100の質問に答えてみようー

うん、そうしよう。

9.ネット上での、自覚してる長所と短所を教えてください。
インターネットを使った交流と言うのは、酩酊状態で行われると認識したほうが良い。目に余る無礼、暴言、無秩序、躁鬱、諸々に酔いどれジョニーなんだ、私達は。

「女口説く時は酒の席かネットで!」

酔いどれジョニーこと、webマスターはそう言います。彼らにとって、慣れないネットでほろ酔い加減の女性を、ファンタスティックトークで一気に血中アルコール濃度を上げるなんてこと、お茶の子さいさいです。あなたは陥れられているんですよ!

まぁ今回はネゲット関連の質問ではないのでこのくらいにしておきましょう。お茶の子さいさいについても、「なんか中国語っぽくね?」とか、漢字間違っているような気もする、とかありますが置いときます。

普段の生活では表に出ない長所、短所も、ネットの中では数倍助長され、自分のキャラクターもアイデンティティも確率されやすいのです。顕著になった己の姿に興奮したり落ち込んだり、忙しい毎日である。

それにつけても! 私のこのネット人格の不適格ぶりは何なんだろう?

掲示板は荒む、

リンクは無い、

ICQの最後は「アナタとは2度とQしたくない!」

メールを書けば返事は「訴えますよ!」

それでいて嫌われ者にもなっていないのは、親しい人にだけ憎まれると言う、内弁慶システムの作動によるものでしょう。

他にも、サイト上で「アンケート企画!」とかぶち上げて、50人近くがアンケートに答えてくれてるのに、集計もなんにもせずにほったらかしとか、そんなファジーなところが長所かな。


1.お名前、サイト名、生年月日を教えてください。
性はハト、名は係長でハト係長です。サイト名はゲニウス・ロキでゲニウスは大地、ロキは精霊って意味です。建築用語でして、「このデザインは、この場所にあるゲニウス・ロキによって決まりました。」と使われます。この場合の「ゲニウス・ロキ」には「場所の意味性」と言った意味がこめられますが、ようは「精霊さんがこうしろっつったんだからしょうがねーじゃん、いちいち細かいこと言うんじゃねーよ。」と言うことです。だから、まぁ、このサイトの文責は精霊さんにありますので、私はしったこっちゃないです。そんな気持ちの込められたサイト名です。最初はリビングゲームと言う名前でスタート。某マンガのタイトルそのまんまで、そのどーしょうもないパクリぶりが気に入りの名前でしたが、なんとなく飽きたので変えました。その後「ザ・スカトロイヤー」と言う名前のだったりしましたが、スカトロイヤーはスカトロイヤーで、もうなんだか、この名前を維持するためだけに、糞尿関係の文献を集めたりしていたのですが、さすがに嗜好が向かないのはいかんともし難く、名前はゲニウス・ロキのほうにさせていただきました。他にもいくつかサイト名を試したりしてみたんですが、結局ハンドルネームの「ハト係長」以上に定着するものが出ず、なんだかパッとしねーんですがどうしたらいいですか? ちなみにハト係長と言う名前の由来は

昔、山下公園のハトを操り、カップルを撃退していたトコから

無類の犬好きであるハト係長は、最初「イヌ」と言うハンドルにしようとしたが、あまりに「イヌ」と言うハンドルの人が多く、じゃあ「ハト」で、と安易に隙間産業に逃げた。

当時、「湯川専務」が大ブーム。じゃあと言うことで「ハト専務」ではじめてみたが、いろいろ失態が続いて、降格降格で係長に

元々はこのサイト「刑事コロンボファンサイト」であったことがあり、「コロンボ」を和訳して「ハト」、コロンボの役職である「警部(本当は警部補)」は、まぁ「係長」くらいかなぁ、と言うことで「ハト係長」

西部警察の「ハト」より。

西部警察の「係長」より。

「ハトに三枝の礼あり」(鳩は親鳩よりも三本低い枝にとまって礼儀の心を示すところから、礼儀を重んずるべきだという例え)の諺から。

平和の象徴である一方、フン害などで害鳥扱いされてる様が。

平和の象徴である一方、性欲と戦いの象徴でもある。(性交の為なら手段を選ばず、血みどろの戦いをするのですハトは。)

