クラシックの鍵盤楽器

 クラシック、といっても個人的にはモーツァルト前後という意識です。ですから、カール・フィリップ・エマニエル・バッハもベートーヴェンもそのうちに含んでしまっています。クラシック以前の鍵盤楽器というと、発音機構の違いで見れば、オルガン、ハープシコード、クラヴィコードがあります。それぞれが地域によって異なるスタイルをもってはいますが、発音に至るまでの過程はスタイルが異なっても基本的には同じです。イタリア様式のハープシコードは奏けても、フランス様式のハープシコードは奏けない、といったことはあまりありません。
 当時の音楽家はこれら3種類の鍵盤楽器をマスターしていたと思われます。教会ではオルガンを奏き、アンサンブルではハープシコードで通奏低音を奏き、自宅ではクラヴィコードで練習をする、といった具合に仕事のためにも三種類とも奏ける必要があったでしょう。 ちなみにそのようにしていたヨハン・セバスチャン・バッハはこれらすべての楽器において、突出したスペシャリストであったらしい。たいへんなことです。
 以後、クラシック期の有名どころを、ざっと挙げてみます。J. S. バッハの息子のC. P. E. バッハも似たようなものです。フォルテピアノも奏いてはいましたが、彼にとってはまだ納得のいく楽器ではなっかったようです。より適確な表現ができるということで、クラヴィコードには相当力を入れていました。
 モーツァルトはそれらに加えてフォルテピアノの名手でもあったのだから、これはもう、えらいことです。フォルテピアノの場合、スタイルによって発音に至るまでの過程が異なってしまうため、他の鍵盤楽器のように、それだけで1種類とするにはちょっと無理があります。ちなみにモーツァルトが使っていたのは、ウィーン式アクションの5オクターブのフォルテピアノです。
 ベートーヴェンがオルガン、ハープシコード、クラヴィコードの演奏に長けていたかどうかは知りませんが、奏いていたのは確かです。加えて彼の場合今までの人達が経験したことがなかったくらい、多くのフォルテピアノと格闘することになりました。フォルテピアノ開発競争の真只中に生きたためでもありますが、それより、彼の音楽が常に現存する楽器の表現方法と異なっていた、もしくは越えていたためでもあります。その意味において、彼にとっては常にフォルテピアノは不完全な楽器でした。
 ベートーヴェンが使っていたフォルテピアノは、シュタインのウィーン式アクション5オクターブに始って、エラールのイギリス式アクション5オクターブ半、シュトライヒャーのウィーン式アクション6オクターブ、ブロードウッドのイギリス式アクション6オクターブ、グラーフのウィーン式アクション6オクターブ半、といった具合に、これまた全く羨ましいやら気の毒やらです。
 彼らが皆何種類もの鍵盤楽器を弾いていたのは、いかにもあたりまえのように見えるかもしれませんが、似たような鍵盤がついていても、発音機構が異なればその演奏法も異なります。そう簡単には奏けないのです。試しに今の世の中を見てみれば、そのような人は少ないことに気づき、逆に驚くかもしれませんが、そのことは一先ず置いて個々の楽器の特徴を見てみましょう。

クラヴィコード
ハープシコード
フォルテピアノ
オルガン
クラヴィコード

 一番単純な構造をもつクラヴィコードについてみてみると、指と弦との間には、1つの剛体が挟まっているだけです。 弦に触れる感覚は、直接指に伝わります。真ちゅうのタンジェントが弦に触れた、と感じたときが発音のときと一致し、鍵盤を押えるのをやめてタンジェントを弦から離したときが消音です。打弦の強さを変えることによって、強弱の表現が可能です。鍵盤楽器のなかでは最も直接的なものです。C. P. E. バッハをして最も表現力のある楽器といわしめたのも、直接的であるが故のことでしょう。
 難点もあります。タンジェントはその打弦による発音体であると同時に、弦を区切り音高を決める駒の役割もするのです。ということは、常に振動の端を打つわけです。いくら強く打弦しても、申し訳程度にしか弦は振動しません。ただし、鍵盤を押える強さを変化させると、多少音程を変化させられるという裏技が使え、これを特にベーブンクと呼んでいます。物理的にはヴィブラートをかけることができるのです。といっても、ヴィブラートとは異なる表現方法として用いることが多いようです。クラヴィコードのために作られた曲のなかには、使い方を指示してあるのもあります。

 ここで鍵盤の”重さ”について、ちょっと述べておきたいと思います。これはほとんどの鍵盤楽器について、ある程度共通して言えることなのですが、単純なアクションをもつクラヴィコードではその違いがより顕著に表われます。すなわち、鍵盤を重くすると、発音および強音におけるコントロールは容易になりますが、その楽器の弱音におけるコントロールは訓練された指でも、きわめて難しくなるため、結果として表現の幅は狭いものになります。
 逆に、軽い鍵盤は発音、コントロールともに難しいのですが、努力すれば最弱音から最強音まで楽器の能力を充分に発揮することができます。もちろん、この”重さ”は相対的なものですので、楽器により異なります。ですからなおの事、演奏の技術、およびセンスに裏づけられて”重さ”を論じることこそ必要であり、単に弾き易さのレベルで論じるのは、音楽にとっても、楽器にとっても幸せなことではありません。

