FUKUSHI Plaza ザ・20世紀年表20世紀1943年 1944年 <--・--> 1946年 1947年年指定

1945年

昭和20年 乙酉〔とり〕
終戦(敗戦)
【世相】本土決戦、一億玉砕、玉音放送、敗戦/終戦、戦後、一億総懺悔、虚脱状態、民主化、 買い出し、ヤミ市青空市場
【流行・話題】復員、浮浪者、生活菜園、バラック輪タクDDT、踊る宗教
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最終更新日:2013年3月2日

重大ニュース

日本無条件降伏(敗戦)、降伏文書調印
8月14日午前10時50分からの御前会議で「聖断」が確認された。 午後の閣議でポツダム宣言を受諾して降伏することを一致して決め天皇に上奏した。午後11時にポツダム宣言受諾はふたたび通達され、この時点で日本の敗戦が決まった。  ポツダム宣言  クーデター  玉音放送
9月2日、東京湾横須賀沖に停泊していた米第3艦隊旗艦ミズリー号上で降伏文書の調印。日本側の全権は重光葵と梅津美治郎。連合国は降伏文書のなかで「(日本軍の)連合国に対する無条件降伏を布告」した。これにより「天皇及日本国政府ノ国家統治ノ権限ハ…連合国最高司令官ノ制限ノ下に置カレル」(降伏文書)ことになった。 これにより太平洋戦争は終わった。
この戦争による日本の死者は300万人以上とされる。
米軍、原爆を投下 究極の「大量破壊兵器」による大虐殺
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本土空襲 無差別爆撃で大量の犠牲者
米軍による無差別攻撃で全国の主要都市のほとんどが灰燼に帰した。 東京では数時間で10万人が虐殺された。  詳細
ソ連が対日参戦
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連合国軍による占領
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花岡事件
1944年から1945年にかけて秋田県大館市の花岡鉱山に強制連行され水路工事などに従事した中国人労働者が、鹿島組(現=鹿島)から1日12時間以上という過酷な労働を強いられ、現場監督から日常的に暴行を受けた。
6月30日、労働者が一斉決起して監視役の日本人ら4人を殺害。鹿島組や地元警察、消防団員、在郷軍人会などが徹底的に鎮圧、逮捕されたメンバーらが拷問を受けて100人を超す中国人が死亡した。決起の前後合わせて中国人986人のうち418人が死亡したといわれる。  和解成立(2000年)

国際

国連が成立
4月25日、第2次世界大戦の勝利目前に連合国(the united nations)50カ国代表がサンフランシスコに参集し、国連憲章を採択した。
6月26日、国連憲章調印。
10月24日、正式に発足。
日本では United Nations を「国際連合」と訳した。戦後に日本などの「旧敵国」も吸収合併された。  公式サイト
ナチスによる大量虐殺発覚
ユダヤ人絶滅作戦は1945年初めに中止されたが、犠牲者は500万人以上にのぼると推定されている。 ドイツ、オーストリア、チェコ、ポーランドに17箇所あった強制収容所のうち最大のものは、有名なアウシュビッツ(ポーランド)。

政治[ページの先頭へ]

国会

立法

内閣・行政

鈴木貫太郎内閣(4月7日〜8月17日)
[総理]鈴木貫太郎
東久邇宮内閣(8月17日〜10月9日)
初の皇族内閣。戦争終結と混乱した内政立直しにあたった。
[総理]東久邇宮稔彦、[外務]重光葵、[国務]近衛文磨
幣原内閣(10月9日〜1946年5月22日)
[総理]幣原喜重郎

外交・戦争

占領

地方

皇室

司法・裁判[ページの先頭へ]

国際[ページの先頭へ]

経済[ページの先頭へ]

会社創立

物価

新商品・ヒット商品

日用品

食料品・嗜好品

社会[ページの先頭へ]

暮らし・話題・流行

風俗

交通・運輸

教育

ことば(流行語・話題の発言)[ページの先頭へ]