スコラで連載されていたマンガに「トキ課長」と言うキャラがあり、それよりもあらゆる面でワンランク下げてみました。

などなどと、いろいろ由来はありますが、全て後付けでして、本当の理由はわかりません。初代ハト係長を探し出して聞いてください。

あと生年月日は1978年1月21日です。ナルシストなみずがめ座ですね。この一月生まれと言うのも、クリスマス、お正月と続いてきて、ですから厳しい査定をうけますね。そんなにイベントもりだくさんにしたらワガママな子供に育ちますから、厳選してイベントをこなすべきです。ケーキも、毎月毎月丸いケーキ食べてもありがたみが無いって言うから、だいたいバースデイケーキって無かったです。逆にクリスマスプレゼントってのはありませんでした。これは誕生日なら自分1人にプレゼント費用がかけられるので、クリスマスよりも誕生日にプレゼントをと要求したためです。一人っ子にはわからない駆け引きですよ。それにウチの親は公務員だから21日が給料日だったし。まぁそれでも買ってもらえたのはファミコンのカセット1個が精一杯でしたけどね。それも私、ファミコン本体持ってなかったし…

2.血液型、星座を教えてください。
え? 血液型と星座? 水瓶座のAだよ。なになに? 占い? あ、その占い知ってるよ。今流行ってるもんね。どうだった? え、相性サイアク!? そんなはず無いよ! もう一度やってみてよ! え、間違いない? だって私がやったときは相思相愛ってなったもん! ほら、ね? でしょ!! あ、え?え、え、 えっと…。うん、そう、私もその占いやったの。アナタとの相性が気になって…。あ、だって、私たちってこうやって知り合ったわけだし、こんな出会いだし、アナタのこともっと知りたいけど、でも、迷惑でしょ? そうゆうのって嫌でしょ? でも、知りたいの。ね、占いくらいならいいでしょ? うん、え、、ホント? うれしい…私もよ。ありがとう、うん、すっごくウレシイ! じゃ、また指名してくださいねー
3.身長・体重・靴のサイズは?
身長は180cmまだまだ成長中♪ 横に…体重73`なんで二年前のプロフィールよりも5`も増えているんだろう…

実際にテキストサイト管理者で一番多い身長帯が180〜182くらいでしょう。私独自の統計ですが。結論から言うと「テキストサイト管理者にはうすらデカイ奴が多い」が私の認識です。まぁ今は知りませんが、1年くらい前はテキストサイトの集まりもちょくちょく行っておりましたが、やはり集まる人はほとんどが180cm以上で体重もdで表すような方々が多かったです。テキストサイトオフ会での主な話題は己のケンカ自慢でしたね〜。

「お、お前強そうだな! いっちょ手合わせ願おうか!」

「いいだろう!こい!」

…ビシ

シュ!

ハッ

フン

ガス!

「はぁはぁはぁ…やるじゃないか。」

「そっちこそ。」

「オレは○○ってサイトをやっている○○だけど、キミは?」

「あ! ○○さんですか! オレ、リンク貼ってもらってる○○ですよ!」

「え? ○○さん? ウソ、まじで? こんな人とは思わなかったなぁ」

「オレだって、まさかあの思想哲学系で孤高のテキストサイトといわれた○○の管理者がこれほどの豪傑とは思いませんでしたよ。てっきり、線の細い文学少年だと思ってました。」

「ボクこそ、まさか可愛いイラスト書いて、よく掲示板に「○○さんて男の人なのかな女の人なのかな。自分のことはオレって言ってるけど、文章とかだと女の人に思えるんですけど〜」なんて書かれてる○○さんが、元自衛官で柔道の段持ちだなんて思いませんよ〜」

ってな感じでしたね。私なんかは、実力では中の下(アクセス100前後)だったので、それほどの実力者(アクセス500とか1000とか)の人とは手合わせしたことはありませんが、同じくらいのレベルの人とはよくやりあいました。あの頃は大手サイトに憧れて、あらゆる格闘技に熱を上げたものですが、もう大手の方々は格闘技ではなくて、元自衛隊や元ヤさんとかから、ホンモノを教わっていたので、差は開くばかりでした。

