FUKUSHI Plaza漱石 Now and Thenゆかりの地東京都

文京区

夏目漱石が留学から帰ってから住み、『吾輩は猫である』などを書いたゆかりの地。『三四郎』の舞台にもなっている。
最終更新日:2009年2月16日

根津

根津神社

漱石や森鴎外が腰掛けたという「文豪憩いの石」が、唐門の左手にある。

裏門坂

『道草』の冒頭で、健三が養父に出会う。

 ある日小雨(こさめ)が降った。その時彼は外套(がいとう)も雨具も着けずに、ただ傘を差しただけで、何時もの通りを本郷(ほんごう)の方へ例刻に歩いて行った。すると車屋の少しさきで思い懸けない人にはたりと出会った。その人は根津権現(ねづごんげん)の裏門の坂を上(あが)って、彼と反対に北へ向いて歩いて来たものと見えて、健三が行手を何気なく眺めた時、十間(けん)位先から既に彼の視線に入ったのである。そうして思わず彼の眼(め)をわきへ外(そら)させたのである。 『道草』一

日医大つつじ通りと呼ばれている。

千駄木

団子坂

『三四郎』に、ここでの菊人形見物の場面などが出てくる。主人公の三四郎と美禰子は次に谷中方面に向かう。  藍染川

 ある日の午後三四郎は例のごとくぶらついて、団子坂(だんござか)の上から、左へ折れて千駄木(せんだぎ)林町(はやしちょう)の広い通りへ出た。秋晴れといって、このごろは東京の空もいなかのように深く見える。こういう空の下に生きていると思うだけでも頭ははっきりする。そのうえ、野へ出れば申し分はない。気がのびのびして魂が大空ほどの大きさになる。それでいてからだ総体がしまってくる。だらしのない春ののどかさとは違う。三四郎は左右の生垣(いけがき)をながめながら、生まれてはじめての東京の秋をかぎつつやって来た。 『三四郎』四
 団子坂の上まで来ると、交番の前へ人が黒山のようにたかっている。迷子はとうとう巡査の手に渡ったのである。
 「もう安心大丈夫(だいじょうぶ)です」と美禰子が、よし子を顧みて言った。よし子は「まあよかった」という。
 坂の上から見ると、坂は曲がっている。刀の切っ先のようである。幅はむろん狭い。右側の二階建が左側の高い小屋の前を半分さえぎっている。そのうしろにはまた高い幟(のぼり)が何本となく立ててある。人は急に谷底へ落ち込むように思われる。その落ち込むものが、はい上がるものと入り乱れて、道いっぱいにふさがっているから、谷の底にあたる所は幅をつくして異様に動く。見ていると目が疲れるほど不規則にうごめいている。
<略>
 一行は左の小屋へはいった。曾我(そが)の討入(うちいり)がある。五郎も十郎も頼朝(よりとも)もみな平等に菊の着物を着ている。ただし顔や手足はことごとく木彫りである。その次は雪が降っている。若い女が癪(しゃく)を起こしている。これも人形の心(しん)に、菊をいちめんにはわせて、花と葉が平に隙間(すきま)なく衣装の恰好(かっこう)となる 『三四郎』五

「千駄木坂」が正式な名称で、昔ここに団子を売る店があったことからこのように呼ばれた。七面坂や汐見坂とも呼ばれた。1856年から菊人形が始まり、1875年から木戸銭を取るようになった。1882年頃には各地の菊人形は廃業してここだけになり、多くの見物人で賑わった。1907年ごろがピークでその後は電気の入らなかったこともあり、廃業した。

夏目漱石旧居(猫の家)

漱石旧居跡にある猫の像
漱石旧居跡の題字

英国留学から帰国(1903年)した漱石が1903年3月3日に転居し、1906年12月まで住んだ。教師生活のかたわら『吾輩は猫である』『倫敦塔』『坊ちゃん』『草枕』など次々を作品を発表した。『吾輩は猫である』の舞台になったため、通称「猫の家」と呼ばれる。  

この家は1890年に医者の新居として建てられた。偶然にも森鴎外が1890年10月から1892年1月まで住み、『文づかひ』がここで書かれた。その後、近くの観潮楼と号した所に移った。 当時は漱石の学友斎藤阿具(第二高等学校教授)の持ち家で、阿具のヨーロッパ留学中という条件で借りた。

木造平屋建瓦葺、建坪39坪で3畳の女中部屋の他6部屋あるが、当時の一般的な中流住宅だった。部屋同士は襖で仕切られている。女中部屋の前にわずかではあるが中廊下がある。 漱石の書斎「我猫庵」は玄関をはいって左の八畳間で、いつも来訪者が絶えなかった。上框に通じる掃出し口があり、猫のためのくぐり戸のようにもみえる。

道に面して板塀と門があり、庭も広く畑もあった。 西側には『猫』の「落雲館中学」のモデルになった郁文館中学(現=郁文館中・高校)、南側には車宿、すぐ北には二弦琴の女師匠の家、道路を隔てて東側には学生下宿があった。

メモ

この旧居は1965年に明治村に移築され、「森鴎外・夏目漱石住宅」として保存されている。  切手と美術「博物館明治村」

地元有志と鎌倉漱石会が1971年3月1日に「夏目漱石旧居跡」の石碑を建てた。 題字(写真)は川端康成が書いている。石碑のそばの塀の上には猫の像(写真)がある。