未来からの贈り物


はじめに

  はじめまして。突然出状する失礼をお許しください。私は北九州市に住む35歳の会社員です。4歳の長男(雅一といいます)を小児癌で亡くしてから2年になります。

 私が雅一(私たちは「まあちゃん」と呼んでいました)と闘病生活をしていた時、そして死後、私たちは多くの人たちから助けていただきました。私たちが今こうして、自殺もせず、離婚もせず、退職もせず、一見何事もなかったように暮らしていられるのも、これらの人々の慰めや励ましがあったからです。その後、自分がこういう目にあってみると、世の中には同じような境遇にあって悩んでいる人々が大勢いるものだということがわかりました。私たちが、自分自身の悲しみを乗り越えたという自信は全くありませんが、不慮の災難に苦しむ人を見ると、なにか力になりたいという気がします。そういう人が背負っている重荷は、とてもひとりだけで背負いきれるものでないということが、私には痛いほどわかるからです。

 この「手紙」は、そういう人々の重荷を、軽くするなどというおこがましいことはできないまでも、あなたのその荷物が背負いきれないくらい重いということをわかっている人間がここにも一人いますよ、ということを訴えたくて書きました。この「手紙」の宛名人のほとんどは直接面識のない方々です。ある方は新聞報道で、ある方は風の便りに知りました。

 松浦さんの奥さんは、出産を前にして原因不明の慢性・進行性の特殊な肺疾患にかかり、出産には成功したものの、初めての赤ちゃんを抱くこともできないまま亡くなったのでした。父となった戸惑いと喜びというお定まりの、しかしすばらしい幸福が待っているはずだった松浦さんには、二度と微笑まない妻の遺影と、母のない赤ちゃんが残されました。

 安田さん夫妻の二人のお子さんは、遊んでいるうちに池に落ち、ひとりは死亡、もうひとりは今のところなんとか命はつないでいるものの、周囲の祈りもむなしく意識は回復せず予後が心配されています。世間は「ひとりでも助かったのは、不幸中の幸いだったですね。早く意識が戻るといいですね」という対応をしがちですが、亡くなった子はこの世にひとりしかいない存在であり、もうひとり子供が残されていようが、あと10人子供がいようが、かけがえのない者を失った心の傷は私にも、誰にも、わかるはずがありません。

 清水さんは小学生の二人の子供を持つ主婦ですが、働きざかりのご主人が胃癌と診断され、手術をしたものの既に肝に転移していたので、原発巣のみ切除して縫合、医師からは3カ月の命と言われました。看病、子供の世話、姑の悲嘆対応などの負担がすべて清水さんにかかり、体力的にも精神的にもくたくたになる毎日が始まりました。悩み抜いた末、病名は告知しました。そんな努力が通じたのか何事もなく3カ月が過ぎ、そのまま軽快するかに見えましたが、約8カ月の闘病生活の末亡くなりました。今、清水さんは夫婦二人で築くはずだった将来を、たった一人で切り開いて行かなければなりません。

 それから、もう一人忘れられないのは、雅一と同じ病院に入院していた小児癌のひろみちゃんです。ひろみちゃんは雅一より1、2歳年下で、生後まもなく発病し、ほかの赤ちゃんがハイハイ、タッチ、最初の言葉などを覚える楽しい時期をずっと病院で過ごしました。ひろみちゃんのお母さんはずっと病院に泊り込みで面倒を見ておられ、家にはめったに帰れない毎日でしたね。雅一が死んでしばらくした頃、ひろみちゃんも幼いいのちを閉じたということを、風の便りに聞きました。いつも病院の廊下を、輸液をつけ車椅子をお母さんに押してもらって散歩していたのを覚えています。黄疸が著しいにもかかわらず、目がパッチリとして、それは可愛い女の子でした。大きくなったら、さぞ美人になったでしょうに。

 この手紙がみなさんの慰めや励ましになるかどうか、甚だ自信がありませんが、みなさんの境遇は私には他人事ではありません。さりとて、私には何もできないので、こういう「手紙」という体裁をとらせていただきました。もし、みなさんの(あるいは似た境遇にある他の方々の)お役に立つことがあれば幸いです。

1989/8/8

(C)MPC


第1信 どうして私だけがこんな目に

  晴天の霹靂としかいいようのない悲報に接した時、みなさんは「どうして選りに選って自分がこんな目に会わなければならないのか」という怒りの感情を持たれたのではないでしょうか。

 母を白血病で失ったある高校生も、こんな作文を書いています。

 『僕達では本当に想像もできない、気の狂いそうな痛みに、辛抱辛抱を重ねて約1年もの間、病気と闘ってきたのに、どうして母の懸命な努力は報われなかったのでしょうか。何の罪があって、母があんなにも苦しんで死んでいかなければならなかったのか。世の中では生きるに値しないような人も平然として毎日を生きているのに。僕はそれを思うたび、くやしくてくやしくて、そんな者こそみんな死んでしまえばいいんだ、と、八つ当りではありますが、よくそんな気持ちになります。』(徳永進著「死の中の笑み」ゆみる出版刊

 夫をやはり白血病で亡くしたある主婦はこういいます。

 『街を歩いていて、どうして私の主人だけが、こんな病気になったのだろうと思いました。そうすると、急に腹が立ってきて、すれ違う男という男が憎く思えてきました。私だけがどうして苦しまねばならないのだろうと思いました。すると、すれ違う女も憎く思えてきました。こいつらは温かい家庭を持っている。そう思うと片っ端から殺してやりたいと思いました。私の主人だけが死ぬなんて。みんな死んでしまえ、いえ、でも先生、私そんなことできやしませんよ、ただそんな思いがしてきただけなんです。それから、そんな病気を診断した先生が悪いと思って、憎くって、先生も殺してやろうって。』(同書)

