『消えた「最後の授業」―言葉・国家・教育―』

 目  次

 はじめに                           

 第一章 作品「最後の授業」の周辺
一、歴史のなかの「最後の授業」              
二、『月曜物語』の読者たち                
三、フランス語とアルザスのことばの検討         
四、アルザス語とアルザス人                
 第二章 日本における「最後の授業」−翻訳・再話・脚色−
一、「最後の授業」の翻訳史をたどる               
二、「再話」作品としての「最後の授業」            
三、脚色された「最後の授業」                 
 第三章 戦前の国語教材と「最後の授業」
一、教材「最後の授業」の登場の背景              
二、『新撰國文讀本』の検討                  
三、松村武雄の訳した「最後の授業」              
四、戦争体制下の「最後の授業」                
五、「国語の力」の国語観                   
六、教材「君が代少年」の問題                 
 第四章 戦後国語教科書の中の「最後の授業」            
一、戦後国語教育の出発                    
二、教材「最後の授業」の再登場−中学校の教科書−       
三、小学校国語教科書における「最後の授業」−前半期の検討−  
四、小学校国語教科書における「最後の授業」−後半期の検討−  
 第五章 戦後の教育実践をめぐって
一、文学作品の読みの教育の出発                
二、「授業研究」と「最後の授業」               
三、文学の教育と「愛国心」の教育               
四、社会的文脈と「最後の授業」                
五、問題意識の喚起から文学形象の読みへ            
六、問い直される「最後の授業」                
七、平和教材における「被害」と「加害」            
 第六章 「新しい先生」の問題                    
一、フランツたちのその後                  
二、アルザスの言語事情はどう書かれたか           
三、日本での受容の様相                   
四、教育の場における「新しい先生」             
 終 章 子どもたちの<読み>からの出発
    一、作品に対する子どもたちの印象              
    二、読みの基礎となる子どもたちの現在            
    三、「最後の授業」の読みの可能性へ             

 あとがき                          



 はじめに

「最後の授業」という文学作品がある。一八世紀フランスの作家ドーデによって書かれた短編で、明治時代に我が国に翻訳紹介されて以来、今日まで多くの読者に親しまれてきた。また、教科書教材としての支持も高く、とりわけ国語教科書の教材として広範に採用されてきた作品でもある。

