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J.S.バッハ年表  (資料提供 渡邊順生、 佐藤裕一 編集)
西暦 バッハ関係史、オルガン 楽器関係、同時代音楽家史
1685
  3月21日、J.S.バッハ生、アイゼナッハ。宮廷音楽家ヨハン・アンブロジウス・バッハと彼の妻マリア・エリザベータの最初の子供。3月23日、受洗。 2月23日、ヘンデル生。10月26日、D.スカルラッティ生。
1686 1  
1687 2  
1688 3  
1689 4 12月23日、ボアモルティエ生。
1690
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5兄ヨハン・クリストフ、オールドルフのオルガン奏者になる。  
1691 6  
1692 7アイゼナッハのラテン語学校に入学。4月8日、タルティーニ生。
1693 8  
1694 95月1日、母没。 
1695 102月20日、父没。兄ヨハン・クリストフの住むオールドルフに移る。9月3日、ロカテッリ生。11月21日、パーセル没(36)。
1696 11  
1697 12 1月30日、クヴァンツ生。5月10日、ルクレール生。
1698 13  
1699 14 3月25日、ハッセ受先。
1700
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15友人、G.エルトマンと共にリューネブルクに移る。聖ミカエル学校の給費生となる。この頃バルトロメオ・クリストフォリ、ピアノを発明?
1701 16  
1702 17ハンブルクのラインケンを知る。8月、ザンゲルハウゼン(Sangerhausen)の聖ヤコブ教会(Jakobkirche)オルガン奏者志願。 ライプツィヒでコレギウム・ムジクム創立。
1703 184月8日、ヴァイマール宮廷ヴァイオリン奏者に就職。8月9日、アルンシュタットのオルガン奏者兼合唱指揮者になる。 C.H.グラウン生。
1704 19 2月24日、シャルパンティエ(59)没。5月3日、ビーバー(59)没。
1705  20 リューベックを訪問するため4週間休職。ブクステフーデに接する。 
1706 21不在および義務不履行のために聖職会議に出頭。 ラモー、クラブサン曲集第1巻。3月、パッヘルベル没。
1707 226月15日、ミュールハウゼンの聖ブラージウス教会のオルガン奏者に就任。10月17日、マリア・バルバラ(23)と結婚。 10月1日、ブクステフーデ没。
1708 23ミュールハウゼンを辞職。ヴァイマールの宮廷楽士兼オルガン奏者に就任。最初の子供、カタリーナ・ドロテア生。  
1709 24ミュールハウゼンの聖ブラージウス教会のオルガンを試奏 マッフェイ、クリストフォリを取材。11月22日、F.ベンダ受先。
1710
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2511月22日、2番目の子供、ウィルヘルム・フリーデマン生。1月4日、ペルゴレージ生。
1711 26 マッフェイ、クリストフォリの新しい発明をイタリア文学に発表。9月、ボイス生。
1712 27  
1713 282月21,22日頃、ヴァイセンフェルス(Weissenfels)を訪問、2月23日、子供(双子)ヨハン・クリストフとマリア・ソフィア生。11月、ハレの聖母教会(Liebfrauenkirche)オルガン奏者を志願。F.クープラン、クラブサン曲集第1巻出版。1月8日、コレッリ没。
1714 293月2日、ヴァイマール宮廷コンサートマスターに昇進。3月8日、5番目の子供、カール・フィリップ・エマヌエル生。7月2日、グルック生。
1715 30  
1716 314月29日-5月2日、ハレの聖母教会で新しいオルガンを試奏。7月31日、エルフルトのAugustinerkircheでオルガンを試奏。F.クープラン、クラブサン奏法出版現存する最古のブントフライ式クラヴィコード(J.M.ハイニッツ)
1717 328月5日、ケーテンのレオポルド候の宮廷楽長に任命。ヴァイマール公ウィルヘルム・アーネストの許可を得れず。11月6日、拘留。12月2日、ヴァイマールを去ることを許される。12月16日、ライプツィヒの聖パウロ教会(Paulinerkirche)でオルガンを試奏C.G.シュレーター、ピアノを発明したと主張。この頃、バッハの従兄ヨハン・ゴットフリート・ワルター、バッハのラウテンヴェルク組曲ホ短調BWV996を写譜。ケーテン時代;ラウテンヴェルクの製作依頼(60ライヒスターラー)。ゲーラのC.E.フリーデリチも同様の楽器を作る。1月19日、シュターミッツ受先。
1718 335月6月、カールスバートへ旅行。7月以降、ケーテン宮廷のため、ベルリンへミートケ?のチェンバロを購入しに行く  
1719 34春、ベルリンにてミートケより新作のチェンバロを受領。同年、ブランデンブルク協奏曲第5番BWV1050a(初期稿)でお披露目。ブランデンブルク辺境伯のため御前演奏の可能性あり。10月、ハレにヘンデルを訪問、会えず。 ブライトコップフ創立。11月14日、レオポルト・モーツアルト生。
