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阿蘇−『二百十日』の舞台

最終更新日:2006年1月2日

漱石が1899年阿蘇に旅行し、『二百十日』の素材を得た。  詳細

宮地

阿蘇神社

漱石が訪れ、俳句を3句残している。

戸下温泉

漱石が8月29日に泊った。俳句を8句残している。

立野

漱石が9月1日に馬車宿に泊った。俳句を1句残している。

内牧<うちのまき>温泉

漱石が1899年8月30日、31日に泊った。俳句を15句残している。

養神亭

漱石が泊まった。

現在はホテル山王閣となってる。 宿泊した部屋は、ホテルの庭に漱石漱石館として復元されていて一般にも公開している。毎年二百十日に漱石祭が行われる。

ホテル山王閣の庭には漱石の胸像と句碑がある。

行けど萩ゆけどすすきの原広し

明行寺<みょうこうじ>

『二百十日』の「銀杏の樹がある寺」のモデルとされる。養神舘の回りをぶらりと歩いて観ることができる寺としては、明行寺のほかにも浄信寺・満徳寺と2軒の寺がある。

ぶらりと両手を垂(さ)げたまま、圭さんがどこからか帰って来る。
「何所(どこ)へ行ったね」
「一寸(ちょっと)、町を歩行(ある)いて来た」
「何か観(み)るものがあるかい」
「寺が一軒あった」
「それから」
「銀杏(いちょう)の樹が一本、門前にあった」
「それから」
「銀杏の樹から本堂まで、一丁半(ちょうはん)ばかり、石が敷き詰めてあった。非常に細長い寺だった」
「這入(はい)って見たかい」
「やめて来た」
「別段何もない。いったい、寺と云うものは大概の村にはあるね、君」
「そうさ、人間の死ぬ所には必ずあるはずじゃないか」
『二百十日』一(冒頭)

境内には町の天然記念物のいちょう、山茱萸がある。銀杏の樹から本堂までは十五メートル程度離れているが、作品では一丁半(百六十メートル程度)となっている。

明行寺前の道路わきに、漱石来熊百年記念の1996年に文学碑が建てられた。隣には句碑も建てられている

白萩の露をこぼすや温泉の流

阿蘇山

8月31日に阿蘇山へ登ったが折悪しく二百十日の嵐に見舞われて、登山途中で道に迷って阿蘇登山は失敗に終った。

この阿蘇登山が『二百十日』の題材になった。また俳句2句を残している。

「なにこれでいいよ。――姉さん、ここから、阿蘇まで何里あるかい」と圭さんが玉子に関係のない方面へ出て来た。
「ここが阿蘇でござりまっす」
「ここが阿蘇なら、あした六時に起きるがものはない。もう二三日(にさんち)逗留(とうりゅう)して、すぐ熊本へ引き返そうじゃないか」と碌さんがすぐ云う。
『二百十日』三
きのうの澄み切った空に引き易(か)えて、今朝宿を立つ時からの霧模様(きりもよう)には少し掛念(けねん)もあったが、晴れさえすればと、好い加減な事を頼みにして、とうとう阿蘇(あそ)の社(やしろ)までは漕(こ)ぎつけた。白木(しらき)の宮に禰宜(ねぎ)の鳴らす柏手(かしわで)が、森閑(しんかん)と立つ杉の梢(こずえ)に響いた時、見上げる空から、ぽつりと何やら額(ひたい)に落ちた。
『二百十日』四

現在も盛んに噴煙を上げる日本一の活火山。最高峰の高岳などが中央火口丘に連なり、その周囲を120kmにわたって外輪山が囲む世界一の複式火山。

二百十日文学碑

阿蘇山三合目の漱石が道に迷ったとされる地点に、歌碑がつくられた。