 フランスとプロシア(ドイツ)にはさまれたアルザス地方が、この作品の舞台である。時は、一八七二年。普仏戦争、つまりプロシアとフランスとの戦争の結果、フランスが破れ、それまでフランスの領土であったアルザス・ロレーヌ地方が、プロシアに割譲された時の話である。
* 
 その朝、フランツ少年は学校に遅刻しそうになるが、ようようのことで教室へ滑り込む。ところが教室はいつもとは雰囲気が違い、厳粛な空気が漂っている。あまつさえ教室の後ろには、元の村長や郵便配達夫までが座っている。
 アメル先生が言う。
「私が授業をするのはこれがおしまいです。アルザスとロレーヌの学校では、ドイツ語しか教えてはいけないという命令が、ベルリンから来ました。今日は、フランス語の最後のおけいこです。」
このことばで、フランツ少年は初めて自分たちの置かれた占領という状況に気付き、アメル先生に対して愛惜の情を抱くのである。
 アメル先生は、必死に授業を進める。田園の平安の中で、勉強を軽視しがちだった住民と、またそれを安易に許してしまった自分自身に対する悔恨を胸に、アメル先生は情熱を込めてフランス語の重要性を説く。
「フランス語は世界じゅうでいちばん美しい、いちばんはっきりした、いちばん力強い言葉であることや、ある民族がどれいとなっても、その国語を保っているかぎりは、そのろう獄のかぎを握っているようなものだから、私たちのあいだでフランス語をよく守って、決して忘れてはならない」、と。 
 それから文法の本を読み、習字が済む。歴史の時間を終え、バブビボビュを歌うと、とつぜん正午の鐘が鳴り、プロシア兵のラッパが鳴り響いた。
 教壇に立ちすくんだアメル先生は、感極まって黒板に、こう書く。
「フランスばんざい!」(Vive la France!)  
* 
と、こうして骨だけの「あらすじ」にしてしまうと身もふたもないが、原文に当たっていただければ、さすがに短編の名手といわれたドーデの作品だけあって、劇的な状況の中で歴史に翻弄される人物の姿が鮮やかに描き出されていることが、よく理解してもらえるだろう。この短編からは、戦争という大きな渦に巻き込まれ、押し流されていくアメル先生の悲劇がよく伝わってくる。
 この作品については、「フランスとフランス語を愛する一老先生と生徒を通じて、プロシアに占領されたこの地方の悲哀を、いかにもあたたかくほほえましく、それだけまた一層痛切に描き出した」という、辻ひかる氏の発言(「アルザスの物語、『月曜物語』」『月曜物語』旺文社文庫 一九六八年 六五頁)があるが、確かにこの評言はきわめて簡潔、かつ的確に作品の基調を説明している。
この作品は、ドーデの短編集『月曜物語』の冒頭に収録されており、そのためもあってか日本の読者たちに強い印象を与え続けてきた。ほかならぬ国語の教科書の教材として採用されたということも、そうした作品支持の端的な証拠だったといえるだろう。実際、今この本をお読みいただいている方々の中にも、小学校ないしは中学校の国語教科書でこの作品を学習した覚えのある方がたくさんいるはずである。
 ところが、そうした懐かしい作品「最後の授業」を再び読み返そうと考えた読者が、現在発行されているどの国語教科書をのぞいてみたとしても、それを見つけることはできない。すなわち、現在の国語の教科書には、この作品は収録されていないのだ。
 これはどうしたことであろう。
 作品が時代に合わず、古くなってしまったのだろうか。確かに、取り上げられた素材がその時代の風俗や世相から離れてしまい、詳しい解説や注釈を入れないと理解してもらえないという理由で、教科書から姿を消していく作品もないわけではない。しかし、この作品の場合はもともと、一九世紀のアルザスという時間・空間を大きく隔てた世界を舞台にしている。時代との間隙を埋めるための解説の必要性ということでいえば、最低限の注釈は採択当初から必要だったのであり、後で見るように、そのような配慮は教科書にも施されていた。もし、そうしたことがネックになるなら、初めから教材としては採用されていなかったともいえるだろう。とするなら、直接の原因は作品の古さにあるのではない、ということになる。
 もちろん、外国文学だから国語の教科書には不適当だ、というような理由ではない。太平洋戦争遂行中ならいざ知らず、翻訳文学としてすぐれた作品ならば、たとえ外国の作品であっても、戦前から日本の国語教科書に載せられていたし、実際、現在でも多くの外国の作品が国語教科書に取り上げられている。本文中でも触れるが、この「最後の授業」が教材として初めて教科書に取り上げられたのは、一九二七(昭和二)年のことだった。そのとき教科書教材として登場して以来、途中に一五年ほど掲載がとぎれたことはあるものの、一九八六(昭和六一)年まで、この作品はおよそ五十年間も国語科の教材として機能し続けていたのである。さらに、戦後に限っていえば、国語教育の現場では、「最後の授業」は常に話題に取り上げられて論議される、代表的な教科書教材のひとつだったのである。
それが、一九八六(昭和六一)年度を限りとして、国語教科書からは完全に姿を消してしまった。それはどうしてなのか。
 本書は最終的にはこの問題の答えに行き着くはずであるが、しかしそれを考えるためには、少々長い道のりを歩く必要がある。なぜなら、それは「最後の授業」が日本の読者たちにどのように受容されてきたかを探ることの中で、徐々に明らかになるからである。本書の意図は、そうした作業を通して、教材としての「最後の授業」をめぐる様々な問題を、広い場所に引き出して検討してみたい、というところにある。
そこでは、教材を読むという営みが、いかに歴史や社会の文脈と関係しあっているのかということや、教材というものがどのようにして教師や子どもたちとの間で新たな意味を生みだし、またそれを変容させていくのかが見えてくるはずである。

アメル先生の熱情と悲哀の源泉と、その日本での変転の様相を見届ける中で、言語・国家・教育について考えていこうとする、このささやかな旅に、しばらく御同道いただけるならば、筆者としての幸いこれに過ぎるものはない。