東山道は中部・関東・東方の山地を含む行政区画であった。中央政府と地方を結ぶ道も整備され、それも東山道と呼ばれるようになり、その中筋の道にあったとから中山道と呼ばれていた。 江戸幕府は1602年に宿駅を設定した。 1659年に街道整備のため道中奉行を設置し、渡船、並木、一里塚、宿駅および人馬賃銭などの管理にあたらせた。

東海道の表街道に対する裏街道的存在で、参勤交代では30家の大名が使用した。 一方、交通量が少なく、河川が少なく宿泊料も安かったので一般旅行者には好まれた。

将軍家に献上する宇治茶を運ぶお茶壺道中にも使った。 また、皇女和宮の一行も中山道を利用した。  和宮降嫁(1861年)

「中仙道」とも書かれていたが、1716年に「中山道」が正式な名称となり「なかせんどう」と読まれた。また、木曾(木曽)を通ることから「木曽路(木曽街道)」とも称される。