最近皆さんどうしているんでしょうか? まだ集まって組み手とかしてるのかなぁ

あぁ、あと靴のサイズは27.5センチです。

4.家族構成を教えてください。
父、タケオ
母、タケコ
夫婦で名前に捻りが無い。自分達でTAKE2と言うコンビを組んでいる。父タケオは身長175cm体重90`のデブで、パンチパーマの安岡力也な感じの人です。コワモテで粗暴な人でしたが、根は気のいいヤクザって感じです。大学時代にウエイトリフティングをやっていた筋肉バカなので、知性派のハトとは気が合いませんでした。それでもハトが反抗期などを無く過ごしたのは父の「あぁ、やるのか? こいよ!」と言う睨みのおかげです。後、悪事に慣用な人だったので、私が中、高と校長に呼び出されたりしても、意に介さず、「オレが学生のころはとても呼び出されたりしなかったぞ。そんなことしたらどうなるか分かったもんじゃないからな!」と昔は悪だった自慢になって終るから、グレようが無かったと言うのもありました。「タケオさんの子なのに真面目に育ってエライねぇ」と近所の人によく誉められた記憶があるですが、よく考えたらこれ誉められてない。
母タケコは、実は父よりいい給料貰っていたりします。夫婦仲は良好で、母がコージーコーナーでシュークリームを買ってくると、父は問屋でシュークリームを箱で買ってきてしまうように、気の会い方が半端じゃなく子供心に、「こいつら狙って同じもの買ってきているんじゃ?」と思ったもんです。
母は自分が高卒だと言うのに多少のコンプレックスを持っていたらしく、子供に対して結構な教育ママだったのですが、当の本人は「歴史の勉強になるから!」と「横山光輝 三国志」を全60巻買わせたりしていたので、肝心のところが抜けていた人です。
今は子供2人も家を出て、二人で悠々自適。前々からの趣味であるゴルフに熱中、家の庭に練習用のゴルフコースとか作って遊んでいますが、どうやらゴルフの練習よりもコースの管理(芝の手入れとかバンカーの砂ならしたり)のが楽しくなったらしく、休日になると芝刈りの毎日。

妹、アッキー
私よりも女の子にモテる。バレンタインとか本当にチョコを大量に持って帰るので、事実はマンガより奇なりだ。現在女子大生のはずだが、某体育大学なので女子大生という語感とは程遠い生活をしている。ビーチバレーで活躍しているらしい。海無し県出身が!

祖父、善一
「白いも黒いも三善の腹一つ」と言われるほどの強権を発揮した祖父でした。1994年大晦日、ハト家はモチ米を炊いたときの残り火が原因の火事を起こし、1棟全焼の憂き目に。まぁ当時のハト家は4棟家があったので痛くも痒くもないのですが、燃えた建物が悪かった。
「しまった、あの建物にはガソリンの詰まったドラム缶が置いてある!(違法)」
と気がついた祖父は単身、火の海にダイブ。全身に火傷を負いながらもドラム缶を抱えて生還。この行為がなかったら、大量のガソリンに火が引火、と言うか爆発していたでしょうから、その意義は大きかったでしょう。まぁ違法を承知でそんなもん置いたのも祖父ですが。
しかしその火傷が原因で、しだいに床に臥すようになり、2001年3月永眠。享年74歳。
「ハト! 後は頼んだぞーーー!」と絶叫して息を引き取る。そのお願いは聞き流しましす。

祖母、エツ
どうもお嬢育ちで始末が悪い。なにより米が炊けないというのは…。彼女が作った料理でマトモなものを食べたことがない。下手に料理をさせると火事を出したりするし。でも、私は祖母の作ったソバが大好き。コシが無くてボロボロ崩れてしまうのだけど、そのきめの粗さが旨いの。祖父が危篤となった時「おまえさん、向こうに行って、いい人なんか見つけるんじゃないの?」と問うて、瀕死の祖父に「絶対にない! 絶対に!」と(それこそ必死の)言質を取っていたのが印象深い。限り無く政略結婚に近いものだった二人にもきっちり愛は芽生えていてのね…。後日、通夜の席に愛人らしき人が結構来ていたので、なーんだただ前科がいっぱいあっただけなのね。変に感動して損したわ。