 私は、このような怒りが間違ったものだから、立ち直るためにはそれを克服せよなどとお説教する気は全くありません。ある意味で、みなさんの怒りは正しいのです。むしろ、こういう怒りをぶつけられる医療者や周囲の方々に、過剰に反応することなく、それが、耐えがたいストレスに直面した心が必死で態勢を立て直そうとする過程での一過性の感情の嵐であることを理解していただきたい、と逆にお願いしたいくらいです。

 食道癌で亡くなったフジテレビのニュース・キャスター山川千秋氏の場合は、ちょっと違っていました(山川千秋・きよ子著「死は終りではない 山川千秋・ガンとの闘い180日」文藝春秋社刊)。奥さんのきよ子さんは強い信仰があり、「山川の死は神の遠大な計画の一部。自分にはその計画、意味を知ることはできないが、神様は決して耐えられない苦しみはお与えにならないはず」という趣旨の受け止め方をなさっています。苦しみをこのように考え、意味を与え、乗り越えるこの奥さんは立派です。しかし、こんなふうに悟れる人は多くはないと思います。

 私には、山川夫人のように悟りを開くことはできません。そして私はこの「手紙」を、私と同じように、悟りを開くことができず、悶々としている方のためにこそ書いています。

 安田さんの子ども、松浦さんの奥さん、清水さんのご主人、ひろみちゃん、それに私の息子雅一など、不慮の事故や病で死んでいった私たちの愛する者たちが、確かに死ななければならなかったという納得のいく理由を、私は絶対に認めることはできません。

 なにかの罰だったのでしょうか? 冗談ではありません。生後まもなく発病したひろみちゃんが、命で償わなければならないようなどんな罪を犯したというのでしょうか。それとも、ひろみちゃん本人ではなく家族が何か罪を犯したのでしょうか。そんなことをいう人は地獄へ落ちるがよろしい。たしかに、小さな罪のひとつやふたつは犯したでしょう。しかし、完全無欠な人間などいません。どう考えても、それらの小さな無数の罪ゆえに、愛する娘を人生の入口にも立たないうちに奪われなければならないというのは、バランスを欠いています。幼女連続殺人の犯人が健康に生きて、ひろみちゃんが死ななければならないというのも、不公平です。仮に、百歩譲って、ひろみちゃんの家族がなにか小さからぬ悪いことをしたとしましょう。しかし、その罪を、何のけがれもない子供の命をもって償わせる神とは、いったいなんという神なのでしょう。いったいどんな権利があってそんな残酷なことをするのですか。子供の命と引き換えに善なる行いを強要するなら、これはもう倫理でも信仰でもなく、暴力団と変わる所ないではありませんか。私はそんな神は信じないし、そんな神を賛美する人を憎みます。

 私たちの不幸は、その時だけを見るから不幸なのであって、長い目でみれば、愛する者の死はより大きな幸福につながり、今本当に悪いことをしている人はいつか本当の罰を受けるのでしょうか? しかし、それにはいつまで待てばいいのですか。私たちには、松浦さんが「妻は死んでしまったけれど、死んでくれてよかった。そのおかげで今はこんなに幸福だ」と思える日が来るとは信じられません。金銭の損失なら、後日もっと多くの利得によって埋め合せをすることができますが、愛する者を亡くすという体験、その時の心の傷は、どんな別の幸福を以てしても消し去ることはできないのです。

 それとも、人知には量り知ることのできない深遠な計画の一部なのでしょうか? 何か偉大な結果をもたらすための犠牲であった、と考えるのはいくらか慰めになります。しかし、たとえば、人を理由も説明せずに引っ張ってきて、心臓、肝臓、腎臓2個を摘出し、4人の前途ある若者に移植するような行いは、移植手術の生着率が100%だったとすれば、摘出された人の命はたしかに偉大な結果をもたらしますが、立派な殺人です。では、安田さんの子供が神の偉大な計画のために、理由も知らされずに池で溺死させられるのは、許されるのでしょうか。息子をプロゲリアで亡くしたユダヤ教のラビ(牧師)、クシュナーはその著書「ふたたび勇気をいだいて」(ダイヤモンド社刊)の中でこう述べています。

 『「私はアドルフ・ヒトラーを信頼している。なぜあんなこと(強制収容所のホロコーストを指す)をしたのか説明することはできないけれど、しかるべき理由もなく、彼らがあんなことをしたとは信じられない」などという人の話を、私たちはどれくらい真面目に受けとることができるでしょうか。…最終的にそれがどれほど素晴らしい結果となるかは知りませんが、まったく理にかなわない苦しみを人に負わせる神を、どうして別扱いして許す必要があるでしょうか?』

 私が先に、みなさんの「どうして自分だけがこんな目に…」という怒りが、ある意味で正しいと述べたのは、こういうことです。

 みなさんが、こんな理不尽な苦しみを嘗めなければならない理由は何もありません。私たちの愛する者たちが死んだのは、全く不公平であり、何かの罰だということは絶対にありません。みなさんは、こんな理屈にあわない残酷な仕打ちをした運命に、満身の力をこめて怒っていいのです。

 では、愛する者たちの死は、逆にいえばまったく無意味なものだったのでしょうか。

 愛する者たちの死は、全く不運な出来事でしたが、しかし意味を与えることができます。これについては、第4回に述べさせていただきます。なお、第2回と第3回は「気のすむまで大いに怒り、泣きましょう」ということを書く予定です。

 なお、上記のような考え方に対して、一部の宗教家の方からは「そんな罰当りな考えを持っているから、子供が死ぬのだ」という非難があるかもしれません。この「手紙」は宗教の薦めではないので、信仰の問題は書くつもりはありませんが、誤解のないようにお断わりしておきますと、私は神を冒涜していません。私は無神論者でもありません。私は神を信じています。ただ、私が信じる神は、罰する神ではなく、愛し慰めてくださる神様です。

