FUKUSHI Plaza漱石 Now and thenゆかりの地熊本

小天温泉〔おあま〕−『草枕』の舞台

最終更新日:2010年11月9日

漱石は山川信次郎らと1897年の大晦日に熊本市島崎の岳林寺から峠の茶屋を経て小天に至った。 1898年1月にかけて前田案山子の別荘に滞在した。子規に句を送っている。

降り止んで蜜柑まだらに雪の舟
温泉や水清らかに昨年の垢
かんてらや師走の宿に寐つかれず
温泉の門に師走の熟柿かな
温泉の山や蜜柑の山の南側

さらに8月から9月にも友人5人で訪れた。

ここでの体験が『草枕』の下地になっている。作品では那古井〔なこい〕温泉、宿は志保田となっている。

 山が尽きて、岡となり、岡が尽きて、幅三丁ほどの平地(へいち)となり、その平地が尽きて、海の底へもぐり込んで、十七里向うへ行ってまた隆然(りゅうぜん)と起き上って、周囲六里の摩耶島(まやじま)となる。これが那古井(なこい)の地勢である。温泉場は岡の麓(ふもと)を出来るだけ崖(がけ)へさしかけて、岨(そば)の景色を半分庭へ囲い込んだ一構(ひとかまえ)であるから、前面は二階でも、後ろは平屋(ひらや)になる。
『草枕』四
 三畳へ着物を脱いで、段々を、四つ下りると、八畳ほどな風呂場へ出る。石に不自由せぬ国と見えて、下は御影(みかげ)で敷き詰めた、真中を四尺ばかりの深さに掘り抜いて、豆腐屋(とうふや)ほどな湯槽(ゆぶね)を据(す)える。槽(ふね)とは云うもののやはり石で畳んである。鉱泉と名のつく以上は、色々な成分を含んでいるのだろうが、色が純透明だから、入(はい)り心地(ごこち)がよい。折々は口にさえふくんで見るが別段の味も臭(におい)もない。病気にも利(き)くそうだが、聞いて見ぬから、どんな病に利くのか知らぬ。
『草枕』七

漱石館

当時の名望家前田覚之助=案山子〔かがし〕の旧別邸。漱石らはこの宿に泊まり、庭を眺め、湯に浸り、くつろいだ。 『草枕』の「志保田のヒゲの隠居」は案山子がモデルであり、ヒロインの那美は案山子の二女卓〔つな〕であるとされる。

メモ

現在は当時の建物の一部を保存して天水町が管理していて、漱石の間があり自由に見学できる。庭に「草枕発祥の地」の碑が建っている。「段々を四つ下りると八畳程な風呂場へ出る」の浴場は、いまは使用されておらず、その名残をとどめるのみだ。 庭や離れが一般に公開されている。裏には温泉浴場の跡も残っている。

鏡ケ池

『草枕』に登場する。

「なあに、見ていただいたんじゃないですが、鏡(かがみ)が池(いけ)で写生しているところを和尚さんに見つかったのです」
『草枕』八
「ええ鏡の池の方を廻って来ました」
「その鏡の池へ、わたしも行きたいんだが……」
「行って御覧なさい」
「画(え)にかくに好い所ですか」
「身を投げるに好い所です」
『草枕』九
 鏡が池へ来て見る。観海寺の裏道の、杉の間から谷へ降りて、向うの山へ登らぬうちに、路は二股(ふたまた)に岐(わか)れて、おのずから鏡が池の周囲となる。池の縁(ふち)には熊笹(くまざさ)が多い。ある所は、左右から生(お)い重なって、ほとんど音を立てずには通れない。木の間から見ると、池の水は見えるが、どこで始まって、どこで終るか一応廻った上でないと見当がつかぬ。あるいて見ると存外小さい。三丁ほどよりあるまい。ただ非常に不規則な形(かた)ちで、ところどころに岩が自然のまま水際(みずぎわ)に横(よこた)わっている。縁の高さも、池の形の名状しがたいように、波を打って、色々な起伏を不規則に連(つら)ねている。
『草枕』十

メモ

漱石館の近くに、モデルといわれる田尻家の池がある。

那古井館

小天温泉の一軒宿。庭に、小天吟の漱石句碑がある。

温泉や水滑らかに去年(こぞ)の垢

草枕温泉てんすい

前田家別邸の建物をイメージした日帰り入浴施設。館内の「草枕の湯」も別邸の浴場を模したもの。館内には『草枕』関連資料を集めた展示ホールも充実している。

「草枕」ハイキングコース

熊本市の島崎から鎌研坂を上り、鳥越峠、野出峠を経て天水町に下って行く約14kmのコースが「草枕」ハイキングコースになっている。

鎌研坂

鎌研坂の上り口には「天水町漱石館まで一三・四キロ」の標識板が立っている。

 山路(やまみち)を登りながら、こう考えた。
 智(ち)に働けば角(かど)が立つ。情(じょう)に棹(さお)させば流される。意地を通(とお)せば窮屈(きゅうくつ)だ。とかくに人の世は住みにくい。
『草枕』一(冒頭)

峠の茶屋

小天に出るには鳥越峠と野出峠を越えなければならず、当時はいずれにも茶屋があった。小説はこの二つの茶屋を一つにして作られたのではないかといわれている。

「おい」と声を掛けたが返事がない。
 軒下(のきした)から奥を覗(のぞ)くと煤(すす)けた障子(しょうじ)が立て切ってある。向う側は見えない。五六足の草鞋(わらじ)が淋(さび)しそうに庇(ひさし)から吊(つる)されて、屈托気(くったくげ)にふらりふらりと揺れる。下に駄菓子(だがし)の箱が三つばかり並んで、そばに五厘銭と文久銭(ぶんきゅうせん)が散らばっている。
『草枕』二

鳥越峠

鎌研坂を登りきり、しばらく行くと鳥越の峠で茶屋があった。 当時の茶屋は1935年ごろに解体、1989年4月に復元された。茅葺〔かやぶ〕き屋根の茶屋周辺は「峠の茶屋公園」となっており、茶屋の中には漱石関係の資料が展示されている。

野出峠

「草枕峠の茶屋跡」の文学碑があり、小さな公園ができている。眺めが素晴らしく、ミカン山越しに有明海が望める。