FUKUSHI Plaza夏目漱石 Now and Thenゆかりの地東京都

中央区

最終更新日:2010年12月10日

日本橋

三井呉服店、三越呉服店

漱石は小学校へ上がる前に黄八丈や縮面を買いに連れられて来た。

『三四郎』に銭湯で見かけた看板が登場する。

三四郎は朝のうち湯に行った。閑人(ひまじん)の少ない世の中だから、午前はすこぶるすいている。三四郎は板の間にかけてある三越(みつこし)呉服店の看板を見た。きれいな女がかいてある。その女の顔がどこか美禰子に似ている。よく見ると目つきが違っている。歯並がわからない。美禰子の顔でもっとも三四郎を驚かしたものは目つきと歯並である。与次郎の説によると、あの女は反(そ)っ歯(ぱ)の気味だから、ああしじゅう歯が出るんだそうだが、三四郎にはけっしてそうは思えない。
『三四郎』

『それから』に陳列所がでてくる。

わざ/\仏蘭西(ふらんす)にゐる義妹(いもうと)に注文して、六づかしい名のつく、頗る高価な織物(おりもの)を取寄せて、それを四五人で裁(た)つて、帯に仕立てゝ着(き)て見たり何(なに)かする。後(あと)で、それは日本から輸出したものだと云ふ事が分つて大笑ひになつた。三越陳列所へ行つて、それを調べて来たものは代助である。
『それから』三の一

「虞美人草浴衣」を売り出し評判になった。

メモ

『吾輩は猫である』を執筆した1904年に「三井呉服店」から「三越呉服店」になった。  街道 Now and Then「越後屋」

2006年、本店屋上に「漱石の越後屋」の碑ができた。

伊勢本〔いせもと〕亭

漱石が子供の頃に通った講釈場。『硝子戸の中』で思い出が語られる。

 私は小供の時分よく日本橋の瀬戸物町(せとものちょう)にある伊勢本(いせもと)という寄席(よせ)へ講釈を聴きに行った。今の三越の向側(むこうがわ)にいつでも昼席の看板がかかっていて、その角(かど)を曲ると、寄席はつい小半町行くか行かない右手にあったのである。
 この席は夜になると、色物(いろもの)だけしかかけないので、私は昼よりほかに足を踏み込んだ事がなかったけれども、席数からいうと一番多く通(かよ)った所のように思われる。
『硝子戸の中』三十五

メモ

常盤木倶楽部〔ときわぎくらぶ〕

漱石は第1回落語研究会(1905年)に出席し、第2回以降も時間の許す限り出席した。

メモ

白木屋

鏡子夫人が買物にでかけたことを『漱石の思ひ出』に書いている。

『吾輩は猫である』で4回取り上げられている。

迷亭は返事をしないで笑っている。「何そんな手数(てすう)のかかる事をしないでも出来ます。中学校の生徒に白木屋の番頭を加えて二で割ると立派な月並が出来上ります」
『吾輩は猫である』三
「近頃は大丸でも洋服を仕立てるのかい」「なあに、先生、白木屋(しろきや)と間違えたんだあね」
『吾輩は猫である』三
「この御正月、白木屋へいらっしゃいまして、御求め遊ばしたので――鶯茶(うぐいすちゃ)へ相撲(すもう)の番附(ばんづけ)を染め出したのでございます。妾(あた)しには地味過ぎていやだから御前に上げようとおっしゃった、あれでございます」
『吾輩は猫である』三
それだからこの通り先日僕が白木屋へ注文したフロックコートを着ているのさ」と注意する。
『吾輩は猫である』九

メモ

呉服屋の老舗。  街道 Now and Then「白木屋」

木原店〔きはらだな〕

『三四郎』で、三四郎は与次郎につれられて三代目小さんを聴きに行った。

 次に本場の寄席(よせ)へ連れて行ってやると言って、また細い横町へはいって、木原店(きはらだな)という寄席を上がった。ここで小(こ)さんという落語家(はなしか)を聞いた。
『三四郎』三

『こころ』で、食事の場面を描いている。

奥さんは私に対するお礼に何かご馳走(ちそう)するといって、木原店(きはらだな)という寄席(よせ)のある狭い横丁(よこちょう)へ私を連れ込みました。横丁も狭いが、飯を食わせる家(うち)も狭いものでした。この辺(へん)の地理を一向(いっこう)心得ない私は、奥さんの知識に驚いたくらいです。
『こころ』十七

メモ

飲食店が軒を連ねていた横丁で「食傷新道〔しょくしょうじんみち〕」と俗称された。 寄席「木原亭」があった。

2005年に「漱石名作の舞台」の碑がたてられた。

丸善

漱石は洋書、万年筆などを購入していた。

『吾輩は猫である』にも出てくる。

「ほかの道楽はないですが、無暗(むやみ)に読みもしない本ばかり買いましてね。それも善い加減に見計(みはか)らって買ってくれると善いんですけれど、勝手に丸善へ行っちゃ何冊でも取って来て、月末になると知らん顔をしているんですもの、去年の暮なんか、月々のが溜(たま)って大変困りました」
『吾輩は猫である』三

メモ

戦前までは学者がよく通った書店、文房具店。

眞砂座

1996年、漱石の作品で初めて舞台化された「吾輩ハ猫デアル」が上演された。

メモ

2004年に「漱石『猫』上演の地 眞砂座跡」の碑がたてられた。

大伝馬町

大丸

『吾輩は猫である』に出てくる。

「・・・二十三日に静岡で祝捷会(しゅくしょうかい)があるからそれまでに間(ま)に合うように、至急調達しろと云う命令なんです。ところがおかしいのは命令中にこうあるんです。帽子は好い加減な大きさのを買ってくれ、洋服も寸法を見計らって大丸(だいまる)へ注文してくれ……」「近頃は大丸でも洋服を仕立てるのかい」「なあに、先生、白木屋(しろきや)と間違えたんだあね」
『吾輩は猫である』三

メモ

街道 Now and Then「大文字屋」