1989/8/16

まあちゃんが好きだった降るような蝉しぐれを聞きながら

(C)MPC


第2信 悲しみは私の一部

〜悲嘆のプロセスの12段階〜

 「幸福な家庭はどこも似ているが、不幸な家庭はそれぞれ違う」とは、あるロシアの有名な小説の書き出しですが、愛する者を亡くした家庭の話をうかがってみると、意外に共通した悩み、苦しみがあるということがわかります。ところが、当事者にとってはなにしろ初めての経験ですし、しかも苦しみがあまりに大きいので、自分がなにか異常な精神状態になっていて、このまま気が変になるのではないかと悩み、中には心の中の嵐を無理に封じ込めようとして本当に病気になる場合もあります。そこで今回は、みなさんの経験されている激情の嵐がごく自然で正統のものであり、それに率直に身を任せる方がよいということを、書かせていただきます。

 

 上智大学のアルフォンス・デーケン教授(哲学)は、愛する者を亡くした人に起こる激情の嵐とその経過を研究し、悲嘆のプロセスに12段階があるという考え方を提唱しています(曾野綾子/アルフォンス・デーケン編「生と死を考える」春秋社、死への準備教育叢書第2巻「死を看取る」メジカルフレンド社)。すべての人がこの12段階をこの順番に通過するわけではなく、どの時期がどんな順番で来るか(あるいは二,三の反応が重なって続いたりもしますが)は、個人によって違います。しかし、あなたの経験している心理状態が決して異常なものではないことを知っておくのは、悪いことではないと思います。

 

 (1)精神的打撃と麻痺状態

 『衝撃により、一時的な現実からの逃避が起こり、現実感覚が麻痺状態に陥る。』(曾野綾子/アルフォンス・デーケン編「生と死を考える」春秋社、死への準備教育叢書第2巻「死を看取る」メジカルフレンド社

 私たちの場合は闘病生活が長く、予後の予想もついたので、心の準備をすることができ、この段階は長くはありませんでした。しかし、愛する者を事故や犯罪でなくした場合は、この時期が強く長いと思います。

 

 (2)否認

 『あの人が死んだなど、本当のはずがない、そんなことは許されない、まだ生きているに違いない、などと考える。』(曾野綾子/アルフォンス・デーケン編「生と死を考える」春秋社、死への準備教育叢書第2巻「死を看取る」メジカルフレンド社

 まあちゃんが死んでも、わが家にはまあちゃんのおもちゃ箱があり、まあちゃんの組み立てたレゴのブロック、紙の工作がいたるところにありました。それらをいつまでもそのままにしておくわけにも行かないので、片付けなければなりません。この作業は、いうなればまあちゃんがこの家で生活していた痕跡を消し、まあちゃんのこの家での居場所をなくして行くことにほかなりません。私達の心の中には、まだまあちゃんの死を認めたくないという気持ちがあり、もしまあちゃんが帰ってきた時にまあちゃんの席がなかったら可愛そうだという気持ちがあるので、この作業は本当につらいものでした。

 闘病生活の間に心の準備ができたはずの私たちですらそうですから、事故など突然の死に愛する者を奪われた家族はもっとつらいと思います。事故で死んだ子供の勉強部屋を何年も生きていた頃と寸分違わぬ状態に保存している母親は珍しくないようです。それほどではなくとも、食卓に死んだ子の椅子をそのままにしている家庭は少なくないのではないでしょうか。

 愛する者の死を認めたくないという気持ち、そしてそこから来る一見異常な行動、それらはごく当然の心の動きであり、悲しみが適切に浄化されればいずれは自然に和らいで行くものです。ですから、みなさんはそれを後ろめたく感じる必要はないし、周囲の人も、そういう反応を示している家族を暖かい目で見守ってあげてほしいと思います。

 

 (3)パニック

 『極端な恐怖は人を麻痺させ、集中力を奪って、日常生活の妨げとなる。』(曾野綾子/アルフォンス・デーケン編「生と死を考える」春秋社、死への準備教育叢書第2巻「死を看取る」メジカルフレンド社

 私達にはありませんでしたが、犯罪で愛する者を殺されたような場合、これは最も大きな試練ではないかと思います。パニックは、他の悲嘆プロセスと違って、心の防衛機制が破綻していることを示す症状であり、これを受容・浄化することで再起に結びつくという性質のものではありません。幸いにして、私の周囲にはそのような事例はありませんでしたが、そのような家族にはどう対処してよいのか、正直に言って私には見当もつきません。

 

 (4)怒りと不当感

 『悲嘆がもっぱら悲しみの感情であるとする考え方は一般的であるが、実際には怒りもまた重要な局面である。』(曾野綾子/アルフォンス・デーケン編「生と死を考える」春秋社、死への準備教育叢書第2巻「死を看取る」メジカルフレンド社

 ここでいう怒りは、不当な仕打ちを受けたということに対する怒り、あるいはそういう仕打ちの「責任者」に対する怒りを指します。一般的には、怒りは運命や神に対して向けられます。私は、雅一が手術の結果良性でなく悪性腫瘍だとわかったとき、神に怒りました。

 第1信でも申し上げたように、このような怒りも自然なものであり、怒りを感じたことに罪悪感を持つ必要は全くありません。

 このことは信仰をお持ちの方でもおなじです。以前から信仰を持つ人の場合は、自分が信仰する神に一瞬でも怒りを感じたことで罪悪感に悩むことがあります。しかし、神様の愛の器はそんなちっぽけなものではありません。幼子が雨で外で遊べないことで母親にやつあたりしても、怒る母親はいません。神様の愛の器もそれと同じです。運命の不当な仕打ちに怒りを感じるなら、思い切ってその感情に身を任せることです。怒りを発散させれば、それだけ心が軽くなります。

 

 (5)敵意と恨み

 『近親者の中には、死別した患者の世話をしてくれた人々に敵意を示すひともいる。こうした非難は大体において不合理なものであるが、敵意を向けられた人は過敏に反応することなく、理解と思いやりを示すことが必要である。残された人は、やり場のない感情をぶつける犠牲者を必要としているのであり、死の衝撃が大きければ、周囲の誰もが対象となり得る。』(曾野綾子/アルフォンス・デーケン編「生と死を考える」春秋社、死への準備教育叢書第2巻「死を看取る」メジカルフレンド社