叔母
某宗教団体の宣教師。そんなことやってるから勘当されていたのですが、宣教先のコロンビアの状況がかなり悪化したので逃げ帰ってきた。その後、アフリカ、韓国ときな臭い国を転々としている。


しずかさんと呼ばれているが、正式には犬さんが本名。かなり立派な秋田で、ウチに来たときはすでに成犬でした。立てば170cmくらいある大型犬なんですが、どうやら町を徘徊しているところを、通報によって捕獲。保健所に持っていく前に預かっていたのですが、やっぱ情が湧いて飼うことに。躾が行き届いていたのでまったく吠えません。だからしずかとよぶんですね。

坂本さん
私がつくった犬さんのお家にいつの間にか住み着いていた人。祖父が首つり、父が焼身、兄も首吊りと、次々に自殺していったので、次は自分の番だと脅えている。自殺は遺伝しないと思うのだが。

ブタ
ブタ。

5.家庭環境は複雑でしたか?
単純でした!

力(腕力)が絶対的な価値を有していたので、物事が単純明快です。

なんと言っても父が「男一匹ガキ大将! 本宮ぴろしのにゃんにゃんお料理教室」的な人だったので、力の論理と言うのがまかり通っておりました。何をか判断するのは、あいつはオレより弱い、強い、で判断されます。単純です。

まず求めらるのは力です。

それも誇示するタイプの力を求められます。この場合、運動に適した筋肉だとか、バランスの取れた肉体とかにはとりあえず意味はなく、ライオンのたてがみ、孔雀の羽、サーベルタイガーの牙、のような相手に見せるものが求められます。

力こそ正義でした。

ハトは児童のころはキョジャッキーでしたので、この家庭でのいずらさと言ったらなかったのですが、もやしっ子の割に肝が太く、ふてぶてしかったので、親に入れられたソフトボール倶楽部や体育倶楽部(?)などは即日バックレでした。

今思うと、格闘技系のとこに入れられなかったのが不思議ですが、なんだか父は格闘技が嫌いみたいです。花山薫精神みたなもんでしょうか?

毎日、牛乳2gとプロテインとあとなんか錠剤を飲んで暮したおかげでけっこう大きくなりました。でも、小6から中学にかけて頭髪がロマンスグレーになったりしたのであまりオススメはできないです。

6.いつからインターネットをしていますか。
あれは、1998年の夏でした。明るい太陽に照らされ、青春を湘南で過ごす予定だった大学3年のその時に、私は学校の授業で買わされたノートパソコンにモデムを設置したのでした。

えぇ、えぇ、真っ先にアダルトサイトに行きましたとも。

青春まっさかり。夏まっさかりですから。

多くの人がそうであるように、アダルトサイトに30分で飽きた私は、
「じゃあ次はメールフレンドだ!」
と、若いパッションを迸らせたわけで…

「メールフレンド募集!」みたいなの、、、やったね。

そして…いっぱいメール来た。びっくりした。

性別をあいまいにしていたのが原因かもしれませんが。

今でこそ「出会い系」と言わずとも、ネットで出会いを求めるのも普及してしまいましたが、当時は「出会い系」とかに行くのはごく一部のバカだけでした。

ネット初心者であった私も、そのことは十分にわかっていました。

でも…

まだサイトを始める前の私は、自分を表現する場を得ておらず、ネタを書きタイ読ませタイ欲求がたまりに溜まって…それが「メールフレンド」へと向かったのでした。

「メールフレンド」にどんなメールを送っていたかと言うと、日記の初期のものはほとんどがメールからの転載で成り立っていました。

そもそも中学生のころから、「ネタ帳」をつけては友人知人に披露するのが楽しみだった私は、大学に入って「テニスとバンドとファッションと恋愛」と言う価値観に、憧れつつも物足りなさと、欲求不満をつのらせていたんです。

