管理人のマシン遍歴

管理人が今までに愛用している数々のマシン達です。


ランドクルーザー プラド (トヨタ)

2015年5月〜


 前のプラドが290,000kmを突破し、買い換えを決断した。初代テラノ以来、このタイプの車が気に入っているので、今回もプラドにした。当初は4月中に納車という話だったが、5月2日から可能だが、3日〜6日がディーラーが休みとのこと。2日は仏滅だったので、5月9日納車となった。

 今回はファミリア→初代テラノ以来の前車→新車へのダイレクトな移行となった。サイズは初代プラドと1cmほどしか変わっていないが、サイドアンダーミラーがなくなったためか、かなり大きくなったように感じた。オーディオがCDやHDではなくなり、iPodコントロールになったので、iPod nanoが大活躍するようになった。また、地デジやBlu-rayにも対応し、初代よりさらに快適さを増した。


 初代プラドに搭載してあったシャークアンテナやDVDプレーヤーはワゴンRに移設した。



ワゴンR車いす移動車 (スズキ)

2008年11月〜


 愛称は「ビッグワン」。白い車なので、「ジャッカー電撃隊」の「白い鳥人ビッグワン」から名づけた。

 父の病院への送り迎えが車高の高いプラドでは困難ということもあり、車椅子ごと乗車できる車を購入しようということになった。いろいろと調べた結果、このワゴンRという結論に達した。福祉車輌は数が少なく、元々シルバーかホワイトしかなかったのだが、ホワイトしか残っておらず、この車となった。しかし納車の1ヶ月後、一度も乗せることないまま父が突然他界してしまい、第一の目的を失ってしまった。

 結果として純粋なセカンドカーとなってしまい、近場で仕事をする時や休日のテニス、買い物等に利用している。ずっと大きな車だったので、コンパクトな車も小回りが効いていいものだ。しかし、やはり軽自動車だけにパワーはなく、富士・富士宮が限界だ。とても静岡まで行く気にはなれない。ちなみにこの車の登場により、プラドの給油ペースが約半分になった。


スカイウェイブ250 (スズキ)

2006年8月〜


 愛称は「バトルホッパー」。仮面ライダーBlackのマシンの名前である。仮面ライダー1号好きの管理人としては「サイクロン」としたかったのだが、劇中でライダーがマシンの名前を叫ぶシーンの記憶が1号にはなく、二語構成の方が響きがいいのでこれにした。

 路上で大型スクーターを見かけるようになり、乗りたいと思うようになった。だからといってギヤチェンジの教習を受けるのも大変そうなので、AT限定免許が出たら取ろうと思っていた。予想通り登場、近所の自動車学校でも教習が始まったので、GWを利用して通い始め、ついに取得した。卒業検定後その足で見積もりをしてもらい、翌週に注文、さらに翌週納車となった。

 普通車と違い、風を切って走る快感はすばらしい。それでいて250ccのパワーは普通車にも負けていない。予想以上の快適さである。休暇には富士五湖めぐりに行ってきたが、夏の終わりに風を切って走るのは気分爽快だった。会社仲間とのツーリングも初体験。ドライブと違って連なってただひたすら走るのもいいものだ。テニスの練習に出かける時は専らバイクを利用している。テニスだけでなくライダーライフも満喫できるという二重の贅沢を満喫している。ETCを取り付けて東名や西富士もスムーズに通過できるようになった。また、ワゴンRと共用でHDゴリラを購入、バイクナビ工房のナビクッションを取り付け、未知の土地へも気軽に出掛けられるようになった。

 その後、マニュアル車に乗りたくなり、AT限定を解除した。マニュアル車に乗り換えようかとも考えたが、やはり愛着のある1号機、手放すことはできなかった。



ランドクルーザー プラド (トヨタ)

2004年10月〜2015年5月 (10年7ケ月)


 愛称は「ファイズ」。初めての希望ナンバー制により、ライダーにちなんだナンバーにすることができた。テラノに代わる車ということで、候補として考えていたのはプラドとパジェロだったが、三菱自動車の相次ぐ不祥事からパジェロは候補から消え、プラドに決定した。同じトヨタのサーフも考えはしたが、ランクルという肩書きと、サーフが背面スペアタイヤをなくしてしまったので、早々と候補から消えていた。

 8月29日にテラノを手放して以来44日目、長い代車(ギャラン)生活を経て、10月11日ついに納車された。かなりじっくり選んだということもあり、スムーズな加速、安定した走り、HDナビやDVDなどの装備、どれをとっても非常に満足している。ファミリア以来のガソリン車で、燃費という点での問題はあり、この車にしてから慢性的な財政難に陥るようになった。購入後11年目に入り、走行距離が290,000kmを突破。ラジエーターの修理とタイヤの交換に迫られ、半年後に車検もあることから、新車への乗り換えを決断した通常の流れの通り、次もプラドにした。
最終的な走行距離は294,646kmだった。


テラノ(日産)

1996年2月〜2004年8月 (8年7ケ月)


 ワイドR3m-Rというヤツだった。愛称は「ブラックドラゴン」。初代テラノがにトラブルが頻発したので、買い換えということになったが、テラノが非常に気に入っていたので、今度もテラノにした。テラノがフルモデルチェンジしたということで雑誌を見ていたこともあり、突然購入の必要に迫られた時、すぐに決定できた。前テラノのトラブルのため、実際には日産の代車(ブルーバード)からのチェンジだった。そのため、改めて車高の高さを感じた。