 敵意と怒りの違いは、怒りの対象は不当な仕打ちの「責任者」であるのに対し、敵意の鉾先は、患者に関わった医師、看護婦、友人、神父など誰でも構わない(わかりやすく言えば八つ当り)という点です。雅一の死後私たちは次男カタツムリ(仮名)を授かりましたが、私は時々、その次男に対して「おまえはどうしてまあちゃんじゃないんだ!」という、冷静に考えればむちゃくちゃな論理の敵意を感じ、ふっと階段から放り投げたくなる瞬間があります。次男は雅一以上に溺愛しているにも関わらずです。また家内は、あの時あの先生があこまで気を配ってくれていたら何とかなっていたのではないか、ということをよく口にします。

 愛する者を亡くした人の周囲でこういう敵意を向けられた人は、ご迷惑とは思いますが、社会的許容の限度を越えない限りは、大きな気持ちで受け止めてあげてくださるようにお願いします。

 

 (6)罪意識

 『これは悲嘆の行為を代表する反応といえるもので、過去における現実の、あるいは想像上の自己の過ちを悔やみ、自分を責める。あの人が生きているうちにこうしてあげれば死なずに済んだかもしれない、または逆に、あの時にあんなことをしなければよかった、などと考えて悔恨の念にさいなまれる。』(曾野綾子/アルフォンス・デーケン編「生と死を考える」春秋社、死への準備教育叢書第2巻「死を看取る」メジカルフレンド社

 私は雅一が発病した時点で約30日の有給休暇枠をもっていましたが、まさか1年もたたないうちに死ぬとは思わなかったのと、会社にプライベートなことで迷惑をかけてはいけないと思って、入退院の時をのぞいては、ほとんど雅一と一緒に時間を過ごすための休暇というものはとらず、発病前と全く変わらぬ仕事をこなしていました。全く変わらぬどころか、発病後の、精神的に最も混乱しているはずの時期に、自分でも信じられないくらいうまく社内のタイミングをとらえて、それまでの数年間の開発の総括作業などをやりました。残された短い時間を、私がまあちゃんと過ごすために使った休暇は、臨終直前のわずか2日だけでした。このことを私は、今でも断腸の思いで後悔しています。なぜ、有給休暇を全部使い、欠勤してでも、もっとまあちゃんといっしょに貴重な日々を過ごさなかったのか、この文章を書きながらでも涙が出てしまうのです。そして、この後悔が亢じて、私をそこまで会社につなぎとめた「仕事」に対して、見当外れの敵意まで感じてしまうのです。

 

 (7)空想形成、幻想

 私たちは、ある日、玄関のチャイムが鳴るので出てみると、まあちゃんが見知らぬ光輝く服を着た老人に手をひかれて立っており、「本当は雅一君は冥界に召されたのですが、両親も雅一君もあまりに悲しむので、神様が今度だけは許してくださりましたよ」と告げられる空想を何度もしました。あるいは、西方浄土というくらいだから、中国を西へ西へと歩き、砂漠を横断して息も絶え絶えにたどり着くと、砂漠の蜃気楼の中にシャングリラのような世界があり、まあちゃんがいて、「あれえっ、パパこんなとこまできてくれたのお?」と駆け寄るという空想も好きです。まあ、さすがにこういう空想は最近はしませんが、草木も眠る深夜、そうっと寝室を出て階段を降りていくと、雅一の霊がこっそり遊びに来て、居間でレゴを組み立てているのではないかというのは、今でも思います。

 こういう空想は、耽溺しなければいい慰めになります。

 

 (8)孤独感と抑欝

 『深い孤独感と抑欝の体験はごく自然な反応であり、健全な悲嘆のプロセスの一部である。』(曾野綾子/アルフォンス・デーケン編「生と死を考える」春秋社、死への準備教育叢書第2巻「死を看取る」メジカルフレンド社

 私は車で通勤していて、家を出るとしばらく川の堤防の上の道を走ります。雨の日にこの堤防の道を走ると、なぜか雅一を思い出します。雅一は福岡市の南にある国立病院九州がんセンターに入院していました。僕の家は北九州市にあったので、往復約90キロの道のりがあります。車で高速道路経由で約1時間半かかっていました。入院中は週3、4回通いました。週日は仕事が終ってから病院に行き、消灯を過ぎてから病院を出ますから、帰途は疲れが出てよく居眠り運転になりました。闘病期間中はそんなふうにひたすら走ったという印象が強いことと、自宅から病院に行く時もやはりこの堤防を走ったので、雨の日にこの堤防を走ると雅一を思い出すのだろうと思います。

 雅一が死んだあと、この堤防を走ると、無性に会いたい気持ちがおこりました。この道を、雅一が生きていた時と同じようにがんセンターに進路を取れば、会えるような気がしました。出勤するために自宅を出発したものの、この堤防を走りながら、そういう気持ちが耐え難く強い日には、仕事をさぼって、本当にがんセンターまで行ってしまったこともあります。がんセンターの駐車場に着いて、車の中でぼんやりしていると、小児病棟に行けばまだ雅一が点滴をつけてうろうろしているような気がしました。知った医師や看護婦さんに会うとまずいので、さすがに小児病棟までは行きませんが、放射線科への曲がり角にたたずんだり、小児科外来を歩いたりしていると、点滴をつけて歩いている雅一の姿が彷彿としました。

 それ以外にも、海の中道海浜公園、幼稚園、家内の実家など、雅一の思い出の強い場所に行くと、ひょっこり雅一が現れるような気がしました。家内の実家は、発病前も闘病中も頻繁に訪れた場所で、雅一は自分より少し小さい義兄の長女を、妹のように可愛がって遊んでいました。雅一が死んだ後、この実家に遊びに行って、応接間のソファでうたた寝をしながら、義兄の子供達の賑やかな声を聞いていると、どうしてこの中に雅一がいなんだろうという気がして、涙が出てくることがありました。