その欲求を「メールフレンド」に向けたのは、たぶん場違いだったんだろうけど。それでも「お茶の間のアイドル」としてはちやほやされ、言わばインディーズで手ごたえを感じた長瀬愛状態になり、メジャーレーベルの「ホームページ」へと手を伸ばすのでした。

7.いつからサイトをやっていますか。
平成13年(1999年)1月15日

この日、遍くインターネットの世界に、1つのホームページが誕生します。当時、カリスマと呼ばれるサイト運営者が出始めていた頃でした。そのカリスマサイトを羨望の眼差しで見て、そして自分の全てをさらけ出し、そのカリスマに近づこうとしたのが、ハト係長でした。

サイトの名は「Living game

その時歴史は動いた。今回はサイト運営に命を燃やし、そして儚く潰えたハト係長の生涯を描きます。

こんばんは、皆さん。松平定知です。その時歴史は動いた。今日のその時は平成13年、1999年1月15日です。この日はジオシティの片隅に、ハト係長がサイトをはじめて公開したときです。
この時期、世はまさにホームページブームの様相をあらわしていました。ホームページは個人の時代へと移る、ちょうど過渡期だったと言えるでしょう。その渦中でのサイト運営。
その時歴史は動いた、今日はハト係長のサイトを始めるまでの半生をたどりながら、ハト係長はどうしてサイトを開くことになったのか、そのいきさつから話を進めていきたいと思います。

ハト係長は、昭和53年1月21日にハト家の長男として生まれます。当時、ハト家は祖父、善一が事業に失敗し、膨大な借金を抱えていました。

その借金は、祖父が出稼ぎをしてまで返しつづけます。ハト係長は自分の能力は数学でこそ生かせると思い、当時始まったばかりの私立高校の数学学科への推薦入学を意図していましたが、私立への進学をあきらめなければなりませんでした。

素行が悪かったからです。借金関係ありません。

中学時代のハト係長は、飲む、打つ、買うの三拍子そろった男だったそうです。ハト係長の通っていた中学は、このころ急激に荒れはじめていました。当時の校長は急激な不良化に対し、その首謀格となる人間を呼び出します。当時中学3年生のハト係長は校長の前に座ります。

ハト係長がサイトを開設するまで、あと7年

当時の校長は、急激な不良化の原因は麻雀にあると考えました。それは、1学期の初め、進路調査で行ったアンケートの趣味の欄に「麻雀」と書いた生徒が、男子生徒の半数に登ったからです。

「麻雀などという、博打ごとであり、本格的なものを広めたのはいったい誰だ!?」

常識として、教師たちには麻雀は大人のゲームと言う意識があり、その捜査は父兄にまで及びましたが、その大元となったのはハト係長、その人でした。

ハト係長は、ある日、屋根裏で麻雀パイのセットを見つけます。黒塗りの葬式牌と呼ばれるその牌を見たハトに、同時に平安時代に夭折した伝説の雀士の霊が…と言うことは無く、せっかく牌があるならやってみようと、自前で麻雀の入門書を買い、独学で会得したのでした。そして、その麻雀の知識を学校中に広めます。

「麻雀のどこがいけないのですか? 麻雀は知的ゲームとして市民権を得ています。もし麻雀の賭博性をおっしゃるのでしたら、麻雀をすることが、すなわち賭博になると言うことを証明してください。私たちはゲームとして麻雀をしていますが、金銭を賭けるようなことはしていません。」

議論は、「高校へ提出する書類なので書き直してほしい…」と言う校長の案で妥協を見ます。そして顧問の教師を有した麻雀クラブが設立されます。

高校に入って、ハト係長は新たな活動の場を模索します。中学のときに築いたモノ、それはハト係長が主催し、ハト係長が教え、ハト係長がルールを作る、そういった代物でした。ごく初期のころは全てが上手くいきましたが、だんだん他の人間も地力をつけ、またサマ(イカサマ)を奨励したハト係長の元で育った人間は、すでにまともな麻雀は打てませんでした。旨みも無く、共食いを繰り返さすだけの状況からの脱却が、ハト係長の高校での目的でした。