 思えばこの車にしてから転勤のペースが早まり、各地を転々とするようになった。購入を決めたのとどちらが先か忘れたが、藤枝に転勤。1年後に浜松、さらに2年後に富士、その1年後豊橋、1年後に碧南、半年後に刈谷、そして半年後に沼津に帰った。この間引っ越しが沼津→藤枝→浜松→沼津→豊橋→碧南→沼津と6回。引っ越しを伴わない転勤も入れるとプラス3回で合計9回となる。そのためか、この車で旅に出た回数は少ない。仕事で東京と大阪に行った以外は、藤枝時代に平泉、浜松時代に京都へ行ったくらいである。


 03年の車検で修理代が高額になり、同年夏に電気系統の異常、さらに高速運転時にハンドルがぶれるなどのトラブルが頻発、走行距離が100,000kmを超え、半年後の車検がまた高額になるのを恐れ、ついに買い換えを決意した。しかし、すでに日産はテラノの生産を終了しており、14年10ケ月に及ぶテラノ生活に終止符を打つことになった。


テラノ (日産)

1989年12月〜1996年2月 (6年2ケ月)


 TD27T型ターボというヤツだった。愛称は「怪力熊男」。オフロード走行でパワフルな動きを見せたため、聖飢魔Uの歌にちなんでつけた。

 ファミリアにトラブルが頻発するようになったため、新車の購入を決意、当時会社で新車ラッシュだったことから、人と違ったタイプの車にしたかったという理由で四駆を考えた。ランクル、パジェロと共に検討した結果、当時の上司の薦めもあり、テラノに決めた。ちょうど4ドアが出たところだったが、2ドアの方がデザイン的に好きだったので、あえて2ドアにした。この決断は後で悔やむことになる。清水で購入したために静岡ナンバーだったが、購入二ヶ月後に沼津に転勤となったため、またも地元ナンバーではなくなってしまった。


 初めてオートマに乗ったが、マニュアルよりはるかに楽で感動した。運転することが楽しくなり、いろいろと城めぐりに出かけた。このサイトに掲載している写真のほとんどは、この車で行ったところである。また、オフロード走行にもよく出かけた。さまざまな難所をこの車で乗り越えた。パワーアップのため、サスペンションを交換するなどの改造を施した。オフロード車としての高性能ぶりを思う存分発揮したが、今にして思えば、この頃の無理な走行が寿命を縮めたのかもしれない。異常に水温が上がったり、突然エンジンがかからなくなって立ち往生という事件が何回か起きたため、藤枝転勤を目前に控えて買い換えることにした。


ファミリア (マツダ)

1984年8月〜1989年12月 (5年4ケ月)


 1500ccのXGというヤツだった。色と当時好きだった芸能人から「シルバートミー」と名付けた。「運転しないと忘れるぞ」という兄の言葉により、親から与えられた車。最初で最後のマニュアル車。装備も当初はカーステレオもエアコンもなく、まさに純粋な「車」だった。後にホームセンターで取り付けた。沼津ナンバーであったが、大学のあった八王子、就職して勤務先だった清水など、沼津ナンバーの地域で乗ることはほとんどなかった。

 大学時代は週2回、練習がある日の通学に使った他に、八王子のアパートから沼津までの帰省やサークルの合宿、東久留米でのボランティア活動など、結構長距離を走っていた。就職してからはこの車で佐渡に渡り、そこから新潟港に止めたままフェリーで北海道に渡ったこともあった。実に東京、千葉、長野、山梨、神奈川、新潟と、1都5県を走り回ったことになる。ただ、いろいろ行った割には、当時は運転そのものは好きではなかった。

 会社のCM撮影(当時CMに出演してしまった!)の帰りに校舎に向かおうとしてエンジンがかからなかった事件をきっかけに新車の購入を決意、テラノ納車1週間前にパンクによるタイヤ交換というとどめをさし、5年半の歴史に幕を閉じることになった。


薔薇 (スズキ)

1984年8月〜1988年2月?


 普通車免許を取って初めて購入した原付バイク。当初は原付免許を取るつもりだったのだが、「18歳なんだから普通車」という兄の言葉で教習所に通うことになった。免許は取ったが、まずは原付ということで購入を考え、近所のバイク店にて購入。当時はバイトも満足にしていなかったので、安くて手頃ということでこれにした。セルなしのキック式だったが、「バイクのエンジンはキックで」というイメージがあったので、特に不便は感じなかった。

 ずっと実家に置いておいたため、休みに帰省した時ぐらいしか使わなかったが、バイトに行く時や教育実習の時など結構重宝した。就職してからも実家には住まなかったので、全く乗らなくなった。会社の研修の時、これで駅まで行ったのが最後に乗った記憶であ。バッテリーがあがってしまい、直そうと思っているうちにいつの間にか兄に奪われてしまった。

 尚、管理人が乗っていた薔薇の画像は残念ながら現存していなかったので、ここではバイク販売サイトにあった同色のものを使用した。ちなみに管理人のものには前カゴがついていた。



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