 

 (9)精神的混乱と無関心

 『日々の生活目標を見失った空虚さから、どのように振舞えばよいか、何を為すべきかがわからなくなるといった精神的混乱が生じ、人生のあらゆることがらに無関心になる。』(曾野綾子/アルフォンス・デーケン編「生と死を考える」春秋社、死への準備教育叢書第2巻「死を看取る」メジカルフレンド社

 鬱病になった時期もあります。それは治ったのですが、今でもごくたまに、出勤はしても仕事が始められないことがあります。「雅一が死んだというのに、なんでこんな仕事をしなけりゃならないんだ。私はここで何をしているんだ」という怒りのような感情が突き上げて来るのです。そういう時はこっそり実験室に行き、コンピュータで古いデータ・ファイルをリストし、それらの日付を眺めて、「ああ、この時はまだ雅一が生きていたなあ。この時は寛解のあとで、一番幸せな時だったなあ」などと感慨にふけります。それから、気分がよくならないと、その日を休み扱いにして、家に帰ってしまいます。家に帰って何をするかというと、昼間から缶ビールを飲みながら、次男(3歳)が遊ぶのを眺めたり、一緒に遊んだりするのです。ですから、このごろでは私が遊び部屋に行くと、次男が「パパ、ビールいる?」と言って取りに行こうとするようになりました。また、私が出勤してもすぐ帰ってくることが何回か続くと、次男が昼前頃になると「パパ今日は帰って来ないねえ」と言うようになったそうです。

 

 (10)あきらめ――受容

 『この段階においては、再び現実の世界に立ち帰り、事実を受け止めようとする真剣な努力がなされる。受容とは単に受動的に運命に身を任せることではなく、現実を積極的に受け容れようとする行為である。』(曾野綾子/アルフォンス・デーケン編「生と死を考える」春秋社、死への準備教育叢書第2巻「死を看取る」メジカルフレンド社

 百箇日を過ぎた頃から、私は雅一の死になにか意味を与えるにはどうしたらよいかを考え始めました。本も読みました。この頃の私が最も大きな影響を受けたのは、アルフォンス・デーケン、エリザベス・キュブラー=ロス、日野原重明などでした。精神的混乱と抑欝はまだ続いていましたが、その年の12月には、医療、福祉、ボランティアなどの関係団体に出かけて話を聞きました。そして映画を題材とした医療福祉ボランティアを始めようというアイデアが、ほぼ固まったのでした。「雅一の死に意味を与えたい」というこの時期の強い衝動は、雅一の死を認めたくないという気持ちから受容へと向かう過程だったのではないかと思います。

 

 (11)新しい希望――ユーモアと笑いの再発見

 『悲嘆の闇を貫いて新しい希望の太陽が最初の光を投げかける頃、忘れられていた微笑がもどり、凍てついた心をとかしてあたたかいユーモアのセンスがよみがえる。』(曾野綾子/アルフォンス・デーケン編「生と死を考える」春秋社、死への準備教育叢書第2巻「死を看取る」メジカルフレンド社

 雅一の死後1年目から2年目にかけて、私はパソコン通信を通じて、新聞記者、医師、公務員、デザイナー、バーの主人など様々な人と知り合いになりました。それまでの私の人間関係の中では、自分の体験を吐露したり、逆に快活に振舞ったりもできないのですが、新しく知り合った人々とはなぜか率直にコミュニケーションができました。そして、その新しい人間関係の中で、ジョークを言えるようになり、ユーモアのやりとりを快いと感じることができました。

 

 (12)立ち直りの段階――新しいアイデンティティの誕生

 『悲嘆の最終段階への到達とは、愛する人をうしなう以前と同じ状態に戻ることを意味するのではない。苦痛に満ちた悲嘆のプロセスを経て、人は新たなアイデンティティを獲得し、より成熟した新しい人間として生まれかわるのである。』(曾野綾子/アルフォンス・デーケン編「生と死を考える」春秋社、死への準備教育叢書第2巻「死を看取る」メジカルフレンド社

 悲嘆の渦中にあるあなたには、立ち直りの時が来るなどとは信じられないかもしれません。立ち直りたくもないと思っておられるかもしれません。今はそれでけっこうです。ただ、産業医科大学の本多正昭名誉教授(哲学)は、人を成長させるのは獲得体験ではなく、喪失体験であると述べています。次は、アメリカのあるホスピスの壁に書かれていたという有名な詩です。

 「ある兵士の祈り」

偉大なことをするために健康を願った

すると、よりよきことをするために病を与えられた

幸福になろうとして富を願ったけれども

聡明になるように貧困を与えられた

人の賞賛を得ようとして力を願ったが

人間にとって神が必要であることを感じるために弱点を与えられた

生活を楽しもうとしてすべてのものを願ったが

願ったものは何も与えられなかった

しかし望んだものは

すべて与えられた

私の願いにかかわりなく

神はことばにならなかった祈りをきき給うた

だから多くの人よりも

私は豊かに祝福された

1989年9月(1992年10月加筆)

(C)MPC


第3信 悲しみを癒すために

 悲しみを癒すために、自動車修理のマニュアルみたいな処方箋があるわけではありません。悲しみにひとつとして同じものはありません。そのひとりひとり違う悲しみというカンバスに、これからの人生という絵を描いて行くのは愛する者を亡くした人自身の仕事であり、誰もそれを代わってあげることはできません。ただ、それでもいくつかの基本的な原則、絵でいえばテクニックみたいなものはあります。