高校では、まずチンチロから始めました。麻雀よりもはるかに簡単で、準備も楽だったからです。そして博打性はさらに高いものでした。

高校の1クラスが賭場となり、他のクラスの人間も集まるようになります。時には50人以上の人間が集まります。ハト係長の計画は順調に進みました。

しかし、事態は急転します。ハト係長ともう1人、当時同じバスケ部に所属し、ハト係長の計画の一番の協力者であったY氏が、現行犯で捕まったのです。それも当時のバスケ部の顧問がハトとYを捕まえたのでした。
幸い、その時は賭場は開かれておらず、二人だけが捕まっただけでした。ハト係長は、あくまで2人だけで、それも今日初めてやったのだと主張します。しかしYは違いました。博打に参加していた全ての人間を、道連れに告発したのです。単なる悪ふざけで終わるものが、不祥事と言う言葉にすり替わりました。

最終的には26人がなんらかの処罰を受けることになりました。しかし、ハト係長はこの時の事の顛末を詳しくは知りません。ハト係長はただ1人隔離され、人目につかないところに入り口の無い部屋「指導室」と呼ばれるその部屋と校長室で、しばらく過ごすことになったからです。校長、教頭、学年主任、指導係り、担任、隣のクラスの担任(賭場になっていたクラス)と代わる代わるの尋問が続きます。

ハト係長は、ついに賭博に参加した人間の名を明かすことはありませんでした。

まだ誰の名前も覚えていなかったからです。ハト係長、高校1年の5月。ハト係長がサイトを開設する5年前のことでした。

原稿用紙10枚分の反省文を校長宛てに書く。それがハト係長に科せられた罰の1つでした。ハト係長は原稿用紙を渡されたその場で、10枚の反省文を完成させます。その時ハト係長は思います。

「文章を書くのはなんて面白いんだ!」

原稿用紙100枚を買い、その日からハト係長の執筆活動が始まります。小説、日記、エッセイ、戯曲、漫才、思い立つものを全て書き込みました。

ハト係長は高校3年の時に機関紙編集委員長に就任します。その年は高校設立30周年記念の記念文集を作ると言う、一代プロジェクトが行われる年でした。この高校を卒業した芸能人や著名人へのインタビュー等、節目にふさわしい企画が立てられました。

ここでハト編集長の豪腕が発揮されます。

「カズへ、卒業してもずっとずっと一緒だよ(ハート)」

「ユカへ、もちろんだよ。愛してる(ハート)」

このような寄せ書きが乗ったクラスは「編集方針と合わない」とリコールをかけます。また

「キミが、キミが、熱い恋をするなら、世界でぼくしかいない!」

TOKIOかぁ? このようなくだらない引用は認めませんでした。恋愛、流行はタブーとされます。しかし、度重なるリコールに業を煮やした各クラスは、このリコールを拒否。結局、締め切りとの兼ね合いで、一部をハト係長が修正して出版されます。

この時のハト係長は、不本意なものを世に出した後悔と、他人を使う編集作業の難しさを痛切します。

大学に入ったハトは、パソコンとインターネットとの運命的な出会いをします。インターネットの向こうにあった世界には、自分の自由になるメディアを駆使し、表現を競い合う場がありました。

手元には、高校時代から書き溜めた文章。これでホームーページを作る。ハト係長はジオシティにアドレスを持ちます。ハト係長がサイトを開設するまで、あと25日

ジオに初めてアップしたものは、年賀状でした。まず、当時から通っていたサイト運営者などに自分のサイトの存在を匂わせます。ハト係長がサイトを開設するまで、あと15日

一般の人も見ていたその年賀状。7日が過ぎたときに、その年賀状はホームページに変わります。その時のサイト名は「月間欠陥住宅」語呂がいいかと思ったのは、ハト係長がサイトを開設するまで、あと7日

平成13年(1999年)1月15日、掲示板に「私もホームページ作りましたー」と書き込み、憧れのサイト運営者にメールを3通送って、正式に「Living game」としてスタートしたました。