「一億総懺悔」(東久邇宮首相、8月28日)
詳細
「銀めし」「銀シャリ」
混じり物のない白米の飯のこと。
「進駐軍」
連合軍による占領が始まったが、日本政府やマスコミはこれを進駐軍と呼び、占領と言う表現を避けるようにした。  占領
「第三国人」
旧占領地域の国籍者である朝鮮人、中国人、台湾省民。大部分は、強制的に日本に連行され、労働力として徴用されたり、「日本兵」として兵役にかりたてられていた。
「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ」(昭和天皇、8月15日)
玉音放送
「竹の子生活」「タマネギ生活」
竹の子の皮をはぐように、衣類その他の所有品を売って生活費にあてる暮し。一皮むくごとに涙がでるということから「タマネギ生活」と呼ばれた。
「バラック」「壕舎」
「バラック」は焼け杭や古木材、焼けトタンで工夫した建物。「壕舎」は戦時中に庭の隅、道端や空地などに掘られた一〜二畳程度の半地下の防空壕をそのまま応急家屋として利用したもの。これらは雨漏りがひどかったり、寝具はおろか、畳やゴザさえないほど惨めな住まいだった。
「パンパン」「パンパンガール」「パン助」
敗戦後街頭に現れた私娼のこと。語源はインドネシア語プロムパンのなまりで、GIが持ち込んだ言葉。
「ピカドン」「新型爆弾」
原子爆弾のこと。  詳細
「復員」
戦地から日本軍兵士が帰国すること。
「ヤミ市」「青空市場」
統制経済下で公定(マルコウ)価格ではないの闇(ヤミ)の品物を売る店が集まっているところ。違法ではあるが庶民の生活にはなくてはならない存在だった。全国の盛り場や焼跡に次々と店開きして広がり、自由市場として賑わった。はじめのうちは、青天井の露店市だったが、1946年になると平屋の長屋をつくってマーケットと呼び、戦後の一時期、盛り場をつくり出した。1940年代末、庶民の生活が少し落ち着きを取り戻し、ものが市場に出回るようになると消えていった。
「四等国」(マッカーサー、9月12日)
記者会見で米人記者団に「日本はこの戦争の結果、四等国に転落した、日本が再び世界的強国として登場することは不可能である」と発言した。
「輪タク」
自転車が人力車を牽引するような自転車タクシー。交通機関が壊滅的な打撃を受けたため庶民の足として登場し、1948年頃まで活躍した。
「DDT」
殺虫剤。シラミの媒介する発疹チフスを防止するため、強制的に全国の消毒が行われた。
「GHQ」【General Head Quaters】
連合国軍指令本部。アメリカ太平洋軍総指令部(GHQ/USAPA)と連合国軍最高司令官総指令部(GHQ/SCAP)があるが、通常後者をさす。講和条約発効まで君臨した。  占領  講和条約発効(1952年)
別名「お壕端」とも呼ばれた。「GHQの命により」といえば、絶対であり、「鬼よりこわい」「泣く子も黙る」存在だった。
「MP」【Millitary Police】
占領軍の憲兵。闇市の取締り、デモの警備、軍規違反米兵の取締りなどの他、銀座の大通りの交通整理までやった。

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誕生

尾崎紀世彦[歌手](1.1)、 松原智恵子[俳優](1.6)、 佐良直美[歌手](1.10)、 ロッド・スチュワート[英、歌手](1.10)、 三木たかし[作曲家](1.12)、 落合恵子[作家](1.15)、 おすぎ[映画評論家](1.18)、 ピーコ[ファッション評論家](1.18)、 佐高信[評論家](1.19)、 本間千代子 [俳優](1.29)、 吉永小百合[俳優](3.13)、 栗原小巻[俳優](3.14)、 宮本信子[俳優](3.27)、 エリック・クラプトン[英、ミュージシャン](3.30)、 阿木燿子[作詞家](5.1)、 青江三奈[歌手](7.7)、 松島トモ子[俳優](7.10) 、 黒鉄ヒロシ[漫画家](8.3)、 タモリ[タレント](8.22)、 永井豪[漫画家](9.6)、 藤田弓子[俳優](9.12)、 水前寺清子[歌手](10.9)、 樋口久子[ゴルフ](10.13)、 ニール・ヤング Neil Young[加、歌手](11.12)、

物故

野口雨情(63歳、1.27)、 アンネ・フランク(3.31)、 フランクリン・ルーズベルト[米](63歳、4.12)、 ベニート・ムッソリーニ[伊](4.28)、 アドルフ・ヒットラー[独](4.30)、 西田幾多郎[哲学者](74歳、6.7) 切手に描かれた人物三木清(48歳、9.26)、 木下杢太郎[詩人](60歳、10.15)、 岩崎小弥太(66歳、12.2)、 近衛文麿[元首相](54歳、12.16)

出版・文学[ページの先頭へ]

話題の本

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番組

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日本

外国映画日本公開

外国

文化・芸能[ページの先頭へ]

演劇

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日本

スポーツ[ページの先頭へ]

野球

大相撲

夏場所(6月)
備州山大八郎〔びしゅうやま だいはちろう〕[前1、伊勢ヶ濱]7戦全勝
<国技館で7日間、一般非公開で行われた。幕下以下は春日野部屋の稽古場で5日間。 初日が双葉山の最後の土俵。>
秋場所(11月)
羽黒山政司〔はぐろやま まさじ〕[横綱、立浪]10戦全勝(3回目)
<16日が初日で、天井が焼け落ちた両国国技館で晴天日に10日間の興行。土俵の直径を16尺(4.85m)に広げた。>

囲碁囲碁・将棋[ページの先頭へ]

囲碁

第3期本因坊戦
岩本 薫七段 3(○●●○●○)3 橋本昭宇本因坊
<六番勝負、コミなし。第1局は7月23日に広島市中島で行われた。第2局も同じ場所で行われる予定だったが空襲が激化して危険であるということから約10キロ離れた五日市町に移された。3日目の8月6日に原爆の爆風を受け碁石が飛び散ったが対局を続行し正午ごろに終了した(原爆下の対局)。第3局は11月に再開された。3勝3敗で決着がつかなかったため規約により本因坊位を日本棋院預かりとして一時中止した。>  再開(1946年)

将棋

第5期名人戦
木村義雄
<7人による挑戦者決定戦となったが、戦局激化のため中止された>

科学・技術[ページの先頭へ]

主な出来事[ページの先頭へ]

災害