 アール・A・グロルマンは、その著書「愛する人を亡くした時」(春秋社)の中でそれらの原則を次のようにまとめています。

   ●どのような感情もすべて受け入れよう。

   ●感情を外に表わそう。

   ●悲しみが一夜にして癒えるなどとは思わないように。

   ●わが子とともに悲しみを癒そう。

   ●孤独の世界へ逃げ込むのは、悲しみを癒す間違った方法。

   ●友人は大切な存在。

   ●自助グループの力を借りて、自分や他の人を助けよう。

   ●カウンセリングを受けることも、悲しみを癒すのに役立つ。

   ●自分を大切に。

   ●愛する人との死別という苦しい体験を意味ある体験に変えるよう努力しよう。

 これらの原則の中には、私がこれまで述べたことからすぐ理解していただけるものもあれば、新たな説明を要するものもあります。後者については、グロルマンの著書を読んでいただくとして、ここでは、愛する者を亡くした直後に特に大切な感情の受容と表出、それに対する周囲の理解について訴えておきたいと思います。

 

 (1)悲しみを隠さない

 グロルマンにしろ、「死ぬ瞬間」(讀賣新聞社)で有名なエリザベス・キュブラー・ロスにしろ、また私自身の体験からも、愛する者を亡くしたあとで最も重要なことは

     ●どのような感情もすべて受け入れよう。

     ●感情を外に表わそう。

 のふたつに尽きます。

 エリザベス・キュブラー・ロス著「生命尽くして/生と死のワークショップ」(産業図書)に出てくるポールとシェリル夫妻の体験はその最も感動的な例と言えます。ロス博士が初めてこの夫妻に出会った時、ふたりは数週間前に唯一の息子を再生不良性貧血で享年わずか9歳で亡くし、その葬儀の1週間半後に今度は11歳の娘が進行した癌にかかっていることがわかったのでした。ポールはエリザベス・キュブラー・ロスのワークショップに参加し、ふとしたきっかけで、奔流のごとく泣き叫び始めたのです。そのときの体験をポールはエリザベス・キュブラー・ロスにあてた手紙の中でこんなふうに書いています。

 『私は泣きすすりつつ考えていました。息子のこと、娘のこと、そして私自身の人生のことを。その時私は「降参だ、もうこんな戦いはまっぴらだ、降参だ、降参、降参」と呟いている自分に気づきました。「降参、降参」と繰り返すうちに私はなんだか自分が小さな赤ん坊になったような気がしてきました。自分がどんどん小さくなっていくようでした。それは理解しがたい不思議な気持ちでした。心の中の叫びが言葉になって出て来たのです。「降参だ、降参だ」と。その時私が唯一思いついた祈り、それは「神よ、助け給え」というものでした。』エリザベス・キュブラー・ロス著「生命尽くして/生と死のワークショップ」(産業図書)

 泣くだけ泣いたあと、ポールはワークショップの参加者の所にふらふらと出てきました。その時のポールの表情を写真家のワルショウが捉えていますが、そのポールの顔を私は涙なしでは見られませんでした。彼の表情がどうしてそんなに感動的なのかは、非常に説明しにくいのですが、ともかくこの瞬間から、ポールは不幸のどんぞこで再び立ち上がって歩き続ける力を得たのです。

『生と死はあるがままに受け入れなければいけない、その中から学ぶべきものを学ばなければいけないというのが、今の私の実感です。人生はどうあがいても思いのままにはならない、それにどう対処するかこそ重要なのです。それでも人生には意味がある、人生には常に愛と優しさがあるという発見こそ私が人生に対処する基本なのです。それを見つけ、手に入れるためには自分自身の努力が必要なのです。……息子が死に、娘は生と死の境をさまよい続けているけれども、それでもなおかつ生きることに意味があるように思えるのです。要約すると、これらの体験からの最大の収穫は、自分の存在の中の精神的な部分との結合が成立したことだと思います。……私は今、これをカマラ(娘)と一緒に実行しています。彼女が人生と苦闘しているのを見るからです。私は、娘を愛している自分がわかります。ただ愛しているのです。彼女にしてやれる最善のことは、無条件に彼女を愛することだと思うのです。ありがとう。』エリザベス・キュブラー・ロス著「生命尽くして/生と死のワークショップ」(産業図書)

 

 (2)愛する者を亡くした人を慰めるために

 「どのような感情もすべて受け入れる」というのは愛する者を亡くした人自身の心構えの問題なので、なんとかなるのですが、「感情を外に表わす」というのは、周囲の理解と協力が不可欠です。そこでこの節では、愛する者を亡くした人よりは、むしろその周囲にいる方々がぜひ配慮してあげてほしいことを述べます。

 人間が感情のままに行動したとしたら、社会生活はめちゃめちゃになるので、普通は理性の力で感情を抑制しながら行動しています。そして感情の抑制が上手であるほど人間的に成熟した優れた人とみなされます。たとえば、葬儀の時、棺にとりすがって泣き叫ぶ人は「とりみだしている」とみなされ、逆に冷静に会葬者への挨拶を述べ、死因について社会への要望のひとつもコメントできるような人は、立派とみなされます。社会は、暗黙のうちに後者のような行動をするよう、人間に要求しているのです。

 したがって、愛する者を亡くした人が感情を外に表わすには特殊な環境が必要になります。エリザベス・キュブラー・ロスは、シャンティニラヤのワークショップでそのような場を提供する活動をして大きな成果をあげていることで有名です。

 エリザベス・キュブラー・ロスのワークショップに参加したある母親(息子を自殺で亡くした)はこう述懐します。

 『私はすべての参加者のみなさんに感謝しています。特にわだかまりなく泣き叫ぶことを許してくれたことに対して。私は集団行動に際して他人に迷惑をかけたくないと思っていました。すると私は言われたのです。「吐き出してしまいなさい。誰の迷惑にもなりません」と。そして今、私は率直に泣き、思っていることをいうことができるようになりました。……ワークショップでは、一人前の人間として私に要求される諸々の事柄は一時留保されたのです。そして、私は自分の苦痛を感じることを許されたのです。だからといって苦痛が止んだわけではありません。でもそれを表出することで、一種の生命感を得ました。』エリザベス・キュブラー・ロス著「生命尽くして/生と死のワークショップ」(産業図書)