ハープシコード
クラヴィコード
フォルテピアノ
オルガン
ハープシコード

 ハープシコードは少しばかり複雑になります。クイル(鳥の羽の軸を削ったもの)が弦に触れるところまでは指で感じ取れます。が、弦に触れただけでは音は出ません。さらに鍵盤を押して、クイルで弦をはじくことによって発音します。指を戻すとジャックに取りつけてあるクロス、もしくは羊毛が弦のうえに乗り消音します。単音によって音の強弱を表わすことは難しいですが、クイルが弦をはじく速さによって、音色は微妙に変化します。
 弱い張力の弦を硬質のクイルではじくため、アタック音はたいへん明瞭で、高次倍音を多く含む豊かな音が得られます。 ということは、12平均律のような調律法で調律した場合、高次倍音同志の唸りがとても耳につき、全ての和音が汚く濁ってしまうことになります。単独の高次倍音のストップを多く持つオルガンについても同じことが言えますが、色々な調律法が、これでもかこれでもかと考え出され、本1冊では収まり切らなくなってしまったのは、これらの豊かな音色にその原因があるのではないでしょうか。また、適度に弱い張力の弦の振動はたいへん長い。振動の長いのびやかな音で、織物を織るようにして作り出す旋律の綾は、正にこの楽器ならではの表現でしょう。

フォルテピアノ
クラヴィコード
ハープシコード
オルガン


 フォルテピアノに至っては指と弦との直接的な交流はありません。遠隔操作による打弦となります。その遠隔操作ということが、幸か不幸か山のごとくの機械的発明を可能にしたのです。クラヴィコードやハープシコードには見られない特徴です。
 山のようにありますが、今に至るまで、大きく2つの系統に分けることができます。 ABC のようなウィーン式跳ね上げアクション、 DEFG のようなイギリス式突き上げアクションです。ただし、これらのアクションの発端となっているのは、かなり複雑な構造を持つ、 E のクリストフォリのアクションです。
A
D

a ドイツ式跳ね上げアクション
d.イギリス式シングルジャック突き上げアクション
この二つはそれぞれ系統の中で最も単純なアクションです。鍵盤を静かにゆっくりと押していくと、ハンマーヘッドは徐々に持ち上がり、鍵盤を一番下まで押し込んだとき、弦から数ミリはなれたところで止まります。音はでません。鍵盤を押す速さを増していくと、ある速さでハンマーは慣性で跳び上るようになり、弦に達します。そこがその音のppです。
 アクションが単純であるということは、すなわち鍵盤が絶対的に軽いということでもあります。大豆のようなハンマーヘッドを弦まで持ち上げればよいのだから。しかもこれらのアクションはきわめて同音反復がしやすいのも特徴です。マンドリンのような同音のトレモロも可能です。問題は打弦後のハンマーの反動が指に邪魔なことと、ある限度を越えて強く打弦した時、望んでもいないのに反動で再度弦まで行ってしまうことでしょう。その限度は意外なほど早く来てしまいます。単純な打鍵によるダイナミクスはかなり狭く、これらの楽器特有の奏法が期待されます。
 ちなみにクラシック期においては、ハンマーヘッドはそのほとんどが、木芯に鹿皮を2回以上巻いたものです。芯のあるピアニッシモ、高次倍音を多く含む豊かな音色が特徴です。
B

C

E

F

b.ウィーン式跳ね上げアクション、c.ウィーン式跳ね上げアクション、
e.クリストフォリ、ジルバーマン式ダブルジャック突き上げアクション、
f.イギリス式シングルジャック突き上げアクション
これらはそれぞれのアクション系統のなかで多く使われてきた様式です。鍵盤を押していくと、ハンマーヘッドは弦から1〜3ミリ程度離れたところまで持ち上がりますが、さらに押し込むと、ビークもしくはジャックは接点を失い、ハンマーはストンと下に落ちる仕組みになっています。この機構をエスケープメントと呼びます。またB以外には、バックチェツクというハンマー受けが付けられ、落ちてきたハンマーのエネルギーを吸収しつつしかも完全に下まで戻すことなく動きを止めてしまいます。このエスケープメントとバックチェックにより、反動による2度打ちはほぼ完全に防ぐことができます。またハンマーが戻ってきたときのショックも気にするほどは指に伝わりません。そのうえ鍵盤は軽くてすみます。ダインミックスレンジも充分に広い。
 このまま行けば良いことづくめのようですが、そう簡単にいかないところが楽しくもあり、また悲しい変化を生み出す原因でもありました。訓練された指でないと同音反復やトリルの成功率があまり高くないのです。時に、これらの楽器を奏こうとする人達の大半は、裕福な家柄に育ったネコや杓子のディレッタントであったようです。私もあんなふうに華麗に連打を奏いてみたいわ、といったかどうかは知りませんが、均質であることを求め、機械的であることは尊敬の対象になっていた当時のヨーロッパです。環境は整っていたと言えましょう。
G

