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最終更新日:2011年8月7日

仙台〔せんだい〕宿(仙台城下)

【特徴】 仙台(伊達)藩62万石の城下町。

【構成】 奥州街道沿いと大町通沿いに町人町が形成された。職人・商人らの住む「町」は24あり、町方二十四ヵ町〔まちかたにじゅうよんかちょう〕と称された。その中で大町・立町・肴町・南町・柳町・荒町の6ケ町は、伊達政宗に従って米沢から岩出山、仙台と移ってきた町人町で、御譜代町と称した。「譜代」とは、代々主家に仕えることである。 屋敷割りはすべて間口6間、奥行き25間という細長い地割で、今でもところどころに名残がある。 町人町の周りには片平丁や名掛丁など武家の屋敷町の「丁」があり、さらに取り囲むように寺町や足軽町が配置されていた。

街道は広瀬川北岸の河原町から仙台城下にはいり、南材木町、 穀町、南鍛冶町、荒町、 田町、上染師町、北目町、柳町、南町を経て中心地の 大町を過ぎ、国分町、二日町、北鍛冶町、通町を経て城下北端の 堤町に至る。

【歴史】 古来千体仏があったので千体城と呼ばれていたのを、後に「千代」と改められた。伊達政宗遷城と同時に「仙臺〔せんだい〕」と改めて城名と地名にした。 当時、家臣8000戸、町民2100戸、寺戸250戸で総戸数は1万850戸、人口は5万2000人を越えていた。  仙台開府(1601年)

1970年2月の新住居表示の実施により、歴史的町丁名の一部は失われた。

【今】 東北第1の都市を形成している。南材木町から荒町にかけてはところどころに老舗や神社仏閣が残っている。

河原町

広瀬川の氾濫で形成された河原地帯。「川原町」とも表す。 若林城の造営に伴い城下が南に広がり、1629年ごろに新興の町人町となった。 仙台城下の南の玄関口にあたる。

【歩く】 広瀬橋を渡ると河原町になる。国道4号線を200mほど進み、斜め右にはいって突き当たりを左折する。「ツインタワー広瀬川・春圃」のツインビルの前のあたりで再び国道4号線にでてすぐに右折すると南材木町となる。

丁切根〔ちょうぎんね〕

仙台城下の江戸側の入口。木戸があり夜間は門を閉じて外部からの侵入を防いでいた。木戸の鍵番は針生屋であった。

【今】説明版がある。

青物市場

藩政初期創設といわれる。 河原町付近は野菜の生産地で、行商のため城下に運ばれる途中に取引が行われるようになり朝市ができたとされる。

六郷堀

広瀬川から六郷の田畑に水を引くために作られた。 若林城の堀の水も供給していた。

【今】街道から西へ200mの広瀬川のそばには「堰場」がある。 暗渠になっていて、東へ600m、JRの線路の東のあたりで姿を現す。

南材木町

材木・たばこの専売特許を与えられた町人町であった。

【今】古い商店も多く残っている。

【歩く】 南材木町からは歩道のない細い道幅の古い町並みがしばらく続く。鉤の手を過ぎると穀町である。つづく南鍛冶町で西に曲がるのだがここは変則十字路になっていて交通量が多いので注意が必要である。しばらくは2車線で歩道のある道となる。

丸木商店

丸木商店

1781年創業の薬問屋。

【今】店は近隣のビルに移転したが当時の蔵が現存する。 市内の町家としては最古のもの。
[写真]2007年2月撮影

小林薬局

小林薬局

かつては味噌醤油の醸造元で、1963年まで営んでいた。

【今】土蔵を生かして薬局を営んでいる。
[写真]2007年2月撮影

針生屋(針惣旅館)

針生屋

蒟蒻〔こんにゃく〕の粉と鳥モチの専売特許権を持っていた。河原町木戸番をつとめた。  丁切根

【今】土蔵造りの建物が残っている。
[写真]2007年2月撮影

平野材木店

1877年から商売をしている。

七郷堀

七郷堀

広瀬川の七郷堰から取水され、防火用水、そして下流の七郷の田畑に水を引くために作られた用水堀。

街道の東側の両岸は、伊達忠宗が染師達を住ませたので「南染師町」と呼ばれた。木綿の布を染める職人が染物を流れる水でさらしたり、藍染の布を川で洗ったため、青い水が流れ藍染川というようになった。

下流の六郷堰と水利紛争もあったが、1954年に統合されて愛宕堰として堰堤、取り入れ扉門、分水堰が整備された。

【今】現存し「仙台堀」と呼ばれている。
[写真]2007年1月撮影

石橋屋

石橋屋

創業1885年の仙台駄菓子の老舗。

【今】駄菓子屋を営業していて、奥には菓子に関する展示館がある。
[写真]2007年1月撮影

越後屋染物店

1877年頃に、新潟から仙台に移ってきて染物屋をはじめた。着物の染物と洗い張りをやっている。

武田染工場

1894年に染物屋をはじめた。手ぬぐいや法被〔はっぴ〕などを染める。

鉤の手(枡形)

鉤の手

外敵の侵入をしにくするためにつくられた道の構造。

【今】名残があり、道路がS字になっている。
[写真]2007年2月撮影