 しかし、この母親も自宅に戻った途端、他の家族や知人たちから「一人前の人間として要求される諸々の事柄」を再び要求されて、めげてしまいます。

 愛する者を亡くした人の周囲の方々に私がお願いしたいのは、せめてあなたが、失意の底にある人に対する時だけは、「一人前の人間として要求される諸々の事柄」をしばし執行猶予していただきたいのです。具体的には、あなたの前で心ゆくまで泣いたり、怒ったりさせてあげてほしいのです。励ますのではなく、話を聞いてあげて、できれば一緒に泣いてあげてほしいのです。

 結婚後まもなく夫を病気で失ったある女性は、酒が好きだったので、親友が酒につきあってくれ、思いのたけをひたすら黙って聞いてくれたので救われた、と語っています。

 不用意に励ますのはよくありません。叱るのはもってのほかです。

 もうひとつ、絶対に謹んでいただきたいことがあります。それは、宗教などの新しい生き方を強要しないでいただきたい、例え善意からでも。都市計画に伴う立ち退きがあると、立ち退き料の獲得を狙って銀行の営業マンが押し寄せるという光景は時々みられますが、まるでそれと同じように、不幸な死に方をした人の家に、いろんな団体、主として宗教団体(それも新興宗教に多い)の見ず知らずの人がワッと「慰めに」来てくれるという信じがたいことがしばしば起こります。その中には、心の中に土足で上がり込むような無神経な話をする輩がいます。

 私が一番閉口したのは、宗教家ではありませんでしたが、ある政党の活動家でご自身もお子さんを白血病でなくした経験のあるA氏でした。彼はまず、雅一の存命中の末期、自宅で癌の疼痛と闘っている最中にわが家を訪問し、癌の痛みに苦しむ雅一に1分でも手を握って付き添ってやりたい時に、「痛い、痛い」と訴える雅一を尻目に、自分の体験など「参考になる話」をありがたく長々と話してくれるのでした。次に彼は、死後しばらくしてから、またわが家を訪れ、今度は「小児癌が撲滅できないのは、医療に予算を回さない政治に問題がある。これからは、政治を変えることが小児癌に子を奪われた親の新しい課題だ」と力説するのでした。まるで「あなたの新しい生きがいはこれだ」と決めつけるようでした。

 善意があれば何をしてもいいということはありません。愛する者を亡くした人は、ただ自分の悲しみ、苦しみをわかってくれるひと、なりふりかまわず泣くために胸を貸してくれるひとを求めているのです。

 ただし、このことは私が宗教の必要性を否定していると誤解しないようにお願いします。確かに、愛する者を亡くした人こそ宗教の助けを必要としているし、実は私自身もある宗教家の方々に助けていただきました。しかし、私を助けてくださった人は、無私の誠意とあふれでる愛情だけで私たちのためにずっと励ましを続けてくださったのであり、ある日ふと気がついてみると、私たちは信仰の傍らに立っていたのです。このように、信仰が真に愛する者を亡くした人の慰めになるためには、伝導者との間に、長い時間をかけて信頼関係が築かれていなければなりません。いきなり個別訪問してきて「○○教は要りませんか」といわんばかりのセールスマンみたいな伝導者や、「あなたの愛した者に代わる新しい生き甲斐はこれしかない」と押しつけるA氏のような活動家は、たとえそれが善意から出ていることであっても、結果として迷惑以外の何物でもありません。

1989/9/28

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最終信 ふたたび勇気を抱いて

 私たちの愛する者たちは死にました。それは、あまりにも辛い別離です。私たちは彼らをどれほど愛していたことか。そのことは、生前よりむしろ死後に、しかも日を追うにつれてますます強く感じられるかのようです。

 精神分析で有名なフロイトは、子供を亡くした友人にこんな優しい手紙を書いています。

『非常に強い悲しみというのは、時間が経つと薄らぐだろう。しかし、失われたものの代わりというのは、絶対ありえない。どんなに、心のなかにあいた穴を埋めようとしても、また埋められたと思っても、絶対に、それは最初のものの代わりにはなり得ない。したがって、悲しみが強いのは当然であり、これは、われわれが手放そうとしない、われわれが持ち続けていたい、その愛を続ける唯一の方法なんだ』(曾野綾子/アルフォンス・デーケン編「生と死を考える」春秋社

 それほどまでに愛した者が、もはやいないこれからの人生、そんな人生に生きる価値があるでしょうか。そんなむなしい人生に意味などあるのでしょうか。

 ポーランド系ユダヤ人にマルタン・グレイという人がいます。彼が14歳の時、ナチス・ドイツがポーランドに侵攻、彼は母、弟、父を収容所で殺され、自分自身も悪名高い強制収容所の極限状態に耐えながら、超人的な意思で生き延び、復讐を誓います。戦後、彼はアメリカ、さらにフランスへと渡り、最愛の妻と4人の子供に恵まれます。それは怒涛のような絶望と悲しみの連続であった半生の後に与えられた初めての幸福でした。ところが、あろうことか、再び過酷な運命が彼を襲います。山火事が、妻と4人の子供のいのちを奪ったのでした。死にたいという思いだけを胸にはぐくむ時期もありました。(マルタン・グレイ著、長塚隆二訳「愛する者の名において」早川書房

 しかし、結局彼は、「自分の悲しみの責任者を告発することは、孤独な人間をより孤独にすることでしかない。人生は、なにかに敵対して生きるべきものではなく、なにかのために生きるべきものなのだ」(マルタン・グレイ著、長塚隆二訳「愛する者の名において」早川書房)という考え方に到達しています。

 第1回でも引用したクシュナーは、その著書「ふたたび勇気をいだいて」(ダイヤモンド社刊)の中で、これからの人生について、こんな感動的なことを書いていますので、少し長くなりますが、引用します。