1720
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355月7月、再びカールスバートへ旅行。7月7日、妻マリア・バルバラ(35)の埋葬。11月、ハンブルグを訪問、聖ヤコブ教会(Jakobikirche)にオルガン奏者として地位を提供されるが辞退。W.フリーデマンのためのクラヴィーア小曲集着手。現存する最古のピアノ(クリストフォリ)。1月4日、J.F.アグリコラ生。
1721 362月22日、兄J.クリストフ没。3月24日、ブランデンブルグ協奏曲をクリスチャン・ルドヴィッヒ(ブランデンブルク辺境拍)に献呈。12月3日、ケーテンでアンナ・マクダレーナ・ヴィルケ(20)と再婚。ブランデンブルグ協奏曲。この頃、G.ジルバーマン、Cembald'Amourを発明。シュレーター、実際のピアノを作らせてドレスデンの宮廷で選帝侯らに披露。秋、A.M.ヴィルケ、ケーテンの宮廷歌手になる。4月24日、キルンベルガー生。
1722 379月、チェンバロの修理。12月、チェンバロのクイル交換、ミートケ?。ライプツィヒのトーマス・カントル候補に登録。 アンナ・マクダレーナのためのクラヴィーア小曲集第1巻着手、平均率クラヴィーア曲集第1巻、フランス組曲、イギリス組曲。ラモー、和声論出版。マッテゾン、音楽雑誌、音楽批評発刊。1月30日、G.ベンダ受先。11月24日、ラインケン(99)没。
1723 384月13日、ケーテンの宮廷楽長を辞任。5月5日、ライプツィヒのトーマス・カントルとしての契約に署名。5月13日、就職決定。5月22日、家族でライプツィヒに移転。11月2日、シュテルムタールでオルガン試奏インヴェンション、ヨハネ受難曲、マニフィカト。Cembald'Amour、マッテゾンの音楽批評で紹介(図面付き)
1724 394月7日、ヨハネ受難曲をニコライ教会で演奏。6月25日、ゲーラの聖ヨハネ教会(Johanniskirche)でオルガンを試奏  
1725 409月19-20、ドレスデンの聖ソフィア教会(Sophienirche)でオルガン演奏(ジルバーマン)。12月15日、ケーテンを訪問。 アンナ・マクダレーナのためのクラヴィーア小曲集第2巻着手。フックス、グラドゥス・アド・パルナッスム出版。J.U.ケーニヒ、マッフェイ論文をドイツ語に翻訳、音楽批評に掲載。10月22日、A.スカルラッティ没。
1726 41 パルティータT(BWV825)出版。ラモー、音楽理論の新体系出版。C.バーニー生。
1727 424月11日、トーマス教会でマタイ受難曲を演奏?。 
1728 43ケーテンのレオポルト候(33)没。 
1729 44コレギウム・ムジクムの指揮者になる。2月、ヴァイセンフェルスを訪問。3月23-4日、レオポルト候葬儀音楽演奏のためにケーテンを訪問。4月15日、トーマス教会でマタイ受難曲2度目の演奏。6月、病気のためヘンデル訪問を断念。10月16日、トーマス学校長、J.H.エルネスティ(77)没。 
1730
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458月2日、市参事会との対立。8月23日、市参事会へ教会音楽に関する覚え書。9月8日、J.M.ゲスナー(Gesner)がトーマス学校長に任命。10月28日、エルトマンへの手紙。  
1731 463月18日、15番目の子供クリスティアーナ・ドロテア、受先。3月23日、マルコ受難曲をトーマス教会で演奏。9月14-21日、ドレスデンの聖ソフィア教会でオルガン演奏(ジルバーマン)。11月12日、シュテンチュ(Stontzsch)でオルガンを試奏。クラヴィーア練習曲第1部(BWV825-30)出版ヴァール・フリードリヒ・フィッカー、ライプツィヒ新聞にハンマー・アクションによる「ツィンバル・クラヴィーア」の広告掲載。12月28日、カンナビヒ受先。
1732 476月21日、16番目の子供、ヨハン・クリストフ・フリードリヒ生。9月22-28日、カッセル、聖マルティーン教会(Martinskirche)でオルガンを試奏 ヴァルター、音楽事典出版G.ジルバーマン、ザクセン選帝侯にピアノの1号機を献上ジュスティーニ、ピアノのための最初のソナタ集を出版、ポルトガルのInfanteDonAntonioに献呈。3月31日、ハイドン生。
1733 486月17日、ライプツィヒで、コレギウム・ムジクムのコンサート、新型の鍵盤楽器を使う。6月23日、息子ウィルヘルム・フリーデマン(23)ドレスデンの聖ソフィア教会オルガン奏者に就職。5月18日、ベーム(71)没。9月11日、クープラン没(64)
1734 4911月21日、J.A.エルネスティ(Ernesti)(27)トーマス学校長に就任。  
1735 506月16日、息子ゴットフリート・ベルンハルト(20)ミュールハウゼンの聖マリア教会(Marienkirche)オルガン奏者に就職。7月、同オルガンを試奏。9月5日、18番目の子供、ヨハン・クリスチャン生。 5月、クラヴィーア練習曲第2部(BWV971-831)出版
