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最終更新日:2011年8月9日

宇都宮〔うつのみや〕宿(宇都宮城下)

【特徴】 宇都宮藩7万7000石の城下町。 宇都宮大明神(二荒山神社)の門前町。 また、栃木街道や、鹿沼街道、茂木街道、水戸北街道、真岡街道などの始点でもある。 将軍をはじめ諸候の日光参詣の宿泊地でもあった。

【構成】 江戸側から熱木〔ねぎ〕町、大黒町、蓬莱町、茂破〔もやぶり〕町、材木町、新石〔しんこく〕町、新伝馬町と続いていた。 伝馬町が奥州街道と日光街道の分岐点にあたる。

【歴史】 平安末期の文書に「宇豆宮」の名がみえる。中世を通じて古奥州街道の宿駅が置かれていた。 1619年に入封した本多正純が城郭の整備・拡張とともに城下の町制の大改造を行い、日光道中の分岐点も確定した。

空襲(1945年)の被害を受けた。

【今】 交通の要衝で、北関東の中心地である。

蒲生君平勅旌碑〔がもうくんぺいちょくせいひ〕

蒲生君平勅旌碑

明治天皇の命により宇都宮藩知事の戸田忠友奉行が1869年に蒲生君平の遺功を追賞したもの。 蒲生君平は学者・尊王家として知られ、1808年に天皇陵について考証した『山陵志』を著わした。
[写真]2008年11月撮影

台陽寺〔たいようじ〕

1605年に建立された。

熱木〔ねぎ〕不動尊

熱木不動尊

1059年、宇都宮宗円が多気山頂上に陣を張ったとき、戦勝を祈願して彫った三体の不動の一つだという。

【今】本堂は公民館になっている。
[写真]2008年11月撮影

一向寺〔いっこうじ〕

宇都宮景綱を開基として、1276年に創建された。

汗かき阿弥陀

汗かき阿弥陀

西隣の長楽寺にあった阿弥陀如来坐像。宇都宮家に凶変がある時は仏体に汗が流れるといわれた。 1405年に造られたとされる。 1950年に国の重要文化財に指定された。本堂左手墓地内の蔵の中におさめられている。
[写真]2008年11月撮影

報恩寺

1639年に奥平家昌の正室が開山した。本堂は戊辰戦争(1868年)で焼失した。

山門

報恩寺山門

茅葺きの門で、寛永年間(1624〜44年)の創建当時のままといわれる。
[写真]2008年11月撮影

光琳寺

1605年に現在の地に移された。戊辰戦争(1868年)で諸堂が焼失したが、境内には1688年に鋳造された鐘がある。

宇都宮城

1063年に宇都宮氏の祖・宗円が築いたといわれる。 1619年に本多正純が宇都宮に封じられ、城の縄張りを大幅に拡大し城構造物の大改修を行った。 関東七名城の一つとされた。 戊辰戦争(1868年)の兵火を浴びて城の大半が破壊され廃城となった。さらに都市開発により、土塁や塀も失われてしまった。

1989年からの本丸跡発掘調査を経て、2004年に宇都宮城址公園として整備が始まり、 2007年に本丸西側の土塁と、堀、と土塁上の土塀、清明台櫓と富士見櫓が復元された。

本陣(青木)

大いちょう

青木家がつとめた。建坪191坪余、門構え・玄関付きであった。

【今】樹高33m、樹齢400年の大いちょうが残っていて、市の天然記念物に指定されている。
[写真]大いちょう(2009年2月撮影)

貫目改所

街道往来の荷物の重量を検査するために設置された。

本陣(石塚)

本陣を務めた石塚次郎兵衛宅があった。建坪140坪余、門構え・玄関付きであった。

追分

日光街道と奥州街道の分岐点。 直進するのが奥州街道、左折して清住町通りを行くのが日光街道。