 そして発明大好きなエラールが考えたのがGです(1822年)。ダブルエスケープメントという複雑な装置がそれですが、打弦後鍵盤をもとの位置まで戻すことなく次の打弦ができる、というものです。もちろん2度打ちはしません。現代の黒くて大きなピアノは基本的にはこのエラールのアクションと同じと考えてよいと思います。
 これにより同音反復や装飾音の成効率が格段に上がったことは確かです。が、鍵盤も当然重くなりました。指と弦との間にはたくさん機械的部品を伴い、直接的であることからは遠いものになりました。また、演奏家自らが楽器を調整することは、ほとんど不可能な領域になりました。

オルガン
クラヴィコード
ハープシコード
フォルテピアノ
オルガン

 オルガンは私の専門ではありませんが、他の鍵盤楽器と比べるためにも、簡単に触れてみます。オルガンは当り前のことながら、弦が張られていません。 管楽器に鍵盤がついたものです。このことが演奏法に決定的な違いをもたらします。他の、弦が張ってある鍵盤楽器は、その発音の初めにアタック音が入ります。ところが、オルガンは管楽器といっても物理的にはタンギングのできない管楽器ですから、原則として、音の出始めは他の鍵盤楽器ほどの明瞭さはありません。逆に言えば、タッチでその不明瞭さをコントロールすることもできるわけです。もちろんここで言っているのは、古代から連綿と続いているトラッカーアクションのオルガンのことで、電気仕掛けのアクションのことではありません。
 鍵盤をゆっくり静かに押していくと、トラッカー(針金であったり、木の棒であったりする)が風箱についているパレット(弁)を開け始めます。細々と風が入り始めあるところまでくると笛がよわよわと低いピッチで鳴り始めます。徐々に音量が増えピッチも上がり、鍵盤を一定のところまで押した頃、所定の音量とピッチを得ます。消音はこれと逆の過程です。

 これだけ多彩な鍵盤楽器がクラシックの僅かな期間に存在していたのです。音楽家の作曲方法、演奏方法が楽器の影響を受ける可能性は大きかったのではないでしょうか。アーティキュレーションや指使いなどのテクニック面だけに留まらず、フレージング、構成、転調など色々な面で楽器と相談しなければならなかったと思われます。また、C. P. E. バッハが彼の”クラヴィーア奏法”の中で述べているように、異なる楽器の演奏法から得るテクニックの相乗効果や発想も期待できます。
 そういった伝統的な、楽器とのお付き合い方法が失われていったのは、フランス革命以後、ドイツロマン派の時代からではないかと考えています。いわゆる小市民時代、杓子の取り巻きですらフォルテピアノを奏くようになった頃です。フォルテピアノが鍵盤楽器の代名詞になってしまった時期でもあります。
 前述したように、その頃のフォルテピアノに対しては、楽に弾けるようにするため、均質であり、寸分の狂いもなく機械的であることが望まれていました。また、多くの音、多くの聴衆を必要としていた音楽家の要望に応えて、鍵盤と音量を増やすことに努力したのです。結果、初期のフォルテピアノは不完全な楽器、という烙印を押されてしまうことになるのですが、これは当時の人が言ったにせよ、現代の人が言ったにせよ、大きな誤解だと思います。
 確かにベートーヴェンにとってはフォルテピアノは常に不完全な楽器でした。しかし、それはあくまでも彼の音楽の特殊性によるものです。彼の思想を表現するのに適当な楽器ではなかっただけでしょう。ちなみに、ベートーヴェンとモーツァルトがともに奏いていたといわれる楽器にシュタインの5オクターブのフォルテピアノがありますが、モーツァルトにとってはそれがたいへん優れている満足すべき楽器であったことも事実です。
 また、奏き易い楽器が良い楽器、とは一概に言えないのは鍵盤楽器にも当てはまることです。むしろそういった楽器の設計変更は、えてしてそれまで持っていた楽器の良いところを失うことになったようです。クラヴィコードを除く全ての鍵盤楽器は大かれ少なかれその被害にあっています。加えて、それぞれの楽器はみな専門化してしまったのです。
 近年、楽器についてはかなり議論がなされ、より音楽的であることが重要視されてきました。一方、演奏家に関しては専門の敷居はまだ高いようですが、最近少しづつその意義を感じる演奏者が増えてきたのは、喜ばしいかぎりです。音楽の可能性が拡がることは、楽器製作者の究極の目的ではないか、と考えています。
佐藤裕一(鍵盤楽器製作・修復)

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