1736 517月、エルネスティ学校長との争いが始まる。11月19日、ザクセン選帝候宮廷作曲家(Hofcompositeur)の称号を受ける。12月1日、ドレスデンの聖母教会(Frauenkirche)でオルガン演奏(G.ジルバーマン) 3月16日、ペルゴレージ没。
1737 524月4日、息子ヨハン・ゴットフリート・ベルンハルト(22)、ザンゲルハウゼンの聖ヤコブ教会オルガン奏者に就任。バッハはコレギウム・ムジクムの指揮者を一時的に辞任。甥ヨハン・エリアス・バッハは家庭教師、秘書としてバッハ家に合流。10月30日、19番目の子供Johannaカロライナ受先。 5月14日、シャイベ(J.A.Schiebe)はバッハ批判を出版。
1738 53息子カール・フィリップ・エマヌエル(24)、プロイセンのフリードリヒ皇太子のチェンバロ奏者に就任。5月、バッハはドレスデンを訪問。息子ヨハン・ゴットフリート・ベルンハルト(23)はザンゲルハウゼンで負債、逃亡。シャイベ再びバッハ批判。
1739 545月27日、息子ヨハン・ゴットフリート・ベルンハルト(24)没。9月、アルテンブルク(Altenburg)のSchlosskircheでオルガン演奏。10月2日、コレギウム・ムジクムの指揮再開。11月7-14日、アンナマクダレーナと共にヴァイセンフェルスを訪問。9月、クラヴィーア練習曲第3部出版。7月24日、B.マルチェッロ没。
1740
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554月、ハレ訪問。息子カール・フィリップ・エマヌエル、フリードリヒ二世の宮廷チェンバロ奏者に就任。オーストリア王位継承戦。この頃、バッハのアイデアによりZ.ヒルデブラント、ラウテンヴェルク製作『フーガの技法』の作曲開始(推定)。
1741 568月に息子、カール・フィリップ・エマヌエルをベルリンに訪問。アンナ・マクダレーナ病気。ドレスデン訪問。11月、クラヴィーア練習曲第4部出版。(1742?)2月13日、フックス(80)没。7月28日、ヴィヴァルディ(63)没。
1742 572月22日、20番目の子供、レジーナ・スザンナ受先。10月31日、ヨハン・エリアス・バッハライプツィヒを去る。フリードリヒ大王、ベルリン・オペラ劇場創設。
1743 5812月、ライプツィヒの聖ヨハネ教会(Johanniskirche)のオルガン試奏 2月19日、ボッケリーニ生。
1744 59ドレスデンの聖ヨハネ教会のオルガン試奏。ベルリンで息子カール・フィリップ・エマヌエル(30)結婚、ヨハンナ・マリア・ダンネマン(20)。平均率クラヴィーア曲集第2巻完成
1745 6012月10日、最初の孫、ヨハン・オーガスト・バッハ(息子カール・フィリップ・エマヌエルの長男)。マタイ受難曲の決定稿。この頃、現存する最古のスペイン製のピアノ(P.ミラバル製作)。12月22日、ゼレンカ(66)没。
1746 614月16日、息子、ウィルヘルムフリーデマン(36)、ハレの聖母教会オルガン奏者に就任。9月27日、ナウムブルクのヴェンツェル教会(Wenselskirche)でオルガンを試奏  
1747 625月7-8日で、ポツダムにフリードリヒ大王を訪問、ピアノ(G.ジルバーマン)を試奏。5月8日、ポツダム、聖霊教会(Heiliggeistkirche)でオルガン演奏。9月、「音楽の捧げ物」をフリードリヒに献呈。6月、ミツラー音楽学協会に入会、カノン変奏曲を作曲(BWV869)。 シュレーターの「ピアノ発明者」の主張(ミツラーの「音楽文庫」)。音楽の捧げ物
1748 63  
1749 641月20日、ライプツィヒで娘エリザベス・ユリアーナ・フリーデリカ(23)、弟子のヨハン・クリストフ・アルトニコル(29)と結婚。トーマス・カントルの後任決定。5月6日、ピアノの販売を仲介(領収書が残っている)。12月17日、チマローザ生。
1750
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651月、息子ヨハン・クリストフ・フリードリヒ(18)、ビュッケブルク(Buckeburg)の宮廷音楽家に就職。3-4月、眼科医ヨハネ・テイラーによって手術、失明。7月28日、没。7月31日、聖ヨハネ教会に埋葬。  
1751  F.J.シュペート、小型のピアノ(タンゲンテンフリューゲル)をボンの選帝侯に献上。『フーガの技法』初版。
1753  シュレーター、フランケンハウゼンにルードルシュタット候を訪問。ジルバーマンのピアノを見てこれを罵倒(マルプルクの『音芸術に関する批判的書簡集』)。カール・フィリップ・エマヌエル、『正しいクラヴィーア奏法試論』第1巻を刊行。ピアノに対する批判的見解。
1762  カール・フィリップ・エマヌエル、『正しいクラヴィーア奏法試論』第2巻を刊行。ピアノを条件付きで認める。
1764  シュレーターの鍵盤付きパンタレオンについての図解入り解説(マルプルクの『音芸術に関する批判的書簡集』)。
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