『生と死それ自体は善でも悪でもない、中立的なものです。苦しみに対してどう反応するかで、苦しみに積極的な意味を与えることもできるし、否定的な意味を与えることもできるのです。病気、事故、悲劇は人を殺します。でも、人生や信仰まで殺されてしまう必要はないのです。愛するものの死や苦しみのために、私たちが意地悪で、嫉妬深く、あらゆる宗教に敵対し、幸せを知ることのない人間になってしまうとしたら、私たちはその人(死んだ人)を「悪魔の殉教者」(その死をもって悪魔に利する者)のひとりにしてしまうのです。親しい人の死や苦しみを通して、私たちが自分の力や愛や快活さの限界を切り開いていき、以前には知らなかった慰めの根源を見いだすなら、私たちはその人を人生を否定する者ではなく、人生に対する確信を証しする人にするのです。

 つまり、亡くなってしまった愛する人に対して、私たちにはまだひとつだけできることがある、とゾーレ(ドロテア・ゾーレ、ドイツの神学者)は言っているのです。彼らを生かし続けることはできません。たぶん、痛みを和らげてあげることさえできないでしょう。しかし、彼らの死後、彼らのためにできる重要なことは、彼らを神の証人、いのちの証人とすることです。絶望したり、信仰を失ったりして彼らを「悪魔の殉教者」にしてはなりません。死者の罪のつぐないや永遠の生命は、私たちの生き方にかかっているのです』 クシュナー「ふたたび勇気をいだいて」(ダイヤモンド社刊)

 この文章は、これからの人生というものにいったいどんな意味がありうるのか、と欝欝としていた私にとって、目からうろこが落ちるようなインパクトを持っていました。

 ただ、私は、私たちの愛した者のために聖人君子になりましょうなどと薦めているわけではありません。

 国立精神衛生研究所長・土居健郎先生が悲しさの秘密を非常に美しく、しかも哲学的に解きあかしておられる文章が曾野綾子/アルフォンス・デーケン編「生と死を考える」(春秋社)に収められていて、私は大好きです。土居先生は、有名なサン・テグジュペリの「星の王子様」(サン・テグジュペリ著「星の王子さま」岩波書店および岩波少年文庫)を使って、その秘密を説明しておられます。

 地球に来た王子様はキツネと友達になりますが、やがて別れの時がきます。

キツネ「ああ!……きっと、おれ泣いちゃうよ」

王子様「そりゃ、きみのせいだよ。ぼくは、きみにちっともわるいことしようとは思わなかった。だけどきみは、ぼくに仲良くしてもらいたがったんだ」

サン・テグジュペリ著「星の王子さま」岩波少年文庫

 仲良くなることで、結局キツネにとってなにもいいことはなかったではないか、というのが王子様の疑問なのです。キツネは、王子様と一緒に過ごした麦畑の思い出があると言います。キツネは、仲良く過ごした時間がかけがえのない宝物だとも説明します。そして、王子様が故郷の星に置いてきたバラの花を思い出させます。

 故郷の星のバラも、王子様が地球で出会ったバラも、植物としては同じバラですが、置いて来たバラは王子様にとっては特別なバラであることをキツネは教えます。

「あんたが、あんたのバラの花をとても大切に思ってるのはね、そのバラの花のために、時間をむだにしたからだよ」

「あんたは、めんどうみたあいてに、いつまでも責任があることになるのだ。あんたは、まもらなけりゃならないんだよ、バラの花との約束をね」

サン・テグジュペリ著「星の王子さま」岩波少年文庫

 私にとって、雅一との約束とはなんでしょう。なにものかのために時間をかけることによって、それが特別のものになる。愛するということは、そういうことなのですね。別れが悲しいのは、愛したことの証しなのです。

 映画「永遠の愛に生きて」(リチャード・アッテンボロー監督、米1993)は、「ナルニア国物語」などで有名な英国の文学者C・S・ルイスが、最愛の女性ジョイと出会ってから死別するまでを描いた美しい作品です。ルイスは、子供時代に母親との死別を体験し、訣れの悲しみを二度と味わわないために、愛することをやめてしまいます。しかし、ジョイと出会ってから、彼はまた傷つくかもしれないことを恐れながらも、彼女を愛してしまいます。ジョイは不治の病に冒されていました。

「そんなに愛してもいいの? あとがつらいのに」

 とジョイは言います。このとき、ルイスは、はっきりと、傷ついても愛する道を選んでいました。今は幸福。そしていつか死が二人を分かち、悲しみに苦しむことになるのははっきりしています。ジョイの死後、ルイスは悲嘆の中で、ジョイが、この時を予期して言った言葉をかみしめます。

「今の苦しみは、あのときの幸せの一部」

 私は雅一のためだったら、躊躇なく命を捨てます。自分の肺を妻に移植してほしいと迫って主治医を困らせた松浦さんも、同じお気持ちだったのですね。

 でも、もし神様がこんないじわるな質問をしたら、みなさんはどうお答えになるでしょう。

 「あなたに、人生を巻戻して、やりなおすチャンスを与えます。ただし、あなたの愛する者が初めからまったくこの世に生をうけないか、または、この世に生を受けた以上は今回と同じように人生半ばで死ぬ運命を背負うか、ふたつにひとつです」

 私は、後者を選びます。まあちゃんを全く見も知らないで幸福な人生を送るより、まあちゃんといっしょにもう一度あの闘病生活と末期の苦しみが待っていてもいい、ただ、違うのは、今度やりなおす時は仕事などほどほどにして、まあちゃんと一緒にかけがえのないときを過ごしたいということです。

 

'Tis better to have loved and lost, 愛して失ったほうがいい、

Than never to have loved at all. 全く愛さなかったよりも

アルフレッド・テニソン *

 

                                     終わり

1989/10/28(1998/2/21加筆)

 

* 曾野綾子/アルフォンス・デーケン編「生と死を考える」(春秋社, 1984)所載、土井健郎著「2・精神医学の立場から/親しい者との死別・その意味と影響」p.46より

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