本能寺

〜天正10年 本能寺の変〜


 天正10年6月2日、その苛烈な行動力によって近世の扉を開いた織田信長、本能寺において自らの命を断つ。時に信長49歳。(国盗り物語ナレーションより)
光秀謀反の真相については、今もって不明。野望説、朝廷黒幕説、怨恨説等いろいろありますが、管理人はノイローゼ説を採ります。もちろん、朝廷が働きかけたり、実際に信長を京都に誘い出す役割も果たしたかもしれませんが、本能寺の変後の光秀の動きの悪さは、それだけでは説明できないのではないかと思います。やはり光秀は正気ではなかったのではないかと思います。信長は光秀を信頼していろいろな仕事を与えているのに、光秀自身は逆に不安に駆られて行ったのではないでしょうか。林・佐久間の追放や四国征伐問題等もあり、光秀はノイローゼ状態になったのではないでしょうか。そのために、朝廷の誘いに乗ってしまったのではないでしょうか。(詳しくはこちらをどうぞ。


 現在の本能寺にある信長廟。最近宝物殿が完成したそうですが、管理人が訪れた10年2月はまだ工事中で、撮影したビデオのにも工事の音が入っています。


 現在の本能寺は秀吉の区画整理によって移転したもので、当時の本能寺は現在の本能小学校のあたりにあったそうです。路地なのでわかりにくく、管理人はパン屋のおばさんに聞いてようやくわかりました。写真を撮ろうとしても、以外と交通量が多く、結構苦労しました。


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