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日本本土空襲

最終更新日:2011年9月11日

第2次世界大戦でアメリカ軍を主体とする連合国軍が日本本土に対する空襲を行った。B29戦略爆撃機による本格的空襲は1944年6月より北部九州に対して中国大陸の基地から行われた。マリアナ諸島が陥落すると、日本本土の大半が爆撃圏内にはいり、1944年末頃から空襲は熾烈化した。

当初は軍需工場が主たる目標となっていたが、カーチス・ルメイ少将の登場以降、民家や一般市民そのものを標的にした無差別爆撃へと移った。日本全国の主要都市のほとんどが灰燼に帰し、特に主要な都市は大規模空襲にあった。京都は原爆投下目標の候補の一つであったため大規模空襲にあわなかった。空襲は終戦当日まで続いた。また、末期には機動部隊艦載機や硫黄島から飛来する単発機による爆撃や機銃掃射も行われた。  ウォーナー恩人説  空襲指揮者を叙勲(1964年)

非戦闘員に対する卑劣な戦法で戦時国際法に反するが、アメリカが戦勝国のためは裁かれることはなかった。日本政府は、 サンフランシスコ講和条約(1952年)により賠償請求権を放棄した。

1942年

1944年

1945年