この後、サイト運営者に送った3通のメールのうち一通が発端となり、ハト係長は他人のホームページで非難されると言う事態に陥ります。当時、もっとも勢いのあったそのサイトと、ハト係長は泥沼のメールの応酬をし、あげく「訴えられてもしょうがないですよ!」と言われ、サイト運営は最悪の状況になります。どん底よりの復活、栄光の日々、そしてそのサイト運営者との和解。さまざまな艱難辛苦を乗り越えることいなるのですが、それでもハト係長には自分の自由にできる場がある、それが何よりの心の拠り所であった、そう違いありません。

8.自覚してる長所と短所を教えてください。
鼻が長いです。○○○が短いです。

では、鼻が長い人は人相学的にどう判断が下されるんでしょうか?曰く、鼻が大きく高いあなたは、「完璧主義者で自分中心に物事を考えるたち。他人にも自分にも厳しくなかなか妥協しない。」だそうです。嫌な奴ですね。友達や恋人にはしたく無いタイプです。アメリカ人は鼻が大きいのは、けっこうなマイナスポイントらしく、美容整形でも鼻を削るのは、日本人が一重を二重にするのより、ポピュラーに行われるそうです。あと、眉と眉の間が短いです。下手すると繋がります。こち亀の両さんみたい。そんなあなたは「眉の間隔が狭いあなたは、あまり落ち着くことができず短気で神経質な面がある。間隔が狭くなるほどその傾向がある。」だそうです。嫌な奴ですね。友達や恋人にはしたく無いタイプです。また鼻の長い人は○○○も長いと言われますが、それはまったくの迷信だと証明されました。珍相占いでは、○○○が短い人はコンプレックスが強く、他人に引け目を感じていて、劣等感から卑屈な人間になり、他人と(特に女性との)コミュニケーションを取ることが不可能です。プロにまかせても、「まぁごりっぱ!」などと言われても、猜疑心から信じられず、人間不信に陥るでしょう。いっそのこと罵ってくれ! と常々思っているはずです。その思いは日に日に募り、ついにあなたは、自分は罵られるのが好きなんじゃないだろうか? ということに気が付きます。そうなればあなたの人生はバラ色。いままで自分を押しつぶすように感じていた、他人の視線や社会の波が、厳しければ厳しいほどあなたには快なるでしょう。また○○○が短い人は他の病気を併発している可能性が大きいので、当クリニックでレーザーメス処方と亀頭強化をお試しになってみては?

9.ネット上での、自覚してる長所と短所を教えてください。

インターネットを使った交流と言うのは、酩酊状態で行われると認識したほうが良い。目に余る無礼、暴言、無秩序、躁鬱、諸々に酔いどれジョニーなんだ、私達は。

「女口説く時は酒の席かネットで!」

酔いどれジョニーこと、webマスターはそう言います。彼らにとって、慣れないネットでほろ酔い加減の女性を、ファンタスティックトークで一気に血中アルコール濃度を上げるなんてこと、お茶の子さいさいです。あなたは陥れられているんですよ!

まぁ今回はネゲット関連の質問ではないのでこのくらいにしておきましょう。お茶の子さいさいについても、「なんか中国語っぽくね?」とか、漢字間違っているような気もする、とかありますが置いときます。

普段の生活では表に出ない長所、短所も、ネットの中では数倍助長され、自分のキャラクターもアイデンティティも確率されやすいのです。顕著になった己の姿に興奮したり落ち込んだり、忙しい毎日である。

それにつけても! 私のこのネット人格の不適格ぶりは何なんだろう?

掲示板は荒む、

リンクは無い、

ICQの最後は「アナタとは2度とQしたくない!」

メールを書けば返事は「訴えますよ!」

それでいて嫌われ者にもなっていないのは、親しい人にだけ憎まれると言う、内弁慶システムの作動によるものでしょう。

他にも、サイト上で「アンケート企画!」とかぶち上げて、50人近くがアンケートに答えてくれてるのに、集計もなんにもせずにほったらかしとか、そんなファジーなところが長所かな。

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